2011年8月5日金曜日

メルトモ紀行 by Miruba



 「お先に失礼します。」
事務員さんたちが、慌しく帰っていく。子供たちを迎えに行かなくてはいけないのだろう。子供が出来ないことを理由に離婚してきた私に気を使って、彼女たちは子供の話をあまりしなかったが、そのくらいわかる。

汗まみれになり、少しくたびれた顔の従業員たちが、そこかしこの現場から戻ってきて、後片付けや明日の準備をしたあと、短いミーティングをしてから事務所に顔を出す。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」交替に顔を出し口々に私へ声をかけて出て行く。
「今日も暑かったですね。ご苦労様でした。」それぞれにねぎらいの言葉をかける。

私は、今日最後の報告書を書き上げて、涼を求め開けてある窓の外を見た。
6時を過ぎたというのに、夏の太陽にはまだ力がある。
傾いた日差しを遮って半分だけ下りている薄いブルーのブラインドが、木の葉の陰をまといながら、意外に涼しい海風に押されて、時折ガチャガチャガチャと細切れの音を立てる。

_さて、私も帰ろうかな_
片づけを始めたとき、個人用パソコンにメール受信のマークがでた。
またか。アンケートの案内だ。時間のあるときは、ポイント交換で商品券も得られるし、興味深いものもあるので参加するが、忙しいときはすぐに削除してしまう。
削除しようとして、同時に入ったメールに気がついた。
え?!うそ!
意外な人からのメールに驚いた。
胸がぎゅっと締め付けられる。
勘違いだろうか?いたずら?


私がパソコンをいじるようになったのは、学生のときだった。
観光に興味があった私は、レヴェニューマネージメントを学ぶ授業の中で必要だった。就職した会社でもエクセル・ワードと当然ながら必要不可欠になる。その後、観光とは関係のない父の会社を譲り受けたが、今ではパソコンは生活の一部だ。

初めて自分のパソコンを手にした頃は、操作の勉強は半分独学だった。自然に学ぶには「遊ぶこと」から入るほうが手っ取り早い。私は趣味のダンスサイトに入った。

だが、当時は遊ぶサイトも少なく、バーチャルで遊ぶ人も少なかった。
趣味のジャズダンスではなく、間違って入った社交ダンスのサイトで、彼と知り合った。チャット欄に、タイピングする。相手の声も姿も見えないから、踊りのステップの話になると、専門的な言葉を文字にする必要がある。スピンの名前など似ているものもあったのだが、どうも話がかみ合わない。ジャズダンスと社交ダンスではかみ合うわけも無かった。それが私たちを近づけた。


2年間の掲示板での意見交換の後、個人的なメール交換が始まった。「メルトモ」という言葉が聞かれ始めたころだった。学生結婚で、早くから家庭と勉強や仕事との両立をしていた私に、息抜きを与えてくれたのがメルトモだったのかもしれない。

バーチャルなのだから、何を書いても相手のことは自分にはわからない。相手にも自分は未知の人。だから男が女に、女が男になって嘘を書くこともあるし、意見の相違から掲示板で決定的な諍いに発展しやすく、幻想のネット宇宙空間であるがゆえ、言の葉が自分の思いとは別に勝手に行き過ぎてしまう危険がある。

そう力説する夫に、それではあなたのリアルなガールフレンドは問題ないわけ?と突っかかる私。小さな口論が澱のように重なっていった。「メルトモ」「ガールフレンド」は単なるきっかけの口実に過ぎず、結局はそれまでのすれ違いが、二人別々の道を選ばせることになった。

現実の人生が波風のように変化し過ぎていても、メルトモの彼とのメール交換は続いていた。そんな中、何度か会おうという話にはなるのだが、いつも約束の日に都合が悪くなる。国内外に赴任しているという話しの内容も本当のように聞こえないときがあり、そんなことが、小さな不審となって何もかもが疑わしく思えたこともあった。

だが、それも時間が経つにつれて薄れてしまう。逢えないからなのか、心の吐露をしてしまうからなのか、私たちはいつしか愛し合うようになっていたのだ。

会った事もない人を、愛することが出来るのか?住所だって、本名だって知らないのだ。「好きになるなど有り得ないわ」自分の心を見つめたときに即座に思うのだが、
「愛している」というメールをもらうと、心が震えるのを、止めようが無かった。

メール交換が4年目に入ったとき、漸く逢えることになった。彼が外国にある支社転勤から一年ぶりに帰ってくるとメールで言ってきたからだ。

私は成田の国際空港で待っていた。_外国の転勤って本当だったのね。_
JAL5963便の到着を知らせる電光掲示板の到着表がカチャカチャと動く。
私はこの音が好きだ。
道不案内な外国にいては、この電光掲示板だけが頼りになる。
カチャカチャカチャと数字の板が落ちていく音は妙にアナログっぽく嬉しい。

目印のスカーフを手首に巻いた。
逢うまで、画像の交換はしないでいよう。という彼の提案で、顔も知らなかった。
なんと危険な逢瀬。

さわさわと高ぶる心を、どのように顔に出したらいいだろう。
到着口から、大きなトランクをキャリーに載せた人々が、空の旅を経この地に到着した安堵と、久しぶりに出会える知人や家族たちに笑顔を見せて、散り散りに去っていく。
次か次かと、待ち焦がれる気持ちを抑えた。

だが、それらしい人は、いつまで待っても現れなかった。

やはり、私はだまされたのだ。
空港の広いターミナルビルを、涙を堪えながら歩いた。
自宅に帰り、それでもいつもの習慣でメールボックスを開くと、彼からの新着メールがあった。「ああ、なんだ、きっと都合で予定の飛行機に乗れなかったのだろう」と思った。

「お知らせします。父は、貴女の所には行けません。父は、今朝、心臓発作で死にました。ずっと親しくしてくださってありがとうございました。最後に貴女に会いたいと言っていました。さようなら」

なんということ!私はあまりのことに涙を忘れた。
うそであってほしいと思う一方、彼のメルアドから送られてきたメールに間違はなかった。そして返事を出そうとしたときには、もう、メールは通じることは無かった。
Un Knownの文字。
お葬式に行きたくとも、どこの誰だかわからないのだ。

バーチャルの別れは、ある日突然やってくるものだと、無機質なパソコンの四角い画面をいつまでも見つめていた。



あれから5年がたっていた。
パソコンの機種はすっかり変わっていたが、四角い画面に現れた懐かしいハンネとアドレスは一気に悲しさを呼び戻した。恐る恐るクリックをする。

「君のアドレスは生きていてくれるだろうか?」
と言う書き出しから始まっていた。

彼は生きていた。
危惧していたとおり飛行機に乗る日の朝、交通事故にあって、日本への帰国が出来なかったのだ。娘さんと二人暮らしだった彼は、メールを見られてしまい、激しい抵抗にあったという。

「娘は私の宝です。彼女が許してくれないのなら君を諦めなくてはいけないと自分に強く言い聞かせたんだよ。だが、忘れることは出来なかった。
先日結婚した娘が、悪いことをしたと謝ってくれた。いまさらなんだが、また、メルトモになってくれないかな」

今度はメールの下のほうに住所と名前も書いてある。添付で写真もついていた。口ひげの似合う素敵な人だった。

自分勝手な人。
そうは思ったが、生きていてくれたことが嬉しくて、バーチャルがリアルになったことにただ感激し、会う約束をした。

成田の北ウイング到着ロビーに、私は懲りもせずたたずんでいた。
手首にスカーフを巻いて。

人がだんだんまばらになってくる。

_北ではなく、南ウイングかな_
また来ないのかと不安になったとき、私の背中を抱く人がいた。
かすかなコロンの香りと共に「たくさんまたせたね」と、
ささやく声が、優しく耳に響いた。

12 件のコメント:

  1. miruさん

    最後ね、初めての人だけど背中から抱くんだよね。普通は怖いだろうけど、この女性には、すぐに誰かがわかったんだろうね。

    恋する男女って、説明つかないもんね^^

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  2. miruba8/08/2011

    raitoさま、

    コメントをありがとうございます。


    なんですか、あの~^^珍しいですね。
    作品分析ではないような感じがいたしました。
    raitoさまも、大なり小なり説明のつかない恋のご経験が^^おありになるのでしょうね?

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  3. 御美子8/08/2011

    mirubaさんならではの大人の恋の物語に今回もうっとりと浸らせていただきました。
    細かいことを言わせていただければ、恥ずかしながら、ハンネがハンドルネームだと気がつくのに少し時間が必要でした。
    それから、電光掲示板の音、私も好きですが、あれって国内便でも同じのような気もしますが。(^^)

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  4. miruba8/08/2011

    御美子さま

    ご感想をありがとうございます。

    >ハンネがハンドルネームだと気がつくのに少し時間が必要でした。

    失礼しました。「ハンドルネーム」とするべきでしたね。普段使っていると、誰もに通じる言葉だと思ってしまう軽率さがでてしまいます。注意します。レベニューマネージメントも、「収益を最大化するために導入するビジネス戦略」の説明があったほうがよかったかな、と考えました。ありがとうございます。


    >電光掲示板の音、私も好きですが、あれって国内便でも同じのような気もしますが。(^^)

    国内便でも、列車の掲示板でも同じですよね。
    私の旅行はほとんど外国だったことからつい書いてしまいましたが、土地不案内な所、とするべきでしたね。
    ありがとうございました。

    日本では解らないとすぐ駅員さんに聞けばすむことですが、外国の多くの場所では、駅員さんに聞いても【担当では無いので知らない】という場合が多く、全て自分で下調べが必要でした。ですので、あの掲示板だけがたよりだったので、ついついね^^

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  5. やぐちけいこ8/10/2011

    何が一番大事で優先しなければならないかをお互い分かっていたのですね。
    5年っておとなになると短いのでしょうか長いのでしょうか。

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  6. miruba8/10/2011

    矢口恵子様

    ご感想をありがとうございます。
    優先順位、それが良いことか悪いことかは、後にならないとわからない。でも、自分の納得する順位であって欲しい。

    5年って、私の中では長くないですね。
    1,2年なんて、付き合いのうちに入りません^^
    ただの知り合いです。
    皆さんもそうじゃないかな~

    特に恋人にするのに、はっきりと意識するまで3年はかかっちゃいます^^みなさん一目ぼれの即効でうらやましいです。

    恋は長くかければよいというものではない、ということも解ってはいるけれど、じっくりと愛を育てたいと思ってしまうのですね。そのうち間に合わなくて死んじゃうだろうけれどね、あは。

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  7. 匿名8/23/2011

    偶然とは 言え 恋の出会いはそのシグナルを感じた二人に
    巡って来るのでしょう。これはまさしく神様のプレゼントです

     驚きの出会い、ドキドキの恋の流れ 素の男と女に戻った時
    この切なさに出会えるような気がします。

     それにしてもうらやまし。

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  8. 匿名様

    気がつかず失礼しました。
    コメントを、ありがとうございました。


    >「恋の出会いは」・・・・・神様のプレゼント。

    そうですね。
    色々な現実の自分をとらえながらも、素の「男」と素の「女」になる一瞬。
    いつも訪れることではないですから、大切にしたい自分の感情ですね。

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  9. 匿名1/08/2012

    以前に拝見していますが、いいですね。

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  10. miruba1/19/2012

    匿名さま、

    おお湖面と入れてくださったのが、一月7日ですね。遅くなって本当に失礼いたしました。
    コメントが何時入ったのか、判らないので、見落としてしまいます。

    申し訳ないことでした。

    以前に読んでくださっている、ということはジョハリの窓ですね~
    どなたかしらん^^
    見つけてくださってありがとう。
    新しいのも書いています、良かったら読んでくださいね。

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  11. 匿名5/08/2012

    はじめまして
    パソコンに恋心や怒りまでもコントロールされるところまで来たかと思うと考えさせられている
    本人らはほんとの恋をしてきていると言えるのか疑問に思うところもある
    バーチャルと現実の混在化されつつある日常化現象を憂う
    未来への警鐘ととらえたいですね

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  12. miruba5/08/2012

    匿名さま、かじめまして^^
    ご感想をありがとうございました。


    >パソコンに恋心や怒りまでもコントロールされるところまで来たかと思うと考えさせられている

    ●コントロールするのはあくまで本人だという感じがしますけれど、流されやすい人間。確かに、影響されやすいことはあるでしょうね。

    >本人らはほんとの恋をしてきていると言えるのか疑問に思うところもある
    ●恋には正解はありませんね。その形も全く千差万別ですね。だから最近はこのような「恋」は成立していると考えるようになりましたが、また考えも色々です。あなた様の疑問は大いに理解できます^^

    >バーチャルと現実の混在化されつつある日常化現象を憂う
    未来への警鐘ととらえたいですね

    ●そういう側面は本当にありますね。
    バーチャルがバーチャルのまま、リアルがリアルのままのときのほうが夢が大きく膨らみました。そんな気がいたします。ま、それを理解したうえでの利用を何処までするか、それぞれの自己責任でしかなくなっていくのでしょうか、ある意味恐い事かもしれませんね。

    ですが、同時に、狭い世界に住んでいるひとには大きな広がりをも与えてくれる、チャンスも与えてくれます。夢を広げてくれる、という風にポジティフにも考えて行きたい気がするのです。
    貴重なご意見ありがとうございました。

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