<愛犬散歩で見たもの>
私にはずっと片思いの男性がいた。
彼に始めて会ったのは、共通の友人たちとの食事会だった。
誰かの誕生日、というとそれを口実にワイワイ集まり、楽しく飲み食いをする。
当初は10人近くいた仲間だが、年々減り始め、ここ数年は5人で集まることが定番になってきた。
照明器具販売の会社を経営している彼、カメラマンのカップル、スタイリストの人妻、そして私の5人だ。
私も彼も独身。
彼は私より一つ年下だ。
一つくらいの年の差なんか誰も気にしないだろう、彼も気にかけないだろうと思っていた。
ことわざにも「一つ姉は買うて持て」とある。
一つ上の姉さん女房は所帯のやりくりが上手なので、買ってでも妻にするとよいとのこと。
ほうらね、昔の人はいいことを言う。
まるで私のためにあるような言葉だ。
彼は藤井フミヤに感じも体型も似ていて、女を惹きつける魅力がある。
小柄な私は、小柄な男性も好きだ。
しかし、小柄な男性は自らにコンプレックスがあるせいなのか、なぜかスタイルのいい女性を好む。
それも若ければ、もっといいらしい。
人数が減った分、もちろん誕生日も少なくなった。
同じ月や近い月の誕生日は一緒に祝うので、食事会は年に3回程度に減少した。
それでも彼に会えるのが嬉しくて、私は誰かの誕生日が近づくと気持ちがウキウキしてくる。
ましてや自分の誕生日となったら大変だ。
自分がいくつになったかなんて、そんなこと考えていられない。
ただ彼と会えることが楽しみでしょうがないのだ。
いつまでたっても、この時ばかりは乙女心になってしまう。
何を着るかで悩み、美容院で髪をセットする。
くまのある疲れた顔はみせたくないので、前日には十分な睡眠をとる。
少しでも綺麗にみえるように、パックも怠らない。
なのに、彼は私のことなど恋愛対象としては眼中にないのだった。
それでも私は、気のあるそぶりを発散している。
しかしそれは、うるさいコバエのように、彼のどこ吹く風に追いはらわれてしまう。
けなげな私の心情は、蝿たたきで潰されたハエのようにペチャンコになる。
友人としての枠からはみださない、彼の付き合い方にも慣れてきた。
でも、私は友人以上になりたいと熱望しているので、何かことあるごとにメールをしてみる。
好きな人に相談を持ちかけるのは、会うきっかけを作りたいからだ。
律儀な彼は、すぐ返事をくれる。
が、その返信は他人事としての意見だけで、その度に私の期待は崩れてガッカリする。
しかし、なにか繋がっていたくてまたメールをしてみる。
仕事を探していた私は、その悩みを打ち明けてみた。
行き過ぎた年齢がじゃまをして、採用してくれる会社がない。
もしかしたら、彼の会社で働かせてくれないかな、と淡い哀願をこめてみた。
返事は「人生何とかなるでしょう、頑張って」だ。
定収入もないのに、今度は住んでいる賃貸マンションの立ち退き要請が襲いかかってきた。
にっちもさっちもいかなくなって、それも相談してみた。
彼は広尾ガーデンヒルズに住んでいる。
一人では広すぎる、余っている部屋があるはずだ。
僕のところに来れば、と言って欲しかったのに「ヒトには乗り越えられない試練はやってきません。
なぜなら全部自分が選んでいるからです。という事は楽しんでそれに向かいましょう!必ずなんとかなります」と励ましのお言葉のみ。
グループで集まる以外には、私と会う気はないらしい。
わかっちゃいるけど諦めきれない私の女心。
ヘビ年の私は、しつこさもトグロを巻いているようだ。
彼と一番仲の良いカメラマンの彼女が、彼と私がうまくいけばいいとなにかと情報を伝えてくれる。
彼女達に会うのも食事会のときくらいだから、時々メールを送ってくる。
会ったときには、さりげなく彼の近況を聞きだしてもくれる。
「旅行に連れて行きたいと思える、22歳の彼女ができた」と彼が言い出した集まりの日、私はショックを隠しつつ味のわからない食事をした。
いつもなら冗談を言っている私の口は、ワインばかり飲み込んでいる。
おかげで帰りは足元がふらつき、助けの手が欲しいところだったが、気丈に頑張った。
醜態を見せるわけには行かない。
でも、こんな無理に頑張るところも、彼の気にいらない私の一部なのかもしれない。
数日後、カメラマンの彼女から、あの子とは別れたらしいよ、とメールがきた。
やっぱり若い子は駄目よね、とコメントまで付いている。
そうすると、無理だと感じてはいても私の士気は高まる。
老いてからの恋は、十代に戻ったように加速する。
なにせ、先が短いのだから。
彼はマラソンに凝っていて、早朝、自宅界隈を走っているという。
レースにも参加するが、国内ではなく海外でだけ。
それもハワイ近郊で行われるレースかオーストラリアで開催されるもののようだ。
暖かく、走っている時に景色のいい場所が好きだからという。
だから、出張以外に、少なくとも年4回は渡航していることになる。
白いTシャツの似合う、彼の浅黒い肌の理由がわかる。
食事会のときには、レース時の写真を持参してくる。
私は彼の姿や景色を楽しく見ているが、もう一人の私は他の女性が写っていないかを確かめている。
そうして、女性が写っていないことで私は安心する。
そんな写真は除いてきたのかもしれないなどとは考えないし、彼ひとりの写真を誰が撮ったのかも問題にしない。
臭いものにはふたをしてしまうのが私の性癖だ。
私は毎年1度、マウイ島に行くのが恒例になっていた。
姉と一緒というのが寂しいが、同伴する男性がいないのだからしょうがない。
2年前、マウイマラソンに彼が参加すると聞き、私は姉を説き伏せ旅行日程をこの日に合わせた。
私たちは一週間マウイ島滞在、彼はレース前後の3日のみマウイ島で後半はオアフ島に滞在するのだという。
レース前日は体調を整えるためとかで私たちと会う時間はなかったが、レースの後に会う約束まではこぎつけた。
レース当日、ゴールに応援出迎えに行った。
早朝5時スタートなので、早起きの苦手な私は見送りには間に合わなかったのだ。
私が寝ている間に彼は走っていた。
そして、4時間50秒代でゴールに帰ってきた。
クタクタの彼に駆け寄り、回復するまで2人で芝生に座っていた。
ランニングシャツの胸が大きく揺れ、汗で光る筋肉質の腕は力を無くしていた。
持参したスポーツタオルをうなだれた彼の首にかけた。
会話をしなくても通じ合える、信頼し合ったカップルのように見えていたかもしれない。
ちょっとだけ恋人の気分を味わった。
その日のディナー、次の日の乗馬は姉も交え3人で行動した。
楽しかった。
彼もそうだったはずだ。
一人での食事はつまらないし、乗馬も友と一緒なら後で想い出を語れる。
遠く、それも海外まで応援に行ったのだから、私の気持ちを汲んでくれるんじゃないかと心待ちにしていた。
東京に戻ったら、なにかアクションがあるだろうと思っていた。
が、いつもと同じ、グループで会うことだけで他には何もなかった。
いい感じだと思っていたのは、私だけだった。
彼は愛犬の運動に、午前と午後の二回、広尾の有栖川宮記念公園を散歩しているという。
いまの時期は新緑がきれいだと聞いたので、森林浴にかこつけて行ってみた。
公園に初めて足を踏み入れた私は、その大きさと緑の多さに感動した。
入ってすぐに池があり魚釣りをしている人、ノンビリ浮かんでいるカモ、甲羅干し中の亀、悠々と泳ぐ鯉などが目に入る。
松の木に絡まるヘビを見つけたりも出来る。
近くに住んでいながら、なぜもっと早くにここに来なかったのだろう、と後悔した。
この公園は、いい具合にベンチがおいてある。
つかず離れず、それぞれがじゃまをしない配置だ。
そこに腰掛け、サラサラと鳴る枝の音や、流れる水の音を聞きながらの読書は実に気持ちのいいものだ。
彼と偶然会えたらいいと、下心ありありの行動だったが、そんなことはひととき忘れてしまっていた。
彼の愛犬はゴールデンリトリバー、名前はミックス。
ここは実に、この品種犬の散歩が多い。
大型犬を飼えるのは、それなりの大きさの家を所有しているということなのだろう。
平日なのに、働き盛りの人が犬の散歩をしている。
彼もそうだが、自分の自由になる時間を自分で決められる地位にいる人が多いのかな。
私が平日いられるのは、雇ってくれる職場がないからなのに、彼らとは雲泥の差だ。
何度目かの公園訪問をする時に、広尾橋交差点かどの神戸屋キッチンで1ピースのピザを買った。
彼が、とても美味しいと言っていたからだ。
聞いていたとおり温めてもらい、三軒先のマクドナルドでコーラも買った。
天気のいい日で、公園でのランチには絶好の日だった。
今日はどこのベンチで食べようか考えながら、ピザとコーラの入った紙袋を持ち公園に向かった。
あっ、彼! 前方に見覚えのある後姿があった。
ドキッとした。
もちろんミックスも一緒だ。
偶然会えたらラッキーだと思っていたのに、こんなにすぐ正夢になるなんて嘘みたいだ。
だが、いざ見かけるとすぐには声をかけられない。
高鳴る鼓動を抑え、息を整え、話しかける言葉を捜していた。
えっ、女性と一緒? 私の足は歩くことを止め、わなわな震えていた。
彼が振り向きそうで、私は思わず自動販売機の陰に隠れた。
悪いことをしているわけでもないのに、なぜかこそこそしてしまう。
偶然といえない下心があるからだろうか。
相手に伝わらない、自分の気持ちが重すぎるからだろうか。
本当に2人連れなのか、もしかしたら歩道が狭いので、たまたま並んで歩いている他人同士かもしれない。
後者であって欲しいと願いつつ、私は物陰から2人と1匹を見ていた。
2人と1匹は、同時にナショナルスーパーマーケットの前に立ち止まった。
やっぱり一緒だったのだ。
胸からスーッと寂しさが落ちていき、息が一瞬止まった。
息をつめたまま彼らを凝視している私の顔は、食べ残されて時間がたった刺身のように変色していたに違いない。
彼らはテイクアウトのコーヒーを買っている。
それも1つだ。
ということは、一つを二人で飲むのよね。
普通の関係じゃないんだ……。
私は温めてもらったピザが冷めるのもかまわず、公園に入っていく2人と1匹をただじっと見つ
めていた。
彼と偶然に会い、そこから運命を切り開くという私の野望は、幻に終わった。
相手のことを考えもせず、自分の思い込みのまま行動し、物陰から覗き見してるなんてなんだかストーカーな気分だ。
この日私は、彼の彼女とストーカーになりえる自分の姿を見てしまった。
このまま、ここにいては自分が惨めになるだけだ。
私は踵を返し、公園に背を向けた。
(了)
涙ぐましいまでの努力が報われないことを予感させ
返信削除実際に撃沈してしまったのだが
何故か同情したくなる女性の悲哀を感じさせない
独特の雰囲気を感じさせる。
これは失礼ながら、条件から恋の相手を探しているような印象を
主人公の女性に対して勝手に抱いてしまったからかも知れない。
御美子さま、ありがとう。
削除失礼なことはないですよ。
確かに、条件も恋する一つの要因であることに間違いは
ありません。
だから成就することができないんでしょうね……。