2015年11月20日金曜日

いつものように by Miruba

Photo by Mr. Takao
フランスのテレビを見ていたら、クロード・フランソワの物真似をする人が出てきた。歌も姿もそっくりで、なんだか可笑しくて笑ってしまう。 

クロード・フランソワ(Claude Francois)はクロクロという愛称でも知られた1960年代から1970年代にかけてのフランスで、もっとも人気があったアーティスト兼音楽プロデューサーだ。ディスコをフランスで流行らせたのもこの人だと言われている。
クロードはエジプト出身のフランス人だ。
その先祖は支配階級だったようで幼少期は裕福な家庭だったが、革命で王政が倒れるとすべてが国有化され、クロードの家族も難民同然にフランスに移住してきた。父親が貧困の中にありながら支配階級だった過去を捨てきれずにいたことがクロードにとっては悲しい滑稽に映ったのだろうか。息子が銀行員になることを願った父親はクロードが歌手になってからは口もきかなかったという。

クロードはアパートの部屋で、シャワーを浴びていて、感電死をしてしまった。
2人の幼子を残し、39歳の若さだった。

代表曲のひとつに、「Comme d'Habitude(コムダビチュード)=いつものように」がある。
この曲をテレビで観たポール・アンカが、クロードに曲を使わせてほしいと頼み、英語の歌詞を付け直して「マイ・ウェイ」と言うタイトルにして、フランク・シナトラにも歌わせた。
マイ・ウェイは世界的にヒットし、エルビス・プレスリーや、日本では布施 明などにもカバーされたが、その歌詞となると、これほどまでに違うのか、と言うほどだ。


この歌をクロード・フランソワが作ったとき、「夢みるシャンソン人形」で有名なフランス・ギャルとの破局をむかえていて、仮面カップルのアンニュイな思いと、永久不変と思われた愛の儚さを表現し、それでも日々は音も無く続くのだと、平凡を歌い上げるクロード・フランソワの歌詞は、シナトラや布施明の力強い未来に向かっていく歌詞とは違うけれども、切々とした人生の応援歌であることが伝わってくる。

喜劇とは人間の悲哀の中にこそあるのだな、と思わせる。
クロード・フランソワが音楽の世界で商魂逞しかったのも、ビジュアル系でキラキラと派手な衣装を着て飛び跳ねて踊って魅せたのも、人生の悲哀と喜劇が背中合わせだということを知っていたからかもしれないと思うとき、この「Comme d'Habitude(コムダビチュード)=いつものように」と言う曲を聴くたびに、自然に涙が溢れてきてしまうのだ。

苦しい事も辛い事も悲しい事もある毎日だけれど、いつもの通りの生活を送れることが、どれほど大切なことか。
毎日の変わらない日々にこそ笑える幸せな人生が詰まっているのではないか。

世界中にテロの荒波が押し寄せ、なんでもない日常が当たり前では無い状態にあり、難民が溢れる昨今、難民でもあった亡きクロードフランソワからの贈り物「いつものとおり」が余計に身にしみてしまうのだ。


【いつものように】 訳詞:カズコリーヌ
僕は起きて君を押す
君はいつものように目を覚まさない
僕は君の上にシーツを引き上げる いつものように
君が寒くないように
僕の手は君の髪をなでる
殆ど僕の意思とは反対に いつものように
でも君は僕に背を向ける
いつものように
そして僕は急いで着替える
いつものように、部屋を出る
一人でコーヒーを飲む、
いつものように、僕は遅れている
音を立てずに家を出る
いつものように、外はすべて灰色
寒い、僕は襟を立てる
いつものように
いつものように、一日中、
僕は何かをするフリをするだろう
いつものように僕は微笑むだろう
いつものように僕は笑いさえするだろう
いつものように僕は生きるだろう
http://chansonzanmai.blog27.fc2.com/category62-1.htmlより