2013年12月21日土曜日

多寡先警部補の事件簿 ~原ヶ島殺人事件~7 by 響 次郎

見晴地区

(1)
『原ヶ島501、「は」の106-84』のナンバーを付けた車が、美晴台を走っていた。山田が乗るメルデセスベンシ1250であった。浜口が生きていた頃、現在(いま)から数年前に、ナンバーにお互いの頭文字を入れようと決めた。よって、山田の愛車に『は』が、浜口のクルマに『や』が付く事になったのである。その愛車のシートも、泥や汗などにまみれている。
 美晴台地区の交差点に、信号は(ほぼ)無かった。それは、「ランナバウト」と言って、円形のロータリーみたいな場所へ車が侵入し、各自が一時停止などしながら、通り抜けるというシステムだ。これだと、信号機が必要ない。あるのは看板だけだ。
 海外では、オーストラリアなどに導入されているほか、日本国内でも試験的に導入されたことがある。

 幾つかのランナバウトを過ぎて、唯一の交差点で停まった。赤信号になったのだ。青になって車は発進し、住宅街から外れた場所で止まった。まるで車も運転者も、電池が切れたような感じに見えた。遠くの沖合に漁船が見える。みかんの木が有れば、『みかんの花咲く丘』の歌を彷彿(ほうふつ)とさせる。宅地が造成中の、森林の多い場所だった。

 七月九日の午後を暫く過ぎた頃である。


(2)
 多コンビのパトカーは、赤色灯だけを光らせながら、『そよ風荘』脇の駐車場に止まった。すぐに白いオープンカーが目に入った。
 手帳を取り出し、急いで傍らに回り込み、ナンバーを確認する。「原ヶ島502、「や」104-68」で間違いがなかった。
『鑑識の代わりもやってくれ。スマホのカメラだと画素が足らないが、機動性を重視するためだ。仕方ない』

 現実の世界はどうか判らないが、多寡先たちの勤める警視庁は、ポラロイドおよび一眼レフで撮影した物しか正式には認められなかった。これについては別途、書類を提出する事になる。
「血痕などは見当たりませんね」
『あぁ。車から離れて殺害に及んだんだろう。車に(わざわざ)血痕を残す馬鹿はいないからな』
 と、多寡先が、赤色灯を消し、パトカーに施錠しながら多井に言った。
 辺りが苔に覆われ、猛暑は若干涼しいであろう(推定)その建物を観察すると、左手にブロック塀の途切れた箇所があり、出入り口は他に無さそうだった。念のため、可能な限り回り込んでみたが、やはりそこから出入りするしか無いようだ。
「ここの合宿所に、彼ら二人の事を証言してくれる人がいますかね?」
 警察手帳を準備している多井の疑問を打ち消すように、
『とにかく、入ってみよう』
と、多寡先は建物の中に促した。

(3)
 玄関を入ると、左手に管理人室が有った。一方間違えれば、恐怖系の脱出ゲームになりそうな、そんな内部であった。
 多寡先が管理人室の奥に通じる扉をノックし、一階を通る声で言った。『警察です。突然ですが、お話を伺わせて下さい』
「あ。はい」
 扉が開くと、ハリーポッターを中年男にしたような(笑)、というか、幅広い男性が現れた
『失礼します。貴方がここ、「そよ風荘」の管理人のかたですか?』
 警察手帳を見せると、男は首を横に往復させた。どうやら管理人(海沢うめ)は、今、昼寝している最中だという。
「自分が、警視庁に最初に連絡しました」
 管理人室から奥(食堂と、台所、一人用のトイレ、おばちゃんが寝てる居間)に通じる扉が開かれ、玄関や廊下を含めた空間は、一気に明るくなった。多寡先は「恐怖系の脱出ゲームになりそう」と云った固定観念に、思わず心の中で苦笑した。多寡先は、多井と、ひそひそ話のレベルでこう言った。
『管理人さん、どうするかな。寝ているようだし……』
「逃亡の恐れは無さそうだから、最後で大丈夫でしょう」
『そうだな』
 仲間もまだ二階に要ると言うので、金田二を先頭に、多寡先、多井の順に上がる事になった。LEDの代わりに、上階の一灯の白熱電球だけが、ここでのメイン照明だった。そう言えば、階段下にも(株)芝々電機の白熱灯がダンボールの他に単体で転がっている。

(4)
 六部屋ある二階のうち、片側の一番手前に彼らは集まっていた。普段から、集会所的な使われ方をしているという。様々な物体を、多寡先を含めた皆で片付け、煎餅(せんべい)座布団を敷いて、話を聴く事になった。
『なるほど。昨夜の午後七時五十五分過ぎに、彼らが車で出て行ったと言うんだね?』
「そうです」と、会話を受けたのは金田二だ。
『日常的に喧嘩があり、夜に出て行く時、話し合いの後、翌朝、夕雅浜から戻って来る……』
 多寡先に続けて多井も補足する。「それが、普通というか、普段の行動だったと」
 今度はそれに、井原と金田二が頷き、林が「そうです」と言った。
『何故、昨夜は突然出ていって、今回だけ戻らなかったんだろう?』
「二人は日常的に喧嘩をしていたと言いますが、心当たりとか、ありますか?」
 多寡先が探偵役で、多井が話を発展させる役割に分かれている。
「実は、彼らの間にお金のやり取りが在ったと聞いています」と林。
 他の二人、井原と金田二が、意外そうな顔をした。多寡先の眼光が鋭くなった。
「(話を)続けて下さい」と、多井。
 ここから暫くは、林と多井、それに多寡先のやり取りになる。
「二人のうち、浜口さんが、山田さんからお金を借りていました。浜口さんが仕事の資金繰りに困り--燃料代とか、網の修理にかかるものですから--、全部で千二百五十万くらいだったかな? それを借りて、山田さんに分割で払ってたみたいです」
『二人は、漁師だったね?』
「はい」と林。
『山田の方が、裕福だったのかな?』
「そんな風に見えましたね」
『今までにも、二人に目立ったトラブルはあったかね?』
「それは……。いつもは喧嘩しても、翌朝にはケロッとしていたので、まさか、今回のような事が起こるとは思わなくて」
 再び、多井が催促する。多寡先は手帳を取り出して記録する。
「それで……?」
「それで。ある時、四百万円返済した所で、どうしても返せなくなって、それだったら『借金のカタ--というと、表現が可笑しいかもしれませんが--奥さん、浜口の奥さんをカタにするという契約を交わした』そうです」
『それで、山田はその、原口の妻と寝たのかな?』
「そうらしいです。一度だけだったみたいですけれど」
 多寡先が多井の方を向いて、
『どうやら、その辺に、核心があるようだな』と、呟いた。
 多寡先は他の三人の方を向いて言った。
『それと関係が有るかどうか分からないが、実は今朝、殺人事件が起きてね』と。林ら三人の顔色が変わる。多井が遺体の写真プリントを取り出しながら、「もしも、気分の悪い方は、ご覧にならなくて結構ですが」と言うと、林と金田二がプリントを覗き込んだ。
『夕雅浜で、今朝、七時四十一分に見つかったものですよ』
 多寡先が手書きで、現地の図を描いて示した。
 多井が、三人のメンバーに尋ねる。
「この写真と、昨夜出かけて行った二人が結びつくような共通点は在りますか?」
 無ければ、事件は振り出しに戻ってしまう。新たな材料を探して、ゼロから捜査を開始しなければならなかった。
「浜口だ」
 最初に反応したのは金田二だった。次に林も言った。
「昨日、これと同じ服を着ていたから、間違いないよ。背丈もそのぐらいだ」
「この建物に隣接する駐車場に、白のスポーツカーが停まっていました。ナンバーは『原ヶ島502、「や」の104-68』。車種は『かふぇらて』です」
 タイヤ痕のプリントを交えながら、多井が三人に確認する。井原は青い顔色のままだったが、浜口の車という意見で間違いなかった。
『しかしなぜ、死んだ浜口の車がここに置かれているんだろう……』
 多寡先の呟きに、林が反応して、
「もしかすると。犯人が山田さんだとして、夜中にここに来て、自分の車に乗り換えたのかもしれません」
 状況証拠でしか無いが、その線を当たってみる他にはないようだった。
「その車のナンバーを教えて頂けますか?」と多井。
 同時に、被疑者と思われる山田が、この島内で立ち寄ると思われる場所をリストアップした。最終的には「峰崎」と別荘があるという「美晴台」が候補に残った。
 管理人の海沢には、話を聴く必要はなくなった。
 予備のパトカーで、山田を追う。
 ハンドルを握りながら、『君は、どっちに居る可能性が高いと思うかね?』
「そうですね。峰崎でダイビングして(そのまま)身を隠したり、沖に単独で出る、あるいは投身自殺ってのも考えにくいですね……」
『美晴台かな?』
「恐らく、そうでしょうね。何処かを逃げまわっているのではないかと」
 事件の解決に導かれるように、パトカーはサイレンと赤色灯で緊急性をアピールしながら、美晴台の坂道を登って行った。七月九日の午後四時四十五分の事だった。

エピローグ
(1)
 時刻は戻り、同じ日の正午。七月九日正午のこと。
 現場のZX組から半径三百メートルほどの距離に、とある特殊車両が到着した。陸上自衛隊のハイパースーパー(略)。エレファントこと花咲を乗せた機動装甲車であった。
「こっちは、あすなろ署の『花咲署長』を要求する! 早くしろ!」
 事務所役の人間が黒サングラスを光らせて叫ぶ。
「それじゃあ、気をつけて行ってらっしゃい☆」
 ルイちゃんが、色気のある声で言った。ピンクのフリルではなかった。
「ああ。お手柔らかに頼むよ。。。」と花咲。
 あすなろ署には、胃薬が常備してあった。今日に限って、それが切れていた。花咲を含めた全員が、シナリオ通りに配置へとついた。若干、救急車が多い。
「もう待てん。限界だ! ZX組をナメるなよ!」
 花咲がその事務所にたどり着く前に、銃弾が放たれた。
 ズギューーン! という音ではなくて、パアンと乾いた音だった。
 七月九日の午後十二時十分、花咲署長は倒れた。銃弾による負傷で無く、失神によって。もちろん、万全を期して防弾チョッキは着けている。
 ルイちゃんが「任務完了」と、ニヤっと笑って言った。
 どさくさ紛れに、救急車がエレファント花咲を乗せ、どこかへ運び去った。
 その後は、駆け付けたマスコミや野次馬などで、夜まで混乱は収まらなかった。

(2)
 多寡先と多井を乗せたパトカーは、交差点のランナバウトが特徴的な美晴台を走っていた。「迷路のような場所ですねぇ」と多井。『全くだよ』と、多寡先もウンザリしていた。ここの別荘やら住宅を(一軒一軒)当たっていたら、解決には程遠いだろう……。
 信号のある交差点で停まった時、夕食の後、涼んでいた主婦に声をかけられた。
「お巡りさんね。ちょっと話を聞いて下さい」
 詳しく話を聞くと、この辺りの住人(別荘なども含む)は、信号機で停まらないという。ほとんどの人が、信号機の在る交差点を回避して、ランナバウト経由で、島内を走るというのだ。どっちの方に向かったか、多井が(嬉しそうに)聞いた。
 メルデセスベンシ1250が進んで行った方向に、住宅の造成地があった。辺りはかなり暗い。良く見ると、森のような間を、獣道が走っている。多寡先警部補と多井刑事は、造成中の脇にパトカーを停めた。赤色灯だけがせわしく、闇夜を切り裂き続けている。その細い道の遥か向こうには、屋根などが荒れ果てた建物が見える。『行こう……』
 彼らは、その細い道を、慎重に進んで行った。
 犯人の山田 侃は、メッキ加工工場に侵入していた。七月九日午後六時ちょうど。
 工場は無人になっていた。いや、工場というには規模が小さく、コウバと言った方がピッタリする。山田の目的は、青酸カリ(シアン化カリウム)を盗む事であった。勿論、気化あるいは液化したのを体内に取り込めば、一秒と持たないだろう。暗がりを物色していると、試作品という木箱が目に入った。傍らの軍手を嵌(は)めて開けると、カプセル状や細長い形のものが出てきた。その中から、カプセル状のを取る。これを飲めば、死ねる……。
 そう思った瞬間、眩(まばゆ)い光が山田を照らした。警視庁刑事部捜査一課の多寡先警部補や多井刑事が立っていた。
『無駄な抵抗は止めるんだ!』
 多寡先が、オーバーに手を広げて怒鳴った。多井が山田の真後ろに回り込む。山田は(それに)気づかない。『話し合おうじゃないか』「話し合う? 何を馬鹿な事をっ!」
 山田が向きを変えようとした。次の瞬間!
 多井が両手を組み、思いっきり山田に向かって振り下ろした。脳震盪(のうしんとう)を食らって、山田が倒れる。
『被疑者、確保!』と多寡先が叫んだ。

 七月九日午後六時十七分の事だった。

【完】

- 参考文献など -
Wikipedia日本語版
拙作:花咲・多寡先・多井シリーズ『謎のDMは太るぞ』
『解剖学はおもしろい』(上野 正彦)
『鉄道員裏物語』(大井 良)
『ライアーゲーム』(甲斐谷 忍)   ほか

2013年12月14日土曜日

多寡先警部補の事件簿 ~原ヶ島殺人事件~6 by 響 次郎

出来レース事件

(1)
 大石巡査と多寡先警部補、多井刑事らの合同捜査班が、駐在所でひと息ついていた頃、同僚(以降、デジタルカメラで主に撮影していたのを画<かく>巡査、もう一人を帯巡査)二人の現場で、騒ぎが起きていた。
 峰崎から続く大小含めた破片で怪我をしただの、夕雅浜で異臭がする等といった苦情である。
 中には「おかしい!」と、あからさまな反応をする人も居て、両巡査に詳細な説明を求める者もいた。また、件の「危険」看板を乗り越えて、犬の散歩に見せかけ、窪みの中を覗き込もうとする者まで現れた。当然ながら、そうした事態を、本庁である警視庁も把握していた。トップに近い者らで黒会議を開いたように、警視庁全体が、その問題を(一応は)認識していたように思われる。
 もう、死体が発見されるのも時間の問題だろうと思われた、七月九日午前十時十五分。新宿区で事件が起こった。

(2)
 ZX組の事務所に、一発の銃弾が打ち込まれたという物だった。ここまでは、(黒会議の面々も想定した)シナリオ通りだったが、その威力が強すぎた。防弾ガラスに(銃弾が通った)丸い穴が空く代わりに、その窓一面が割れてしまったのだ。黒会議の連中も、それには慌てた。
 もしかすると、負傷者一名では済まない。更には、会議中のチャット内容が漏れた、ハッキングの可能性すらある。
 一見チャラそうなCに、Dがすぐに詳細を報告するよう指示し、全ての庁内コンピュータのバックログ(履歴)を参照する事にした。それには、木崎刑事が役に立った。さすがは、特殊情報課(特情)である。彼らの部署は、コンピュータやネットに詳しい。警視庁に勤めていなければ、情報処理技術者で通ってても、おかしくはない。
 特情課十名の努力により、シナリオ通りに行かなかった「犯人」はすぐに突き止められた。重役警官Jの存在である。Jは、先の黒会議に参加させて貰えなかった為に、離反を起こし、部下に命じて、前もって用意した(威力の高い)武器と、シナリオ通りに使用すべき武器(丸い穴が空く程度)をすり替えた。結果、あのような予想し得ない状態になったという事だった。最初はZX組やYZ組のどちらも、その「犯人」を信じなかったが、Jを連絡役のXY組に引き渡す事で、何とか事件の最初の局面で解決した。局面の悪化という(最悪の)事態は避けられた。後は、黒メンバーの描いた通りに、事件は進むであろう。
 Jとその末端までの部下は、命が無いか、もしくは身を縮める思いをすることだろう。重役警官という階級は、そういう階級なのである。動かす(動かせる)物が大きければ、リターンで戻ってくる甘い蜜も大きい。しかし、そのリスクも恐ろしいほど大きい。ゴルゴ13が、背後にピッタリくっついている、と例えれば、その人生は想像出来るのではないか。

(3)
 新宿区には、昼にもかかわらずパトカーが十四台と、火事や防災訓練でも無いのに、消防車六台が用意された。それらは、例のZX組事務所の周辺に配備されている。妙な素早さで非常線が張られ、交通規制や検問が一帯に敷かれた。機動隊だけは七十五名が新宿区に入れたものの、残る二百名は豊島区やら渋谷区辺りで、上官の指示待ち待機という状態である。後は『負傷者一名』を用意するだけとなった。
 負傷者を用意するという直前が、七月九日の午前十一時五十七分である。この事件は昼食の時間帯と重なったので、大変な騒ぎになった。マスコミ等のヘリも、誘蛾灯(別に夕雅浜とかけてる訳では無い)に吸い寄せられる虫のように、都内に集結して来た。黒メンバーが呼んでもいない救急車までが出動し、新聞の号外が東京駅など、繁華街で配られる規模になった。
 当然ながら、このニュースは(新宿区事件の元凶である)原ヶ島にも、直ちに伝えられ広められた。

(4)
 夕雅浜で、警官二名が「疑惑」と格闘しつつある時に、原ヶ島通信社の車が現場を通りかかって、彼らの前で停まった。手には、号外! とある。新宿区の上空から撮影したらしく、パトカーやら消防車が集まる、物々しい俯瞰(ふかん)写真やら、不安そうな顔で組事務所の付近に集まった人垣(半分近くは、黒メンバーが集めたエキストラだ)の模様などが掲載されている。
 冷静に考えるなら、やけに用意がいい(爆)のだが、非常事態に正常な思考力が奪われるのが、人間という特徴である。
 この号外作戦と、テレビが浜下地区と中通り地区にあるというので(街頭テレビかよっ!)、野次馬になりかけていた大衆は、あっという間に散り散りになってしまった。夕雅浜も落ち着いた午前十時二十二分、多寡先らが現場に合流した。。

「さっき、パトカーから外を眺めていた時に、浜下に向かって、民衆が押し寄せて来てましたが」
 多井が画巡査の一眼レフを覗き込みながら言った。
「ええ。新宿区で事件が起こったようですよ」と、
巡査が、折り畳みの号外を多井に渡した。多寡先も、開かれたそれを覗き見た。

 花咲署長の言う通り、何とかなった結果が「それ」であった。

(5)
 新宿区事件の発端となった現場を振り返る。なにせ、駐在所の係員(階級で巡査の事をこう呼ぶ)が数人で現場に到着し、物体と化した遺体を発見しただけである(苦笑)。島での本格捜査はこれからなのだった。
『それじゃ、これをはめてくれ』
 多寡先が合同捜査班に配ったのは、病院の手術用手袋だった。多寡先と多井が窪みを覗くと、赤黒い物体が横たわっているようだ。帯巡査に伸縮性はしごを、車から持ってこさせ、傾斜した崖に沿って下ろす。上部の距離が足りないが、茂みに手を伸ばせば、何とか底まで降りれるようだった。
 先に多寡先が降りて、物体を見て『まるでゾンビのようだ』と言った。バカッター(職場などで異常に撮った写真をSNSなどに投稿する人)が現場に居たら、その発言だけで問題になっていただろう。多井も顔をしかめた。
 多寡先が気を取り直して、脈を採った。死亡している。大石巡査も降りて来たが、思わず顔を背けたので『目を背けるな。ちゃんと見ろ!』と言った。鉄道員も、踏切などでの飛び込み死体を黒いビニール袋に入れる事があるという。暫く、マグロや白子などを口に入れられないそうだ。
 詳細を観察すると、様々な角度から凶器(斜面の箱だ)を打ちつけたのでは無く、身体に対して垂直で打ち続け、犯行の初期に意識があったか、筋肉などの反射により、このように「身体が曲がった」という事が分かった。
 大石巡査に斜面の箱を丁寧に持ってこさせ、中を調べると「破断しているのは、一点を中心とした場所だけで、周辺部は多少の変形が見られた」程度であった。

 多寡先が、『やはり、多少のずれは有ったものの、一定の角度で犯人は被害者を殴打し続けた……』と言うと、多井も、「その推理で間違いないと思います」と同意した。
『血液が染み出ているが、これは動脈か、それとも静脈かな?』と、質問を投げかけると、「よく動脈を切ると、飛沫(ひまつ)状に飛散しますので、アニメなどで見る凄惨なケースでは無く、」と、一度切り、
「表皮に近い静脈あるいは毛細血管みたいな場所から染み出たと考えて、良いのではないでしょうか」と、多井が自説を披露した。
『そうなると、死因は何になるだろうか……?』と、多寡先が腕組みすると、
「出血多量死は考えにくいですね。殴打により、内臓にダメージが蓄積されて、同時に意識を失うショック状態に陥り、その結果、死亡に至ったのではないか……と」
 多井の考えに、多寡先も『そうだな』と賛同した。
 口からの汚物の解釈は、胃の残存物と関係があるかもしれず、捜査員の判断を超えるため、病院に電話をかけて、詳しく解剖して貰うことになった。その際、最初にパトカーで到着した時刻と、合同捜査を開始した時刻をメモして、来た救急隊に手渡して貰うことにした。

 はしごを多寡先が先導して登っている。
『そうしたら、我々は、この死体がどこから来たのかを追う!』
 大石巡査が青い顔をしつつ、
「それについては大丈夫です。『そよ風荘』から友人二人の行方が判らなくなったと、電話がありました」
 じゃあ、ソコに行ってみますか。そう提案したのは多井だった。
 多寡先が『大石巡査。あなたは、あの斜面(指差して)の箱と、峰崎でしたっけ。そこまで続いてた部品が、同一の物かどうかを調べて下さい』と指示すると、彼は丸めたハンカチを広げて額を拭い「お任せ下さい!」と何とか言った。
 かなり粉々になってしまった部品もあり、完璧な回収は難しそうだが。
 画巡査がポータブルプリンタで印刷してくれたので、遺体とタイヤ痕の写真を借りて、大石巡査が手配してくれた「原2」パトカーに、多寡先と多井が乗り、赤色灯を瞬(またた)かせながら、元見晴に走っていった。

 時刻は、七月九日午前十一時十四分と、遺体になって半日が経過していた。

(6)
 山田は、逃亡を続けていた。殺人を犯してしまった以上、堂々としている訳には行かず、交通系ICカードも万一を考えて、使うわけにも行かなかった。顔を誰かに見られる恐れがあった。結局、自販機で(たまたま)売ってたカップ麺を海水に浸して食べたり、無人畑に忍び込んで、大根などを半分食べたり、腐りかけたハイビスカスの汁を吸う(死にはしないが、腹は壊すだろう)などして、何とか空腹を紛らわした。時々、雨に見舞われ、悲惨な逃亡生活であった。
 不眠不休での移動で、山田の疲労も限界に達していた。

(7)
 某黒会議室にて。「それじゃあ、額に銃弾がかするという設定でお願いするかな」
 言葉に音符が付きそうな明るさで、Dが言った。
「本当に、やるんじゃな?」と、ヨロヨロしながらE。
「もちろんです。警視正か警視でしか、署長になれない所を『警部』で特別に就任を計らってあげたのですから、その便宜を返すのは、義務ってものではないでしょうかね。要するに、今でしょ! と言うわけですが」
 別に今じゃない方が助かるのだが、Dに睨まれたら、命を落とすとまで言われている。闇の一声。棺桶クリエーション。様々な噂や異名ばかりを聴かされて来た。
 Dの携帯が鳴る。
「えっ? 狙撃手が風邪を引いて、三十八度の熱が在るって!?」
 ちっ、と舌打ちしたのは気のせいだろうか。
「……で。チョッキ着用で撃たれて倒れるだけで良いって。命拾いしたな。エレファント」
「でも、どこかに確実に命中するわけじゃろ?」
「国際機関TTBUTKが認定した防弾チョッキだから、大丈夫だ」
 Dの言うTTBUTKとは『トッテモ ツヨイ ボウダン チョッキ』の略らしい。却って性能面で不安になってくる。エレファントがググらなくて正解だと思う。
 そのまま待っていると、先ほどコーヒーを運んできたメイドさんが、スナイパーになって現れたではないか!
 エレファントこと花咲署長は目を剥(む)いた。
「狙撃をさせたら世界レベルのルイちゃんだ。風邪を引いた狙撃手の代理を務める。夜の狙撃も優秀だg……げほっごほ。あー、その格好は『現場』では目立ち過ぎるな。マスコミ風の格好をして来てくれ!」
 ルイちゃんはブーブー言いながら、別の部屋に(足音すら立てず)走ってゆく。このフロアには、何着何種類の服装があるのだろう?
「驚いただろう? 君の命は保証する。ただし……!」
「ただし、なんじゃ?」
「絶対に、動かなければ……な!」
「………………」
 狼狽(ろうばい)しつつ、何とか呼吸を整えて、疑問を口にする。
「……一つ、聞いてもよいかの?」
「なんだね」
「なぜ、こんな事をするんじゃ。中止とか考えた事は無いのかの?」
 至極(しごく)最もな質問だが、答えは非情だった。
「無い。なぜなら、我々『黒会議、重役警官の面子(めんつ)』のためだからな。役人の面子は重要だ。よって中止はあり得ない!」
 はーーはっはっは。と高笑いが続きそうなセリフだった。
(つづく)

2013年12月7日土曜日

多寡先警部補の事件簿 ~原ヶ島殺人事件~5 by 響 次郎


黒い一声
(1)
 警視庁には、普段使用されていない部屋が有る。それも、地下深くの、特別なフロアに、である。それは特別な重役警官が使用する部屋であった。いや、重役警官という造語では薄っぺらいかもしれない。とにかく『特別中の特別な』裏の存在であった。
 そこに、重役警官Aから重役警官Cまでが集まっていた。Aから順に、[アベ(バーコード)]、[ベンシ(車好き)]、[シルクロード(チャイナドレス趣味)]と名乗った。一般的に「ハンドルネーム」に相当する物で、ハンドルネームの後ろは愛称みたいなモンである。
※愛称まで含めると長い為、単純に英数字にさせて頂く(作者)

Bが、宝石が埋め込まれたタブレットを眺めて言う。「エレファントはまだかな?」
 それに対しAが「離島だから、アクセスに時間がかかるんだろう」と言った。Cが「そろそろ『タイムアウト』が来ちゃうじゃん。俺、新宿の有美ちゃんとこに行きたいんだけどなぁ」ともがいた。有美ちゃんは、高級キャバクラに勤めている。Bが「欲望は抑えておくものだ」と静かに言った。そのBも、欲望の制御は難しいらしかった。
 一呼吸置いて、チャットルームに入室した者が居た。例の重役警官E、[エレファント(ジジィ)]である。「申し訳ない。部下と話していたものでな」と、ノロノロした文章が、打ち込まれる。「エレファント。遅いじゃないか、さっさと済ませようぜ」と、C。「ああ。シルクロード、そうしよう」とE。
 Dの[ドラクエ(軍事マニア)]が欠席した四人で、極秘の会議が行われた。

(2)
「……という訳でな、連中に殺人を嗅ぎつけられる前に、何とかしたいのだ」
 Eが言った。
「連中ってのは、マスコミか?」とC。
「それもあるが、野次馬とか世間もだ」再びE。
「Dにまた、ひと騒ぎして貰いますか」と、Aが会話に割り込む。
「奴に頭を下げなければならんのかのぅ」とE。
「じゃあ、この極秘会議は無かった事にしましょうか。巡査と巡査部長だけで大変だなぁ」と、他人事(ひとごと)のようにBが言う。
 言葉を続けて、「これが済んだら『ザギンでチャンネーとシースー』ですよ」と、二十年前くらいのギャグを言う。キメたつもりが決まってない。
「いやいやいや。是非、お願いするよ」とEが焦る。
「じゃあ、またパトカー八台に消防車五台、機動隊百二十五人ってトコで決着しましょうか?」とA。
「ZX組とYZ組は、仲が悪いからな。二年ぶり位でしたっけ?」とB。
 言うまでもなく、組とは暴力団の事である。
「一つのテナントに複数入ってるトコとか、レンタルになってる地区は、避けた方が無難っすよ!」とC。
 最近では、資金集めが大変だと聞く。そんなニュースをどこかで見た(作者)
 そこへ、Dが入って来た。会議室、続いてチャットの順に、である。
「お疲れさまです」「お疲れで御座います」
「超、乙カレーっす!」
「おぉ、お待ちしておりましたぞ」
 メンバーが口々に言う。いや、正しくは「口々に打つ」が適切だろう。目の前の人間よりも、メールやらLINEの方が重要だという、考えてみれば、奇妙な時代だ。
 ここの会議室で、言葉を発しているのは、ピンクのフリルを着た、メイドさんくらいなものだ。
※なぜメイドなんだという感想やコメントは受付けない(笑)
それと、暇な読者はAから順にEまで並べてみて欲しい、ごほん。

(3)
 CがDに、会議の概要を説明する。今北産業と言うほど、短くはない。それをフンフンと聞き、それから、タブレットを手にして、「……」と打つ。
 Dが『一声(ひとこえ)』を発する前に、必ずする癖である。
「では……」
 それまで、六本木だ銀座だと(肉声も交えて)騒いでいたCも、この時は黙っている。
「パトカー十四台! 消防車六台! 機動隊二百七十五人! 負傷者一名!」と、まくし立てるようにD。
「負傷者一名と言うのは……?」とE。
 漆黒の会議室で、四人が顔を見合わせて、ふふっと笑う。メイドだけが引きつった顔で、コーヒーのお代わりを配りに、席を回っている。
「もちろん。アナタですよ。Eさん! 大丈夫。航空自衛隊の超スーパーウルトラハイパワーヘリだったら、初島から首都東京まで十二分で着きますからッ」
「そ、その超スーパーウルトラヘリというのは、(運用に)幾らかかるんじゃ?」とE。Dがニヤリと笑みを浮かべながら「知りたいですか……?」
 続けて「まー、知っても仕方ないですが、貴方も一応は黒メンバーですし、お教えしますと、十二分間で六億七千三百四十四万円です」
 2013年に、何処でどーゆー技術や装備を整えれば、極めて短時間に首都東京へ着くのか、誰にも判らなかったが。とにかく。花咲署長は、七月九日午前十時三十二分に、警視庁の屋上にあるヘリポートに着いた。

 この章を終える前に、時系列を整理しておきたい。多寡先警部補が、第562方面での命を受けたのは八時四十四分。そこから二十分ほど経って、専用船で浜下港まで移動して九時三十三分。駐在所に着いて、多寡先から花咲へ電話したのが、十時前。黒会議が九時五十分あたりから、十時二十分ぐらいまで行われていたと、推測できる。よって、署長は十時三十二分に警視庁へ到着できるのだ。
 彼(花咲)にとっても、この一日は、死ぬ思いの連続だったに違いない。しかも「出来レース」とは言え、負傷者にならなくてはいけないのだから。
(つづく)

2013年11月30日土曜日

多寡先警部補の事件簿 ~原ヶ島殺人事件~4 by 響 次郎

浜下港
(1)
 多寡先警部補は、トロピカルフレーバーのアイスコーヒーを飲み干した。あれから、十五分が経過している。そろそろ、ブラックのコーヒーと、ハニー&ローストナッツパンケーキを頼もうかと思った瞬間、彼の携帯が鳴った。
 入り口付近の座席が空いていたので、そこで詳細を聞くと、今いる第562方面から第563方面への支援(応援)が決まったとの知らせだった。
『警視庁刑事部捜査一課、多寡先警部補、警視庁130708事件の解決に向け、全力で対応します』
 花咲署長の方を見ると、多井刑事もまた、本件事件担当の命を受けたようだ。
「はは。こうなると思っとったけどな」と、花咲。
それを受けて、多井が「少し早かったですか?」
「まぁな」と、花咲が続ける。「でも、卒業して大きくなってゆく。それを喜ばん親はおらんよ……」
 花咲は熱い目頭を押さえている。
『卒業じゃありませんよ!』
 多寡先は、様々な経験を積んで、あすなろ署に戻って来る。そう思った。
 椰子の間を波風が心地よく揺れる。目の前の風景と、これから遭遇する凄惨な現場が、多寡先の中では結びつかなかった。
 花咲は、明日まで予定通り滞在するという。
「すぐ、専用船が出るんじゃろ? 今回の払いは、わしに任せてくれんか……?」
 あすなろ署の署長に、警部補と刑事は、深く頭を下げた。
「……第562方面の長として命ずる。第563方面の大石巡査らのもとへ赴き、一刻も早く、事件を解決してくれ。頼んだぞ」
 この場の花咲署長には、正確には「長」としての権限はない。本庁(警視庁)からの指令は、警部補と刑事に向けて出されたものだからである。あくまで、形式的なものであったが、多コンビにもそれは解っていた。
 『はい!』「はい」と、多コンビ。
 花咲署長の、その言葉は、今、この瞬間でしか言えないものであった。多寡先警部補も、つい、目頭が熱くなる。
 鼻腔と涙腺が繋がらないうちに、そしてその空気を切り裂くように、『行くぞ!』と多寡先警部補は、多井刑事を促し、喫茶室そして滞在先のホテルから出ていった。
 花咲署長は、ボーイを呼び、コーヒーのブラックを注文した。彼は涙腺がゆるむのを自覚しながら、書類を取り出し、明日から署に戻った時のスケジュールを立て始めた。


(2)
 第563方面の大石巡査が、パトカーの中で思考を巡らしていた。どれくらいが経過しただろう。およそ一時間という時間が、かなり長く感じられた。多分、大石巡査が(将来)巡査部長や警部補になっても、この瞬間のは、しばらく忘れられないのではあるまいか。

 「原1」と書かれたパトカー(この島にはこれ一台だけである。予備の原2も在るが、通常は使用しない)と、公衆トイレの間を往復して、もう一度、用を足して来ようかと思った時、同僚が車載の無線をとった。時刻は、七月九日午前八時三十分ちょうどだった。
「大石巡査、本庁から連絡です!」
「大石巡査です……えっ?! 多寡先警部補と多井刑事が来られるんですか?」
 本庁からの詳細連絡を聞き、その喜びが抑えられず「親しい友人との通話」と言ったニュアンスになってしまう。彼もゴホンと咳払いをし、丸めたハンカチで額を拭ってから、
「第563方面、大石巡査。本庁、刑事部捜査一課の多寡先警部補および多井刑事の支援を受け、警視庁130708事件の解決に向け、命がけで取り組みます。お任せ下さい!」とアピールした。つい、殉職してでも、と言いそうになったが。
 無線の向こうでは「了解」と、苦笑いを含みながら、指令センターからの連絡は切れた。

(3)
 さて。時刻は、山田が浜口を殺害した後の時間に戻る。
 殺(や)っちまった。コロシちまった!
 山田 侃(つよし)は、今は亡き浜口の車を運転しながら、思った。死体遺棄(いき)、殺人、それに窃盗……。これだけで少なくとも、三つの罪は犯している。七月八日午後十一時十六分以降、いや十六分を四十秒くらい上回っているかもしれないが、ともかく、山田は立派な犯罪者になった。
 明日の朝までは、金田二など、宿の連中は気がつかないだろう。いつものイベントだと思ってるに違いない。絶対にそうだ。しかし、翌朝になれば、この原ヶ島は駐在所しか無いとは言え、殺人の事が明るみに出る。どこかに身を……隠そうか。待てよ。それとも漁師に頼んで、小舟か何かを借りて、沖にでも出ようか?
 ダメだ。沖はダメだ! レンタル出来る時間は過ぎてる。どこも開いてやしねえ。畜生!
 白い車は原生林に差しかかっている。下原島である。駐車場は、そこいらに多く存在している。停める場所なら、どこだってある。しかし、事件が明るみに出たら、警察だって動くだろう。それを、空き地みたいな駐車場に停めておいたら、いやが上にも目立つ。捕まえてくれと自白してるようなものだ……。
 犯行が昼間だったら良かったのだろうか?
 山田はハンドルを握りながら、そうも考えてみた。
 昼間ならば余計に目立つだろう。セダンとか軽トラックが多い中で、オープンカーというのは、結構目に付く。BMWなんかの方が、逆に目立たないくらいだ。山田の車は、メルデセスベンシの1250シリーズだった。色はダークネスグレイだ。警察が事情を訊きに、合宿所に来て、その時に俺のベンシが無い事に気づくだろう。いずれにせよ、見つかるのであれば、時間稼ぎくらいにはなるだろう……。
 山田の喉は、風邪をひいてないのに、カラカラだった。こういう時には、ビールよりお茶なんかの方がいい。むろん、証拠が残る個人商店やスーパーより、自販機の方が足がつきにくいかもしれない。
 そう思って、行きの下原島と峰崎の境界にある自販機の傍らに停めた。

 お茶を買いながら、山田は(先を)考え続けた。ここで車を置いて行くのがいいのか、それとも、合宿所まで乗ってしまうのが良いか?
 室内を物色する。藍色の箱に収めてなかったレンズが、一つだけ残っている。マクロという、花などを大きく写したい時に使うレンズである。
 瞬時に、何かが山田の頭に閃いた。そうだ。
 更に、ダッシュボードを開けると、軍手が出てきた。
 車から降り、離れた場所で、マクロレンズを粉々にする。凶器に変わったカメラ本体と三脚と一緒に、交換レンズも入っていたから、調べれば、同じ持ち主の物だと分かる。
 マクロレンズの粉々に出来ない、大きな部品は、あからさまに置いていけば良いだろう。
 山田は一旦粉々にした一部をビニール袋に入れ、大きめの部品と共に、峰崎の方に撒(ま)いていった。パンクしないように、路肩の方に、である。そして、峰崎の先端、およそ三キロ辺りで戻ってきた。これ以上は時間のムダになる。
 山田は、缶の緑茶を半分くらい飲み干すと、エンジンをかけ、元見晴の合宿所に向かって走った。合宿所の隣に砂利が敷いてあるので、そこだけは十キロ以下の徐行に近いスピードで走った(?)
 もう一度、ダッシュボードを念入りに調べると、クレジットカードと交通系ICカードが見つかった。浜口の口座が(まさか)ゼロって事はないだろう。交通系ICカードなら、サインが要らない筈だ。交通系の方を財布に入れ、物音を立てないようドアを開け、キーを車内に残して、自分の車をそっと開け、同様に、忍び歩くようなスピードで砂利を過ぎる。砂利から砂利で、一時間近くは(軽く)かかってしまった。
 ベンシは島の北部を目指し、速度を上げて走り去った。
 幸いにも、合宿所とその周囲は山田の事に気づかない様子で寝入っていたようだった。
 時刻は、七月九日の午前零時を回った頃だった。

(4)
 日時は、多コンビが専用船に乗った七月九日の九時を過ぎた頃。
「警部補は、原ヶ島に行った事あります?」
 改まった調子で、多井刑事は多寡先警部補に聞いた。
『いや、初めてだよ
 多寡先は、彼方から迫り来る原ヶ島を眺めつつ言った。
「私も、初めてです」
『そうか』
 ウミネコが、船にまとわり付くように、そして離れて、どこかへと飛んでゆく。
『原ヶ島って、駐在所だけだっけ?』
 出港した初島の方へ振り返って、警部補が刑事に確認した。
「そのように聞いていますが」
 刑事の方は、少し不安さを出しながら返事した。大石巡査の不安とは違って、初めての場所で仕事をするという類のものだった。
『じゃあ。殺人事件なんかは大変だろうな』
「だからこそ、我々が行くんですよ(笑)」
『そうだな(笑)』
 警部補と刑事の多コンビは、努めて笑顔を造った。その後、浜下港に着くまでは、終始無言だった。多寡先は、犯人がどのようにして逃走を続けているんだろう、と思った。犯人は部外者(島の外)の人間なのか、島内の人間なのか……。島内の人間であれば、受ける衝撃は大きいに違いない。住人は疑心暗鬼に陥るだろう。地域コミュニティも、崩壊へと向かっていく。人間味あふれる島が、無機質な空間に変わるかもしれないのだ。
 多井は、多寡先とは別なベクトルで考えているようであった。我々が戸惑うわけにはいかない!

 駐在所に居る巡査や巡査部長に事件を通じて、貴重な経験を積ませ、同時に教育もしていかなくてはならないのだ。それも、たった数日のうちに!
 多寡先は、デッキ階下の自販機に向かった。到着までに、コーヒーでも買って、気持ちを入れ替えるためだった。珍しく、多井が煙草を吸っていた。


(5)
 原ヶ島は、みるみるうちに大きさを増した。船は山の頂きに別荘や高級ホテルが乱立する(要するに、美晴台を北部から眺めている)沖を通過し、東部へと回って来た。浜下港の向こうには、原島病院やら原島役場、駐在所(船からは確認出来ないが)など、島の主要な建物が揃っている、中通り地区が見える。漁港は、浜下港ではなく、中通り漁港という扱いになっていた。大漁旗を模した、飲食店のノボリや看板などが目に入る。小田原や江ノ島などと同様、海鮮丼の類が人気なのだろう。蛇足ではあるが、真鶴(まなづる)では、まご茶漬けやエビフライが有名らしい(苦笑)。
 多寡先らを乗せた高速船は、接岸作業も含め、定刻通りに港についた。
 港が見えた段階で、多寡先が駐在所に連絡したので、大石巡査自らが、パトカーで迎えに来ていた。乗船デッキから、町並みを眺めてみると、車の側に警官が立っていた。
「私が巡査の大石です。遠いところから、お疲れ様です」
 少々丁寧に、その男が言ったので、多寡先もそれを受けて、自己紹介した。
『どうも。刑事部捜査一課の多寡先警部補です。それから……』
「もうお一方は、多井刑事さんですね。存じております」

『なるほど。本庁では、多井君とセットで「多コンビ」なんて言われているんですよ』

「それも存じ上げています。有名ですよね」
 大石巡査から、尊敬のまなざしを注がれる。

 チラと多井を見てから、『これは確認の意味なんですが……』と、多寡先が前置きして言うと、大石巡査が「なんでしょう?」と聞き返す。
『ええ。こちらの駐在所には、どのような階級の方が勤めていらっしゃいますか?』と、訊いた。
「気を悪くされたら申し訳ないですが」と、多井が上手い具合いにフォローを入れる。
「ここは、巡査と巡査部長だけです」と、大石巡査。
『なるほどね』とだけ言って、多寡先は頷いた。
 ちなみに、階級とは、警察内では下の方から『巡査-(巡査長)-巡査部長-警部補-警部……』となっており、その遥か上に警視正や警視総監がいる。巡査と巡査部長で警察全体の、およそ六割を占めるとのデータも有る。
『続きは、無線警ら車の中でしましょうか?』
「無線警……って、何ですか?」
 大石巡査が思わず聞き返す。
 警察学校で習わなかったのかと思いつつ、多井が苦笑して「貴方が乗ってきたパトカーですよ」と指さす。
 原1と書かれたパトカーは、飲食店が多い浜下を抜け、中通りに入った。ヘリポートのある七階建ての原島病院から少し離れて、こぢんまりした駐在所が建っていた。
 病院の脇を通り過ぎる時に『白い手袋は、予備を含めて、多くありますか?』と、多寡先が訊いた。
 案の定(笑)、「白い手袋って何ですか?」という答えが大石巡査から返って来て、多寡先は『停めて下さい!』と強く言った。原1パトカーは、病院の玄関から二十メートル進んだ通りに止まった。大石巡査も、その同僚も、呆気に取られている。
 多寡先が居ないので、多井は、大石巡査に聞いてみた。「もしかして、証拠品(遺留品)の類には触りました?」
「いいえ。現場保存の鉄則が在りますので、KEEPOUTの封鎖と写真だけ撮っています。他には何も」
と、大石巡査がためらいがちに言うと、多井は、それは良かったと胸をなで下ろしたのだった。警官が触ったのでは、余計な指紋が付いてしまう。余計な指紋というのは、無駄な情報なので処理をするのに(しなくていい)時間を費やしてしまう。その分だけ、捜査にロスが生まれてしまうのだ。
 多寡先がパトカーの後部座席に「何か」を投げ入れた。それは、手術用のゴム手袋だった。多井がニヤリと笑い、多寡先は助手席に乗り込んだ。
「どんな風に頼んだんですか?」と多井。
『駐在所の手袋の予備が無くなってしまって困っているんだ。そう言ったら、快く貸してくれたよ』と後部座席を向いて多寡先。
「事件の事はまだですね」と大石巡査が割り込むと、
『そこんとこは上手くかわしたさ』
 言葉の語尾は、呟きに近かった

 殺人事件など起きそうにない島だ。だから、殺人事件発生とマスコミなどが知ったら、野次馬が詰めかけるだろう。『原ヶ島で初の殺人事件』と出たら、間違いなく、捜査に支障が出るかもしれないし、その可能性は極めて高い。真実を伏せる訳ではないが、円滑に解決をしたい。その後の批判は、甘んじて受けたいと思う。
 多寡先は、警視庁初島郡原ヶ島駐在所に着くと、奥の部屋で今朝別れたばかりの花咲おぉ、多寡先くんか。もう、あすなろ署が恋しくなったのか?」

『違いますよ、署長(笑)』と言ってから『実は……』と、殺人事件になった時の問題点を話した。
 署長は、ふむふむと聞いていたが、
「では。わしが何とかしよう!」
と、普段より一層低い重い声になった。多寡先は、妙な雰囲気に目を丸くしてしまった。
「どうしたのかね。ああ、風邪だよ、風邪。心配いらんよ……」と言う署長の声は、5.1chサラウンドよりも重厚だった。
(つづく)

2013年11月23日土曜日

多寡先警部補の事件簿 ~原ヶ島殺人事件~3 by 響 次郎

緊急指令

(1)
 あすなろ署から、警視庁本庁に異動した、多寡先(たかさき)警部補は、花咲署長や多井(おおい)刑事と一緒に、初島へ就任祝いという事で来ていた。
  あすなろ署は、一時期、近隣の警察署と統合され、あすなろ署自体の閉鎖という危機を経験している。その時、本庁の木崎という「特殊情報課」の刑事と競い、勝利を勝ち取った事がある。その時から、あすなろ署の存在が大きくなり始めたのであった。

 そういった功績が認められ、初島に遊びに来ていたのであったが。
「うーむ。本庁から位置確認のバッジが来とるな」
 花咲署長が、タブレットの画面を覗き込みながら言った。ちなみに、バッジとは、丸の中に数字が書かれた通知の類を指す。あすなろ署も(化石のような)デスクトップPCから、タブレット端末へと、華麗なる変身を遂げたのであった。最もこれは、特殊な例だと言ってもよい。
 多井刑事が、タブレットを(シャッターを下ろすように)上から下に引き出す動作(フリック)をすると、「本庁より、位置認証の通知が来ています」と、赤い字で書かれている。すぐ右上の×を押すと、通知を読んだという事にできる。
 こういった緊急のバッジは珍しい。現在、彼らはホテルのロビー横の喫茶室にいる。全館Wi-Fiが使えるのだ。しかも、パケット通信などと違い、月額三百八十円ほどだ。
 多寡先警部補が、皆の方とタブレットを見て『どうしますかねー』と言った。彼の気持ちは、半々であった。仕事に向かいたい気持ちと、何もかも忘れたいのと。
 しかし、ふと、多寡先警部補は、これはもしかすると、本庁(本土)の方角では無いな、と感じた。依頼は海から、である。位置確認したいという気持ちが勝ってくる。
 多寡先警部補は、多井刑事をちらっと見た。多井刑事は、それに向かってニヤリと笑った。「多コンビ」という言葉も出来てるほど、意志の疎通は、それで充分であった。多寡先警部補が、設定画面から、現在位置の認証を許可した。本庁データセンターと初島の滞在先が、情報を通じて繋がり、現在地に関する座標データが、サーバに送信された。
 この時、彼らの許可は、優先順位としては最下位であった。しかし距離からすれば、一番近い場所に位置していた。それはつまり、彼らが事態に、すぐさま対応可能だと言う事を意味していた。


(2)
「第152方面、位置確認出ました!」
「第76方面も同様です!」
「同様とは何だ? 最後まで、ちゃんと言わんか!」
 新米司令官に向かい、上司が檄(げき)を飛ばす。
「りょ、了解。第76方面の位置確認出ました!」
「らじゃ」
 警視庁の総合指令室。その中で『警視庁130708事件』に対して、即座に対応できる部署はどこかを捜していた。原ヶ島は第563方面であり、初島から最も近い。専用船で二十分もあれば、浜下(はました)港に到着が可能だ。そろそろ、時間切れになろうかという頃、
「第562方面、位置の認証完了!」
「タイムアウト」
 センターの総合指令長が、サーバの受付時間切れを告げた。にわかに、指令室が騒がしくなる。
「第562方面……?」
「初島だ」
「初島、って言うと?」
「あすなろ署だ!」
「あの、あすなろ署の面々か?」
「初島からなら、専用船で二十分あれば着くじゃないか!」
 まるで、サッカーでゴールが決まった瞬間のように、言葉と声の波が広がっていく。
「静粛に」
 指令長が、マイクの音量を上げて、言った。興奮はまだ収まらない。
「静粛に! ……ごほん」
 今度は、消波ブロック(テトラポット)に打ち消された波頭のように、静けさが広まってゆく。
 センターの指令長が事務方とヒソヒソ話し合う。その結果は、ほぼ決まったような物だが。
 五分ほどして、指令長が首を縦に振り、卓上に固定されたマイクを握る。
「あー……」指令長が、センターの総意を代表して、結果を述べる。
「それでは」
 指令長の次の言葉を、固唾(かたず)を飲んで、皆待つ。センター内に、彼の低い声だけが響く。
「本件。警視庁130708事件の解決に向け、」早くはやくと、催促する空気が流れる。
 国会の答弁の盛り上がりとは逆だ。
「第563方面の支援には……」
……。

「第562方面に滞在中の、本庁、刑事部捜査一課、多寡先警部補と多井刑事を充てる事にします」
 指令室の盛り上がりとは対照的に、第563方面の大石巡査の焦りは、この時MAXに達していた。七月九日午前八時二十六分の事だった。

(つづく)

2013年11月16日土曜日

多寡先警部補の事件簿 ~原ヶ島殺人事件~2 by 響 次郎

分岐点
(1)
 夕雅浜は、近くの「御津岩(みついわ)」と並び、朝日や夕日の撮影スポットとして有名である。大晦日から元旦にかけて、出かける人も多いくらいだ。旅館の類は、近くには無く、元見晴か「美晴台(みはるだい)」の別荘やらリゾート、あるいは「中(なか)通り」という、島の東部で宿を探さなくてはいけない。それほど、何もない場所である。三年ほど前に公衆トイレが出来たくらいだ。道路は起伏が多いし、片道一車線で、退避所が所々に設けてあるような、そんな所だった。

 車は、絶好スポットからやや外れた、土埃がまみれる空き地に止まった。浜口は、先の自販機を出てから、缶を少し飲んでいたが、ここに到着してすぐ「グイグイと」やり始めた。案の定、酔っ払った勢いで鼾(いびき)をかき始める。彼が最期に言った言葉は「それじゃは、きれいは朝日ほ……」であった。一応、ヤツの身体を揺すってみたが、気持ちよく鼾をかいていて起きる様子もない。
 周囲を見渡し、車の流れを観察すると、三〜四十分くらいに一台という割合だ。ちなみに伊豆海岸交通(株)と、(株)初島リゾートが交互に運営する路線バスは、午後7時に運行を終了している。
 そうやってしきりに、車の流れを見極めた後、一度トイレに行き(実は、ここにも洗面台付近に防犯カメラが在った)、中通り方面に向かう車が通過したのを確認して、山田はドアを開けた。風だけが、やけに落ち着いていた。


(2)
 このような撮影行では、一眼レフなんかの荷物をもって来ている。三脚や換えのレンズを含めると、相当重い。それらは、藍色のバッグに入れられていた。山田も撮影機材だとは知っていたが、それが凶器になるとは、思っていなかったろう。
 運転席で気持ち良く眠る浜口をズルズルと(引きずり)下ろし、機材を一式運び出して、ドアを静かに閉める。彼が飲んだら起きないというのは知っているし、そうなのだが、これからする事が山田を慎重にさせていた。そうして、鍵をポケットから弄(まさぐ)って、車のキーを盗んでから、空き地の反対側へ道路を跨ぎ、引きずり続けた。これでも起きないとは、今日はどれだけ飲んでいたのだろう。まぁ、山田自身も人のことなど言えないが。
 その反対側は、小高い林に囲まれた場所で、奥は崖になっている。注意の看板と縄も張ってあるが、かなり年月が経過していた。崖下は六メートルほど有りそうな感じだった。

(3)
 ごくっと喉を鳴らし、唾を飲みこみ、食道に降りる前に山田は、ヤツに凶器を食らわし続けた。どこに当てたのか、どのくらいの強さだったのか判らない。ヤツが色々な角度に変化しながら、汚物と血を吐き出し、呻(うめ)いていった。動かなくなったのを確かめて、かつて人間だったのと一緒に、凶器のバッグも、そこに棄てた。
 それらが下に届く前に、ガサッとした音を立てて、木立が揺れた。
 山田は時刻を確認する余裕すらないが、時間は七月八日午後十一時十六分のことであった。

 所有者が不在となった車は、土を巻き上げ、どこかへと猛スピードで走り去っていった。

発見
(1)
 次の日。七月九日午前五時四十分。現場の近くを、一人の老人が犬を連れて、朝の散歩に出ていた。この辺りは、景色が素晴らしいので、散歩に出ていても気持ちが良かった。
 犬が血の匂いとわずかな異変に気づいたのだろう。飼い主とは別の方向に、わんわんと鳴き、注意を促しはじめた。「ワン、やめなさい!」
 吠えるのより早く、老人は、彼の年齢に相応しくない力で、ワン(犬の名前だ)を引き戻した。それでも何とか、首を振ったりなどして、遺体の方に行こうとしたが、とうとう、老人の側まで引き寄せられてしまった。その犬は、言う事を普段から聞かなかった為、飼い主が特段の注意を払う事も、充分なコミュニケーションをとる事も無かったのだろう。もしも老人が、今までと違った接し方をワンにしていれば、あるいはこの時、死体が見つかったかもしれない。飼い主と犬は、次第に小さくなってしまった。ワンが、遺体の方向へ向けて、首と身体で訴えたような……気がした。

 この時点で、夕雅浜の死体には誰も気づかなかった.





(2) 
 七月九日午前六時二十分。元見晴の合宿所にも、朝が訪れた。いつもの二人なら、七時ぐらいにはここに戻って来るというのが、パターンであったので、残った三人組も別に不思議に思っていなかった。いつものように、管理人海沢うめの用意した朝食を一階で食べ、ご飯をお代わりしたり、焼き海苔とかハムエッグをリクエストしながら、のんびりとした時間を楽しんだ。今日は『そよ風荘』の名にぴったりな、爽やかな青空と雲だった。
 時刻は午前七時。二人は戻ってこない。午前六時五十五分あたりになると、寮の横に有る駐車場から、車の出入りを示すジャリジャリした音が聞こえるのだが、今日は、それすらも無かった。食事が終わったのち、金田二(きんだに)が「お土産」が気になったのか、浜口の携帯にかけた。繋がらない。次に山田の携帯にもかけたが、こちらは留守番電話になっている。何回かけても、同じであった。金田二が、二階の部屋に上がって、彼ら(林、井原)に事の次第を話すと、彼らも同様に、電話をかけてみたが、やはり、繋がる気配は無かった。「これは、何か、絶対に、おかしい!」
 金田二が、探偵のように、あるいはミステリー作家の文体のように、言葉を区切りながら、皆に言った。
 そして、一階に踵(きびす)を返し、管理人室に向かって行った。
 悪い予感も何もなく、井原は「ビールとツマミ、それに競馬新聞ある?」と、林にせがんだ。林はツマミのミックスナッツ・チーズがけピスタチオ入りをかざしながら、「ビールが少々とコレなら有るよ」と笑顔になった。まだ、緊張感や事件の欠片(かけら)も無かった。



(3)
 金田二が管理人室に辿り着き、奥のおばちゃんに「電話を貸してくれ!」と言った。「そんなに怖い顔をして。いいけど、持ってったら、ちゃんと返しておくれよ」と、海沢もまだ、深刻には考えず、彼らの食べたお茶碗を洗っていた。 金田二は、それに構わず、警視庁に電話をかけた。
「あの。金田二 初(はじめ)と言いますけど。昨夜から、友人二人が戻って来ないんです。おかしいので、急いで捜索して下さい」
「うん。今どちらからおかけになってます……?」
 固定回線だし、逆探知も出来るんだから、着信番号から(発信した)住所くらい判るだろ! と、もどかしく思いながら、
「東京都、初島郡、原島村、美晴台……いや違った、元見晴906」
「ええと。東京都、初島郡の美晴台、がどうかしましたか?」
 慌てているので、微妙なところで間違える。今度は、語気を強めて、焦りから早口で言った。
「東京都!初島郡!元見晴の906。『そよ風荘』から、かけています。番号は……」
「調べてみます。お待ち下さい」
 ああ、じれったい。二人に何かあったら(もう、何かが起きているのだが)どうするんだ!
 そんな思いで、数分が経った。警視庁は千代田区らしいので、初島郡の原ヶ島駐在所まで転送するという。

(4)
 一旦通話が切れて、再び、繋がった。
「もすもす。今、本庁のセンターから電話があったがね? 友人二人が、戻らんつーのは、ホントかね?」
 島で、唯(ただ)一つの駐在所、大石虎吉巡査の声がした。標準語と比べ、少しなまりがあった。
「ええ、本当です。いつもならば、朝の七時に戻って来るんですが……」
 金田二は、山田と浜口の二人の日常と、昨夜彼らが合宿所を出てから今朝までの相違点を、巡査に話して聞かせた。勿論、彼らと一緒ではないので、夕雅浜の出来事までは、金田二にも判らない。
「ふーむ。ま、調べてみなければ解らんがね。ええと。出ていった車ってのは、判るかぃ?」
「ちょっと待って下さい」
「あぃよ。あまり待てねぇだよ」
 語尾の「てねぇだよ」を聞かないうちに、金田二は階段を駆け上った。案の定、階段を一段、踏み抜いてしまったが、落下する事は避けられた。
 ビールとツマミでご機嫌な二人(いつ、仕事とかしてるんだ?)のうち、林から消えた車のナンバーを聞き出せた。
「すみません、お待たせしました」上ったり下りたりで、金田二の息は弾んでいた。少し、裏返った声で「ナンバーは、『原ヶ島502、「や」の104-68』です。白いオープンの『かふぇらて』」
「ええ……白いオープンで……」
 警察官が、電話口の向こうで確認した情報は、金田二が発したのと同じものだった。
「じゃあ、見つかったら、連絡するべさよ。ま。この島なら、一周四十分くらいだから、すぐに見つかると思うべな」
 大石巡査は、そう言って、電話を切った。おばちゃんが大袈裟なという顔で、次に踏み抜いた階段の修理をどうしようかと、電話帳を手に、二階に上がる金田二を困った様子で見ていた。

 合宿所の、本体の上にベルの頂(いただき)を乗せた時計は、七月九日午前七時十四分を示していた。

(5)
 それから、大石巡査は、同僚数人に頼んで駐在所に来てもらい、一人を駐在所に残して、後の二人を乗せ、(株)S自動車の『るーと』を改造したパトカーで、時計周りに島を一周しようと考えた。駐在所は、島の東部、中通りに在り、夕雅浜へは通常十分から十五分で着く。
 しかし、不振な点が無いかどうか捜索しながらなので、時間がかかる。
 途中で、顔など車中から確認できない人物は、停車して、確認したが、大方はこの島の(見知った)住人だった。
 やはりデマというか、いたずらの類ではないかと、大石巡査が思ったとき、件(くだん)の「注意」の看板と、雑木林が目に入った。それらの直前で、パトカーを停車させる。
 同僚の二人が注意深く、観察すると、雑木林と反対側に何かを引きずったような跡が見つかった。この辺は、風が強いのだが、幸いにも、その痕跡までを消し去る事は出来なかったようだ。
 大石巡査は、道路の反対側にも注意深く渡っていく。やはり、例の跡が深い林の下あたりまで続いている。警官独特の「何か」が働いた。

(6)
「写真は?」
「今、撮っています」
 鑑識の代わりに、デジタルカメラを取り出して、同僚の一人が撮影を始める。もう片方は、黄色いKEEPOUTの帯と朱色のコーン(工場現場などに使うアレだ)をパトカーのトランクから探し始めた。
「何だ?!」
 大石巡査が、雑木林の窪みを差して、叫ぶ。撮影していた同僚は手を止め、もう一人は、急いでトランクを閉めて(パトカーの施錠をつい忘れたようだ)、大石巡査の元に駆け寄った。差した方向には、不自然なハンモックのような、赤黒い物が、茂みの向こうに横たわっていた。下り傾斜の地面には、枝に引っかかったと見られる藍色の箱(中身はカメラ本体やレンズ等だ)があり、他には細かい布状の物や、キラキラした破片などが目につく。大石巡査の足元から崖下まで、血の跡が太く、次第に細く続いている。動脈を切った訳では無いらしく、飛沫状に辺り一面に飛び散るという現場ではなかった。
 大石巡査は、唸った。殺人事件というのは、駐在所で扱った事が無かったからだ。本庁に掛け合うしか無いだろう。しかし、一体、都心からここまでにどれ程かかるのだろうか。現場が荒らされはしないか、野次馬だって押し寄せてくるだろうな……。
 同僚の二人に、現場の撮影と封鎖を任せておいて、パトカーの中で、不安を覚えつつ、大石巡査は衛星電話で本庁と連絡を取った。

 七月九日午前七時四十一分のことだった。

(つづく)

2013年11月9日土曜日

多寡先警部補の事件簿 ~原ヶ島殺人事件~1 by 響 次郎

<物語に登場する地名、人名、団体名等はフィクションです>
プロローグ

 伊豆の初島から、専用船で南東に十二キロメートル行った場所に、東京都初島郡原島村に属する「原ヶ島」が在った。人口は二千八百十三人、面積は三十五.四平方キロメートル、標高が百七十六メートルある。一番高い場所に神植岳(かみうえだけ)が在った。
 リゾート色の強い島であり、全体的にハワイ島を小さくした様なイメージに近い。

 島の不動産は、多寡崎土地建物(株)が、開発は、その関連会社である(株)多寡崎リゾートが行っている。北西部から東部にかけては熔岩や切り立った崖が多く、南部は砂浜とか岩場、プライベート・ビーチが多い。リゾート地は海沿いか、眺望の良い場所に点在している。

 その海岸の一つである「夕雅浜(ゆうがはま)」で、男性とみられる転落死体が見つかった。



口論

(1)
 『そよ風荘』という名が異様に感じる、建物一面が苔むした合宿所二階で、事件の発端は起こった。合宿所の在る所は、原ヶ島の中でも「元見晴(もとみはる)」という地区に位置する。周囲は別荘が大半であった。騒ぎは、日も暮れて、初島の灯(ともしび)がハッキリしてきた頃である。パタパタと中心軸を起点に時間や日付が変わる時計は、七月八日午後七時五十三分を示していた。

(2)
「だからよっ、カネ返せっつってんだろ!」
 胸ぐらを掴みかかりそうな勢いで、山田 侃(つよし)は、浜口 繁基(しげき)に食ってかかった。山田の周辺には、空のビール瓶が散乱している。かなり、酔っている状態のようだ。山田は、頭のハチマキをかたく結び直して、浜口を睨んで言った。
「おう! 表に出てみるか?」
 外野が面白がって騒ぐ。
「いいぞ。やれやれぃ!」
  この騒ぎも、何回目になるだろう。二桁を数えるくらいにはなっていた。無言で迎える浜口をよそに、二人を除いた三人の男が、事態を面白がっている。カーペットには、ビールの染みだとか、何の燻製だかわからない物体等が、散らかっている。
 いつものように、どうせ、表へ出かけて話し合いだかに行った後、明け方にでも帰ってくるんだろう。そんな光景を、山田を除いた四人は想像していた。
 それが、いつものパターンだったのだから。
「ま、元気で行ってこいや。お土産は、秋風ドライの中でいいぞ」
 外野陣は山田の気持ちを知らない。浜口とは、借金を返せない時は浜口の妻を(借金の)カタにすると合意に至っている。別に外国に売る訳ではないが、奥さんと(一度)寝てみた。何でヤツに、こんな美人な奥さんが居るんだ。浜口のヤロウは、今夜に至っても(まだ)のうのうとしてやがる。
 次第に、山田は腹がたって来ていた。今日こそは、キチンとした返事を貰わなければいけない。こっちも、網の修理や燃料費で(家計は)苦しいのに。
 山田と浜口は、共に漁師仲間である。部屋に残る三人のうち、一人は既婚だが、山田を含めた残りは独身だった。
 ヤケに今夜に限りイライラする理由も、そういった所にあった。
「まぁそう、キリキリするなって。今夜は俺が運転してくからさ」
 浜口は、車のキーをくるくる廻しながら、愛車のオープンカーに近づいた。六百六十シーシー、K自動車工業(株)の『かふぇらて』で、車体は特別塗装色のシャインパールホワイトである。グレードは真ん中で、サイドミラーと車体が同色になっている。
 普段のイベント(苦笑)には、山田の車で運転して行くのが通例となっていた。
 浜口が軽い足取りで乗り込んだのに対し、山田は後から、無言でゆらりと近づいて行った。それはまもなくの惨劇を予告しているかのようであった。
 腕時計は、七月八日午後七時五十九分を示していた。


(3)
 白い車は、元見晴から海岸沿いに南下して、夕雅浜へと向かった。元見晴から「峰崎(みねざき)」を経て、原生林が覆い茂る「下原島(しもはらしま)」を経由して、夕雅浜に着く。浜と言っても、ゴツゴツした岩場が多い。
「また、夜が明けたら、夕雅浜の朝日でも撮って、戻りましょうよ。朝日を眺めながらのビール、旨いっすよ」
 浜口はいつもと変わらない調子だった。
 何もかも判ってて、この態度なのか。それとも、脳天気で生きてるのか。車中では、逆に山田が無言に近い態度を通し続けた。車は、ダイビング・スポットである峰崎を通過した。切り立った崖が多い。ウニや鮑みたいな物も採れそうな場所だ。
 途中、周囲が寂しく鬱蒼(うっそう)とした、羽虫が街路灯で浮かび上がるような場所の自販機で、浜口は普通のビールの秋風ドライと、秋風アルコールゼロを数本買い求めた。ノンアルコールの方は、プリン体がゼロらしい。
 二人は気がつかなかったが、ウェブカメラが静止画を記録していた。自動で定点撮影などが出来るタイプである。車を自販機に寄せた時のデータが残されていた。後に解析した時に白い車という事と、ややぶれてはいるものの、ナンバーが判明するだろう。撮影データは、自販機に内蔵されているWi-Fi(公衆無線LAN)でサーバなどに蓄積できる。

 浜口が腕時計を見ると、七月八日午後八時十五分だった。山田の方は、やはり無言で、闇色を受ける静かな波と、穏やかな月を見つめていた。

(4)
「今回は、朝日を撮るなんて気分じゃねぇや。悪いが、引き返そうぜ」
 山田が、部屋に居た時よりも、落ち着いた声で言った。
 会社の損益分岐点では無いが、彼らの人生で、まさに、殺人者と被害者になるという「分岐点」である事だけは、間違いない事実だった。浜口は、変わった事を言うなと思ったが、さして、深刻なモノに受け止めず、いつもの通りに受け流した。結果、取り返しのつかない道に向かって、二人は走りはじめた。
 それは、危険な坂を転がり落ちるように……。
「まぁまぁ」という返事を、山田は聞いていなかった。彼の頭の中は、衝動的な考えに(みるみる)埋め尽くされていった。やがて、それ以外の事は考えられない状態になっていた。

 闇の世界へとつき進む二人と対照的に、車は月の光を受けて、シャインパールホワイトの車体を輝かしながら、下原島を抜け、いよいよ夕雅浜地区に入っていった。
<つづく>

2013年1月27日日曜日

ステップ by k.m.Joe

篤は、いつもより、通勤電車の揺れを強く感じていた。座席に無理なく座っているのに、身体に踏ん張る力がない・・・疲れている。とにかく疲れている。

肉体的疲労ばかりではない。今日一日絶える事がなかった、田中の得意気な笑顔が頭にこびりつき、ムカつきが収まらなかった。ストレスを晴らす機会もなく、くすぶった気持ちのまま家路を辿っていた。

同僚が昇進したって、別に構わない。俺もあと5年で定年だ。今更指なんてくわえやしない。問題はヤツの態度だ。昨日までは、会社に対する不満を散々言ってたクセに、俺たちの上に立った途端、偉ぶり出し、会社の素晴らしさを滔々と述べ立てる始末だ。管理職の立場は解るが、態度の変え方が許せない。

もっとも、自分としては、仕事さえキチンとすれば、上司が誰だろうが関係ない。上司に批判的になる必要もないのだ。悪口ばかり言うって事は、案外、俺も、上の立場に立てば、田中みたいに手の平をクルッと返すのかも知れないな・・・思いが自己批判に到達しようとする頃、電車が降りる駅に到着した。

小さな駅の正面向かいには、小さなコンビニがある。大手チェーンではあるが、地元の中年夫婦が切り盛りしている。夫婦共に愛想が良く、篤が照れ臭くなるほど大きな声で挨拶してくる。

リポビタンを買って帰ろうと思い、コンビニのドアを開けると、奥さんがいつも通り元気良く挨拶してきた。栄養ドリンクの類は入り口近くに置いてある。リポビタンを買う時は、いつも妻の分まで買って帰る。夫婦共々、日常的に疲れているのだ。店内を見て回る事もなく、奥さんが笑顔で迎えるレジに、商品を置き小銭を渡した。

「あのぉ」声を潜めがちに、奥さんが話しかける。勘定を間違えたと思い、財布を出そうとすると、「いえいえ、もしかしてK高校の小沢さんじゃないかと思って・・・」たしかに、篤の苗字と出身校だ。

田中の事ばかり考えていた一日に、風穴が開いた。周りの空気さえ変わった気がした。

「2年の時の同級生の加藤です。憶えてる?」顔をマジマジと見ると、コンビニの奥さんの顔が同級生の顔に重なった。

「おー、おー。全然気が付かんかった」
「もしかしたらと思ってたのよね。この辺に住んでるの?」
「あぁ、3丁目だよ。いやいや、それにしてもビックリした」
「ははは。今後とも宜しくお願いします」
「うん、また」

何気ない会話だったが、コンビニに入る前と出た後では、篤の気持ちは大きく変わっていた。しだいに、加藤という同級生について、記憶が甦って来はじめた。あまり目立たない生徒で、ほとんど会話を交わした憶えがない。現在(いま)の明るさからは想像出来ない女子だった。

彼女は自分を変える事が出来たんだろうな、それに対して俺は・・・と、またマイナス思考に向かいそうになった時、最近24時間営業に切り替えた、レンタルビデオ・ショップの大きな看板が目に入った。青地に白で24Hと書かれている。

篤の心の奥で何かが弾け、数々の映像と共に、時間が逆戻りし始めた。

あぁ、そうだ、2年の時は4組だったよな・・・よくふざけ合ってた友達の顔・・・つまらない事でケンカした事もあったな・・・ギターの練習だけは真剣にやってた・・・本気でジミー・ペイジに成れると思っていた・・・新潮文庫の太宰治は全部読んだ・・・次々に浮かんでは霞んでいく級友や先生たちの顔・・・休み時間のざわめき、廊下や階段を歩くスリッパの音・・・校庭の土のニオイ・・・そして、笑顔と泣き顔の両方を想い出してしまう彼女のこと・・・。

篤の歩みに勢いがついてきた。右手にぶら提げたコンビニの袋の中で、リポビタンの瓶がコツコツとぶつかり合う。まるで、リズムをカウントしているかのように。篤は、彼女との初デートの前に、必死で練習したダンスのステップを踏みはじめた。

幸い誰も近くを通っていなかったが、人が居たとしてもやっただろう。凛とした冬の星空の下、頭の禿げかかったオッサンが、くたびれたコートを翻し、のたのたと踊るさまは異様だった。どう贔屓目に見ても見苦しかった。

ついに、舗道の敷石の縁に爪先が当たり、つんのめって倒れかけた。書類カバンが手から離れ、二、三歩分、前へ落ちた。絵に描いたようなジ・エンド。

篤は軽く息をつくと、現実を拾い上げ埃を払った。

もう少しで帰り着く、自宅の玄関口の灯りに目をやる。いつもの状景なのに、懐かしい温もりを感じた。

そうだよ。もう、見栄え良く踊れないのは解ってる。でも、そんな俺だって、真っ直ぐ前に歩く事は出来る。