2015年1月17日土曜日

隙間 by Miruba

高見は、小さなバスターミナルビルの掃除をもう30年もやっている。
昔ターミナルが、行き交う町の人で溢れていたころ、ビルのオーナーに雇われたのだ。
その後町の人口減少もありビルの持ち主が変わったり都会の大きなビル管理会社が管理することになっても、古く小さなターミナルの、たった2、3時間くらいの掃除をする人がいないらしく、高見はずっと継続して交代するオーナーに頼まれ、盆暮れなく毎日掃除をしていた。

今では利用する人のすっかり少なくなったバスターミナルビルは近く取り壊しになるとのことだ。
周りの町並みがその時々変化し小奇麗な建物になっていく中で、バスターミナルだけが昔のまま残されていて、湾の景観を損ねると言う話が度々持ち上がっていた。
高見の仕事は無くなるが、もう卒業してもいいのだ。
養う家族がいるわけでもないし、どちらにしても小遣い程度の実入りだったのだ。
この仕事がおしまいとなれば、他に半日くらいのパートの仕事を探せるし、かえっていいや、と高見は思った。


トイレ掃除を終えて待合に眼をやったら、また爺さんが座っていた。
「オイ、爺さん、また出たのか?もうそろそろ成仏しろよ」
と高見が言ったとたんその影は消えた。


生きていたその爺さんがバスターミナルビルに来るようになったのは、4,5年ほど前からだった。

待合には2畳ほどの畳台の部分があるのだが、その爺さんはいつもそこで昼寝をしていた。
冷暖房完備のターミナルの待合は休憩するにはもってこいだ。
最初は近くの作業員が昼休みに利用しているのだろうと、気にも留めないでいたが、
高見が作業を終えて帰宅した後にも何時間も座っていることがあったらしく、バスを利用する学生の親達から、苦情が出たのだ。

「爺さん、ここはみんなが利用するところだから座っていていけないということは無いんだけれどね、一日中いられるとね、困るんだよ」
「何で困るんだよ、誰にも迷惑掛けて無いだろ」
「いや、そうだけれどさ」

そんなやり取りがあってから、高見はその爺さんと会話を交わすようになった。
奥さんや子供とも別れ一人この町に流れ来たという爺さんは、大手の会社に勤めていたが、若いころからの仕事のやりすぎと付き合いの飲みすぎがたたり、肝臓を痛め、腎臓も病んで、長期入院から会社を辞めざるを得ず、今では透析に通っていると言うことだった。

だが、その透析も貯金を取り崩して受けていて、とうとう毎回は受けられなくなったのだという。

「生活保護とかあるんじゃないか?行政に頼れよ」と高見が薦めても、黄色くなった顔に薄笑いを浮かべるだけだった。

ある日高見が掃除を終えて帰ろうとしたとき、ターミナルの待合が騒がしくなったことに気が付いた。
あわてて行って見ると、爺さんと、バスを時々利用する見かけたことのある女の人が言い争いをしている。

「あなたじゃなきゃ誰が盗るのよ」
「わたしは知らないよ。ずっとここの畳に寝ていたんだから」
「そんなこと信じられないわ。私がトイレに行っている間買い物籠はここにあったし、他に誰も来た様子無いもの。ね?おじさん」

最後は高見に賛同を求めてきたが、見ていなかったので返事の仕様が無い。
どうやら、女性は買い物籠とその中に入れた財布を待合の椅子の上に置きっぱなしだったようだ。
バックは手にしていたのでうっかりたと言う。

「大体、浮浪者のように何時もいつもここに寝ていて気持ち悪いのよ、皆がそういってるわ」

段々罵倒が激しくなってきて、とうとう警察を呼ぶといって、角の派出所に走っていった。
爺さんは高見に「おっちゃん、わたしじゃないからな、絶対わたしじゃないからな。今まで話してくれてありがとよ」
そう言って、裏の出口から逃げていってしまった。


次の日、爺さんは海に浮かんでいた。

湾沿いにはフェリーの付く場所にも湾岸に沿った道路側にも人が誤って海に落ちないよう転落防止のフェンスがある。
一箇所、停泊する民間用ボートの為に海への階段があるため、2メートルくらいの隙間が開いている箇所が2箇所あるだけだ。
その一箇所から身を投げたようだった。フェンスの横に律儀に靴がそろえてあったという。

なんと早まったことをしたんだ、と高見は思った。
結局のところ爺さんを泥棒扱いしたのは勘違いでその女性が自分でどこかに財布を落としていて、その財布はすでに警察に届けてあったのだから。

爺さんは常々いつでも死ぬ準備は出来ていると言っていた。
健康にも生活にも不安を抱えていたのだろう。
そこに泥棒扱いを受け、これで終わりとばかりに自分の人生に決着をつけたのかもしれない。
世間の狭間に生きる孤独な人間の姿を見るようで、高見は自分のことのように切なくなった。



朝まだ暗い時間にターミナルの掃除をし始めていたら、爺さんが畳の上に座った姿で現れたのだ。

少しはビクッとしたが、
_成仏できないんだろうな_そう思うと、高見はそれほど恐ろしさは感じなかった。
爺さんは、何か問いたげにしたが、高見が声を掛けようとすると消えた。

そんなことが2回あって・・・

数日後、路地から飛び出してきた猫を避けようとした車が海に落ちて、運転していた女性がレスキュー隊に助け出され九死に一生を得た。

普通なら車は海には落ちずにフェンスにぶつかって止まっていたはずなのに、よりによって急ブレーキを掛けたために横倒しになり、そのまま歩道を乗り越えて、あの爺さんが身を投げた海への階段のところから落ちてしまったと言う。

「ありえねーよ。海沿いに延々とフェンスがあるのに、橋げた用の隙間から、それも普通にぶつかればフェンスで引っかかるのに横倒しですんなりと海にダイビングしたんだ。まるで海に引き込まれていくようだったよ」目撃者の若者が興奮気味にテレビ取材のカメラに向かってしゃべっていた。

海に落ちた女性は、爺さんを罵倒したあの女の人だった。
こんな偶然があるだろうか。高見ははじめてゾッとしたのだった。

爺さんの幽霊がまた現れたら、なんてことしたんだと、問い詰めてやろうと思ったが、それから二度と現れなかった。

高見はまた新しくなるバスターミナルで再就職が決まった。
車でダイブし、助かったあの女の人がフェンスのところに花を手向けている姿をみかけて、「爺さん、また現れるかな」と高見は海への隙間を眺めながらひとりつぶやいた。