2012年7月21日土曜日

日本人が知らない韓国の常識11 ハングル世界化プロジェクト~公式文字にハングルを採用したチアチア族~by 御美子

2009年8月、インドネシア少数民族チアチア族が、公式文字としてハングルを採用したことが、嬉しいニュースとして韓国で話題になった。ハングルは「大きい・正しい・一つ」という複数の意味を持ち、韓国語の文字そのものを表すので「ハングル語」とか「ハングル文字」という言葉は厳密に言えば正しくない。「ハングル」は近年考え出された言葉で、それ以前は「訓民正音」と呼ばれていた。チアチア族がハングルを公式文字に採用したきっかけは、訓民正音学会からの働きかけが大きかった。背景には「ハングル世界化プロジェクト」があり、ソウル市長やソウル大学言語学科教授の思惑ともぴったり合ったようで、2008年7月にはチアチア族教師らを韓国に招き、ハングル教科書編集作業が始まっていた。途中、寒さとホームシックで帰国しようとするチアチア族教師達を何度も説得し、ようやく教科書が出来上がったようだ。しかしその後、多額の経済援助をちらつかせていたソウル市長が任期途中で辞職したり、インドネシア政府も難色を示したため、プロジェクトは中断の危機に晒されていたようだ。そんなチアチア族の皆さんの話題を久しぶりにネットニュースで見かけたのが、今年2012年の6月21日(ハングルの日)だった。チアチア族の教師達が自主的にハングルの研修に来たようなタイトルだったが、勿論韓国側の招待だ。興味深いのは研修がインドネシア語でされたことだ。当然のことながら、チアチア族はハングルを採用しただけで韓国語は全く話せない。更に面白いのは、チアチア族教師達が発音の特訓を受けさせられたことだ。韓国人の中には「ハングルであらゆる国の言語が表記できる」と真面目に信じている人が居るが、その理論を持ってすれば、インドネシア語を現地の人が話す発音に表記でき、チアチア族が発音で困るはずは無いはずだ。昨今の韓流ブームで来日する韓流スター達の発音を聞けば、音の種類が少ない日本語であの程度なのだから仕方がないとも言えるのだが。

2012年7月13日金曜日

パリのカフェ物語6 by Miruba


Chapitre Ⅵ 「オーヴェルニュ人の君の歌」

アールヌーヴォーの建築の写真を撮り、小論文にまとめる宿題があるというので、娘と一緒に出かけました。

論文のテーマは、その昔「低所得者」が入り込めない「ブルジョワ」の壁のようなもの、相互理解できない部分を、一枚の画像でも表現するよう先生に言われたらしいのです。難解です。

ま、彼女の宿題の話をすると、数時間かかるので割愛することにして^^
16区(高級住宅街)にあるアールヌーボー建築をいくつか見て周ったあと、学生街のあるサンジェルマンまでメトロで移動し、パリで一番最初にできたカフェ・プロコープの店先まで行きました。


なぜフランス最古のカフェかというと、当時は貴族や文化人といわれる人たちが政治討議や、文化について語り合うところであり、庶民が入れるカフェではなかった時代だからです。
当時ブルジョワの集まっただろうカフェの前に、庶民の絵を書いた紙を道路に貼り付けて、写真を撮りました。
カフェと歩道に張った絵の間に車がとおり、それが両者を隔てる「壁」のイメージにした、というわけです。


フランスの歴史的には、カフェより、お酒を出すキャバレーが先にできたそうです。
階下はお酒をだし娼婦もいるバーであり二階はホテルになっていて文化人や兵士や貴族が利用したいわゆるお茶屋のようなところで、あまり環境は良くなかったようです。
17世紀後半、そのキャバレーでコーヒーを出すようになるのですが、それまでの薄暗い店内を鏡張りにし明るくして、政治論を戦わせたりするのに集まれるような形にしたのがカフェプロコープでした。

カフェの前身がキャバレーから発したものが多かったので、フランスのカフェは、カクテルも出すカウンターバーの様子をしているのですね。

カフェプロコープは今はレストランです。
中には入らず、宿題用の写真だけ撮り、店内より歩道に広げたテラスのほうが広い、近くの小さなカフェにはいりました。

娘はアイスコーヒー、私は生ビールにしました。

ギャルソンに「ね、ピーナッツとかないの?」ときくと「 Ca depend サ・デパン=場合による」というのです。
つまり、お客さんによってピーナッツがサービスになったりならなかったりするのです^^

最近あまり見かけませんが、一時はガチャポンみたいに、一回分のピーナッツが出てくる機械を置いてあるカフェもあったのですが、
やはり、顧客との会話を大切にするカフェでは、話し合いで?サービスしたりしなかったりする駆け引きを楽しむのがいいのでしょうか?
行きつけのカフェを持たないと面倒くさいですが、それもまた、パリのカフェらしいといえるのでしょうか。

「じゃ、娘にポテトフライを一皿お願い」とたのむと、私にはピーナッツとオリーブのおつまみがついてきました。

おつまみをサービスされたら一杯というわけにはゆかず2杯3杯と飲むでしょうから、そのほうが店としては得だと思うのですけれどね。

オリーブがビールにぴったり。ついつい飲んでしまいます。
娘も私も本を持っていたので、二人それぞれに読んでいました。

道路を行き交う人を眺めながら、春風の中ビールを飲む贅沢。
散々歩いた後なので、更に美味しいのですね。



隣で、オーナーらしき老人が立っていて、常連らしいお客さんと話しをしていました。
お客さんもご年配の、でも洒落たジャケットを着た紳士です。

「Ah bon。そう、じゃあこの店どうするの?」
「跡を継いでくれる子供もいないし、身内もいなくてね。親代々の店なのに、手放していきます」
「オーベルニュに行くのか。昔はカフェのオーナーといえば、オーベルニュの人間だったな」
「そうですね、一時は80%がオーベルニュから来た仲間だったんですよ。いまじゃどこもシノア(中国)・・」

ここまで来て、私たちのほうをちらりと見ました。

「失礼、聴いたわけじゃなくて、耳に入ったの。私、日本人です」というと、オーナーさんは、にやりとしました。

現在カフェの多くは、債権をアジアの優秀な国の人たちに譲り、跡取りの無い退職者が、南仏へ流れているといいます。
終の棲家を考えたとき、パリの人も田舎を求めるのでしょうか。

カフェのオーナーは、お客さんと話を続けました。
娘は、論文の下書きに夢中ですし、私という観客がいるので、オーナーの声は滑らかになり、昔話が始まったのです。



続きは、次回に。A suivre



歌 Chanson pour l'auvergnat   オーヴェルニュ人に捧げる歌



2012年7月7日土曜日

東京NAMAHAGE物語9 by 勇智イソジーン真澄


<稼ぐに追い抜く貧乏神より来訪神>

「わぁあ〜」
「きゃあ〜」
子どもたちのにぎやかな、悲鳴にも似た声が聞こえる。
仕事の手を休め、その甲高い声に耳を傾ける。
コンピューター画面で予約状況を見ては、後方の棚から予約者に各当する患者のカルテを準備する。この繰り返しで一日の業務が終わる。
主に日本に住む外国人対象の自由診療クリニックで働き数年が経つ。
最近、仕事をしていても意欲がわいてこない。

このままでいいのだろうか、と疑問に思い始めている。私以外のスタッフは帰国子女や留学経験者で、語学堪能。海外生活を経験した人の多くは自己主張が強く、働くにあたり自身に有利な交渉事ができると感じる。そんな中に臆病者で消極的な私がいる。
患者やドクターと話すことのない立場で、ただ黙々とデスクと棚との間を動くだけだ。
日本語以外での会話が出来ない私は、周囲の人たちより給料が低い。
何の資格も能力もなく事務的雑務しかできないのだから、当たり前だ。
年齢的なことを考えれば、働かせてもらえるだけでありがたいことなのだ。

けれど、家賃を支払い、その他ライフラインを確保すれば、自由に使える金額はスズメの涙となる。働いても働いても、切りつめても切りつめても貧乏神が追いかけてくる。

毎日職場と自宅の往復。ネットの無料動画を見るのが唯一の楽しみになっている独り身の私。
はまってしまった韓流ドラマは必ず主人公の女性一人を二人の男性が慕い愛し奪い合うという恋愛もの。そんなことあるの? と思うほどの偶然性や歯の浮くようなセリフのオンパレード。私の人生には絶対に起こり得ないであろう場面の数々なのだが、つい見いってしまう。
そして主役の女性にため息をつく。あなたはスタイルもよく綺麗だからいいわよね、って。

虚しい日々が長くなりすぎて、外から聞こえる声に郷愁を覚えた。
毎年、大晦日の晩、紅白歌合戦の放映中にやってきたナマハゲ。ちょうど夕飯時。
ご馳走を前に戸外の様子を覗い、そわそわと落ち着かない食事をしていた。
「ウオーッ。ウオー」と奇声を張り上げながら雪道を歩くナマハゲの声が聞こえると、食事途中でもあらかじめ決めていた場所に急いで隠れる。隠れ場所は主に浴室だった。
扮装の中は近隣の人とわかっていても怖かった。
怖いのだけれどドアの隙間から様子を覗っていた。ナマハゲは隠れている場所を知っても、探すふりをしてあちこち歩き回る。高校生になっても逃げ隠れしていた。
このころは怖いというより、中身が知人という照れもあったのかも知れない。

昭和53年に「男鹿のナマハゲ」の名称で国重要無形民俗文化財に指定されたナマハゲ行事。
他都道府県の方々の大半は秋田県内どこでも行われていると思っているようだが、この行事は男鹿半島のほぼ全域のみで行われているものだ。
赤鬼と青鬼に扮した若者の二匹で一組。そして「先立(さきだち)」という役目をする人達が一グループとなり各家庭を練り歩く。「先立」が先頭になり、玄関で入っていいかどうかの確認をし、了解を得たらナマハゲがウオー!と吠えながら乱入する。

むやみやたらに入るのではない。
その年に不幸や出産があった家には入れない仕来たりがあるからだ。
あらかた家の中を動き回った一行はご祝儀を受け取り、再び奇声を上げながら隣の家に向か
う。隣家から逃げ惑う子どもたちの叫び声や鳴き声が聞こえた。
言うことを聞かない子や我儘な子、勉強しないで遊んでいる子はナマハゲに連れて行かれ、懲らしめられるという迷信がある。

小学生以下の子を持つ親は、怖がる我が子を、わざとナマハゲに近づける。
これはのちに、言うことを聞かず悪さをした時「ナマハゲを呼ぶ」と言うと、いい子になるからだそうだ。
ナマハゲの衣装ケデから落ちた藁は、頭が良くなるとか風邪をひかないなどの御利益があるというので枕の下に入れて寝たものだ。
ナマハゲは地元で「お山」と呼ばれている本山・真山に鎮座する神々の使者と信じられていて、年に一度各家庭を巡り、悪事に訓戒を与え、厄災を祓い、豊作・豊漁・吉事をもたらす来訪神だという。

そのナマハゲの問いかける決まり文句を思い出した。
「怠け者はいねが」
います、います。私です。楽な方楽な方へと流されてばかりいる。
「泣く子はいねが」
ああ、私だ。いい恋をしていないと嘆いている。
「親のいうこと良く聞いてるが」
聞いてこなかった。何か資格を取りなさい、と口をすっぱくして助言していた母の言葉を聞く耳がなかった。

いくら精を出して一生懸命に働いても、貧乏から抜け出すことができず、稼ぐ速さより追いつき追い抜く貧乏神の方が速いなんて意味がない。
第二の人生を考えるいい時期かもしれない。
両親も老いてきた。何十年も二人だけの生活をさせてしまった。
そろそろ共に暮らすことも選択肢としてある。

ランチタイムにビルの外に出た。道を挟んだ東京タワー正門前の広場で、猿回しの芸が催されていた。さっきから聞こえていた声は、猿が芸をするたびにはしゃぐ見物の子供や大人たちのものだった。
貧乏神より、厄を祓い吉事をもたらしてくれる来訪神の方がいいに決まっている。
生まれ育った土地の風に身を委ねてみるのもいいかもしれないな、と猿を操る手もとの紐を見ながらそう思い始めていた。

2012年7月1日日曜日

パリのカフェ物語5 by Miruba


Chapitre Ⅴ【小さな願い】

パリにいると「普段の食事はフランス料理ばかりですか?」と聴かれることがある。
まさかぁ。ほぼ日本風洋食か日本食ですよ。

世界中の人がそうだろうと思うけど、外国に住む人は例え本来の材料がなくとも、有り合わせでなんとか自国の懐かしい味を食べているものなのだ。
材料も大体は、スーパーで買えるし、今はグローバルの時代。お金さえ出せば、ごぼうや納豆だって日本食料品店に行けば何でもある。

ってんで、こんにゃくや日本のお米はさすがに近所のスーパーにはないので、メトロ一本15分ほどかかる「オペラ駅」の近くにある日本食料品店に買い物に行った。
さて帰ろうと思ったが、喉が渇いたので、カフェに寄ることにした。


街路樹のマロニエが高い穂状の花を咲かせている。日差しが暑くさえ感じるのだが、葉が生い茂りカフェのテラスの日陰になっている部分はだがまだ少し寒そうだ。

私は店内に入ることにした。片面はオープンカフェになっているので少し段差がある。
買い物のキャリーにこれでもかと詰め込んであるので、重くて上げられない。

ギャルソンに頼もうと思ったら、椅子に座っていた8歳くらいの女の子が急いで降りて来て「madame 、je vous aideマダム手伝うわ」とキャリーの下のほうを持ってくれた。
こういうところは本当にフランス人って教育が行き届いていると思う。
日本人の子供なら、まず手伝ってくれる子はいないだろう。
その思いはあっても、恥ずかしくて口が出せないに違いない。

「merci mademoiselle c'est gentil ご親切にありがとう」
私はお礼を言って、近くのテーブルに座った。

桜が散ったあとすっかり寒くなって冬に戻りそうだと思ったのに、昨日から突然暖かくなりはじめた。
来る日も来る日も曇りだった空が真っ青な空になり、花が咲き始め、鳥がさえずり、パリの一番良い季節を迎えたことが実感として目に入ってくる。
通りにはひっきりなしに車が通り、人も行き来が激しい。
それでもカフェに座っていると、どこかヨーロッパ独特のゆったりとした時間を感じさせるのだ。

ちょうどお茶の時間だ。私はタルトタタンというリンゴパイとダージリンのテ・オー・レを頼んだ。*The au lait (ミルクティー)

先ほどの女の子が私をじっと見ているのに気がついたので、声をかけた。
「あなた一人なの?」
「ううん、今パパはタバコを吸いに行ったの」
「カフェでタバコも吸えないなんて、ジャン・ギャバンが聞いたら泣くわね」
「だぁれ?その人」
「ああ、あなたが知るわけもないわね。昔の世界的に有名なフランス人の俳優よ」
「へーー、マダムは何処の国からきたの?」
「ジャポン(日本)よ」
「そうか、パパのコピンヌ(恋人)はシノア(中国)なの。ジャポンと近い?」
「まあね、でも全然違うけど」
「パパが中国に行っていたから、パパに会うの2ヶ月ぶりなの」
「そう、楽しかった?」
「うん、すっごく。ディズニーランドも行ったよ」
「それは良かった」
「でも、もうパパとお別れしなくちゃ、もうすぐママンが迎えに来る」
「そうか、でも、ずっとパパに会えない子より、たまに会えるのならあなたは幸せね」
「うん、クラスのルイなんかもう何年も会ってないんだって、だから私は幸せよね」
「そう思うわ」


彼女の携帯が鳴った。どうやらママンからのようで楽しそうに話している。

私はケーキを食べはじめた。美味しい。
田舎風のこのタルトタタンは、旅館業をやっていたタタン姉妹が、忙しさのあまりにうっかりパイを反対にしてしまった為にそのまま焼いたという失敗作成功のお菓子なのだ。

「ママン、うん、今パパはタバコ吸いに行っている。うん、わかった」
と言っているそばから、ママンがカフェに入ってきた。
女の子はママンとキスをした。
そこに、パパも戻ってきた。パパとママも抱擁しあい、キスをした。とても儀礼的だったけれど。
ママンが座って、パパはカフェを出て行った。


突然女の子はパパの後を追った。
交差点の前でパパにしがみつく。
パパは泣きそうな歪んだ顔をして女の子を抱きかかえた。
女の子の目を見て必死に何か語りかけている。

それはまるで、昔見た映画のワンシーンのようだった。

女の子はトボトボとカフェに戻ってきて、ママンの膝に顔をうずめ声を上げずに泣いている。
ママンは、そこが禁煙だというのに、タバコを出して吸い始めた。
煙が目に染みるのだろう。
涙を一筋流して。

カフェのギャルソンも、禁煙です、とは言わずにママンの前にコーヒーだけ置いていった。

春の空も気まぐれだ、先ほどまでの青空は灰色になり、雨がぱらついて、太陽が隠れた分だけ寒くなった。

嫌になっちゃう、荷物があるのに。


私は、マロニエの花を見上げながら、少し冷めかけた紅茶を飲み干した。







♪【Marie Laforet - Viens, Viens 】
歌:マリーラフォーレ<ヴィアン・ヴィアン>
太陽がいっぱいでアランドロンの相手役をやって有名になります。
今はスイス国籍だそうで、女優、シャンソン歌手です。