2011年12月24日土曜日

『東京 NAMAHAGE 物語・2』 by 勇智イソジーン真澄


『師走は大掃除から』

ああ、はやいな。
また年の瀬の、なまはげ行事が近づいてきた。

街並みに電飾が施され、商店ではクリスマスプレゼントを、テレビからはサンタ姿の女優がチキンをどうぞと宣伝が多発してきた。
今年の終わりも近いのだと、冷たい風とともに身にしみる。

そろそろ大掃除をしなければ、と思いつつもランプシェードに積もったホコリを見ながら寝そべってばかりいる。

そもそも、寒い年末の掃除はなぜ必要なのかと考える。
1年に1回、普段しないところまで掃除をするのが大掃除なのだから、
そのサイクルを気候の良い春にしてもいいではないか。

そう思いついたのだが、やはり新しい年に古い埃は残しておきたくない。
この週末二日もかければ、独り身の女の狭い賃貸部屋は片付くだろう。
のらりくらりと起き上がり、少しずつ片付けていく。

まず高い場所から埃を落とし、拭けるところに雑巾をかける。
次に動かせる家具を移動させ、隅に隠れている埃を追い出したところで、有無を言わさず掃除機で吸い込む。
飛び跳ねた油が付着した台所のタイルにクレンザーをかけ、力を入れてこする。
一箇所がきれいになると回りのちょっとした汚れが気になり、椅子を持ち出して隅々まで磨きあげる。
腕が痛くなった。

汗と疲れをとるために風呂につかる。
湯船に後頭部を預け天井を見ると、換気口が綿ぼこりのマスクをかけ、ほとんど機能していない。
両足を開き湯船の左右のヘリにつま先をかけ、伸ばした手でほこりをとる。
決して人様に見せられる格好ではないが、体裁を整え無くても良いのが一人住まいの醍醐味。
埋もれていた、ざるの目のような四角い防御シートが現れた。
これで風のとおりが良くなり、カビ防止になるだろう。

この際だから浴室の掃除もしよう。
排水溝の周りには抜け落ちた髪の毛が沢山まとわりついている。
ティッシュでつかむと呪いの日本人形の黒髪のようで、自分のものだというのに気持ちが悪い。

筋肉痛の身体を労わり、ゆっくり起きた朝。
今日は、いらないものの整理だ。
着なくなった洋服、読み終えた本など、売れるものは売りに、捨てるものは捨てる。
何年経ってもお気に入りのものはあるが、それはよく吟味して保存しておく。古いものを大事にとっておいては、新しいものを収納するスペースがなくなる。

受け入れる場所がなければ、欲しいものは手に入れにくい。
ためらうことなく私を捨てていった、昔の男の写真も思い出と共にゴミ袋に入れる。
捨てることにためらいをもってはいけない、と教えて去っていった冷たい男だ。
いつか起こり得る新たな出会いのために、未練はない。
新規受け入れ、態勢は十分整えた。

隙間は、ゆとりとなる大事な部分だ。
詰め込みすぎていては、いざというときに探し出せなくなる。
掃除はするべきときにすると気持ちが晴れる。
きれいにサッパリとした部屋は、また一段と住みやすくなった。
 
渋谷区民の健康診断を受けに、指定病院へ行く。
平日だというのに待合室にはすでに十数人が待っている。
血液検査、視力・聴力検査などの一般的なものは早くに済んだ。
視力は弱くなっていて、次回の免許更新には眼鏡使用しなければいけない。
右耳の聴力もわずかに弱いことが判明した。
よる年波は、じわじわと満潮に近づきつつある。

初めて、乳がん・子宮ガン検診も申し込んだ。
この年齢になってやっと検査をする気になった私を、友人は遅いと呆れていた。
万が一の場合、早ければ早い程的確な処置ができる。
何事もなければ安心する。
それを先延ばしにしていたのだ。

胸の方は触診で、カーテンで仕切られた部屋状の場所に置かれたベッドに上半身裸で横になる。
今日担当します、と入ってきたのは若い男の先生。
両手を頭の後ろに組んでください、というので言われたとおりにする。
腋の手入れをしてきてよかった、とほっとした。

では失礼します、と胸を押したりつまんだりする。
こんな時は目を開けているべきか閉じるべきなのか迷ったが、目が合うと恥ずかしいので閉じた。
あっ、こんな感じだったかな、と肌と肌の感触を楽しんでいたら、特に異常は見あたりません、とあっけなく終わってしまった。

今度は子宮検査のため場所を移動し、待つこと数十分。やっと名前を呼ばれ、入る部屋番号を告げられた。

十部屋ほどが横一列に並んでいる。
自分の番号のドアを開けると中は、試着室ほどの広さなのだが正面に壁はない。
ここで下半身だけ裸になる。

その先に椅子が見え、ちょうど太ももの付け根あたりの上部から座面に届くか届かない程度の丈の、淡いクリーム色のカーテンが下がっている。
椅子の横に置かれている踏み台を使い黒い椅子に座り、カーテンの向こう側に足を伸ばす。

すぐさま足は看護士により左右に開かれ、分娩台のそれぞれ所定の位置におかれる。
向こう側からは下半身だけが見える仕組みだ。

壁のない正面の向こう側は横にも仕切りがなく、すべての部屋を行き来できるようだ。
さながら海鮮問屋の陳列棚というところか。
そう想像したら可笑しくなった。

ガチャガチャと音がする。
何か起こりそうな気配に、半身がキュッと緊張した。
それが何なのか皆目わからない。
少し冷たいですよ、と男性のやわらかい声がする。
カーテンと床の隙間から黒いズボンが見えた。
どうもこの人が産婦人科の先生のようだ。

あっ、みずっ……消毒液がかけられた……。
互いの顔を見ることも無く、ことは進んでいく。
顔を会わせるのがいいのか、悪いのかはわからない。
この一瞬で恋に落ちることもないだろうから、検査は淡々とする方が互いに余計な感情を表さずにすむのかもしれない。

少し違和感がありますよ、先生は次の行動に移った。
あれっ、入り込んだものに懐かしさを覚えた。
こんな感じだったかな。
そういえば、今年は一度もなかった……。

中で数回動いた内視鏡検査も、ものの数分で終わった。
こちらも異常はなかった。
病院の設備にもよるのだろうが、この一連の流れ作業的な検査の仕方は女性にとって屈辱的だ、と聞いてはいた。
でも、私はそれほど嫌ではなかった。

女性には女性特有の凹、男性には男性特有の凸の形態があるのは仕方の無いことだ。
痴漢をされたわけでもあるまいし、たかが検査だもの。

ま、とりあえず、長いブランクの末、詰まっていたであろう汚れが洗い流されたことには違いない。
身体も大掃除の師走であった。

6 件のコメント:

  1. 久しぶり。
    相変わらずというか、イソージン真澄ここにありというか、
    リアルすぎて、そこまで書くかな、と、にやっとしてしまう。どこか可笑しくて、どこか悲哀があって、捨てがたい流れがある。
    これからも楽しみだ。

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  2. イソジーン真澄12/24/2011

    mirubaさん、コメントありがとう。
    これからも精進して、色々と書いていきたいと思います。
    どうぞごひいきに^^。

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  3. 御美子12/25/2011

    同じ種類の検査を受けたはずなのに、真澄さんが描写すると、全然違うもののようで、改めて自分が受けた検査の模様を思い返しました。結論ですが、やっぱり違った印象であったことを確認いたしました。真澄さんの感性はやはりユニークで、大好きです。^^

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  4. イソジーン真澄12/25/2011

    御美子さま、お久しゅうございます。
    好きと言っていただいて感激です。励みになります^^。
    ありがとうございました!

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  5. 真澄さーん。身体の蜘蛛の巣とってもらって良かったね、あれ?すす払いだったかしら。似たようなものね(笑)
    そうかあ、大掃除だ、大掃除。大掃除って、普段使わないところをお掃除するのよね。
    私も検査してもらはおうかしら、乳がん検診(必要あらへんで)とか、子宮がん検診(絶対いらへんで)
    でも、真澄さんのあっけらかんとした記述が、妙な妄想をかきたて、エロスの中に笑いがあり、笑いの中に涙ありといった、心に残るエッセイだったわね。
    これからも、書いてちょうだいね。五十路ーん真澄のひとり言。あっ変換間違うてもうた(笑)

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  6. イソジーン真澄12/28/2011

    raitoさん。
    これからも書かせていただきますね。
    お見(目)苦しい記述もあるかと思いますが、みなさま心やさしいから許してくれますよね?
    そうそう、最近は男性の乳がんもあるそうなので、必要あらへんで、と言っていられませんよ~^^。

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