2015年5月10日日曜日

「譲り受けた想い」 by Miruba

街中を通り畑や林を抜け田舎屋を左右に見てカーブを行くと、突然のように海が見える。
朱塗の大きな橋を渡る。いつの間に通行料を取らなくなったのだろうか、昔あった料金所が無くなっていた。

5月の太陽に光り輝く海原を左右の視界に入れながら車を走らせる。
橋を渡り終えると道路脇が色とりどりのツツジの壁絵となって去っていく。
少し暑くなって窓を開けると爽やかな海風が飛び込んできて潮の香りとともに修の頬をかすめた。

海の景色を離れ内陸にハンドルを切ると直ぐに林の中へ。
木々が鬱蒼とし、その中に隠れるようにひっそりとした佇まいの家が見える。
修の実家だ。

だが、誰が迎えてくれるでもない。
鍵をあけ、締め切りにしていた雨戸をガタガタとさせながら開放し、無人の部屋独特のかび臭い空気を新鮮な外の大気と入れ替える。

「帰ってきちゃったな」

少し西に方向転換した太陽の陽差しを縁側で受けながら、庭にある八朔の木を眺めた。
採る人も無い沢山の実が橙色を増して美味しそうだ。
その下には昨年の実が落ちたのだろう、そこ等じゅうに八朔が芽吹いていた。
_あとで草刈をしないとだめだな_修はつぶやく。

親代わりに育ててくれた兄が独り身のまま亡くなって、田畑と家の相続をしてしまったのだ。
余程手放してしまおうかと思ったが、当時は仕事が忙しくそのままにしてあった。
兄が亡くなって、もう4年目に入ろうとしていた。

長年勤めていた会社が定年間際に倒産してしまい、
「こんなはずじゃなかった」とお嬢さん育ちのわがまま女房は、親の家に行ったきり帰ってこないし、子供は高校の時から自分で決めた外国暮らしで、すでに基盤は向こうだし、人生のはしごを外された気がして、修は都会から逃げるように実家に来てしまったのだった。

何か当てがあるわけではない。
失業保険をもらいながらどこかに職を見つけることにする。
年齢がネックになってスキルを行かせる仕事など見つからないだろうとは想像したくも無い。

部屋は突然亡くなった兄のものが、今にも畑から帰ってきそうなほどに、そのままになっている。

両親の思い出があまり無い修は、兄が親のようなものだったから、つい甘えていたのだ。
自分の孤独に押しつぶされそうな思いで居る修は、一人暮らしで兄は寂しくなかったのだろうかと思った。
兄の愛用していた安楽椅子に座って、_もっと頻繁に帰ってきてやればよかった_とつぶやく。


兄の部屋は物が溢れていて、本当に大切なものだけ残そうと片付け始めた。
意外に手間取り10日経っても終わらない。それでも就職の決まらない不安な気持ちをかき消すには、片付けは最高だった。
両親の書類や写真は捨てられない。兄の子供の頃の成績表もあった。修よりはるかに成績が良かったようだ。_まけた〜_などと独り言を言いながら、修は部屋が段々綺麗になっていくことが楽しくなっていた。

そんな時、日記を見つけてしまった。
修のことが書いてある。ついつい読みふけってしまう。


無口だった兄が日記の中では意外におしゃべりだと言うことをはじめて知った。
兄には好きな人が居たようだ。
_マリアベルナデット島田あき?_カトリック教の洗礼名か。
選りに選って相手はシスターだった。
だから兄はずっと独身だったのだ。
修は、それでもほっとしていた。あの不器用な兄が恋をしていたんだ。そう思うと心が穏やかな気分になる。

日曜日、近くの教会に行ってみた。
子供の頃兄に連れられて日曜学校に通ったが、都会に出てからは教会になどクリスマスにも行ったことがなかったのだ。
なんとなく、神に祈りたい心境だった修は(これが困ったときの神頼みか)と自嘲しながらミサに参列し、賛美歌を歌うシスター達のなかに、島田あきさんはいるだろうか?と思いながらも、流石にシスターに「島田さんという名前ですか?」とは尋ね辛く、そのまま散歩がてら町のほうへ歩いた。


途中畑やこれから稲を植えるのだろう、水を張った段々になった田んぼなどが見える。
だがそれと同じくらい荒れ果てた休耕田、荒廃地もみえる。農家を続ける後継者が居ないのだろう。
困ったことだな、と修は自分が都会に出ていたくせに思う。


菜の花が咲く一角があった。水の枯れた休耕田には雑草が背の高さほどもある。
足を止めて見ていたら、「あれ〜修君じゃないの?」と腰の曲がったおばあさんが声を掛けてきた。
いい年したオヤジを捕まえて「くん」も無いだろうが、昔からの知り合いで「駄菓子屋のおばちゃん」とみんなで呼んでいた人だった。
懐かしさに笑顔が浮かぶ。もうすっかりおばあさんになっている。修が子供の頃教会でもよく見かけたのだ。

「修君兄さんにそっくりになったね」と言う。
「そこの菜の花が咲いてるとこ、修君の兄さんが田植えしてあげてたのよ」

_え?田植えして、あげた?_

「そこの土地は教会のものですもん。昔はシスター達が自分達のお米は自分達で作っていたんだけれど、段々と農作業をするシスターが居なくなってねぇ。シスター達も贅沢になっちゃうのかしら。
修君の兄さんがシスター達の為に田植えをしてお米を作って上げてたのよ。
信者さんなんか沢山居るのにね誰も手伝う人が居なくてね、まぁ、ボランチアっていうの?あれだね」

「そうだったんですか、つかぬ事を伺いますが、シスターの中に島田さんっていましたか?」

「え?島田さん?はてね、洗礼名しか知らないからね」
「兄がお慕いしていたようなんですが」
「え?シスターを?それはないだろうよ。修君の勘違いだよ。兄さんは皆さんに優しかったからね。
でも、御心(みこころ)を同じくしていたと言えば、さてねぇ・・・・あの亡くなったシスターかね〜いや、年が合わないね〜
もしかしたら、あっちのシスターのことかもしれないね。
なんでも偉くなってね、外国の法皇様のところへいらしたようだよ。それっきり帰ってこなかったみたいだけれど」
頭を左右にかしげながらおばあさんは頭の中の過去帳から搾り出してくれた。


その女性だと修は思った。


日記にもシスターがローマに行ってしまう、とその寂しさと苦悩が書かれてあったのだ。

現役の頃出張で何度かヴァチカンを訪れ、キリスト像などをお土産に贈ったものだが、
あの時兄は何を思ったろうか、と修は兄の心を慮った。

夕暮れ色に染まる畑を眺めていたら、兄の悲しそうな顔が浮かんできた。
修は、急に喉の奥に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。どれほど切なかっただろうか。
兄の遺影と一緒に酒でも酌み交わそうと修は商店街へ足を向けた。



「修君、精がでるねぇ、もう田植え?」
「ああ、駄菓子屋のおばちゃん。去年もダメだったけれど、今年はなんとしても良い米にしたいからね」

修は、兄の代わりに農作業をしていた。
もちろん初めてのことばかりで失敗も多いのだが、長期プロジェクトと考えて何とか少しずつこなしている。


教会の土地も初めて見た日の翌日には機械を買って田んぼつくりをはじめた。
だが土地がやせてしまっていたので不作は続き。
土地の人のアドヴァイスを受けたりネットでの勉強を重ね、3年目の今年はなんとかいけそうだった。
市役所のアルバイトをしているのだが、早く仕事が終わるので、農作業も出来る。
女房は相変わらずだったが、外国に住む息子も、昨年はヴァカンスに家族を連れて一ヶ月ほど滞在してくれた。
一人暮らしもやっと慣れてきていた。



一旦作業を終えようと靴を履き替えていると、見慣れないシスターが佇んでいるのに気がついた。


「あの、失礼ですが、修さんですか?」
「はい」
「お兄さんに優秀な弟さんが居るのだと、よくお噂を伺っていたのです。お兄さんによく似ていらして少し驚きました」
「いや、お恥ずかしい。兄は身びいきでそう言っただけで、私は優秀なんかじゃないんですよ」

修は直感した。
このシスターがマリアベルナデット島田あきさんなんだ、と。
顔に年齢を重ねたシワは見えるが上品な美しさがその凛とした姿勢とともに近寄り難い印象を受けた。
だが、話していると、その穏やかな話しぶりに引き込まれてしまう。


シスターはヴァチカンで過ごした後、秋田と東京の教会に配属になり、またこの地方に戻ってくることになったという。
修の作業を手伝うと言い出した。ベールはしているが、服は作業がしやすいような短めの洋服になっている。
最近は修道服を着ない宗会派もあるのだという。
苗をすべて植え終わると、畝に囲まれた水の中に綺麗に並んだ苗が春の日差しを受けて輝いている。



「シスター、兄はシスターのことが好きでした。」

修はどうしても告げたかった言葉を投げかけた。


シスターは長い沈黙の後、青空を見上げ、両手を合わせてささやくように言った。

「お兄さんのお心に触れたとき、たった一度だけ、修道所を離れようと思ったことがございました。」



兄との交流はシスターがヴァチカンに配属されたことで終わったことだったのかもしれない。
それ以上シスターの口から話される事は無かった。
だが、修はその言葉を聞いただけで満足だった。兄もきっと喜んでいるだろう。


修は兄の変わりに、これからもずっと水田に苗を植えていこうと、思った。

シスターと同じように見上げた青空に、兄の笑顔がふっと浮かんだ気がした。