2011年8月12日金曜日

日本人の知らない韓国の常識・その1 <イ・スンシン> by 御美子

「豊臣秀吉って知ってる?」
韓国に暮らし始めて間もなく、初対面の小中学生によく尋ねられた。
「戦国時代の出世頭ってイメージだけど、それがどうかした?」
なんて答えようなものなら、途端にガッカリした顔をされたものだ。

何回か聞かれるうちに、やっと気づいたのだが、彼らが期待していたのは、朝鮮半島を侵略しようと秀吉が軍隊を派遣したことを知っているかということと、そのリアクションを日本人から引き出そうということらしかった。

1592年からの文祿・慶長の役、いわゆる朝鮮出兵の頃は倭寇対策で名声を得た李成桂(イソング)が1392年に建国した李氏朝鮮時代前期だった。それまでは安定期と言われ、ハングル公布や計雨器・日時計・火薬・火砲の開発製造等、目覚ましい発展を遂げていたが、身分差別等が深刻になってきて、社会が不安定になりつつあった。

さて、秀吉とセットで覚えておいてもらいたいのが、その頃朝鮮水軍将軍になった韓国の国民的英雄、李舜臣(イスンシン)だ。

32歳で科挙に合格し、下士官として各地を転戦した李舜臣は、幼馴染みで副首相だった柳成龍(ユソンヨン)の口添えで、1591年、文禄の役の1年前に朝鮮半島南西部の水軍を率いることになった。

当時の朝鮮朝廷は、日本からの侵略があるかないかで二派に分かれていたが、李舜臣は日本が戦争を仕掛けてくることを想定し、結果1年の準備期間を設けることが出来た。まず母親を安全な場所に移し、日本船を研究して弱点を見つけ、それに対抗出来る亀甲船を作らせていた。

予想通り日本軍が来ると、地元の利点を活かして、潮流の激しい海峡に日本船を誘い込み、時には仕掛けを駆使して日本軍を上陸させない作戦が、ことごとく成功した。

慶長の役の直前には、朝鮮朝廷が事前に入手した情報により、李舜臣に出陣命令を出したところ、日本軍の罠だと従わなかった罪で拷問された上、死罪を宣告されたこともあったが、一兵卒として軍に留まることで赦された。

1597年、慶長の役が始まってみると、後任で宿敵であった元均(ウォンギュン)を始め数名の将軍が戦死し、朝鮮水軍は殆んど壊滅してしまったので、李舜臣が更に広範囲の将軍として返り咲いた。その時残された戦船は12隻しかなかったそうだが、逆に「12隻もあります」と前向きな発言をしたそうだ。

1598年、秀吉の死後、退却命令の出た小西行長軍の退路を塞いだ為、援軍である島津義弘軍と戦うことになり、李舜臣は混戦の最中流れ弾に当たって亡くなったという 説が有力だが、彼の最期について確かなことは分かっていない。

韓国大統領官邸が見える光化門広場には威風堂々とした李舜臣の銅像が建てられている。その他所縁の地にも数多くの銅像が立っているという。

4 件のコメント:

  1. raito8/12/2011

    御美子さん

    歴史というものは、どこの国にとっても平等な歴史というものは無くて、その歴史物語を作った国に都合がよくできているものです。
    秀吉も日本で得ている評価と韓国から見た秀吉の評価が違うのは当たり前で、どちらか一方の評価が正しいと言えるものではありません。

    日本史もそうですが、世界史においても公の史的な事実だという説はどうも怪しいものであるようです。
    現在、日本の教科書が教えている世界史は、非常に欧米に都合よく作られている物語だと思います。

    これは、話せば長い物語となってしまいますので、またの機会がございましたら、お話させていただこうかと思います。

    こんなお隣りの国でさえ、一人の人物のとらえ方が違うのですね。これは、日本という国を出たことがある人じゃないと体験できないことだと思います。

    そういう意味で、御美子さんの体験は、私にとって非常に興味深いものなのです。

    これからも、海外から見た日本という視点で、書き続けてくださいね。よろしく、お願い致します。

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  2. 御美子8/14/2011

    raitoさん、

    仰る通り、日本を出ている時ほど自国関連の歴史が気になります。敏感になっているうちに、出来るだけたくさん書いてみたいと思います。

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  3. miruba8/15/2011

    韓国と日本 北朝鮮と日本 中国と日本

    お互いの歴史記述に大きな違いがあることはよく言われることで、自国の有利に話を作るのは、歴代王や将軍天皇などの絶対有利理論とおなじで、書き換えも歴然としています。

    どれが本当でどれが偽者か、立場によって正義はことなり得るのでしょう。

    ですが、相手のことがわからなければ、【正義】が何かを検証すらできません。

    大変興味深いお話をありがとうございました。

    個人的には秀吉の朝鮮侵略構想は、愚行だったと思っています。

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  4. 御美子8/16/2011

    mirubaさん、

    歴史家の皆さんがサバイバルの為に、時の為政者が喜ぶよう事実に脚色したことは想像に難くありませんね。

    朝鮮出兵は秀吉が本気で明を支配しようとしたのではなく、息子に政権を譲る為に、特に九州の大名達の力を弱めるのが目的だったのではないかと推測します。

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