2012年6月23日土曜日

日本人が知らない韓国の常識10~昔話の悪役が現代社会の模範~ by 御美子


日本人観光客にも人気のあるプデチゲ専門の
チェーンレストラン「ノルブブテチゲ」
韓国人なら誰もが知る昔話「フンブとノルブ」。
ノルブが兄でフンブが弟なのだが、あらすじはこうだ。

兄ノルブが富裕な家の財産を全部受け継ぎ、弟フンブ家族を同じ敷地内に使用人として住まわせる。
ところが、ノルブの妻の「何故フンブ一家の面倒を見る必要があるのよ」という言葉をきっかけにフンブ一家は屋敷から追い出されてしまう。
子沢山のフンブは食べるのにも事欠き兄に助けを求めるものの、ノルブの妻に無碍に断られた上暴力まで振るわれる羽目に。
そんなフンブの家に怪我をした渡り鳥が舞い込み、心優しいフンブは手厚く看病し鳥は無事に旅立った。
翌年、鳥はフンブに恩返しをし、フンブは急に金持ちになる。
兄ノルブは弟フンブが羨ましくなり、鳥の足をわざと折って見返りを期待するが逆に落ちぶれることに。
その後兄フンブが恥を忍んで弟ソルブに助けを請うとソルブは快く兄家族を迎え入れ、兄弟仲良く暮らしましたとさ。という話である。

韓国で人気のレストランチェーンに「ノルブプデチゲ」というのがある。
「ソンブとノルブ」の兄の名前なのだが、日本人の感覚では、何故悪人ノルブの名前を使うのか不思議に思い、何人かの韓国人に尋ねたものの満足できる答えにはなかなか行き当たらなかった。
信頼できる韓国人友人から聞いた話によると、現代の一般的韓国人の感覚では、弟のソルブは「独立心が無く兄を当てにし貧乏子沢山で性格が卑屈である」
反面ノルブは「向上心があり着る物や食べ物にこだわる趣味人で好ましい」ということになるらしい。

現代の韓国人の価値観を象徴しているようで非常に興味深かった。

2012年6月16日土曜日

東京NAMAHAGE物語•8 by 勇智イソジーン真澄


<愛犬散歩で見たもの>
私にはずっと片思いの男性がいた。
彼に始めて会ったのは、共通の友人たちとの食事会だった。 
誰かの誕生日、というとそれを口実にワイワイ集まり、楽しく飲み食いをする。
当初は10人近くいた仲間だが、年々減り始め、ここ数年は5人で集まることが定番になってきた。
照明器具販売の会社を経営している彼、カメラマンのカップル、スタイリストの人妻、そして私の5人だ。
 
私も彼も独身。
彼は私より一つ年下だ。
一つくらいの年の差なんか誰も気にしないだろう、彼も気にかけないだろうと思っていた。 
ことわざにも「一つ姉は買うて持て」とある。
一つ上の姉さん女房は所帯のやりくりが上手なので、買ってでも妻にするとよいとのこと。 
ほうらね、昔の人はいいことを言う。
まるで私のためにあるような言葉だ。
 
彼は藤井フミヤに感じも体型も似ていて、女を惹きつける魅力がある。
小柄な私は、小柄な男性も好きだ。
しかし、小柄な男性は自らにコンプレックスがあるせいなのか、なぜかスタイルのいい女性を好む。
それも若ければ、もっといいらしい。
 
人数が減った分、もちろん誕生日も少なくなった。
同じ月や近い月の誕生日は一緒に祝うので、食事会は年に3回程度に減少した。 
それでも彼に会えるのが嬉しくて、私は誰かの誕生日が近づくと気持ちがウキウキしてくる。
ましてや自分の誕生日となったら大変だ。 
自分がいくつになったかなんて、そんなこと考えていられない。
ただ彼と会えることが楽しみでしょうがないのだ。
 
いつまでたっても、この時ばかりは乙女心になってしまう。
何を着るかで悩み、美容院で髪をセットする。
くまのある疲れた顔はみせたくないので、前日には十分な睡眠をとる。
少しでも綺麗にみえるように、パックも怠らない。
なのに、彼は私のことなど恋愛対象としては眼中にないのだった。
 
それでも私は、気のあるそぶりを発散している。
しかしそれは、うるさいコバエのように、彼のどこ吹く風に追いはらわれてしまう。
けなげな私の心情は、蝿たたきで潰されたハエのようにペチャンコになる。
 
友人としての枠からはみださない、彼の付き合い方にも慣れてきた。
でも、私は友人以上になりたいと熱望しているので、何かことあるごとにメールをしてみる。
好きな人に相談を持ちかけるのは、会うきっかけを作りたいからだ。 
律儀な彼は、すぐ返事をくれる。
が、その返信は他人事としての意見だけで、その度に私の期待は崩れてガッカリする。
しかし、なにか繋がっていたくてまたメールをしてみる。
 
仕事を探していた私は、その悩みを打ち明けてみた。
行き過ぎた年齢がじゃまをして、採用してくれる会社がない。
もしかしたら、彼の会社で働かせてくれないかな、と淡い哀願をこめてみた。
返事は「人生何とかなるでしょう、頑張って」だ。 


定収入もないのに、今度は住んでいる賃貸マンションの立ち退き要請が襲いかかってきた。
にっちもさっちもいかなくなって、それも相談してみた。
彼は広尾ガーデンヒルズに住んでいる。
一人では広すぎる、余っている部屋があるはずだ。


僕のところに来れば、と言って欲しかったのに「ヒトには乗り越えられない試練はやってきません。
なぜなら全部自分が選んでいるからです。という事は楽しんでそれに向かいましょう!必ずなんとかなります」と励ましのお言葉のみ。
 
グループで集まる以外には、私と会う気はないらしい。
わかっちゃいるけど諦めきれない私の女心。
ヘビ年の私は、しつこさもトグロを巻いているようだ。
 
彼と一番仲の良いカメラマンの彼女が、彼と私がうまくいけばいいとなにかと情報を伝えてくれる。
彼女達に会うのも食事会のときくらいだから、時々メールを送ってくる。
会ったときには、さりげなく彼の近況を聞きだしてもくれる。
 
「旅行に連れて行きたいと思える、22歳の彼女ができた」と彼が言い出した集まりの日、私はショックを隠しつつ味のわからない食事をした。
いつもなら冗談を言っている私の口は、ワインばかり飲み込んでいる。 
おかげで帰りは足元がふらつき、助けの手が欲しいところだったが、気丈に頑張った。
醜態を見せるわけには行かない。
でも、こんな無理に頑張るところも、彼の気にいらない私の一部なのかもしれない。
 
数日後、カメラマンの彼女から、あの子とは別れたらしいよ、とメールがきた。
やっぱり若い子は駄目よね、とコメントまで付いている。
そうすると、無理だと感じてはいても私の士気は高まる。
老いてからの恋は、十代に戻ったように加速する。
なにせ、先が短いのだから。
 
彼はマラソンに凝っていて、早朝、自宅界隈を走っているという。
レースにも参加するが、国内ではなく海外でだけ。
それもハワイ近郊で行われるレースかオーストラリアで開催されるもののようだ。 
暖かく、走っている時に景色のいい場所が好きだからという。
だから、出張以外に、少なくとも年4回は渡航していることになる。
白いTシャツの似合う、彼の浅黒い肌の理由がわかる。
 
食事会のときには、レース時の写真を持参してくる。
私は彼の姿や景色を楽しく見ているが、もう一人の私は他の女性が写っていないかを確かめている。
そうして、女性が写っていないことで私は安心する。
そんな写真は除いてきたのかもしれないなどとは考えないし、彼ひとりの写真を誰が撮ったのかも問題にしない。
臭いものにはふたをしてしまうのが私の性癖だ。
 
私は毎年1度、マウイ島に行くのが恒例になっていた。
姉と一緒というのが寂しいが、同伴する男性がいないのだからしょうがない。


2年前、マウイマラソンに彼が参加すると聞き、私は姉を説き伏せ旅行日程をこの日に合わせた。 
私たちは一週間マウイ島滞在、彼はレース前後の3日のみマウイ島で後半はオアフ島に滞在するのだという。
レース前日は体調を整えるためとかで私たちと会う時間はなかったが、レースの後に会う約束まではこぎつけた。
 
レース当日、ゴールに応援出迎えに行った。
早朝5時スタートなので、早起きの苦手な私は見送りには間に合わなかったのだ。
私が寝ている間に彼は走っていた。
そして、4時間50秒代でゴールに帰ってきた。 
クタクタの彼に駆け寄り、回復するまで2人で芝生に座っていた。
ランニングシャツの胸が大きく揺れ、汗で光る筋肉質の腕は力を無くしていた。     
持参したスポーツタオルをうなだれた彼の首にかけた。                
会話をしなくても通じ合える、信頼し合ったカップルのように見えていたかもしれない。 
ちょっとだけ恋人の気分を味わった。                        
 
その日のディナー、次の日の乗馬は姉も交え3人で行動した。
楽しかった。
彼もそうだったはずだ。 
一人での食事はつまらないし、乗馬も友と一緒なら後で想い出を語れる。


遠く、それも海外まで応援に行ったのだから、私の気持ちを汲んでくれるんじゃないかと心待ちにしていた。 
東京に戻ったら、なにかアクションがあるだろうと思っていた。
が、いつもと同じ、グループで会うことだけで他には何もなかった。
いい感じだと思っていたのは、私だけだった。
 
彼は愛犬の運動に、午前と午後の二回、広尾の有栖川宮記念公園を散歩しているという。
いまの時期は新緑がきれいだと聞いたので、森林浴にかこつけて行ってみた。 
公園に初めて足を踏み入れた私は、その大きさと緑の多さに感動した。
入ってすぐに池があり魚釣りをしている人、ノンビリ浮かんでいるカモ、甲羅干し中の亀、悠々と泳ぐ鯉などが目に入る。
松の木に絡まるヘビを見つけたりも出来る。
近くに住んでいながら、なぜもっと早くにここに来なかったのだろう、と後悔した。
 
この公園は、いい具合にベンチがおいてある。
つかず離れず、それぞれがじゃまをしない配置だ。
そこに腰掛け、サラサラと鳴る枝の音や、流れる水の音を聞きながらの読書は実に気持ちのいいものだ。
彼と偶然会えたらいいと、下心ありありの行動だったが、そんなことはひととき忘れてしまっていた。
 
彼の愛犬はゴールデンリトリバー、名前はミックス。
ここは実に、この品種犬の散歩が多い。
大型犬を飼えるのは、それなりの大きさの家を所有しているということなのだろう。
平日なのに、働き盛りの人が犬の散歩をしている。
彼もそうだが、自分の自由になる時間を自分で決められる地位にいる人が多いのかな。
私が平日いられるのは、雇ってくれる職場がないからなのに、彼らとは雲泥の差だ。
 
何度目かの公園訪問をする時に、広尾橋交差点かどの神戸屋キッチンで1ピースのピザを買った。
彼が、とても美味しいと言っていたからだ。
聞いていたとおり温めてもらい、三軒先のマクドナルドでコーラも買った。
天気のいい日で、公園でのランチには絶好の日だった。
今日はどこのベンチで食べようか考えながら、ピザとコーラの入った紙袋を持ち公園に向かった。


あっ、彼! 前方に見覚えのある後姿があった。
ドキッとした。
もちろんミックスも一緒だ。
偶然会えたらラッキーだと思っていたのに、こんなにすぐ正夢になるなんて嘘みたいだ。
だが、いざ見かけるとすぐには声をかけられない。
高鳴る鼓動を抑え、息を整え、話しかける言葉を捜していた。


えっ、女性と一緒? 私の足は歩くことを止め、わなわな震えていた。
彼が振り向きそうで、私は思わず自動販売機の陰に隠れた。
悪いことをしているわけでもないのに、なぜかこそこそしてしまう。
偶然といえない下心があるからだろうか。
相手に伝わらない、自分の気持ちが重すぎるからだろうか。


本当に2人連れなのか、もしかしたら歩道が狭いので、たまたま並んで歩いている他人同士かもしれない。
後者であって欲しいと願いつつ、私は物陰から2人と1匹を見ていた。
2人と1匹は、同時にナショナルスーパーマーケットの前に立ち止まった。
やっぱり一緒だったのだ。
胸からスーッと寂しさが落ちていき、息が一瞬止まった。
息をつめたまま彼らを凝視している私の顔は、食べ残されて時間がたった刺身のように変色していたに違いない。


彼らはテイクアウトのコーヒーを買っている。
それも1つだ。
ということは、一つを二人で飲むのよね。
普通の関係じゃないんだ……。
私は温めてもらったピザが冷めるのもかまわず、公園に入っていく2人と1匹をただじっと見つ
めていた。


彼と偶然に会い、そこから運命を切り開くという私の野望は、幻に終わった。
相手のことを考えもせず、自分の思い込みのまま行動し、物陰から覗き見してるなんてなんだかストーカーな気分だ。
この日私は、彼の彼女とストーカーになりえる自分の姿を見てしまった。


このまま、ここにいては自分が惨めになるだけだ。
私は踵を返し、公園に背を向けた。
(了)



2012年6月9日土曜日

新作噺「キツネのムコ入り」 by k.m.Joe


コンコンコココン、コンコココン、コココンコココン、コココンコン・・・


えー、毎度バカバカしいお噺を一席。


昔から、キツネやタヌキは化けて人をダマすてな事を言います。


それでも、タヌキは体も丸っこく、顔も愛嬌がありますから、ダマされてもイタズラされたみたいな感じですかな。一方キツネの方はツンとしたすまし顔ですから、ダマされた後味が良くない感じも致しますな。まぁ、実際はどうなんでしょうか。


もっとも、キツネだろうが、タヌキだろうが、人間の化けっぷりやダマし合いに比べたら可愛いらしいもんですがね。


ある街に、里山と呼ばれる小さな山がありまして。人間たちは知りませんでしたが、ここにキツネの一族が住んでおりました。


キツネの世界では、人間に化ける事が出来て初めて「一人前」だそうです。正確にはキツネだから「一匹前」かも知れませんが。


化け方を教える学校まであるそうですな。そこを無事に卒業すると、麓の街や少し離れた街に「留学」する事も出来るそうで、実はそのまま戻って来ないで人間として一生を終えるものもおるそうです。麓の街での油揚げの消費量が全国的に見て高い理由を、分かってないのは人間たちばかりなんですな。


キツネが人間界に混じっても、決してトラブルを起こしません。人間相手に感情を高ぶらせると、元のキツネに戻ってしまうからなんです。しかも、一度戻ると二度と化けられなくなる。


「化けないキツネはただのキツネだ!」と罵られ、群れから追いやられてしまうんですな。ですから、誰も留学中には無茶な事をせず、仕事や勉強を熱心に務め上げるってえ寸法です。


さて、忠八(ちゅうはち)という名前の若いキツネが居りまして、今度初めて留学する事になりました。実は忠八には秘かに想いを寄せる女狐が居りました。紅子(べにこ)という歳上の女ですが、紅子は忠八の気持ちなど知らず、一年前から麓の街で働いて居ります。


働いていると言えば、人間に化けたキツネ族には共通点があります。「コン」という言葉に敏感なんですな。自分たちの鳴き声を連想して落ち着くんでしょうかな。働き場所も「コン」の付く所を好みます。


紅子は結コン式場に勤めております。他の仲間たちはと言いますと、コンパニオンにコンサルタント、コンダクターやコントラバス奏者、ゼネコン関係・生コン関係、コンニャク農家に大コン農家、ボディコン・ミスコン、うっはうは(笑)・・・あ、こいつぁ失礼しました(汗)。


ま、とにかく山を降りた忠八は、紅子がいます結婚式場へ向かいました。街の様子は話には聞いていたものの、驚きの連続です。あちらこちらとヨソ見して歩くもんですから、とうとう女性にぶつかってしまいました。


「あ、どうもすいません」ペコペコ謝る忠八を、女性はニコニコしながら見続けております。まぁ、愛しの女性に気が付かないのも情けない話ですが・・・。


「何だい、忠八。アタシがわかんないのかい?」「あッ、紅子姐さん!」人間に姿を変えているとはいえ、キツネ一族同士は直ぐに分かるもんです。忠八、よほど舞い上がっておったんでしょうな。


キツネの中でも美キツネで通っておりました紅子、人間に化けてもなかなかのものです。切れ長の一重まぶた、キレイに通った鼻筋、尖ったようにスラリとしたアゴ、小麦色の肌、正に理想的なキツネ美人であります。


忠八は取り敢えず、紅子と同じ結婚式場に勤める事になりました。甥という名目です。根はマジメなもんですから、よく働き、職場の信頼も得ていきました。


それでも、忠八の内心は毎日ドキドキしております。原因は紅子ですな。一緒のマンションに住み、あれこれ世話を焼いてくれる姿や、無防備にリラックスした様子からスヤスヤ寝顔まで見るにつけ、恋心は燃えるばかりでございます。今日こそは気持ちを伝えよう伝えようと思う内、日にちは過ぎるばかりです。


そんなある日、仕事が終わって、紅子が運転する車で家路を辿っている時の事でございます。カーラジオから「コンドミニアム」という言葉が聞こえてきました。その他の部分は聞こえなかったのですが「コン」が付く言葉は記憶に残ります。


「紅子姐さん、コンドミニアムって何です?」
「エッ?コンドミニアム?そりゃあ、お前あれだよ。どう説明したらいいかねぇ。あのー、そのー」


結局、紅子も知らないんですがね(笑)


「まだ若い内からそんな事は知らなくていいよ!」


と、妙な言い訳をしたちょうどその時、左の歩道からスケートボードを履いた若者が飛び出して来ました。ぶつかりはしませんでしたが、若者はバランスを崩し膝を着いてしまいました。しかし、どうもわざとらしい。連れらしい男たちが3人ほど、ニタニタしながら近づいてきます。どうも、あまり素行の良さそうな連中ではございません。


紅子も察したものの、人間界でのトラブルは御法度です。何とか収めようと、大丈夫ですか?と低姿勢で話しかけていきました。


「ちょっと、オバチャン。ヒロシが痛がってるよ。どうしてくれるの?」
そう言った男は紅子の手を思いっきり引っ張ったもんですから、紅子はバランスを崩し、歩道に転がってしまいます。からかうように男達は倒れた紅子を足で小突いたりし始めました。


さあ、忠八は堪りません。最初に手を引っ張った男に飛び掛り、首を絞め始めました。不良どもは突然のことで動きが止まったのですが、さらに忠八の形相を見て固まりました。狐に戻りかけているようで、顔は徐々に尖り、唸り声を発し始めています。おまけに目は白眼を剥き始めています。


紅子は驚き、「あんた達、逃げなさい!」と若者達に言うやいなや忠八を男から引き離し、車へ急いで連れ戻り、猛然と走らせました。部屋に着くと、まだ唸り声を上げる忠八を抱え上げベッドに寝かせます。ズボンのお尻の部分も膨らみ始めました。尻尾が生え始めているようです。紅子はこういう場合の処置も習ってはいるのですが、慌てて何も思い出せません。ここで忠八が狐に戻る事は死に等しいのです。


紅子はひたすら、忠八の口先とお尻を両手で押さえ込み、「忠八、忠八・・・戻るな、戻っちゃダメ!」と耳元で怒鳴るばかりです。涙をボロボロ流しながら声が枯れるまで忠八の名を呼び続けました。


電気も点け忘れた室内がすっかり暗くなった頃、忠八は身体に重みを感じ、目が覚めました。紅子が自分の顔に顔を重ねているのに気がつくとビックリし、起き上がると同時に紅子の両肩を揺さぶりました。「紅子姐さん、紅子姐さん」。すっかりくたびれ果てた紅子でしたが、人間の姿になっている忠八を見ると、「ちゅうはちー」と喜びの余り抱きしめました。


忠八の記憶も徐々に戻りました。自分が狐に戻ろうとするのを紅子が必死に引き戻してくれた事も状況から察しました。「紅子姐さん。すみませんでした」抱きついたままの紅子の耳元に、彼は遂に思いのたけを告げました。「紅子姐さん、俺と結婚してくれませんか?」。


叱られるか笑われるかと思いきや、「いいよ」と素直に返す紅子でした。紅子には忠八の気持ちが十分判ったし、自分が忠八を思う気持ちにも気づかされたんですな。


さてさて、愛のムードが高まってきた二人ですから、当然そういう事になっても良いわけですからそういう事になりました。


「ところで、忠八、お前、アレは持ってるんだろうね。私はできちゃったコンなんて嫌だよ」
純朴な忠八、ピンときません。「アレ、ですか?」
「コンで始まるヤツだよ」「コン・・・」「ああ、じれったいね。女のアタシに言わせるのかい。コ・ン・ド」「コンド」忠八、やっと解りました。「アッ、コンドミニアム!」


「バカーー!」


いやいや、夫婦になっても力関係は恐らく変わりませんな、この二人。それでも、その夜の内にムコ入りは無事済ませたようでございます。


まあ、とりあえず、コン!グラッチュレイション!ってとこですかな・・・お後が宜しいようで。


コンコンコココン、コンコココン、コココンコココン、コココンコン・・・

2012年6月2日土曜日

パリのカフェ物語4 by Miruba


<Chapitre Ⅳ ギャルソン>
桜が終るとマロニエの花が咲く、落葉樹ばかりのパリの街路樹に、あっという間に若葉が茂る。ニセアカシアの花が空に舞う。パリの一番美しくなる季節だ。

 夏のような太陽が照りつけるなか、私は道を急いでいた。語学の交換レッスンの約束をしているのに、メトロがポイント故障で止まってしまった。すぐに動くようなことを言うので、無駄に待ってしまったのだ。

 3駅ほどの距離だったので、他の線に乗り換えるより歩いたほうが早い。遅れることを電話をしたくとも、運の悪いことに携帯の電源が切れていた。携帯電話の普及で公衆電話を見つけるのは至難の業で、連絡のとりようがない。

 とにかく友人宅へ急いだ。やっとたどり着いた友人宅の玄関先で、出かける様子の彼女とかちあった。遅れた詫びをする私に、友人も急用で出かけなくてはいけない、と謝る。電話をかけたけれど、でなかったという。そりゃそうだ、携帯は不通だったのだから。

 私は、メトロに急ぐ友人を見送って、かえってほっとしていた。もう一時間近く遅れていたのだから。友人のアパートの前にカフェがあった。

赤いテントに南仏の町の名前が書かれてある。

小さな店内の倍くらいの広さで歩道にテーブルと椅子が並んでいる。


そうだった、携帯が無くたって途中のカフェに寄って、電話をかけたらよかったのだ。

携帯に頼っているから、他のことが浮かばない自分に「ばかだな」と自分を笑う。便利になった弊害だな。



気持ちのよい風が吹いてきたので、テラスに座った。

蝶ネクタイとベスト姿も決まった中年のギャルソンが注文を取りに来る。

走ったので喉が渇いていた。

「Un demi s.v.p 生ビールをください。」私は一気に飲んだ。

「あ~最高!」散々歩いた後の、こういうビールが一番美味しい。

「Monsieur,un autre s.v.p ムッシューおかわりください」

立て続けだもの、驚くのは無理も無い。言っておくけれど、私はアル中じゃないわよ。

 ギャルソンの視線を感じたので、言い訳がましく、仕上げのコーヒーを頼む。

見ると、なにか問いかけたそうにしている。


「Madame、ニースの〇〇〇レジデンスにいませんでしたか?」

 「・・・ええ、もう十年にはなるけれど、・・・あ、あなたは・・・」

 なんと、レジデンス内にあったカフェのギャルソンだったのだ。

塀に囲まれた10棟ほどのリゾートマンションの一室を所有していて、毎年夏には一週間から数週間ニースで過ごした時期がある。そこのレジデンスにあったプールの脇にカフェがあったのだ。

 ニースの海は砂ではなく砂利だ。波も荒く真夏でも海水温度は低いために、海のそばにいながら、泳ぐのはもっぱらプールだ。朝はレジデンスの住民のためにパンも売っていたので、そのカフェには毎日通っていた。



すっかりロマンスグレーになってはいたが、確かに、この人だ。

「お元気でしたか?」

お互いに懐かしく、抱き合って頬にキスをしあった。



若いときは都会で暮らし、年をとったら南仏に住むのがフランス人の普遍的な夢だ。

なのに逆に、ニースからパリに来ている人とは珍しい。



「いえね、ここのカフェのオーナーに引き抜かれたんですよ」

ああ、それで、カフェの名前も南仏の町の名前なのか・・・

だがそれも、今年で辞めるのだという。

 「私はやはり、Midiミディ(南仏)の人間なんですよ。パリは息苦しくてね。またニースに帰ります」



南仏訛りの残る人懐こいギャルソンは、パリの空を仰ぎならがそういった。

彼はポケットから携帯電話を取り出した。



「Madame、携帯の番号は、一生変えないつもりです。いつか、ニースにきたら、絶対電話してください。また、どこかのカフェに勤めるつもりです。ビールを奢らせてくれませんか?」

 彼の携帯番号を記録しようとして、自分の携帯の電源が切れていること思い出した。

手帳を取り出し、電話帳に彼の携帯番号を記入した。結局これが一番安心だ。



何処からか、するはずのない南仏の、ラベンダーの香りがした。



【ジョェ ル タクシィ 】 歌 ヴァネッサ・パラディ
Joe le taxi Vanessa Paradis

1987年Joe Le Taxiで歌手デビュー,11週連続でナンバー1となる大ヒットを記録。当時フランスではおとなの歌手しかほとんど売れず、ヴァネッサのような、日本的アイドルは本当に珍しく、舌足らずな歌声で人気をえました。