2011年12月30日金曜日

晩秋の恋 by Miruba


弘子は【小料理 ひろ】と藍で染め抜かれた暖簾を仕舞った。
後片付けを終えた従業員たちが「お疲れ様でした、楽しんできてくださいね」と口々にいって帰って行く。普段着の彼女らは、制服としている作務衣を脱ぎ、まとめた髪をおろすと、ぐっと若々しくなる。その若さがうらやましくなる一瞬だ。

明日から数日みんなに店を任せて親友真琴の結婚式に参列するのだ。
彼女もその相手も弘子と同じ高校時代の仲間だ。
東京住まいなのに、わざわざ京都の平安神宮で結婚式を挙げるので是非参列してほしいとのことだった。
弘子自身大阪には親戚や友人もいるので数年ごとに寄る土地ではあったが、隣の古都には高校の修学旅行の時に行ったきりだから旅行気分でもある。

真琴は結婚が3度目であり、少人数を呼ぶのにちょうど良いとのことだったし、確かに参列者は親戚友人含めても20人のこじんまりとしたものだったが、平安神宮本殿での儀式は厳かで、後の祝宴の料理も満足のいくものだった。親友の涙に微かな嫉妬と、幸せのおすそ分けをもらい、弘子もほろりとした。


2回のハネムーンをアメリカにしたのがよくなかったとの真琴の理論で、オーストラリアに新婚旅行に行くという二人を関西空港まで見送った。
親戚や友人達それぞれにねぎらいとお別れの言葉を交わしながら、ターミナルビルの中を三々五々離れていく。

「神戸や京都の街を歩いてみないか。紅葉の季節になどなかなか来られないだろう?」
「そうね」

弘子は結婚式で、昔の恋人新井と再会していた。
新井もまた弘子と真琴の同窓生であった。偶然の出会いなどではなく、どうせ真琴の策略だろうが、再会した二人に不思議とわだかまりはなく、昔話に花が咲いた。話しても話しても言葉が尽きない。弘子は久しぶりに心が浮きたつ自分に気がついた。
新井は営業という仕事柄人にもまれてきたのか、若いときとは違い人間に深みが出ていた。

また新井からみた弘子は、客商売によってか、上手に年齢を重ねているように見えた。話をしていても知識が豊富で飽きないのだ。



電車で30分もあれば神戸に着く。
震災後、復興の証として始まったイルミネーションのイベント「ルミナリエ」を見に行ったのだ。
日曜日だということもあったが大変な人だった。道路は車の通行が止められて何列にもつながる光の芸術を見るための人々であふれている。延々と歩かされている間も、新井と弘子は飽きることなく話をつないだ。何もかも真から解り合える気がする。

「俺達、昔、何で別れたんだっけ?こんなに楽しいのにな」
「さぁ、なぜだったのかしら?若かったから?」

子供だったあの頃は、お互いの良さが理解できなかったのかもしれない、と弘子は思った。ルミナリエの美しい輝きが、二人を祝福しているようだ。

いつしか、二人は手をつないで神戸の街を歩いていた。

ポートタワーで交わす、ワイングラスでの乾杯。
その夜、二人は長い年月を経て、再び結ばれたのだった。
子供は生んでいないが、年をとり醜くなった体を昔の恋人に見せるのは恥ずかしかった。
だが、お互いが同じように年齢を重ねていることへの安堵もまたあったのだ。

次の日は、京都へ向かった。
夜遅い新幹線で帰れば、明日からの仕事にも間に合うだろうと、新井と弘子は要領よく名所を回れる観光バスに乗った。
晩秋の快晴、ブルーの空に映える流線型の屋根が美しい二条城、日本の歴史の重みを感じさせる金閣寺や銀閣寺、神社仏閣またその庭園などの見事なことを改めて感じた。
前日真琴の結婚式で来た平安神宮を横に見て、八坂神社に向かう。意外に強い太陽の日差しに目を細めながら、紅葉の中の木漏れ日を味わい、階段の前に着いたときだ。

「ここで記念写真を撮ります。後で販売しますので、ご入用のかたはお知らせください」

有無を言わさない感じだが、「いらないから」と否定するのも大人気ないと思い弘子は言われたところに立った。40人ほどの団体なので立ち居地に存外に時間が掛かった。


弘子は出来た写真をみて、ほんの少し嫌な気がした。
カメラマンに言われた最前列に立った弘子は後ろに新井がいると思い込んでいたのだ。
写真の彼は、遠く離れた場所に、人の陰に隠れるように立っていた。

「そんなもの買うのか?」
「ええ、そんなもの誰も買わないわ。だから買うのよ」

観光バスに乗り合わせた人たちと撮った写真を買い求める人など今はほとんどいない。
現に弘子のほかに2人が買っただけだった。
知り合いではない偶然な団体の写真に納まるだけのことに、誰かの目を気にする新井は、弘子との関係を誰にも知られたくないと考えている証拠だ、と思ったのだ。


「誰にも見られるはずのない写真に過剰反応して、あなたは一緒にバスに乗っていた観光客に私達が普通の関係でないことを態度でしゃべったことになるわ。手を繋いで歩くほど親しそうな二人が離れて写真に収まれば、まわりは変だと思うに違いないわ。あなたは私に恥をかかせたのよ」

声を荒げるでもなく、目をそらして小さくつぶやく弘子に、新井は戸惑った。

新井にしてみれば、むしろ弘子に迷惑をかけたくないと思ったのだったが、言われてみれば行きずりの写真など、積極的に自分が持っていなければ、身近な人間の手に入るほうが難しいだろう。心のどこかに子供達に写真を見られたら困る、という気持ちが働かなかったと言えば嘘になる。そこを見透かされた気がして、反論できない自分がいた。


帰りの新幹線では、席こそ隣同士で座ったが、二人ともほとんど言葉を交わさなかった。













弘子の毎日がまた始まっていた。
【小料理 ひろ】は、弘子の亡くなった叔母が始めた店だ。叔母の名前も漢字こそ違うが「ひろこ」というなまえだった。
忙しいときに店を手伝っていた弘子は、店の板さんと結婚し叔母の店を継いだ。だが、夫は2年もすると従業員の一人とどこかに行ってしまった。離婚届はどこかの引き出しに入ったままだ。「あれ、きちんとしようかな」弘子は思った。

店先にあるイチョウの葉が冷たい風にハラハラと落ちてくる。
弘子は黄色のじゅうたんを掃き集めながら、ふっと、ため息をついた。


今日は日曜日だ。息子も娘も恋人とデートだといってそれぞれに出かけていった。
新井は一人になると、弘子のことが頭を離れない。
ピアノの上に飾ってある妻の写真がこちらを見て微笑んでいるように見えた。

電話をしてみよう。
新井は、庭にあるイチョウの木から、寒い風に揺れた黄色の葉っぱがパラパラと落ちているのを窓越しに眺めながら、携帯をとった。
写真:テクノフォト高尾 高尾清延




2011年12月24日土曜日

『東京 NAMAHAGE 物語・2』 by 勇智イソジーン真澄


『師走は大掃除から』

ああ、はやいな。
また年の瀬の、なまはげ行事が近づいてきた。

街並みに電飾が施され、商店ではクリスマスプレゼントを、テレビからはサンタ姿の女優がチキンをどうぞと宣伝が多発してきた。
今年の終わりも近いのだと、冷たい風とともに身にしみる。

そろそろ大掃除をしなければ、と思いつつもランプシェードに積もったホコリを見ながら寝そべってばかりいる。

そもそも、寒い年末の掃除はなぜ必要なのかと考える。
1年に1回、普段しないところまで掃除をするのが大掃除なのだから、
そのサイクルを気候の良い春にしてもいいではないか。

そう思いついたのだが、やはり新しい年に古い埃は残しておきたくない。
この週末二日もかければ、独り身の女の狭い賃貸部屋は片付くだろう。
のらりくらりと起き上がり、少しずつ片付けていく。

まず高い場所から埃を落とし、拭けるところに雑巾をかける。
次に動かせる家具を移動させ、隅に隠れている埃を追い出したところで、有無を言わさず掃除機で吸い込む。
飛び跳ねた油が付着した台所のタイルにクレンザーをかけ、力を入れてこする。
一箇所がきれいになると回りのちょっとした汚れが気になり、椅子を持ち出して隅々まで磨きあげる。
腕が痛くなった。

汗と疲れをとるために風呂につかる。
湯船に後頭部を預け天井を見ると、換気口が綿ぼこりのマスクをかけ、ほとんど機能していない。
両足を開き湯船の左右のヘリにつま先をかけ、伸ばした手でほこりをとる。
決して人様に見せられる格好ではないが、体裁を整え無くても良いのが一人住まいの醍醐味。
埋もれていた、ざるの目のような四角い防御シートが現れた。
これで風のとおりが良くなり、カビ防止になるだろう。

この際だから浴室の掃除もしよう。
排水溝の周りには抜け落ちた髪の毛が沢山まとわりついている。
ティッシュでつかむと呪いの日本人形の黒髪のようで、自分のものだというのに気持ちが悪い。

筋肉痛の身体を労わり、ゆっくり起きた朝。
今日は、いらないものの整理だ。
着なくなった洋服、読み終えた本など、売れるものは売りに、捨てるものは捨てる。
何年経ってもお気に入りのものはあるが、それはよく吟味して保存しておく。古いものを大事にとっておいては、新しいものを収納するスペースがなくなる。

受け入れる場所がなければ、欲しいものは手に入れにくい。
ためらうことなく私を捨てていった、昔の男の写真も思い出と共にゴミ袋に入れる。
捨てることにためらいをもってはいけない、と教えて去っていった冷たい男だ。
いつか起こり得る新たな出会いのために、未練はない。
新規受け入れ、態勢は十分整えた。

隙間は、ゆとりとなる大事な部分だ。
詰め込みすぎていては、いざというときに探し出せなくなる。
掃除はするべきときにすると気持ちが晴れる。
きれいにサッパリとした部屋は、また一段と住みやすくなった。
 
渋谷区民の健康診断を受けに、指定病院へ行く。
平日だというのに待合室にはすでに十数人が待っている。
血液検査、視力・聴力検査などの一般的なものは早くに済んだ。
視力は弱くなっていて、次回の免許更新には眼鏡使用しなければいけない。
右耳の聴力もわずかに弱いことが判明した。
よる年波は、じわじわと満潮に近づきつつある。

初めて、乳がん・子宮ガン検診も申し込んだ。
この年齢になってやっと検査をする気になった私を、友人は遅いと呆れていた。
万が一の場合、早ければ早い程的確な処置ができる。
何事もなければ安心する。
それを先延ばしにしていたのだ。

胸の方は触診で、カーテンで仕切られた部屋状の場所に置かれたベッドに上半身裸で横になる。
今日担当します、と入ってきたのは若い男の先生。
両手を頭の後ろに組んでください、というので言われたとおりにする。
腋の手入れをしてきてよかった、とほっとした。

では失礼します、と胸を押したりつまんだりする。
こんな時は目を開けているべきか閉じるべきなのか迷ったが、目が合うと恥ずかしいので閉じた。
あっ、こんな感じだったかな、と肌と肌の感触を楽しんでいたら、特に異常は見あたりません、とあっけなく終わってしまった。

今度は子宮検査のため場所を移動し、待つこと数十分。やっと名前を呼ばれ、入る部屋番号を告げられた。

十部屋ほどが横一列に並んでいる。
自分の番号のドアを開けると中は、試着室ほどの広さなのだが正面に壁はない。
ここで下半身だけ裸になる。

その先に椅子が見え、ちょうど太ももの付け根あたりの上部から座面に届くか届かない程度の丈の、淡いクリーム色のカーテンが下がっている。
椅子の横に置かれている踏み台を使い黒い椅子に座り、カーテンの向こう側に足を伸ばす。

すぐさま足は看護士により左右に開かれ、分娩台のそれぞれ所定の位置におかれる。
向こう側からは下半身だけが見える仕組みだ。

壁のない正面の向こう側は横にも仕切りがなく、すべての部屋を行き来できるようだ。
さながら海鮮問屋の陳列棚というところか。
そう想像したら可笑しくなった。

ガチャガチャと音がする。
何か起こりそうな気配に、半身がキュッと緊張した。
それが何なのか皆目わからない。
少し冷たいですよ、と男性のやわらかい声がする。
カーテンと床の隙間から黒いズボンが見えた。
どうもこの人が産婦人科の先生のようだ。

あっ、みずっ……消毒液がかけられた……。
互いの顔を見ることも無く、ことは進んでいく。
顔を会わせるのがいいのか、悪いのかはわからない。
この一瞬で恋に落ちることもないだろうから、検査は淡々とする方が互いに余計な感情を表さずにすむのかもしれない。

少し違和感がありますよ、先生は次の行動に移った。
あれっ、入り込んだものに懐かしさを覚えた。
こんな感じだったかな。
そういえば、今年は一度もなかった……。

中で数回動いた内視鏡検査も、ものの数分で終わった。
こちらも異常はなかった。
病院の設備にもよるのだろうが、この一連の流れ作業的な検査の仕方は女性にとって屈辱的だ、と聞いてはいた。
でも、私はそれほど嫌ではなかった。

女性には女性特有の凹、男性には男性特有の凸の形態があるのは仕方の無いことだ。
痴漢をされたわけでもあるまいし、たかが検査だもの。

ま、とりあえず、長いブランクの末、詰まっていたであろう汚れが洗い流されたことには違いない。
身体も大掃除の師走であった。

2011年12月17日土曜日

とある休日•8最終話by やぐちけいこ


それから2週間ほど経った休日にボストンバッグを持った母親が自宅に帰って来た。
驚いている俺の顔を見るなり「霞ちゃんに追い出されちゃったわ」とあっけらかんと笑顔を見せる。
一瞬何を言われているか理解出来なかったがその言葉の意味が浸透してきた時には母親は自室で荷物の整理をしていた。
「追い出されたってどういうことだ?」と聞いても「う~ん。言葉通りよ。これでも粘ったのよ。でも霞ちゃん自身が一人でも大丈夫って笑ってくれたの」
「だからって…」最後に見た霞の顔が忘れられない。あんなにも何かに耐えるようにして今にも折れそうになっていた彼女だったのに。
知らずと下を向いて床を睨んでいた。
「もっと霞ちゃんを信じてあげなさい。あの子はあの時の小さな女の子じゃないわ。少しずつ少しずつひとり立ちしようと努力しているのよ?それを助けてあげなさい。」
俯いていた頭の向こうからそんな言葉が降ってきた。ハッとして顔をあげると真剣な目をしてこちらを向いていた母親と目があった。
「霞ちゃんはね、確かに精神的に弱い部分を持ってるわ。あんな悲しい出来事があったのだから誰だって臆病になると思うの。きっとまた身近な人を失う恐怖心を人一倍持ってると思うのよ。そんな彼女にしてあげられる事って何かしらね。可哀想と思う事?外に出さないように囲う事?違うわよね。よく考えて答えを見つけなさい。それと、今まであなたがしてきた事にもっと自信を持つことね」それだけを言うと再び荷物の整理をし始めた。
その姿をしばらく見ていたが何となく頭にかかっていた靄が晴れたような気分になり母親の部屋を後にした。
そうだ。結局は大それたことなんで出来やしない。自分の今出来る事をするしかないんだ。
霞も言っていたじゃないか。俺のために休日を使えって。自分の休日を好きに使おう。

とある休日。とある家のインターフォンが鳴り響いていた。
ピンポ~ンピンポ~ンピンポンピンポンピンポン♪
「だーーっ!うるさいっ!近所迷惑だろ。1回鳴らせばまだ耳は達者だから聞こえると何度も言ってるだろうが!」
不機嫌丸出しの彼女の表情に安心する。
「そっちの声の方が近所迷惑よ~。それよりも天気も良いし映画でも見に行きましょうよ~。今から出るとなると先にどこかでお昼ご飯食べたほうが良いかしら。あ、それともどこか公園でも散歩する?見せたい場所があるのよねえ」と半ば強引に霞を外に連れ出した。
「どこに行くんだ」とか「家に帰せ」とか聞こえたけれど聞こえない振りをして彼女の手を引っ張っていく。映画も散歩も外に連れ出すただの口実。
霞の家から歩いて5分程と言う近い場所にそれはあった。
「ねえ。これ見て」と指さすは小さな空き地。
小さな雑草がたくさん生えている何の変哲も無いただの空き地を見て不思議そうにこちらを見ている。
「良く見てよ。あれよあれ」と言うとそれに向かって歩いていく彼女の後姿を見守った。
きっとまじまじとそれを見ているだろう霞は突然背中を震わせ笑いだした。
「おまっ、これっ」と言葉にならない言葉を吐き出しながら大笑いの霞の姿を見て久々に心からの笑顔を見る事が出来たうれしさに一瞬かける言葉を失った。ずっとこんな笑顔を見たかった。これからはいつでもこの笑顔を見せてくれるだろうと信じている。
心の中にあった硬い結び目が融けて無くなった瞬間だった。
「気に入ってくれた?」と聞くと「そうだな。相変わらずびっくり箱みたいだなあ」と涙を拭っている。「あげるわよ。それ」というと
「え?」と聞き返してくるきょとんとした顔が可愛い。
「さて。このまま帰る?それとも散歩でもする?映画も良いわよねえ。どうする?」と聞くと「近所を散歩したい」というリクエストにその場を後にした。
その空き地に真ん中には小さな木製の白い横長の看板があった。

『中々良い物を扱ってそうだな共和国建設予定地』

また今まで通りの休日が繰り返される。



1話からすべてをまとめて読める電子書籍版ができました。
週刊「ドリームライブラリ」でダウンロードできます。

2011年12月10日土曜日

とある休日•7by やぐちけいこ



『それは10歳の幼い少女に突然起きた出来事。
少女は両親の自殺を目の当たりしてしまった。それは彼女をどす黒い暗闇に落とすに十分すぎるでき事だった。
この瞬間から少女は白い天井と白い壁に囲まれた部屋の住人になり、心を閉ざしいつも傍にいた大好きな少年の声も少女には届かない。
恵まれすぎていた事に気付く事無く育った少年は途方にくれ戸惑うまま少女の傍に居る事しか出来ない。
笑顔を無くしてしまった少女に再び笑って欲しくて毎日少女の元へ訪れた。少女が好きなお菓子を持って行ったり楽しい話を聞かせたりしたけれど何の反応も見せない少女。そんな日が1週間続き10日続き1カ月を過ぎる頃少年は少女の元へ行けない日が訪れた。
少年は思った。きっと今日一日くらい行かなくても何も変わらない。だから無理して行かなくても良いやと。そして次の日少女の元へ訪れた時、昨日ここへ来なかった事の大きさに気付く事になった。
少女は少年の顔を見た瞬間少しだけ頬をほころばせそして寂しそうな目をしたのは一瞬。その一瞬の表情の変化を読み取った少年は思い知らされた。この少女には自分以外に会いに来てくれる人はいない。両親でさえも会うことは二度と無い。孤独と戦っている少女。それに引き換え自分はどうだろう。忙しいなりにも愛情を注いでくる両親を持ち、学校には友人、家に帰ればくつろげる自分の部屋だってある。少女はそれを一度に全部無くしてしまったのを知っていたはずなのに。それなのに自分は友人と遊びに行き、ここへ来る事も面倒になり寝てしまったのは昨日の事。自分がここを訪れる事を少女はずっと待っていてくれていたに違いない。掴みかけていた手を自ら離してしまったのだ。
少年は改めて思う。この少女の笑顔を取り戻すのは自分だ。そして二度と寂しそうな目をさせてはいけない。どれだけの年月がかかっても良い。ここへ来なかった自分の愚かさを償いたい。
大好きな少女の笑顔をもう一度見たいから』

そんな二人にも平等に年月が過ぎ大人へと成長していった。




霞が倒れてから10日経った頃母親に呼び出された。
「霞ちゃんに会わせてあげるわ。だけどあまり刺激しちゃだめよ。まだ完全には回復していないけど後は霞ちゃん自身が乗り越えないといけないのよ。30分後 に戻って来るからくれぐれも逸らないでね。まずは彼女の話を最後まで聞く事。分かった?」そう念を押して霞の家を出た母親の背中を見送った。
ソファに俯き座っている霞。向かい側のラグに直接腰を下ろした。どう声を掛けようか迷っていると霞から話しだした。


次回、いよいよ最終回です。お楽しみに。

2011年12月2日金曜日

心の棲家の歌 by miruba


レジデンス内のアパートは、空港寄りの高台にあった。
南仏ニースの“ベイデザンジュ”天使の湾に臨むプロムナード・デ・ザングレという海沿いの3キロ余りの海岸通りは有名だが、その西のはずれ、裏にペレアルプスの山並みを配するところに、レジデンスが建ち並んでいた。

バスを降りて、坂道を行く。
どうしたことか、私はパリでもトーキョーでもニースでもナガサキでも坂道のある高台に暮らす。
健康には良いかもしれないが、荷物を持っての上り坂は結構きつい。

「Je peux vous aider?」お手伝いしましょうか。と、背後から聞こえた。
断ろうとしたときには、キャリーを引っ張ってくれている。
背の高い紳士だった。フランス人ではなさそうだ。イギリス人かもしれない。オランダ人かな?
私は、大またでさっさと行く紳士を、小走りで追いかける。

アパートが見えてきた。
高い塀に囲まれ、車の乗り入れ可能な門は鉄柵で、セキュリティーのきいたオートロックだ。治安の良い日本から来た私には大仰に思えたが、人種の坩堝である避寒避暑地のリゾート地には必要のようだ。塀の中には、10棟ほどが建ち並んでいる。一棟50世帯くらいだろうか。テニスコートとプールとカフェがあり、管理人と広い庭を手入れする庭師なども、管理費でまかなうというシステムなっていた。

「このアパートなのです、ありがとう」といったら、紳士が、「僕も同じですよ」といって笑った。エレベーターは、右左に別れたが、なんと同じ棟の住人なのだった。

アパートは、15平方の小さな部屋だ。それと同じ広さのテラスがあり、それの半分の広さのカーブと呼ばれる倉庫もある。ベランダには作りつけの花壇があり、一年中花や緑を植えなければならない法律があるのだ。

部屋からコバルトブルーの海が見える。
大きなパラソルの着いた丸テーブルと椅子をおいて、食事は朝夕ベランダでする。

海景色の様子を変え、輝く星と月を話し相手にワインを傾けていると、ベランダから目前に花火が見える。

土曜日だけだが「観光客歓迎花火」が上がる。
夏には多くて一ヶ月、他の季節にも少なくて1週間は過ごした。

ニースの街自体は、城跡と旧市街を見ると、あとはたいした物はないが、近代絵画が好きな人にはたまらないだろう。マチス・マセナ・シャガールそして、近代・現代美術館、4つの美術館があるので、余った時間はゆっくり楽しめる。


それに、周辺の街や村には、ピカソ美術館のあるヴァロリ、 フェルナン・レジェ美術館のあるビオ、お城で有名なアンティーブ、鷲の巣村のエズ、カジノのあるモナコ公国と、見るところはどっさりあって、何時も海岸でのんびり本を読むことなどほとんどなく、悲しきかな日本人の習性でこれでもかというスケジュールをこなしてしまう自分が、悲しかったりする。



だが、その日は部屋にいた。
隣国イタリアへ足を伸ばして一週間ほど部屋を空けていたら、花壇の花が枯れそうになっていたのだ。管理人さんに水やりを頼んでおけばよかったが、うっかりした。夏をのぞいてスリーシーズンは、通常ニース大学の学生さんに貸しているので、花を絶やすことは無い。家主が枯らしたのでは話にならない。土を足して、新しい花も植えた。


爽やかな日だったので、作業をしながら、つい鼻歌が出る。

♪はにゅーのやどーは、わが~や~ど~♪

賛美歌を一通り歌った後、「埴生の宿」の歌が、口をついてでた。
コーラスの演奏会で、最後に謳うことになっているのだ。

イングランド民謡のこの歌は、
英語では「ホーム・スイート・ホーム 楽しき我が家」
フランス語では「ペイナタル 生まれ故郷」という題名だ。


スミレを植え終わったとき、何処からともなく、一緒に歌う男性の声がしてきた。「え?」
耳を澄ますと、どうやら英語のようだ。階下から聞こえてくる。
私もまた少し声を大きくして日本語で謳う。


♪きよらなりや 秋の夜半
月はあるじ むしは友♪

ツーコーラスを謳い終わった。なんだか嬉しくなる。

すると、別の方角から、女性の声で歌う声がした。今度はフランス語のようだ。



涼しい海風が吹いてきた。


私達は、三人でまた歌いだした。そして、終わりに何処の誰かもわからないご近所さんに、拍手をした。拍手の人数は私たち3人よりもっと多かった。


音楽の素晴らしさを思う。


エレベーターで、同じ棟の住人と一緒になる。
一緒に歌った人は、この人かな?それとも、こっちの人?
そう思うが、声はかけれらない。なんと言ってもヴァカンスのときだけすれ違う知らない人ばかりだから。Bonjour!と笑顔で挨拶をするだけだ。


パリに帰る日、キャリーをもって私は坂を下りていた。
「Je peux vous aider?」と、背後から聞こえた。
ここに着いたときに、荷物を持ってくれた背の高い紳士だった。行動時間が違うのか、ニース滞在中一度も会わなかったのに、不思議だ。

♪Mid pleasures and palaces,
Tho' we may roam♪

突然彼が歌いだした。
「あらら~あなただったのね!」

私が日本人だと最初の日に聞いていたので、たぶん歌の雰囲気で「あの日本人かな?」と思ったというのだ。


彼と私は、早々と秋になりかけた木々の葉を踏みしめ、バス停までの道をいつまでも歌いながら下った。



今は、日本とフランスを行き来し、
「故郷」が何処なのか解らなくなっている私には、
主人や子供達と過ごしたニースでの家族の日々が懐かしく、

ふと、あのときのことを思い出し、ホーム・スイート・ホームを、口ずさんでしまうのだ。