2012年11月10日土曜日

怪異万華鏡6 by 暁焰

黒い鏡

Aさんが近所のKデパートで経験した話である。
Aさんは、現在は、サラリーマンのご主人と今年6歳になる娘さんの3人暮らしである。元々はマンションで暮らしていたのだが、娘さんが保育園を卒業したことを切欠に、昨年一戸建ての新居を構えた。
Kデパートは、Aさん宅から車で5分ほどの場所にある商業施設で、名前こそデパートとなっているが、実際にはデパート以外にも多くのテナントが入った大型ショッピングモールだ。出来たのは、Aさん一家が越してくる一年ほど前のことだと言う。
住まいからも近く、どんな商品でも揃っているため、Aさんも良く利用していたのだが、一箇所、余り近寄らないようにしている場所があった。
それは、デパートの一階付近の西側にあるエントランス付近の場所だった。フロアに並んだテナントと、エントランスの自動ドアに間にできた、少し開けた空間。その場所のちょうど中央に、床から天井までをつなぐ大人が二人並んだほどの幅の柱があり、柱の大人の腰の辺りから上の部分が鏡張りになっている。Aさんには、その柱の周辺が他の場所よりも薄暗く見えた。エントランスの自動ドアも、その回りの壁に当たる部分もガラス張りになっており、外からの光を取り込めるようになっている。できたばかりの建物であるから、照明も明るく、内装も綺麗だ。にも関わらず、Aさんはその場所を見るたび、薄く影が挿しているように感じたという。
気のせい、と言われてしまえば、そうかもしれない、と思えてしまうほどのかすかな違和感であったが、それでも一度気になってしまうと、良い気分はしない。Aさんがその場所に感じる違和感は、夕方に特に強くなるように思えたため、夕飯の買い物等でKデパートを訪れた時にも、一人でいる時には、出入りには他のエントランスを使い、西側のその場所には、なるべく近づかないようにしていた。
Aさんは、本心では、できれば、昼間に買い物を済ませて、夕方以降はKデパートを訪れないようにしたかったらしい。とはいえ、昼間は昼間でしなければならない家事もある。加えて、娘さんを保育園に迎えに行ってから、Kデパートへ行くと、ちょうど夕刻のタイムセールが始まる時間になる。何度も出かける手間も省ける上、多少なりとも家計の節約になる、と自分に言い聞かせて、毎日娘さんと二人で夕方Kデパートで買い物をするのがAさんの習慣になっていた。
そんなある日、Aさんは、自分が感じていた違和感が、自分の気のせいではないことを知った。その日は、車を西側の駐車場に停めたために、普段は避けている西側のエントランスから入ることにしたのである。
エントランスを抜けると、急ぎ足でその場所を離れ、食料品売り場で夕飯の買い物を始めた時に、手をつないでいた娘さんが言った。
「ねえ、ママ。見た?さっきおっきな鏡、真っ黒だったね」
「真っ黒って…?黒い服を着た人が。映ってたの?」
「ううん、そうじゃなくて…鏡、全部真っ黒だった。お外、明るかったのに、変だよね?」
娘さんの言う『おっきな鏡』が、例のエントランスにある柱に取り付けられた鏡面であることに気づいた時、Aさんの背筋に寒気が走った。季節は初夏に差し掛かったこ頃合で、腕時計は4時を少し過ぎた時刻を指していた。時刻を確認するまでもなく、駐車場で車を降りた時も、デパートに入った時にも、まだ辺りには明るい陽光が満ちていた。娘さんの言うとおり、夜でもない限り、鏡が『真っ黒』になるようなことはない。恐る恐る、先ほど、通り抜けてきたエントランスの方を振り向くと、やはり、鏡張りの柱を中心に、その辺り一帯が、薄暗く翳っているように見えた。
それからというもの、AさんはKデパートを使うことを控えるようになったのだが、それに気づいたご主人に、どうしてKデパートを避けているのか、と問いただされた。
「『食材が高い』とか、適当な嘘を言っておけば良かったんでしょうけど…」
そうすれば、あんな目にあわなくて良かったのに、と、Aさんは血の気の引いた顔で続けた。
自分が感じていた違和感や、娘さんが何かを見た、とご主人に話したところ、一笑に付された。それどころか、ご主人は、そういった類の話を一切信じない人であるため、そんな理由で…と、呆れられてしまった。
呆れはしたものの、元々、優しく穏やかなご主人は、頭ごなしにAさんをとがめはせず、諭すようにして、ならば、次の休みの日に、自分もついていくから、もう一度行ってみよう、と提案した。
「それで何もなければ、気のせいだって納得できるんじゃないか?」
そう言ったご主人の声の穏やかさに励まされ、Aさんも、ひょっとしたら、自分や娘さんの経験したものが気のせいだったのかしれない、と思った。ご主人が一緒についてきてくれる、という安心感も手伝い、結局、もう一度、確かめてみようという気になった。
次の日曜日、Aさんはご主人と、娘さんの3人でKデパートに出かけた。
時刻も、最後に訪れた日と同じ頃合の4時頃を敢えて選ぶことにした。気のせいかどうかを確かめるためならば、同じ時間帯がいい、と思ったためである。
西側のエントランスから、一階のフロアへ入ると、やはり鏡面張りの柱を中心に辺りが少し薄暗くなっているように感じた。そのことをご主人に告げると、ご主人は、天井の照明を一つ一つ確認するように眺めながら、おそらく照明の加減でそんな風に感じるのだろう、とAさんを説得した。
「特に君は乱視があるだろう?そのせいで、過敏に光の加減に反応してしまうんじゃないかな?」
理屈は通っていたが、それでは、娘さんが見たもの何だったのだろう。
「それはわからないけど…。でも、何かの見間違いだったんじゃないか?今は何も見えないみたいだし…」
ご主人の言葉通り、娘さんも、何も感じていないようで、家族揃っての買い物だと、無邪気に喜んでいた。
結局、Aさんも、薄暗く見えるのはご主人の言うとおり、照明と自分の乱視のせいで、娘さんの見た『真っ黒な鏡』は見間違い、ということで納得することにした。
横にご主人がいることが、恐怖を薄れさせてくれていたし、はしゃいでいる娘さんの姿にも張り詰めていたものが緩んだ。これなら、このデパートを避けて、わざわざ遠くのスーパーにまで行かなくても…と、安心した。
買い物を済ませ、2階のフロアにあるレストランで少し早めの夕食を取ってから帰る際に、帰りも西側のエントランスを使おう、とご主人が言った。
エスカレーターを降りて、鏡面張りの柱を通り過ぎた時に、ご主人がAさんに、冗談めかした口調で、まだ、怖いかい?と尋ねた。時刻は7時半を少し回った頃で、エントランスのガラスの向うには、初夏の宵闇が黒く映り、そこに親子三人の姿がぼんやりと映っていた。エントランスのドアに映る宵闇と、柱の鏡面がちょうど合わせ鏡のように見えた。外が暗くなってみると、Aさんが感じてたフロアの薄暗さは却って目立たなくなったようで、Aさんもご主人に、もう平気、と答えた。
その次の瞬間である。
一歩先を跳ねるような足取りで歩いていた娘さんが、突然、転んでしまった。どこかぶつけたのか、その場に座り込んで泣き出し始めた娘さんに、Aさんとご主人は慌てて、駆け寄った。
「Hちゃん!大丈夫?」
娘さんの名前を呼びながら、助け起こそうと娘さんに手を伸ばしたAさんの動きが、固まった。
娘さんが転んだ場所は、鏡面張りの柱の、エントランスのドアのちょうど中間あたりだった。外が暗いのであるから、ドアのガラスにも、背後の柱の鏡面にも床に座り込んだまま泣いている娘さんの姿が映っていた。その映り込んだ娘さんの姿に、鏡とドアの両方から、無数の白い手が伸びていた。一瞬のことだったが、Aさんには娘さんに伸びる手が、合わせ鏡のようになったドアのガラスと柱の鏡の一つ一つから伸びているのがわかった。
悲鳴を上げながら、Aさんは、娘さんを抱き上げ、その場を逃げ出した。エスカレーターの辺りで、慌てて後を追いかけてきたご主人がAさんに追いつき、恐怖で震えているAさんをなだめてくれた。
ご主人も、そして、幸いなことに、娘さんも、Aさんが見た無数の手は見ていなかった。それでも、震えが止まらないAさんの様子に、御主人もただならぬものを感じたらしく、泣き続けている娘さんを片手で抱き、もう片手でAさんの震える肩を抱くようにして、Kその場を後にした。
家に帰ってからも、先ほどの光景が目に焼きついていて、Aさんはベランダのガラスや、洗面所の鏡も見る気に慣れず、いつまでも震えが止まらなかった。心配したご主人が、娘さんを寝かしつけてから、ソファに並んでAさんの肩をずっと抱きしめていてくれていた。
ご主人の腕の中にいるうちに、ようやっと気持ちが落ち着き、気がつけばAさんは眠りに落ちていた。
気がつくと、ベッドで、耳元で携帯のアラームが鳴っていた。眠っていた自分をご主人がここまで運んでくれたのだろう、と思い、いつもなら隣で眠っているはずのご主人の姿を探したが、不思議なことに寝室にご主人の姿が見当たらない。
「あなた?」
ベッドから起き出して、声をかけてみると、隣の子供部屋からご主人の返事が聞こえた。先に起きて、娘さんを起こしに行ってくれたのだろうか、と思いながら、子ども部屋のドアを開けると、娘さんが眠っているベッドの前で仁王立ちになっているご主人の姿が目に入った。
目の下には、くっきりと隈が浮かび、一目で、一晩中眠らずにいたことが、わかった。
何があったのか、と問いかけるAさんに、ご主人は血走った目を向けると、疲労の滲む声で謝った。
「君の言うとおりだった。本当にすまない。信じなくて」
重ねて、問うと、ご主人は恐怖の色を目に浮かべながら、話した。
昨夜、眠ってしまったAさんをベッドへ運んでから、ご主人は、シャワーを浴びた。濡れた身体を拭き、パジャマに着替えて、脱衣場も兼ねている洗面所から出ようとすると、いきなり、背後から右肩を掴まれた。驚いて、右肩を見ると、がっしりとした大きな手が肩を掴み、パジャマの上から太い指が食い込んでいた。視界の隅に、たくましく太い腕が、背後の洗面所の鏡から伸びているのが映っていた。余りのことに、声も出せずにたじろいだ瞬間、耳元で男の声がした。
「気をつけろ。次は連れて行かれるぞ」
そう聞こえた後、肩を掴まれている感触が消え、腕も消えていた。
「もう、心配で、眠るどころじゃなくて……」
まだ眠っている娘さんの顔を見ながら、安心したように話すご主人が、パジャマをずらすと、右肩に、何かに掴まれたように、5本の指の形に痣が残っていた。
以来、Aさんもご主人もKデパートを利用することはなくなった。ご主人の肩にはいまだに痣が残ったままだという。

2012年11月3日土曜日

怪異万華鏡5 by 暁焰

くび球

Tさんが小学校高学年の時に見たものの話である。

それは、小学校の体育の時間の事だった。
その日の授業は、秋の運動会が近いこともあって、クラス全員の50m走のタイムを計っていた。
一人ずつ、出席番号の順に、タイムを計るのだが、自分の番が来るまで他の生徒たちは、スタート地点の脇に整列して、座って待っていることになっていた。
Tさんの順番はかなり後の方で、自分の番が来るまで、周りにいる友達と、たわいもない話をしていた。
と、グラウンドの隅にある砂場を見ると、妙なものが目にはいった。
黒いボールのようなものが、砂場の近くに落ちている。
ボールは風にあわせて転がっているようで、あちら、こちら、ところころと転がっていた。
Tさんの座っている所から、砂場までは10メートルほどだろうか。最初は汚れたサッカーボールかと思ったのだが、よく見ると、細い枯れ草のようなものがいくつも纏わりついているように見えた。
(あれ?なんやろ?ボールちゃうんかな?)
不思議に思ったTさんが、すぐ隣の友達に教えようとした時、一際、強い風が吹いて、ボールが、砂場へと転がりこんだ。
次の瞬間。
「うぇーっ!ぺっぺっ!」
ボールが、大きな声を出しながら、半回転した。
Tさんだけでなく、クラスの何人かがそちらを見るほどの、大きな声だった。
半回転したボールの裏側には、人の目鼻と口がついていて、細い枯れ草が纏わりついているように見えたのは、頭から生えた長く、もつれた髪だった。
砂場を転がった時に、砂が口に入ったのだろうか、首は顔をゆがませて、砂場の真ん中でぺっぺっ、とつばを吐くような声を上げていた。
「なんや、あれ!」
Tさんの隣に座っていた男の子があげた声に、先生も含めたクラス全員がそちらを見たその時、首が再び半回転して、後ろを向いた。そして、そのまま黒いボールのような——おそらく後頭部?——見た目で、ころころと転がり、近くの草むらへと消えていった。
Tさんを含め、目撃した生徒たちの話を聞いた先生が、草むらの中を見に行ってくれた。「お前らが見たんはこれやろ?」
先生が草むらから手にして戻ってきたのは、古いボールだった。元は、サッカーボールか、バスケットボールか、表面の皮かゴムがほつれて、繊維の塊が飛び出していた。
そんなことはない、あれは人の首だった、声も聞こえた、とTさん達がいくら訴えても、先生はおろか、クラスメイトにも信じてもらえず、結局、古いボールを見間違えた、ということで落ち着いた。
「そやけど、見間違いでも、ボールはしゃべりませんよねえ。それともボールが化けたんですかねえ?」
と、Tさんは笑う。
「髪は長かったけど、おっさんみたいな声で、ぺっぺって、砂吐いてました」
しばらくの間、同じものを見たクラスメイト達のあいだでは、ボールのお化けや、いや、おっさんのお化けや、お化けやけど、砂が口に入るのは嫌みたいや、と妙な話題が持ちきりだったという。