2012年1月28日土曜日

日本人が知らない韓国の常識•6~食事~ by 御美子


ご主人のお母さんと同居しているギョンナムさんは、普段は水キムチをあまり食べない。
ある時、無意識にご主人の器に入っていた水キムチを食べたところ、それを見たお義母さんは気分を害し「私だけ除け者にしている」と怒り出した。お義母さんの水キムチは専用の器に入っていたのだ。
 
韓国食では家庭であろうと食堂であろうと、メインディッシュや副菜は基本的には大皿に盛られ、各自取り皿に食べる分だけ取って食べる。汁物はぐつぐつ煮えた状態で、1つだけ食卓に上ることが多く、各自のスプーンで直接食べる。しかし例外は水キムチで、常温で食べるせいか、少なくとも家族単位では皿を分けないと気持ちが悪いと、50台主婦の集まりで異口同音に話していたのが記憶に新しい。
 
ギョンナムさんの話はこれだけでは終わらなかった。彼女はこの時とばかりに、今まで我慢していた義母の食事の仕方に怒りを爆発させたのだ。ご主人と二人だけになった時に「お義母様が何でもスプーンで食べるから、気持ち悪くて食べられないのよ。あなたから何とか言って!」と訴えた。
息子であるご主人からこの話を聞いたお義母さんは更に怒って、暫く家族と口をきこうとしなかったという。
果たしてギョンナムさんの取った行動はと言うと・・・。「以後水キムチは一切作らない」だった。家事の主導権はギョンナムさんにあったのだ。
 
これだけ聞くと、お義母さんが可哀相なような気もした。ご主人は兄弟が多いと聞いていたし、年齢から推測して、子供の頃は食事即ちサバイバルだったことだろう。誰が箸やスプーンを付けた、なんて話題にもならなかったかも知れない。
 
しかし、ここ20年強で韓国は急速に変化した。特にギョンナムさん一家は高度成長時代の波に乗り、贅沢な暮らしに移行している。一人では怖いと感じるほど広いアパートに年老いた親を呼び寄せたものの、年配の人々とって生活の仕方、特に食習慣を変えるのは難しいことだろう。
 
一般的に韓国式食事をする時には、箸とスプーンのどちらも使う。おかず類は箸で、ご飯や汁物はスプーンで食べる。
食べる時に器を持ち上げてはいけない。持ち上げて食べると乞食のように見えるらしい。

2012年1月20日金曜日

ゆきずり by Miruba


朝、雨が降ったら通らないのだが、その日は健康診断の日で、坂を下りたところに行きつけの病院があるため、コケに覆われた石段を、恐る恐る滑らないように注意しながら降りていた。
途中で、踊り場となった平らな部分があり猫が7,8匹集まっていた。

雨にぬれた石のベンチに腰掛けて、小柄なおばあさんが餌をやっている。小さな傘は、腰の曲がったおばあさんの体をカバーしきれず、餌を猫達に満遍なく広げるたびに、腰の辺りに雨のしずくが降り掛かかる。

「おはようございます、雨が酷いですね。ご苦労様です」
挨拶はするが、_またか、まいっちゃうな_と思っていた。

おばあさんの座っているすぐ隣に大きな立て札があり≪野良猫に餌を与えないでください≫と書いてある。
おばあさんは、悪いことでも見つかったように、ますます小さくなり挨拶もそこそこに立ち去ろうとしたが、あわてたのだろう、石段で滑って膝をついてしまった。

「ごめんなさい、突然お声かけして、脅かしてしまいましたね」
私は遠慮するおばあさんの体や、濡れて汚れた膝を、自身が滑ったときの用心のため持っていたタオルで拭いた。
「すんません。もう大丈夫ですけん」
おばあさんは、また腰に手を置いて、今度は用心しながら石段を登っていった。

猫達は、私に警戒しながらも、餌の魅力に勝てず必死に食べている。
どの猫も丸々太っていて、雨にぬれているので艶もよく。元気のようだ。

一度おばあさんとご近所の方が言い争いをしているのに出くわしたことがある。
「おばあさん、こんなところで飼ってもらっちゃ困りますよ。この猫全部に去勢の手術してくださいね。注射も打ってもらわないと」
「私の猫じゃなかですもん」
「餌をやっているってことは、おばあさんの猫じゃないですか。」
「違うとですよ。かわいそうですけん、餌をやっとるだけですたい」
「かわいそうって同情だけで気まぐれに餌をやられても困るんですよ。おばあさんの猫じゃないというのなら保健所に電話します」

だが、結局その文句を言っていた人も、役所に相談してみると直ぐに保健所で殺処分にしますと聞いて、訴えを取り下げたということだった。
「市には里親制度で野良猫や野良犬を預かるところがあると思っていた、保健所に野良の届けをすると即刻殺処分される、そんな寝覚めの悪いこと出来ない」と言ったそうである。

一年後田舎に戻った私はまた石段を使い始めたのだが、猫はいなくなっていた。
腰の曲がったあのおばあさんが亡くなって、餌をあげる人がいなくなったためだろうということだった。
だが、毎朝石で出来たベンチの上にちょこんと座っている2匹の猫がいた。
おばあさんが毎朝座っていた場所だ。

「あのさ、あんた達、おばあさんは亡くなったんだって。もう餌はないのよ」
じっと見つめる猫に言葉を投げかけ、猫の前を通り過ぎる。
にゃ~ん
私を呼び止めるかのように、鳴く猫。
毎日おばあさんを待っている猫。
前を通り過ぎる私。

そんなことが続き、ある日私に魔がさした。


「言っとくけど、あなたたちにあげるんじゃないのよ。」

私はさすがに立て札の横にではなく、少し階段を下りたところに、パンを落とした。
あくまで落としたのだ。
猫はしばらく逡巡するように眺めていたが、私が石段を降り終わって再び目をやると、カラスにパンを盗られていた。カラスは一部始終を見ていたのだろう。

次の日も、カラスが木の上で「カー」と鳴いて仲間に合図しているのがわかった。

「あのさ、カラスが狙っているから直ぐにとりなさいよね」
階段の途中でパンを落とす。
だが、野良はまたもやカラスの素早さに負けた。

次の日は、パンのおおきな塊を落とすことにした。カラスはくちばしでは咥えられないだろう。
野良も今度は直ぐにおばあさんのいた石のベンチから降りて私の後を追ってきた。そして私が落としたパンを咥えて階段の端のほうへ引きずっていって2匹で仲良く食べはじめた。
と、その時。
カラスが矢のように飛んできて、野良たちを襲ったのだ。
羽を大きく広げ風を送り、次に方向転換してその鋭い嘴で野良たちを突く。
野良は抵抗するでもなく逃げていった。

「なんなの。意気地なしなのねあなたたちって」

私は、カラスの底意地の悪さを何度も見ているので、猫たちがふがいなくて腹が立った。

しばらく雨が続き、石段を使わなかった。
その日は風にあおられた雲が、灰色のグラデーションを見せながら、南へと流れていた。雨が降りそうでまだなんとか持ちこたえている。
私は帽子を目深に被り、石段を降りていた。
この風なら、カラスはいないだろう。
私は小さくパンをちぎって手の中に握っていた。
だが、石のベンチに、野良猫たちはいなかった。
冷たい風で塒(ねぐら)から出られないでいるのだろうか。
石段を降り終え、少し坂を下りて港まで出る。そこを湾沿いに歩いていこうとして、
私は道路の真ん中でカラスが数羽群がっているのをみた。

餌でも見つけたのかしら?いやね。ゴミ箱でもあさったのだろうか?

すると、何処からともなく一匹の野良猫が来て、カラスの群れに飛び込んで行く。
「へー勇敢じゃないの、あの野良とはえらい違い」
そう思ったのだが、目を凝らすと、どうやら石のベンチにいた、あの猫のようなのだ。

大きなカラスにかないそうもないのに、「ぎゃーーっ」と叫びながらカラスを蹴散らそうとしているのだ。
カラスは馬鹿にしたように、猫を何度も突く、だが、猫は抵抗し続ける。
あまりの猫の険相に面倒くさくなったのか、カラス達は飛び去っていった。

逃げたカラスから猫を見やった私は、思わず「あっ」と言って目を塞いだ。
野良猫が車に轢かれたのだろう。その猫を雑食のカラスが餌にしてしまっていた。
カラスを追い払った猫が、にゃ~んと言いながら、死んだ猫の亡骸をなめているのだ。

「あんた、お友達はもう死んでいるわ。」
そういっても、私には目もくれず、必死に倒れている仲間の猫を起こそうと、にゃ~ん、と何度も鳴きながら頭を押しているのだ。

ー早く起きなよ、またカラスがくるよー
そう言いたげに。

私は、猫の悲痛な鳴き声を背中にききながら、ほんの行きずりだった弱虫野良猫の死に、そこを離れることが出来なかった。

2012年1月14日土曜日

日本人が知らない韓国の常識•5~座り方~ by 御美子


授業中に韓国人女子学生から尋ねられた。
「先生、来週から日本でホームステイするんですが、やってはいけないことってありますか?」
「そうねえ、女の子は人前で胡坐をかいたり、立て膝するとまずいかもね」
「えーっ!胡坐がだめなんですか?私は椅子の上でも、胡坐の方が楽なんですけど」
「うーん。バランス的に凄いとは思うけど、やっぱり日本では無理かな」
「じゃ、どうやって座ったらいいんですか?」
「横座りとか、正座かな」
「正座は絶対無理ですし、横座りも辛そうですね」

韓国では、女性が胡坐をかくのは普通で、立て膝で座るのは、チマチョゴリを着た時の正式の座り方でもある。
そう言えば、女子学生が学生服のまま胡坐をかいていたのを見かけたことがあった。勿論下着が見えたわけではないが、例えば少女時代が胡坐をかいて座るのをするのを想像するのは、やはり難しい。

さて、韓国で正座をするのは反省の態度を表す時だけで、土下座へと続くことが多いこともあり、恥ずべき行為とみなされる。個人的に韓国に着たばかりの頃、日本人として礼儀正しいところを見せなくてはと気負い、酒宴の席で正座を通したことがあったが、日本嫌いを自称する私塾経営の先生から、えらく気に入られてしまった。今考えると、日本の過去を謝罪した態度だと思われたようで、苦笑いするしかない。

しかしながら不思議なことに、韓国での正座の意味を知り、勘違いされたと分かった後でも、同世代のその先生とは、奥様や息子さんを含めて大切な友達であり続けている。


写真は韓国のテレビ局JTBCのドラマ「仁粋大妃(インスデピ)」から

2012年1月7日土曜日

東京NAMAHAGE物語•3 by 勇智イソジーン真澄

<赤い糸>
ああ、私の赤い糸はいつの頃から切れたままなのだろう。

折りたたまれた記憶のひだを伸ばしてみたら、一番苦かった思い出がよみがえってきた。 


かれこれ数十年前にさかのぼる。
まだ私も若く、可愛いとちやほやされていた黄金の時代。
二人は同じ職場、事務職の私とアイドル担当マネージャーの彼。


最初はそのアイドルのブレーンと呼ばれる人たちのグループで遊んでいた。
そのうち彼に誘われ二人きりで会うようになった。
彼は温泉が好きで、よく一緒に露天風呂のある旅館に行ったものだ


彼と付き合うまでは温泉旅行はお年寄りのもの、と高をくくっていた私だが、いやどうしてなかなか。
何度目かの秘湯温泉旅行。
チェックアウトを済ませ玄関に歩き始めた私の後ろに彼がいた。
前日の夕食をたらふく食べ朝食もしっかり納めた私のお腹は、消化を間に合わせるごとく忙しく動いていた。


あっ、と思ったが時すでに遅く、プーとおならが……。
ついでに匂いも……。
それはもろに彼を直撃。
「くさ~」と背後から私の頭をこづき私を追い抜いていった。
「ごめん」と小声で答えた私だが、これで嫌われたらどうしようとビクビクしながら彼の背中を追いかけていた。
後に彼は「あの時にこいつと結婚してもいいなと思った」と言った


気が許せると考えたのだろうか、素直に付き合えると感じたのだろうか。
私は、私にはこの人しかいないと思うほど彼に熱中していた。
私の身体を開花させたのが彼だったからかも知れない。


一つ年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ、と格言があるじゃないの、あなたには私が一番似合うのよ、と勝手に思っていた。
この時はまだ赤い糸は緩やかにつながっていた、はずだ。


付き合いも2年を過ぎ、互いの部屋を行き来することも日常的になってきた頃に異変が起きた。
彼は相変わらず同じタレントの担当をしていた。
アイドルがアイドルから脱皮したいと悩み始めた時期である。
ヒット曲にも恵まれなくなった彼女は、今後の活動で悩んでいた。
いつも身近にいる彼に相談を持ちかけた。
マネージャーだからそばにいるのは当たり前なのだが。


だが、この当たり前が曲者だった。
女が男に相談を持ちかけるときは、大体がその男に少しは気があるからだ。
ご多分に漏れずこの彼女もそうだった。
旅先のホテルで「相談があるから部屋に来て」と呼ばれ、これからどうしたらいいかと泣きつかれたという。
危険な行為になるといけないと彼はなだめすかし自室に戻った。


出張から帰った彼は「困ったものだ」と私に話した。
私は、何でも話してくれるから彼の気持ちは私の方にむいている、たいしたことではないと気楽に考えていた。
そして、彼が彼女と付き合うことになるとは、この時点では思いもしなかった。
でも、赤い糸は微妙に絡み始めていた。


電話の話中が長くなり、何度かけてもツーツーという音。
受話器が外れているのかと心配になり、私を避けているのかと不安になり、もしかしたら他に誰かいるのかと疑問を抱き、タクシーで彼の家に向かったこともある。
ドア越しに「電話中だから」と冷たくあしらわれ、それでも待っているとやっと中に入れてくれた。
彼の気持ちは私を通り越し、別のところにあるのを感じた。
1時間以上も彼の部屋の前をうろうろしていた私。
今にして思えばなんともけなげな行為。
そして愚かな行動。


誰かわからない相手への嫉妬は、彼の声を聞くと途切れ、彼の顔を見ると安心して消えてしまう。
だから、何度も会いに行く。
同じことの繰り返しになるとわかっていても。
自分が惨めになるだけだとわかっていても。
疑惑を感じ始めたときは壊れる寸前。
誰かが、もう一方の端を強く引いている。
赤い糸はピンと張り詰めていた。


彼に何度も問いかけていた。
誰かいるの? 彼女? と。
そのたびに「そのうちわかるよ。俺、有名になるから」とあやふやな返事。
彼女ではないかと疑問をもったまま、それでもまだ私たちは会っていた。


彼をしっかり繋ぎ止めたくて、私は嫉妬を隠し、物分りのいい従順な女になっていた。
彼が嫌いな女の部類になっていることすら気がつかないほど、自分を見失っていた。
そうこうしていた数ヵ月後「明日新聞にでるから」と言い残し彼は帰宅した。
何のこと? 明日になればわかるって何のこと?
肉体は横になっているのに、精神はハツカネズミのように、不安と疑問の車輪を頭の中でくるくる回してばかりいる。


翌朝、テレビをつけたらワイドショーが流れていた。
寝不足の目に映ったのは、まさか、彼? 隣にいるのはあの娘? 何、なに、なんなの? 
布団から飛び出し、目を凝らして見た。
四角い箱の中で、彼ら二人はにこやかに婚約発表会見に臨んでいた
昨日まで会っていた彼なのに、なぜ直接言ってくれなかったの。
まさかと否定し続けた疑惑は真実に変わっていた。
私はとんだ道化者……。
赤い糸は根元からブツッと引きちぎられた。
ギザギザの断面を残して。


しばらくは彼らの出ている新聞やテレビは見たくなかった。
見たくないのに、詳細に見てしまう私がいた。
あの時はなにを考えていたのだろうか。
ふられた自分がかわいそうで、私の方がよかったのに、とか、どうせすぐ離婚するに決まってるとか、そうなって欲しいと望んでいた。 


かつて「お前には、なにもないからな……」と言われたことがある
私は将来設計や夢を持ち合わせていなかった。
好きな人がそばにいて、毎日が楽しく過ぎればいいと思っていた。


だが彼は、向上心のある人を支えていくのがよかったのだ。
一緒に歩める人のほうが彼の能力が発揮される。
それは共に夢を叶える仕事であり、共に育む家庭である。 
これで良かったのだ。
私じゃなくてよかったのだ。


しっかりあきらめきるまでに、10年以上かかった。 
長い未練。 
今では彼らをテレビで見ると懐かしく思う。


彼以上の人が現れない、誰かがいつか幸せな生活に引き上げてくれる、と他力本願な乙女の心を引きずっていた数年間。
自分が変わらなければ人生も変わらないと考えた数年。
しかしまだ、赤い糸は結ばれていない。


ま、それも人生、いいではないですか。
でもあれですよ、この後、誰とも何も無かった訳ではないですよ。
念のため。