2011年12月2日金曜日

心の棲家の歌 by miruba


レジデンス内のアパートは、空港寄りの高台にあった。
南仏ニースの“ベイデザンジュ”天使の湾に臨むプロムナード・デ・ザングレという海沿いの3キロ余りの海岸通りは有名だが、その西のはずれ、裏にペレアルプスの山並みを配するところに、レジデンスが建ち並んでいた。

バスを降りて、坂道を行く。
どうしたことか、私はパリでもトーキョーでもニースでもナガサキでも坂道のある高台に暮らす。
健康には良いかもしれないが、荷物を持っての上り坂は結構きつい。

「Je peux vous aider?」お手伝いしましょうか。と、背後から聞こえた。
断ろうとしたときには、キャリーを引っ張ってくれている。
背の高い紳士だった。フランス人ではなさそうだ。イギリス人かもしれない。オランダ人かな?
私は、大またでさっさと行く紳士を、小走りで追いかける。

アパートが見えてきた。
高い塀に囲まれ、車の乗り入れ可能な門は鉄柵で、セキュリティーのきいたオートロックだ。治安の良い日本から来た私には大仰に思えたが、人種の坩堝である避寒避暑地のリゾート地には必要のようだ。塀の中には、10棟ほどが建ち並んでいる。一棟50世帯くらいだろうか。テニスコートとプールとカフェがあり、管理人と広い庭を手入れする庭師なども、管理費でまかなうというシステムなっていた。

「このアパートなのです、ありがとう」といったら、紳士が、「僕も同じですよ」といって笑った。エレベーターは、右左に別れたが、なんと同じ棟の住人なのだった。

アパートは、15平方の小さな部屋だ。それと同じ広さのテラスがあり、それの半分の広さのカーブと呼ばれる倉庫もある。ベランダには作りつけの花壇があり、一年中花や緑を植えなければならない法律があるのだ。

部屋からコバルトブルーの海が見える。
大きなパラソルの着いた丸テーブルと椅子をおいて、食事は朝夕ベランダでする。

海景色の様子を変え、輝く星と月を話し相手にワインを傾けていると、ベランダから目前に花火が見える。

土曜日だけだが「観光客歓迎花火」が上がる。
夏には多くて一ヶ月、他の季節にも少なくて1週間は過ごした。

ニースの街自体は、城跡と旧市街を見ると、あとはたいした物はないが、近代絵画が好きな人にはたまらないだろう。マチス・マセナ・シャガールそして、近代・現代美術館、4つの美術館があるので、余った時間はゆっくり楽しめる。


それに、周辺の街や村には、ピカソ美術館のあるヴァロリ、 フェルナン・レジェ美術館のあるビオ、お城で有名なアンティーブ、鷲の巣村のエズ、カジノのあるモナコ公国と、見るところはどっさりあって、何時も海岸でのんびり本を読むことなどほとんどなく、悲しきかな日本人の習性でこれでもかというスケジュールをこなしてしまう自分が、悲しかったりする。



だが、その日は部屋にいた。
隣国イタリアへ足を伸ばして一週間ほど部屋を空けていたら、花壇の花が枯れそうになっていたのだ。管理人さんに水やりを頼んでおけばよかったが、うっかりした。夏をのぞいてスリーシーズンは、通常ニース大学の学生さんに貸しているので、花を絶やすことは無い。家主が枯らしたのでは話にならない。土を足して、新しい花も植えた。


爽やかな日だったので、作業をしながら、つい鼻歌が出る。

♪はにゅーのやどーは、わが~や~ど~♪

賛美歌を一通り歌った後、「埴生の宿」の歌が、口をついてでた。
コーラスの演奏会で、最後に謳うことになっているのだ。

イングランド民謡のこの歌は、
英語では「ホーム・スイート・ホーム 楽しき我が家」
フランス語では「ペイナタル 生まれ故郷」という題名だ。


スミレを植え終わったとき、何処からともなく、一緒に歌う男性の声がしてきた。「え?」
耳を澄ますと、どうやら英語のようだ。階下から聞こえてくる。
私もまた少し声を大きくして日本語で謳う。


♪きよらなりや 秋の夜半
月はあるじ むしは友♪

ツーコーラスを謳い終わった。なんだか嬉しくなる。

すると、別の方角から、女性の声で歌う声がした。今度はフランス語のようだ。



涼しい海風が吹いてきた。


私達は、三人でまた歌いだした。そして、終わりに何処の誰かもわからないご近所さんに、拍手をした。拍手の人数は私たち3人よりもっと多かった。


音楽の素晴らしさを思う。


エレベーターで、同じ棟の住人と一緒になる。
一緒に歌った人は、この人かな?それとも、こっちの人?
そう思うが、声はかけれらない。なんと言ってもヴァカンスのときだけすれ違う知らない人ばかりだから。Bonjour!と笑顔で挨拶をするだけだ。


パリに帰る日、キャリーをもって私は坂を下りていた。
「Je peux vous aider?」と、背後から聞こえた。
ここに着いたときに、荷物を持ってくれた背の高い紳士だった。行動時間が違うのか、ニース滞在中一度も会わなかったのに、不思議だ。

♪Mid pleasures and palaces,
Tho' we may roam♪

突然彼が歌いだした。
「あらら~あなただったのね!」

私が日本人だと最初の日に聞いていたので、たぶん歌の雰囲気で「あの日本人かな?」と思ったというのだ。


彼と私は、早々と秋になりかけた木々の葉を踏みしめ、バス停までの道をいつまでも歌いながら下った。



今は、日本とフランスを行き来し、
「故郷」が何処なのか解らなくなっている私には、
主人や子供達と過ごしたニースでの家族の日々が懐かしく、

ふと、あのときのことを思い出し、ホーム・スイート・ホームを、口ずさんでしまうのだ。



2 件のコメント:

  1. 御美子12/05/2011

    昨日投稿したはずのコメントが消えてます。><
    同じようなコメントが後から出てきたらすみません。

    3ヶ国語で歌う「埴生の宿」素敵です。
    大人なバカンスの過ごし方、適度な人間関係の距離感
    どれも憧れです。

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  2. 御美子さま
    あらま、あなたもですか?
    消えちゃうのですよね・・・

    ご感想をありがとうございます。
    旅行記のようなものなので、ご興味のない方には土地名などうっとうしいでしょうが、適当に流して読んでいただければと思います。

    関係が希薄かというと親しくなるとそうでもないですが、着かず離れずと言う感じはありますね。
    結局外国人、そのときだけの知り合いになることも多いので、あまり感情を移入させてしまうと悲しい別れが待つことになるので、程ほどに距離を置く、と言う習慣があるようです。
    毎年来ていて毎年同じホテルに泊まって、毎年同じ席に着く。当然何年も同じところで出遭うご老人達、挨拶をして親しげに話しをするのに、なのに席を同じにして食事をしたりしない。不思議な光景を見かけることはしばしばです。大人の関係ってこういうものなのかな・・・そう思いました。

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