2011年12月30日金曜日

晩秋の恋 by Miruba


弘子は【小料理 ひろ】と藍で染め抜かれた暖簾を仕舞った。
後片付けを終えた従業員たちが「お疲れ様でした、楽しんできてくださいね」と口々にいって帰って行く。普段着の彼女らは、制服としている作務衣を脱ぎ、まとめた髪をおろすと、ぐっと若々しくなる。その若さがうらやましくなる一瞬だ。

明日から数日みんなに店を任せて親友真琴の結婚式に参列するのだ。
彼女もその相手も弘子と同じ高校時代の仲間だ。
東京住まいなのに、わざわざ京都の平安神宮で結婚式を挙げるので是非参列してほしいとのことだった。
弘子自身大阪には親戚や友人もいるので数年ごとに寄る土地ではあったが、隣の古都には高校の修学旅行の時に行ったきりだから旅行気分でもある。

真琴は結婚が3度目であり、少人数を呼ぶのにちょうど良いとのことだったし、確かに参列者は親戚友人含めても20人のこじんまりとしたものだったが、平安神宮本殿での儀式は厳かで、後の祝宴の料理も満足のいくものだった。親友の涙に微かな嫉妬と、幸せのおすそ分けをもらい、弘子もほろりとした。


2回のハネムーンをアメリカにしたのがよくなかったとの真琴の理論で、オーストラリアに新婚旅行に行くという二人を関西空港まで見送った。
親戚や友人達それぞれにねぎらいとお別れの言葉を交わしながら、ターミナルビルの中を三々五々離れていく。

「神戸や京都の街を歩いてみないか。紅葉の季節になどなかなか来られないだろう?」
「そうね」

弘子は結婚式で、昔の恋人新井と再会していた。
新井もまた弘子と真琴の同窓生であった。偶然の出会いなどではなく、どうせ真琴の策略だろうが、再会した二人に不思議とわだかまりはなく、昔話に花が咲いた。話しても話しても言葉が尽きない。弘子は久しぶりに心が浮きたつ自分に気がついた。
新井は営業という仕事柄人にもまれてきたのか、若いときとは違い人間に深みが出ていた。

また新井からみた弘子は、客商売によってか、上手に年齢を重ねているように見えた。話をしていても知識が豊富で飽きないのだ。



電車で30分もあれば神戸に着く。
震災後、復興の証として始まったイルミネーションのイベント「ルミナリエ」を見に行ったのだ。
日曜日だということもあったが大変な人だった。道路は車の通行が止められて何列にもつながる光の芸術を見るための人々であふれている。延々と歩かされている間も、新井と弘子は飽きることなく話をつないだ。何もかも真から解り合える気がする。

「俺達、昔、何で別れたんだっけ?こんなに楽しいのにな」
「さぁ、なぜだったのかしら?若かったから?」

子供だったあの頃は、お互いの良さが理解できなかったのかもしれない、と弘子は思った。ルミナリエの美しい輝きが、二人を祝福しているようだ。

いつしか、二人は手をつないで神戸の街を歩いていた。

ポートタワーで交わす、ワイングラスでの乾杯。
その夜、二人は長い年月を経て、再び結ばれたのだった。
子供は生んでいないが、年をとり醜くなった体を昔の恋人に見せるのは恥ずかしかった。
だが、お互いが同じように年齢を重ねていることへの安堵もまたあったのだ。

次の日は、京都へ向かった。
夜遅い新幹線で帰れば、明日からの仕事にも間に合うだろうと、新井と弘子は要領よく名所を回れる観光バスに乗った。
晩秋の快晴、ブルーの空に映える流線型の屋根が美しい二条城、日本の歴史の重みを感じさせる金閣寺や銀閣寺、神社仏閣またその庭園などの見事なことを改めて感じた。
前日真琴の結婚式で来た平安神宮を横に見て、八坂神社に向かう。意外に強い太陽の日差しに目を細めながら、紅葉の中の木漏れ日を味わい、階段の前に着いたときだ。

「ここで記念写真を撮ります。後で販売しますので、ご入用のかたはお知らせください」

有無を言わさない感じだが、「いらないから」と否定するのも大人気ないと思い弘子は言われたところに立った。40人ほどの団体なので立ち居地に存外に時間が掛かった。


弘子は出来た写真をみて、ほんの少し嫌な気がした。
カメラマンに言われた最前列に立った弘子は後ろに新井がいると思い込んでいたのだ。
写真の彼は、遠く離れた場所に、人の陰に隠れるように立っていた。

「そんなもの買うのか?」
「ええ、そんなもの誰も買わないわ。だから買うのよ」

観光バスに乗り合わせた人たちと撮った写真を買い求める人など今はほとんどいない。
現に弘子のほかに2人が買っただけだった。
知り合いではない偶然な団体の写真に納まるだけのことに、誰かの目を気にする新井は、弘子との関係を誰にも知られたくないと考えている証拠だ、と思ったのだ。


「誰にも見られるはずのない写真に過剰反応して、あなたは一緒にバスに乗っていた観光客に私達が普通の関係でないことを態度でしゃべったことになるわ。手を繋いで歩くほど親しそうな二人が離れて写真に収まれば、まわりは変だと思うに違いないわ。あなたは私に恥をかかせたのよ」

声を荒げるでもなく、目をそらして小さくつぶやく弘子に、新井は戸惑った。

新井にしてみれば、むしろ弘子に迷惑をかけたくないと思ったのだったが、言われてみれば行きずりの写真など、積極的に自分が持っていなければ、身近な人間の手に入るほうが難しいだろう。心のどこかに子供達に写真を見られたら困る、という気持ちが働かなかったと言えば嘘になる。そこを見透かされた気がして、反論できない自分がいた。


帰りの新幹線では、席こそ隣同士で座ったが、二人ともほとんど言葉を交わさなかった。













弘子の毎日がまた始まっていた。
【小料理 ひろ】は、弘子の亡くなった叔母が始めた店だ。叔母の名前も漢字こそ違うが「ひろこ」というなまえだった。
忙しいときに店を手伝っていた弘子は、店の板さんと結婚し叔母の店を継いだ。だが、夫は2年もすると従業員の一人とどこかに行ってしまった。離婚届はどこかの引き出しに入ったままだ。「あれ、きちんとしようかな」弘子は思った。

店先にあるイチョウの葉が冷たい風にハラハラと落ちてくる。
弘子は黄色のじゅうたんを掃き集めながら、ふっと、ため息をついた。


今日は日曜日だ。息子も娘も恋人とデートだといってそれぞれに出かけていった。
新井は一人になると、弘子のことが頭を離れない。
ピアノの上に飾ってある妻の写真がこちらを見て微笑んでいるように見えた。

電話をしてみよう。
新井は、庭にあるイチョウの木から、寒い風に揺れた黄色の葉っぱがパラパラと落ちているのを窓越しに眺めながら、携帯をとった。
写真:テクノフォト高尾 高尾清延




2011年12月24日土曜日

『東京 NAMAHAGE 物語・2』 by 勇智イソジーン真澄


『師走は大掃除から』

ああ、はやいな。
また年の瀬の、なまはげ行事が近づいてきた。

街並みに電飾が施され、商店ではクリスマスプレゼントを、テレビからはサンタ姿の女優がチキンをどうぞと宣伝が多発してきた。
今年の終わりも近いのだと、冷たい風とともに身にしみる。

そろそろ大掃除をしなければ、と思いつつもランプシェードに積もったホコリを見ながら寝そべってばかりいる。

そもそも、寒い年末の掃除はなぜ必要なのかと考える。
1年に1回、普段しないところまで掃除をするのが大掃除なのだから、
そのサイクルを気候の良い春にしてもいいではないか。

そう思いついたのだが、やはり新しい年に古い埃は残しておきたくない。
この週末二日もかければ、独り身の女の狭い賃貸部屋は片付くだろう。
のらりくらりと起き上がり、少しずつ片付けていく。

まず高い場所から埃を落とし、拭けるところに雑巾をかける。
次に動かせる家具を移動させ、隅に隠れている埃を追い出したところで、有無を言わさず掃除機で吸い込む。
飛び跳ねた油が付着した台所のタイルにクレンザーをかけ、力を入れてこする。
一箇所がきれいになると回りのちょっとした汚れが気になり、椅子を持ち出して隅々まで磨きあげる。
腕が痛くなった。

汗と疲れをとるために風呂につかる。
湯船に後頭部を預け天井を見ると、換気口が綿ぼこりのマスクをかけ、ほとんど機能していない。
両足を開き湯船の左右のヘリにつま先をかけ、伸ばした手でほこりをとる。
決して人様に見せられる格好ではないが、体裁を整え無くても良いのが一人住まいの醍醐味。
埋もれていた、ざるの目のような四角い防御シートが現れた。
これで風のとおりが良くなり、カビ防止になるだろう。

この際だから浴室の掃除もしよう。
排水溝の周りには抜け落ちた髪の毛が沢山まとわりついている。
ティッシュでつかむと呪いの日本人形の黒髪のようで、自分のものだというのに気持ちが悪い。

筋肉痛の身体を労わり、ゆっくり起きた朝。
今日は、いらないものの整理だ。
着なくなった洋服、読み終えた本など、売れるものは売りに、捨てるものは捨てる。
何年経ってもお気に入りのものはあるが、それはよく吟味して保存しておく。古いものを大事にとっておいては、新しいものを収納するスペースがなくなる。

受け入れる場所がなければ、欲しいものは手に入れにくい。
ためらうことなく私を捨てていった、昔の男の写真も思い出と共にゴミ袋に入れる。
捨てることにためらいをもってはいけない、と教えて去っていった冷たい男だ。
いつか起こり得る新たな出会いのために、未練はない。
新規受け入れ、態勢は十分整えた。

隙間は、ゆとりとなる大事な部分だ。
詰め込みすぎていては、いざというときに探し出せなくなる。
掃除はするべきときにすると気持ちが晴れる。
きれいにサッパリとした部屋は、また一段と住みやすくなった。
 
渋谷区民の健康診断を受けに、指定病院へ行く。
平日だというのに待合室にはすでに十数人が待っている。
血液検査、視力・聴力検査などの一般的なものは早くに済んだ。
視力は弱くなっていて、次回の免許更新には眼鏡使用しなければいけない。
右耳の聴力もわずかに弱いことが判明した。
よる年波は、じわじわと満潮に近づきつつある。

初めて、乳がん・子宮ガン検診も申し込んだ。
この年齢になってやっと検査をする気になった私を、友人は遅いと呆れていた。
万が一の場合、早ければ早い程的確な処置ができる。
何事もなければ安心する。
それを先延ばしにしていたのだ。

胸の方は触診で、カーテンで仕切られた部屋状の場所に置かれたベッドに上半身裸で横になる。
今日担当します、と入ってきたのは若い男の先生。
両手を頭の後ろに組んでください、というので言われたとおりにする。
腋の手入れをしてきてよかった、とほっとした。

では失礼します、と胸を押したりつまんだりする。
こんな時は目を開けているべきか閉じるべきなのか迷ったが、目が合うと恥ずかしいので閉じた。
あっ、こんな感じだったかな、と肌と肌の感触を楽しんでいたら、特に異常は見あたりません、とあっけなく終わってしまった。

今度は子宮検査のため場所を移動し、待つこと数十分。やっと名前を呼ばれ、入る部屋番号を告げられた。

十部屋ほどが横一列に並んでいる。
自分の番号のドアを開けると中は、試着室ほどの広さなのだが正面に壁はない。
ここで下半身だけ裸になる。

その先に椅子が見え、ちょうど太ももの付け根あたりの上部から座面に届くか届かない程度の丈の、淡いクリーム色のカーテンが下がっている。
椅子の横に置かれている踏み台を使い黒い椅子に座り、カーテンの向こう側に足を伸ばす。

すぐさま足は看護士により左右に開かれ、分娩台のそれぞれ所定の位置におかれる。
向こう側からは下半身だけが見える仕組みだ。

壁のない正面の向こう側は横にも仕切りがなく、すべての部屋を行き来できるようだ。
さながら海鮮問屋の陳列棚というところか。
そう想像したら可笑しくなった。

ガチャガチャと音がする。
何か起こりそうな気配に、半身がキュッと緊張した。
それが何なのか皆目わからない。
少し冷たいですよ、と男性のやわらかい声がする。
カーテンと床の隙間から黒いズボンが見えた。
どうもこの人が産婦人科の先生のようだ。

あっ、みずっ……消毒液がかけられた……。
互いの顔を見ることも無く、ことは進んでいく。
顔を会わせるのがいいのか、悪いのかはわからない。
この一瞬で恋に落ちることもないだろうから、検査は淡々とする方が互いに余計な感情を表さずにすむのかもしれない。

少し違和感がありますよ、先生は次の行動に移った。
あれっ、入り込んだものに懐かしさを覚えた。
こんな感じだったかな。
そういえば、今年は一度もなかった……。

中で数回動いた内視鏡検査も、ものの数分で終わった。
こちらも異常はなかった。
病院の設備にもよるのだろうが、この一連の流れ作業的な検査の仕方は女性にとって屈辱的だ、と聞いてはいた。
でも、私はそれほど嫌ではなかった。

女性には女性特有の凹、男性には男性特有の凸の形態があるのは仕方の無いことだ。
痴漢をされたわけでもあるまいし、たかが検査だもの。

ま、とりあえず、長いブランクの末、詰まっていたであろう汚れが洗い流されたことには違いない。
身体も大掃除の師走であった。

2011年12月17日土曜日

とある休日•8最終話by やぐちけいこ


それから2週間ほど経った休日にボストンバッグを持った母親が自宅に帰って来た。
驚いている俺の顔を見るなり「霞ちゃんに追い出されちゃったわ」とあっけらかんと笑顔を見せる。
一瞬何を言われているか理解出来なかったがその言葉の意味が浸透してきた時には母親は自室で荷物の整理をしていた。
「追い出されたってどういうことだ?」と聞いても「う~ん。言葉通りよ。これでも粘ったのよ。でも霞ちゃん自身が一人でも大丈夫って笑ってくれたの」
「だからって…」最後に見た霞の顔が忘れられない。あんなにも何かに耐えるようにして今にも折れそうになっていた彼女だったのに。
知らずと下を向いて床を睨んでいた。
「もっと霞ちゃんを信じてあげなさい。あの子はあの時の小さな女の子じゃないわ。少しずつ少しずつひとり立ちしようと努力しているのよ?それを助けてあげなさい。」
俯いていた頭の向こうからそんな言葉が降ってきた。ハッとして顔をあげると真剣な目をしてこちらを向いていた母親と目があった。
「霞ちゃんはね、確かに精神的に弱い部分を持ってるわ。あんな悲しい出来事があったのだから誰だって臆病になると思うの。きっとまた身近な人を失う恐怖心を人一倍持ってると思うのよ。そんな彼女にしてあげられる事って何かしらね。可哀想と思う事?外に出さないように囲う事?違うわよね。よく考えて答えを見つけなさい。それと、今まであなたがしてきた事にもっと自信を持つことね」それだけを言うと再び荷物の整理をし始めた。
その姿をしばらく見ていたが何となく頭にかかっていた靄が晴れたような気分になり母親の部屋を後にした。
そうだ。結局は大それたことなんで出来やしない。自分の今出来る事をするしかないんだ。
霞も言っていたじゃないか。俺のために休日を使えって。自分の休日を好きに使おう。

とある休日。とある家のインターフォンが鳴り響いていた。
ピンポ~ンピンポ~ンピンポンピンポンピンポン♪
「だーーっ!うるさいっ!近所迷惑だろ。1回鳴らせばまだ耳は達者だから聞こえると何度も言ってるだろうが!」
不機嫌丸出しの彼女の表情に安心する。
「そっちの声の方が近所迷惑よ~。それよりも天気も良いし映画でも見に行きましょうよ~。今から出るとなると先にどこかでお昼ご飯食べたほうが良いかしら。あ、それともどこか公園でも散歩する?見せたい場所があるのよねえ」と半ば強引に霞を外に連れ出した。
「どこに行くんだ」とか「家に帰せ」とか聞こえたけれど聞こえない振りをして彼女の手を引っ張っていく。映画も散歩も外に連れ出すただの口実。
霞の家から歩いて5分程と言う近い場所にそれはあった。
「ねえ。これ見て」と指さすは小さな空き地。
小さな雑草がたくさん生えている何の変哲も無いただの空き地を見て不思議そうにこちらを見ている。
「良く見てよ。あれよあれ」と言うとそれに向かって歩いていく彼女の後姿を見守った。
きっとまじまじとそれを見ているだろう霞は突然背中を震わせ笑いだした。
「おまっ、これっ」と言葉にならない言葉を吐き出しながら大笑いの霞の姿を見て久々に心からの笑顔を見る事が出来たうれしさに一瞬かける言葉を失った。ずっとこんな笑顔を見たかった。これからはいつでもこの笑顔を見せてくれるだろうと信じている。
心の中にあった硬い結び目が融けて無くなった瞬間だった。
「気に入ってくれた?」と聞くと「そうだな。相変わらずびっくり箱みたいだなあ」と涙を拭っている。「あげるわよ。それ」というと
「え?」と聞き返してくるきょとんとした顔が可愛い。
「さて。このまま帰る?それとも散歩でもする?映画も良いわよねえ。どうする?」と聞くと「近所を散歩したい」というリクエストにその場を後にした。
その空き地に真ん中には小さな木製の白い横長の看板があった。

『中々良い物を扱ってそうだな共和国建設予定地』

また今まで通りの休日が繰り返される。



1話からすべてをまとめて読める電子書籍版ができました。
週刊「ドリームライブラリ」でダウンロードできます。

2011年12月10日土曜日

とある休日•7by やぐちけいこ



『それは10歳の幼い少女に突然起きた出来事。
少女は両親の自殺を目の当たりしてしまった。それは彼女をどす黒い暗闇に落とすに十分すぎるでき事だった。
この瞬間から少女は白い天井と白い壁に囲まれた部屋の住人になり、心を閉ざしいつも傍にいた大好きな少年の声も少女には届かない。
恵まれすぎていた事に気付く事無く育った少年は途方にくれ戸惑うまま少女の傍に居る事しか出来ない。
笑顔を無くしてしまった少女に再び笑って欲しくて毎日少女の元へ訪れた。少女が好きなお菓子を持って行ったり楽しい話を聞かせたりしたけれど何の反応も見せない少女。そんな日が1週間続き10日続き1カ月を過ぎる頃少年は少女の元へ行けない日が訪れた。
少年は思った。きっと今日一日くらい行かなくても何も変わらない。だから無理して行かなくても良いやと。そして次の日少女の元へ訪れた時、昨日ここへ来なかった事の大きさに気付く事になった。
少女は少年の顔を見た瞬間少しだけ頬をほころばせそして寂しそうな目をしたのは一瞬。その一瞬の表情の変化を読み取った少年は思い知らされた。この少女には自分以外に会いに来てくれる人はいない。両親でさえも会うことは二度と無い。孤独と戦っている少女。それに引き換え自分はどうだろう。忙しいなりにも愛情を注いでくる両親を持ち、学校には友人、家に帰ればくつろげる自分の部屋だってある。少女はそれを一度に全部無くしてしまったのを知っていたはずなのに。それなのに自分は友人と遊びに行き、ここへ来る事も面倒になり寝てしまったのは昨日の事。自分がここを訪れる事を少女はずっと待っていてくれていたに違いない。掴みかけていた手を自ら離してしまったのだ。
少年は改めて思う。この少女の笑顔を取り戻すのは自分だ。そして二度と寂しそうな目をさせてはいけない。どれだけの年月がかかっても良い。ここへ来なかった自分の愚かさを償いたい。
大好きな少女の笑顔をもう一度見たいから』

そんな二人にも平等に年月が過ぎ大人へと成長していった。




霞が倒れてから10日経った頃母親に呼び出された。
「霞ちゃんに会わせてあげるわ。だけどあまり刺激しちゃだめよ。まだ完全には回復していないけど後は霞ちゃん自身が乗り越えないといけないのよ。30分後 に戻って来るからくれぐれも逸らないでね。まずは彼女の話を最後まで聞く事。分かった?」そう念を押して霞の家を出た母親の背中を見送った。
ソファに俯き座っている霞。向かい側のラグに直接腰を下ろした。どう声を掛けようか迷っていると霞から話しだした。


次回、いよいよ最終回です。お楽しみに。

2011年12月2日金曜日

心の棲家の歌 by miruba


レジデンス内のアパートは、空港寄りの高台にあった。
南仏ニースの“ベイデザンジュ”天使の湾に臨むプロムナード・デ・ザングレという海沿いの3キロ余りの海岸通りは有名だが、その西のはずれ、裏にペレアルプスの山並みを配するところに、レジデンスが建ち並んでいた。

バスを降りて、坂道を行く。
どうしたことか、私はパリでもトーキョーでもニースでもナガサキでも坂道のある高台に暮らす。
健康には良いかもしれないが、荷物を持っての上り坂は結構きつい。

「Je peux vous aider?」お手伝いしましょうか。と、背後から聞こえた。
断ろうとしたときには、キャリーを引っ張ってくれている。
背の高い紳士だった。フランス人ではなさそうだ。イギリス人かもしれない。オランダ人かな?
私は、大またでさっさと行く紳士を、小走りで追いかける。

アパートが見えてきた。
高い塀に囲まれ、車の乗り入れ可能な門は鉄柵で、セキュリティーのきいたオートロックだ。治安の良い日本から来た私には大仰に思えたが、人種の坩堝である避寒避暑地のリゾート地には必要のようだ。塀の中には、10棟ほどが建ち並んでいる。一棟50世帯くらいだろうか。テニスコートとプールとカフェがあり、管理人と広い庭を手入れする庭師なども、管理費でまかなうというシステムなっていた。

「このアパートなのです、ありがとう」といったら、紳士が、「僕も同じですよ」といって笑った。エレベーターは、右左に別れたが、なんと同じ棟の住人なのだった。

アパートは、15平方の小さな部屋だ。それと同じ広さのテラスがあり、それの半分の広さのカーブと呼ばれる倉庫もある。ベランダには作りつけの花壇があり、一年中花や緑を植えなければならない法律があるのだ。

部屋からコバルトブルーの海が見える。
大きなパラソルの着いた丸テーブルと椅子をおいて、食事は朝夕ベランダでする。

海景色の様子を変え、輝く星と月を話し相手にワインを傾けていると、ベランダから目前に花火が見える。

土曜日だけだが「観光客歓迎花火」が上がる。
夏には多くて一ヶ月、他の季節にも少なくて1週間は過ごした。

ニースの街自体は、城跡と旧市街を見ると、あとはたいした物はないが、近代絵画が好きな人にはたまらないだろう。マチス・マセナ・シャガールそして、近代・現代美術館、4つの美術館があるので、余った時間はゆっくり楽しめる。


それに、周辺の街や村には、ピカソ美術館のあるヴァロリ、 フェルナン・レジェ美術館のあるビオ、お城で有名なアンティーブ、鷲の巣村のエズ、カジノのあるモナコ公国と、見るところはどっさりあって、何時も海岸でのんびり本を読むことなどほとんどなく、悲しきかな日本人の習性でこれでもかというスケジュールをこなしてしまう自分が、悲しかったりする。



だが、その日は部屋にいた。
隣国イタリアへ足を伸ばして一週間ほど部屋を空けていたら、花壇の花が枯れそうになっていたのだ。管理人さんに水やりを頼んでおけばよかったが、うっかりした。夏をのぞいてスリーシーズンは、通常ニース大学の学生さんに貸しているので、花を絶やすことは無い。家主が枯らしたのでは話にならない。土を足して、新しい花も植えた。


爽やかな日だったので、作業をしながら、つい鼻歌が出る。

♪はにゅーのやどーは、わが~や~ど~♪

賛美歌を一通り歌った後、「埴生の宿」の歌が、口をついてでた。
コーラスの演奏会で、最後に謳うことになっているのだ。

イングランド民謡のこの歌は、
英語では「ホーム・スイート・ホーム 楽しき我が家」
フランス語では「ペイナタル 生まれ故郷」という題名だ。


スミレを植え終わったとき、何処からともなく、一緒に歌う男性の声がしてきた。「え?」
耳を澄ますと、どうやら英語のようだ。階下から聞こえてくる。
私もまた少し声を大きくして日本語で謳う。


♪きよらなりや 秋の夜半
月はあるじ むしは友♪

ツーコーラスを謳い終わった。なんだか嬉しくなる。

すると、別の方角から、女性の声で歌う声がした。今度はフランス語のようだ。



涼しい海風が吹いてきた。


私達は、三人でまた歌いだした。そして、終わりに何処の誰かもわからないご近所さんに、拍手をした。拍手の人数は私たち3人よりもっと多かった。


音楽の素晴らしさを思う。


エレベーターで、同じ棟の住人と一緒になる。
一緒に歌った人は、この人かな?それとも、こっちの人?
そう思うが、声はかけれらない。なんと言ってもヴァカンスのときだけすれ違う知らない人ばかりだから。Bonjour!と笑顔で挨拶をするだけだ。


パリに帰る日、キャリーをもって私は坂を下りていた。
「Je peux vous aider?」と、背後から聞こえた。
ここに着いたときに、荷物を持ってくれた背の高い紳士だった。行動時間が違うのか、ニース滞在中一度も会わなかったのに、不思議だ。

♪Mid pleasures and palaces,
Tho' we may roam♪

突然彼が歌いだした。
「あらら~あなただったのね!」

私が日本人だと最初の日に聞いていたので、たぶん歌の雰囲気で「あの日本人かな?」と思ったというのだ。


彼と私は、早々と秋になりかけた木々の葉を踏みしめ、バス停までの道をいつまでも歌いながら下った。



今は、日本とフランスを行き来し、
「故郷」が何処なのか解らなくなっている私には、
主人や子供達と過ごしたニースでの家族の日々が懐かしく、

ふと、あのときのことを思い出し、ホーム・スイート・ホームを、口ずさんでしまうのだ。



2011年11月26日土曜日

日本人が知らない韓国の常識4~幼稚園児も知っている 姜邯賛~


「さあみんな、おやつの時間ですよ」
「わーい」「わーい」
「今日のガムちゃんは、よく噛んで食べるのよ」
「えー?おやつにガム?」
「それに、ガムにちゃん付けなんておかしいよ」
「まあまあ、冗談に決まってるでしょ。今日はみんなにカン・ガムチャンを紹介したいのよ」
「それ誰?」「誰だー?」「お前知ってるか?」
「高麗時代の英雄よ」
「何した人?」
「今からちょうど千年前くらいの1018年に高麗に侵入した契丹軍を打ち負かした人よ」
「どんな風にして勝ったの?」
「牛の皮を利用して水攻めにしたのよ」
「へえー、頭いいなあ」
「そうね、カン・ガムチャンは科挙にトップ合格したくらい頭が良かったのよ」
「ふーん。その人かっこよかった?」
「それが、背が低くて不細工だったらしいわ」
「えー!がっかり。ヒーローはイケメンって決まってるのに」
「元々はハンサムだったらしいんだけど、天然痘の神様を呼んで醜男にしたんですって」
「へえー、変わってるなあ」「何でそんなことしたの?」
「その頃、ハンサムは出世しないと言われていたのよ」
「カン・ガムチャン将軍は何処で生まれたの?」
「落星岱(ナクソンデ)よ。生まれた時、星が家に入ったから、そう呼ぶようになったのよ」
「えー?そんなの信じられない」
「他にもいろいろ伝説があるわ」
「どんな伝説?」
「高麗時代、漢陽(ハニャン)に虎がたくさん居て人々を脅かしていたの」
「それで、どうしたの?」
「僧に化けていた虎を叱り付けて仲間と一緒に去らせたのよ」
「他にはどんな話があるの?」
「婚礼に招待された時、人間離れしたハンサムな新郎を怪しいと思ったの」
「それで、それで」
「夜、花嫁と二人っきりになるのを待って襲ったのよ」
「えー!それでどうなったの?」
「新郎が猪の正体を現したのでカン・ガムチャンが矢で射殺したのよ」
「何で、猪だって分かったの?」
「新郎が婚礼で出された肉料理に眉をしかめたり、影に尻尾が見えたからよ」
「その場で殺せばよかったのに」
「そうね。婚礼の席だと人々が大勢いたからじゃないかしら」
「ふーん」
「とにかく、韓国の三大英雄の一人だから覚えておいてね」
「はーい!」
「ところで、ガムちゃんは?」
「はーい!よく噛んで食べまーす!」

2011年11月19日土曜日

とある休日6 by やぐちけいこ


いったい何があった?いつものように訪れた霞の部屋。
インターフォンを押しても出てくる様子が無い。
今まではどんな状態でも不機嫌な顔をして出てくれていたのに。
嫌な予感がして、一度携帯に連絡を入れてみるが出る様子は無い。
緊急のために合鍵はあるがあまり使いたくない。しかし今はそうも言っていられない気がして合鍵を使い部屋に入った。

ソファでぐったりとしている霞を見つけ最初は寝ているのかと思ったが、呼吸は浅く泣いた後もある。
「どうしたの?気分でも悪いの?」と声をかけるが反応が無い。
とりあえずベッドまで運んで寝かせる。親父に連絡を入れるとすぐに診察に来てくれるという。彼女はまた元に戻ってしまうのだろうか?やっとほころび始めた心がまた閉じてしまうのではないかと恐怖に震える。いったい彼女に何があった?
ベッドに運ぶ時、か細い声で聞いてきた内容が気になる。久しぶりに自分の名前を呼ばれたのにうわ言の様なか細い声。
そう言えば今日は診察日。なら病院の方に顔を出したはず。

ピンポ~ン♪と軽快なインターフォンが鳴った。出ると往診セットを持った親父だった。
親父は軽く頷き霞の眠る寝室へと消えた。俺はソファに座り診察が終わるのを待った。

「どうやら何かショックを受けたようだな。自己に引き籠っている。しばらく優秀な看護師に一緒に住んでもらうよ。当分の間、お前はここに来るな」そう言われて黙って引き下がれない。
「何で?俺だってここで霞の様子を見ていたい」そう訴えるが許可は出なかった。
「ベッドに運ぶ時に霞が言ったんだ。薫は私を監視するために傍に居てくれたのか?って。どこからそんな発想するのか分からない」
「そうか。きっとどこかでそれを感じ取ったのかもしれないな。私の所へも来なかったので心配はしていたんだ」
「どこかってどこだよ。診察日なら病院に行ったはずだ。なら病院しかないじゃないか」そこまで言うと思い当たる事があったので俺は親父をそのままにナースステーションに走った。看護師たちが挨拶をしてくるが一切無視し「今日、ここに霞が来なかったか知りたいんだけど」と言うと来なかったと言う。
ただ廊下ですれ違った看護師もいた。ということは診察のためにここに来たけれどナースステーションに顔を出す前に何かを聞いたか見たかしたんだ。

考え事をしていると独りのナースが「今度親睦会をする予定なんですけど薫さんも参加されませんか?」と誘ってきた。
「う~ん、今はそんな気になれないから無理だね。今度霞と一緒にお邪魔するよ」と断ったのだがなかなか解放してくれない。

「薫さんが来てくれると盛り上がるし、霞さん抜きでお願いしたいです。監視役も大変でしょ?」と上目づかいで誘いを掛けてくるが最後の言葉に怒りがこみ上げる。

「監視役ねえ。俺は一度もそんなこと思った事が無いけれど傍から見たらそう見える訳か。なるほど。これからはそう見えないように気をつける事にする」よっぽど怖い顔をしていたのか誘ってきたナースは顔色を変えた。
ここで何かを聞いたのだろう。もう用は済んだとばかりに彼女達に背を向けて霞の家に向かった。部屋に入ると親父は居なくなっており代わりに母親が来ていた。
優秀な看護師か。

「しばらく霞ちゃんと暮らすわね。あなたもそのつもりでいて頂戴。お父さんに聞いていると思うけど霞ちゃんが私に話をしてくれるまであなたはここへ来ちゃだめよ。大丈夫。すぐに元の霞ちゃんに戻るわ」心強い言葉だ。
霞がこうなった原因らしき事柄を母親に話した。
「そう。きっとあなたに裏切られた気持ちになったんでしょうね。可哀想に」
それだけ頼りにされていたのね、と付け加えられた。

いつも追い返そうとする瞳の奥は寂しげだった。だから強引にこの部屋に入って話をして帰った。素直じゃない霞。強がってばかりで頼る事をしない霞。独りで懸命に生きてきた霞。きつい言葉を言ってくるのに本音はいつも隠していた霞。もっと信用してくれているかと思っていた。俺より付き合いの薄い奴の言葉を信じた霞。早く戻ってこい。いつまでも待たすんじゃねえよ。仕方なく霞の家を後にした。


2011年11月12日土曜日

三題話で詠む by 綾小路文磨

編集部より出された3つのお題を使って作品をつくる「三題話」に、週刊「ドリームライブラリ」の執筆陣達が挑戦しました。今回のお題は「まつたけ、化粧、虫」。一見なんの脈絡もないこれらの単語を全て折り込んで、エッセイ、小説、落語などの作品を作り上げていきます。今回は、綾小路文磨さんの川柳をお楽しみください。
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恋人と二人で食事をする約束をしていたけど、相手がなかなか待ち合わせの店に来ない。
待ちくたびれてお腹がすいてしまった。
ええい、恋人が来る前に、内緒で茶碗蒸しだけ食べてしまえと心に決めた時の一句。


(ま)ったけど 茶碗蒸(む)しけ しょうみ(賞味)する



2011年11月4日金曜日

バイバイ、ママ by k.m.joe


編集部より出された3つのお題を使って作品をつくる「三題話」に、週刊「ドリームライブラリ」の執筆陣達が挑戦しました。今回のお題は「まつたけ、化粧、虫」。一見なんの脈絡もないこれらの単語を全て折り込んで、エッセイ、小説、落語などの作品を作り上げていきます。今回は、k.m.Joeさんの小説をお楽しみください。

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ボクはいつもの押し入れの中にいた。

押し入れに居るのは、最初のうちは暗くて怖かったけど、アイツに殴られたり蹴られたりする事を考えたら、だんだん平気になってきた。

押し入れでは、昔のママの事とか、おいしいお菓子の事とか、いろいろ考えてたけど、この頃は何も考えなくなった。

特にその日はボーッとしていた。部屋から聞こえるママとアイツの話し声や笑い声も気にならなかった。

ジゾーは、突然、話し掛けてきた。「ケンタロウくん、ケンタロウくん」

周りをキョロキョロすると、真っ暗なのに、足元に虫が一匹見えた。小さな虫だけど、ネズミ色で、お腹が赤いのがハッキリわかった。

虫は、昔テレビで見た、蛇使いのオジサンが動かす蛇みたいに、首をユラユラさせていた。「ボクが見えてるね、ケンタロウくん。ボクの名前はジゾー。キミと友達になりに来たんだ。あっ、ボクと喋る時は頭の中で考えるだけでいいよ」

「どうして虫なのに喋れるの?」

「ボクは虫の形をしているだけで、本当は違うのさ。ところでケンタロウくん、キミを助けたいんだ。アイツを何とかしたいんだろ?」

「うん」

「ママも?」「うん」・・・アイツが来てから、ママは変わった。

ママが近所のマルカツで働いてた頃は楽しかった。お店のオバチャンたちも優しかった。ママもよく笑って、ボクの事を可愛いがってくれた。その頃のママはお化粧をほとんどしてなかった。

ある日ママは、別の人みたいに化粧して「今日から夜働くから大人しく寝ててね」と、変なニオイをさせながらボクに言った。

ママと晩ご飯を食べた後、ボクはひとりになった。とても淋しかった。ママが帰って来た時寝たふりをしていたけど、本当はママに甘えたかった。ママはいつもお酒のニオイをさせて、少しよろけながら帰って来た。家でもビールを飲みながら、よくケータイをしていた。メールが多かったけど、たまに電話をしていた。そんな時のママは変な声で喋っていて、ボクは嫌いだった。

ママが遠くに行ってしまったようで、とても悲しかった。声を出さないようにして泣いた事もある。

昔のママはボクと話をする時、ボクの両肩に手をやり顔を見ながら話してくれた。夜のお店に行くようになってからは、ボクの顔をまともに見てくれなかった。

ママは、アイツが来てから、もっと遠くにいる人のようになった。アイツは初めて来た時から、ボクの事を「クソガキ」としか呼ばず、すぐ叩いたり蹴ったりして、最後は押し入れに閉じ込めた。ボクはママを見るんだけど、ママはボクの方を向いてもくれなかった。ボクは泣きもせず、暴れもせず、アイツの好きなようにさせていた。

「全部知ってるよ、ケンタロウくん」ジゾーは言った。ジゾーの声は校長先生みたいに安心できた。彼がボクを助けてくれるとは思えなかったけど、仲良くはなれそうだと思った。

「ケンタロウくんは松茸って知ってるかい?」

「聞いた事はあるよ」

「もうすぐアイツの知り合いが松茸に似たキノコを持ってくる。でもそれは毒キノコだ。たくさん食べると死んでしまうんだよ」

「何で分かるの?」

「ボクが考えた事だからさ」

ボクはジゾーを見つめた。彼も頭の先をボクの方に向けてじっとしていた。

ジゾーの言う通り、誰かが松茸のニセモノを持って来て、暫くすると押し入れまで良いニオイがしてきた。

突然押し入れが開き、アイツがボクを引きずり出した。「おい!クソガキ!うまい物食わせてやる」

テーブルの向こうではママが缶ビール片手に、キノコを食べていた。ボクの前にもキノコの載った皿が置かれていた。引き裂かれて少し湯気が立っていた。ニオイを嗅いだらお腹が鳴った。

でも食べたら死ぬんだと思うと、ボクは動けなかった。

「大丈夫だよ。ボクが刺すと毒にはやられないんだ。ちょっと痛いけどガマンして」

首の後ろがチクッとした。でも、それが合図みたいになってボクは突然キノコを食べ始めた。とても美味しかった。半分ぐらい食べると少し落ち着いた。すると、これがママとの最後の食事かと思うと箸が止まった。

ママは楽しそうにビールを飲みキノコを食べていた。

「どうする、ケンタロウくん。今ならまだ間に合うよ。ママだけでも刺してあげようか?」ボクは首を横に振った。「刺さなくていいよ、もう」そう言うと、ボクはずっとママを見続けた。

次の日、ママは死んだ。

あけぼの園という所から、長谷川さんというオジサンが来て、ボクを連れて行った。優しいオジサンだった。ボクはそこから新しい学校へ通う事になった。

学校でも、あけぼの園でも、皆仲良くしてくれた。たぶん、ジゾーの力だろうと思う。ジゾーはずっとボクの肩についていた。

ある日、あけぼの園の前で長谷川さんが待っていた。いつもと同じようにニコニコしていた。

「ケンタロウくん、君に会いたがっている人がいるんだ」長谷川さんについて廊下を歩いていると、ジゾーが話しかけてきた。

「今から会う人が君の新しいママだよ。ケンタロウくん、ボクもここでお別れだ」

ジゾーがいなくなったのが判った。ボクはジゾーに「さようなら」と言った。でも「ありがとう」はなぜか言えなかった。

自分でもよく判らないんだ。なんでそう思うのか判らないんだけど、ボクはママが死んだ日から、あの暗い押し入れに戻ったような気がするんだ。

2011年10月28日金曜日

かくれんぼ by やぐちけいこ


編集部より出された3つのお題を使って作品をつくる「三題話」に、週刊「ドリームライブラリ」の執筆陣達が挑戦しました。今回のお題は「まつたけ、化粧、虫」。一見なんの脈絡もないこれらの単語を全て折り込んで、エッセイ、小説、落語などの作品を作り上げていきます。今回は、やぐちけいこさんの小説をお楽しみください。

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季節は新緑が似合う時期を過ぎ、木々が赤や黄色と自己主張をし始めた頃のお話。

山のどこかで松の木母さんの声が聞こえた。
「さあ、坊やたち。これからかくれんぼを始めるよ!頭は絶対出しちゃだめ。頭を隠したい子は落ち葉を頭にかぶせときな。ほら足音がそこまで来ている。大人しくするんだよ」
カサカサと足音と共に今年も松茸を探しに人間がやってきた。


子ども達はわくわくと身を潜める。
毎年同じお爺さんが腰を曲げながら松茸を探しにやってくる。本当に必要な分だけ捕っていく。そして松の木を見上げいつも声を掛けてくれるのだ。


「松の木よ、今年も豊作かい?お前の周りには毎年たくさんの松茸があるから助かるよ」
それに応えるように風が松の葉をザザーッと揺らす。
「どれ、この辺りかな」と一つ松茸を籠に入れる。「わあ、見つかっちゃったあ」楽しそうに籠の中で騒ぐ。子ども達が籠の中でぎゅうぎゅうと身動きできなくなる頃、お爺さんは痛む腰をトントンと叩き帰り支度をする。
「松の木よ、今年はこれだけ頂いて行くよ。また来年も頼むよ」そう言いながら松の木を軽くポンポンと叩き山を下りていく。


昔松の木はこのお爺さんに傷ついた枝を治療して貰った事があった。その翌年からこのお爺さんにだけ松茸を分けているのだ。可愛いわが子をこの人になら渡せると思いながら。


根元にいる虫達は「今年の秋もそろそろ終わりだね」などと冬支度に忙しい。
もうすぐ冬がやって来る。お爺さんが歩いた山肌には雪化粧。一面真っ白になるだろう。季節は巡りやがて春になり眩しい日差しの夏を迎える。着々と時は過ぎまたかくれんぼの秋がやって来る。


きっとお爺さんはまた話しかけてくれるだろう。


「松の木よ、今年も豊作かい?」


「また来年も頼むよ」と。


はい、来年も再来年もあなたが来て話しかけてくれるならお待ちしています。子ども達とかくれんぼをしながら。
そう季節の風に乗せた。

2011年10月21日金曜日

時空間 by Miruba

編集部より出された3つのお題を使って作品をつくる「三題話」に、週刊「ドリームライブラリ」の執筆陣達が挑戦しました。今回のお題は「まつたけ、化粧、虫」。一見なんの脈絡もないこれらの単語を全て折り込んで、エッセイ、小説、落語などの作品を作り上げていきます。今回は、mirubaさんの小説をお楽しみください。
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娘の亜季が、先ほどからじっと「まつたけ」を見ている。
安かったからと、昨日主人が買ってきたのだ。

「この松茸小さな虫がいる。これアルジェリア産?日本の松茸はもっと香りがいいものね」突然亜季が言い出した。

「化粧が施されて香りもつけられたアフリカ産ですって。そういえばあなたパリにいるときにアルジェのお友達から自然の松茸を沢山戴いたものね」
私は答えながら胸がサワサワとするのを感じた。

「パリに居た時って今もパリに居るじゃないの。ママったら変なこというのね。
私食べないわよ。この前は酷い目にあったもの。酷い下痢だった。松茸の古いのは良くないらしいわ」

体中から汗が噴出してきた。まさか・・・
「ねぇ、今日本にいるのよ。ここはフランスではないわ」

亜季は怪訝な顔をしたが、部屋を見回し驚いた風だ。そして家中を歩き回り上気した顔で私の目を見て言った「ママ、今日何月何日なの?」

転勤族だった主人が定年間際に行かされたのがフランスだった。一人娘の亜季はパリ大学に留学しそのまま就職していたので、私達は10年ぶりに家族揃っての海外生活をしていた。

あの日、松茸を友人から貰ったといって亜季が嬉しそうに仕事場から帰ってきたのは、鮮明に覚えている。
ところがウジ虫のような小さな虫が沢山巣食っていたのだ。棄てるにはもったいないと思ったし、亜季もせっかくくれた友人に申し訳が無いというので、料理することにした。さっと茹で、固まった虫の残骸を取り出した後、醤油とみりんにつけて炊き込みご飯にした。なのに、私達親子は3人で腹痛に唸った。同時に食した生牡蠣のせいだとも思えたが、とにかく一番症状が酷く激しい脱水症状から高熱を出した亜季が生死をさ迷い、その後2週間も入院する羽目になった。

だが苦悩はそれからだったのだ。退院した亜季は他人のようで何を聞いても心此処にあらずという表情してまともに反応を示してくれない。物忘れが酷く道に迷うので、警察から何度か連絡が来た。脳の検査をしては何も異常がなく、精神科に回されたりもした。一種の記憶喪失なのだろうか、だが名前も年齢も私たち両親の生年月日さえ答えるし、書くことも出来たし、普通に生活ができるのだ。最終的には医師から「問題なし」と診断を受ける。なのに亜季と話をしていると、喜怒哀楽が希薄で時に返事がまともに返ってこないばかりか、全く赤の他人と接しているような冷ややかな空気を感じるのだった。

仕事も3ヶ月後には辞めてしまう。学生のときからの恋人恭祐君も、最初は足しげく通ってきてくれ、ドライブなどにも行ってくれたが、一方通行の恋をしているようで辛いと、いつの間にか去っていった。辛くはないのだろうか?当の本人は他人事のように無頓着だった。見るでもなくテレビ画面に目を向ける亜季の傍にいるだけで、私達夫婦は将来を思い途方にくれた。


「ママ!今日は何月何日なの?」
自我の強かった亜季の目が戻り、私の心を強く揺さぶった。
5年ぶりに見る意志のある瞳がそこにある。
答えるより、私は泣き崩れた。

まるで他人のようだったそれまでとは打って変わって、長い沈黙を取り戻すかのように息せき切って質問する彼女に答えながら、だが私は嬉しさに歓喜した。
主人と私の最愛の娘が、やっと戻ってきてくれた気がした。

不思議なことに、亜季はこの5年の間の何もかもを覚えていなかった。そんなことがあるのだろうか?
入退院時の写真。パリの仕事場を退職した時の写真。日本に帰国した時の写真。恭祐君や家族との旅行の写真を見せても、全く記憶に無いというのだ。確かに写真の彼女の目はまさに生気がなかった。


病院で新たに精密検査を受けたが、何もわからないままだ。高熱によって見えないところの脳を損傷したが自己再生により回復したのか。想像の域を超えなかった。


人間の体の不思議を思う。

ただ私達は「まつたけ」を見るたびに特別な感慨にふけるだろう。
直接の原因ではなかったにしろ、そのせいで亜季は記憶の無い時空間の世界に行き。
直接の要員ではなかったとはいえ、現実の世界に戻ってくるきっかけを作ってくれたのは、松茸の虫だったのだから。

「亜季、なんて綺麗なの?」
何年も化粧をしなかったので気がつかなかったが、年齢が彼女に潤いを与えていた。ましてや今日は久しぶりのデートなのだ。

恭祐君は、結局亜季を待っていてくれたことになるだろうか。彼にも色々な交際はあったろうが、年に一度くらいは亜季の様子を見に来てくれていた。

チャイムが鳴って扉が開いた。


恭祐君が顔を出したとたん、亜季は飛びつくように彼の首に腕を回しキスをした。
泣き出した亜季を強く抱き寄せる恭祐君。

その様子を笑顔で見ている主人と私に、恥ずかしそうにしながらも、
彼の目から、涙が一筋、零れ落ちた。





写真:テクノフォト高尾  by高尾清延

2011年10月15日土曜日

南米から来たお姫様 by 御美子



編集部より出された3つのお題を使って作品をつくる「三題話」に、週刊「ドリームライブラリ」の執筆陣達が挑戦しました。今回のお題は「まつたけ、化粧、虫」。一見なんの脈絡もないこれらの単語を全て折り込んで、エッセイ、小説、落語などの作品を作り上げていきます。今回は、御美子さんの小説をお楽しみください。
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1965年頃のことです。ブラジルに移住し農場を経営していた古本隆寿さんが現地の人達が好んで食べるキノコを食べてみたところ「これは旨い。何とか量産できないものだろうか」と考えました。栽培方法知るために手にしたのが「キノコ類の栽培方法」という本で、古本さんは筆者の岩出博士に手紙と共にそのキノコを送りました。博士が見たところ、それはハラタケの一種のようでしたが、食べてみると、既存のキノコより味もよく香りも強いことが分かりました。
岩出博士の専門は菌学で、研究当初の目的は日本の農家の副業としてキノコ栽培が有望だと考え、フランスから持ち帰ったキノコを人工培養することに日本人として初めて成功していました。ところが、ブラジルから送られたキノコの培養には予想以上の困難が待ち受けていました。
研究費も底をつき、研究員の日雇いや博士の年金を研究費に当てなければいけないほどでした。ある時、栽培用棚の材料に研究員のアルバイト先から竹を譲り受けたところ、雑菌や寄生虫が発生し、肝心のキノコの菌が全滅したこともありました。
人工培養を始めて10年経過したある朝、研究員の一人が「教授!小指の大きさほどのキノコが頭を出しています」と報告しました。他の研究員達は手を取り合って泣きましたが。「まだ、泣くのは早い」と叱る教授の声も震えていたことは誰にも分かりました。
教授の言葉通り、実際の人工栽培までには、それから3年を要しましたが、苦労の甲斐あって、後にこのキノコには抗癌作用や免疫力強化の働きがあることが証明されました。アガリクス ブラゼイ ムリル、正式和名「姫マツタケ」は出荷前日に小さな女の子から「まあ、可愛い。お姫様みたい」と言われたのが名前の由来だということです。マツタケに比べ色白の茎が、薄化粧をしたようで、その可憐な姿からも容易に想像ができる名前です。    -10月4日、癌で逝った孝子叔母に捧ぐ-

2011年9月23日金曜日

日本人の知らない韓国の常識・その3 <倭寇討伐で朝鮮王朝初代王> by 御美子


日本では李氏朝鮮と呼ばれる王国建国の英雄
「将軍、遼東半島への明軍侵攻を止めるための出陣命令が出ましたが」
「分かった直に出陣だ。ただし、高麗に引き返して首都を攻撃する」
「謀反を起こすのですか?」
「元の力は弱まり明の時代がそこまで来ている。親元高麗政府を終わらせる良い機会だ」
「官僚たちの王への不満も高まっていますし、いよいよやるのですね」
「明とも親明派の王を立てると申し合わせ済みだ」


こうして高麗の将軍であった李成桂(イソンゲ)は、高麗王朝末期の混乱に乗じてクーデターを成功させ、最初こそ親明派の高麗王を立てたものの2年後には周囲から請われて自らが王になる。


しかしながら、直に朝鮮王朝へ移行した訳ではなく、朝鮮半島では古来から中国からの許可があって初めて王や国の名前を決めることが出来たので、朝鮮という国名もお伺いを立てた2つの候補から、1つを明の王に選んでもらって決めたものだった。


李成桂(イソンゲ)の活躍は、元の武官から高麗の武官として豆満江や鴨緑江方面の女真族平定元の残存勢力討伐・国都防衛・倭寇討伐と本領はあくまでも軍事であったが、その中でも特に倭寇討伐で英雄視されている。


日本で倭寇と言えば、戦国時代の没落した武士や土地を追われた農民が、食料等を略奪したくらいにしか認識がなかったが、韓国や中国で倭寇と言えば、日本方面からの執拗で大規模な侵略行為そのものや豊臣秀吉の朝鮮出兵時の日本軍の侵攻まで、多岐に渡ったものを総称して倭寇と呼んでいる。


また、後に多数の朝鮮人や中国人が倭寇に便乗したことが、韓国や中国の資料にもあるのだが、実害が多かったのが朝鮮半島だったので、今でも倭寇を日本人の野蛮行為と同義で使う人がいるらしい。


さて、周囲に推されて王になった李成桂(イソンゲ)だが、早々に八男に王位を譲ろうとしたところ、王子たちが殺しあうこととなり、傷心して仏門に帰依してしまった。


崇儒廃仏(儒教を高めて仏教を排斥する)が特徴の李氏朝鮮だが、実行されるのは孫の第4代世宗(セジョン)大王になってからになる。


因みに李氏朝鮮と呼ぶことは好まれず、建国神話の頃の朝鮮は古朝鮮と呼んで区別している。

2011年9月17日土曜日

とある休日5 by やぐちけいこ

定期検診。と言っても身体はいたって健康だから必要無い。
ただここの院長の部屋で少しだけ話をするだけだ。私には両親がいないので院長に話を聞いて貰っていると父親と話をしているようで落ち着く。難を言えば薫の父親って事だ。まあ、目を瞑ろう。そう思いながら勝手知ったる病院の長い廊下を歩いていた。

途中ナースステーションで来院した事を告げようと寄ろうとした時看護師たちの会話が聞こえてきた。知った名前を聞いたので思わず身を隠し盗み聞きする。
「今日って霞さんが来るんでしたっけ?薫さんもいつまであの人に付きっきりになってるんですか?飲みに誘ってもそのせいでいつも断られてるんですよ」
「あら、私は記憶が蘇った時にパニックにならないように監視してるって聞いたけど」
そのあとは何が話されていたかは耐えられなくて逃げ帰ったため分からない。

自分が今日の検診に来なかった事を院長はどう思うのだろう。
家に帰る道すがら頭を占めるのは今聞いたばかりの「監視」と言う看護師の言葉。

そっか、あいつは監視するためにいつも私の所に来ていたのだな。悪態をつく私を笑ってくれていたのはそういう訳だったのか。
子どもの頃から一緒にいたから気付けなかった。友人では無かったのか。あいつと過ごす時間は嫌いではなかったのに残念だ。うん、本当に残念だ。
私は結局独りなのだ。それもきっと徐々に慣れていけば普通になるはず。だからこの胸の痛みも無くなるだろう。

今自分が住んでいる家も院長が用意してくれたものだった。病院の敷地内に建てられた小さな平屋建ての一軒家。どうせ使ってないから自由に使ってと言われる ままにそこに住み始めたのは中学に上がる頃。最初の頃はほとんど寝に帰るだけだった。それまでは薫の家族と一緒に過ごしていた。少しずつ一人暮らしになれ るように年を重ねるごとにその与えられた部屋で過ごす時間が増えていった。

最近はどうだろう。そう言えば店を出すなんて言い出して驚いたけど結局あの話はどうなったかな。私の反応を楽しんでいただけだったのかもしれない。休みのたびにここへ来ては取りとめのない話をするだけで帰っていく。
あれは私を見張るためだけだなんて信じたくない。では何を信じたら良いのだろう。
何だか疲れた。何も考えたく無いし何もしたくない。
気付けばソファに座ったまま何時間もぼうっとしていた。だけどお腹もすかないし手足も動かない。

遠くでインターフォンが鳴っている気がする。
ピンポ~ンピンポ~ンピンポンピンポンピンポ~ン♪
あぁ、またあいつが私を見張りに来たのか。
院長の所へ行かなかった事を叱りに来たのか。
もう私に関わる必要などないぞ。私は独りでも大丈夫だ。大丈夫だからもうここには来ないでくれ。
いやだ。私を独りにしないで。独りは怖い。また薫の笑顔が見たいのにここは暗くて何も見えない。何も見えないんだ。静かすぎて怖いのに心地よさもどこかに感じる。相反する感情を止められない。

「ねえ、薫。薫は私を監視するために傍に居てくれたのか?そのせいでいろんな誘いを断っていたのか。私は知らない間に縛り付けていたんだな。ごめん。今ま で気付けずにいてごめん。何を言っても許されていたから甘えすぎていたよ。ごめん…」うわ言のように弱弱しくそれは繰り返された。

再び支えをなくした心はただ暗闇に倒れ誰の手も届かない所にあった。

2011年9月9日金曜日

『東京NAMAHAGE物語・1』 by 勇智イソジーン真澄

<イヤンのばか>
ああ、また雪かきから一日が始まる。
昨日までは時折太陽が顔を見せ、幾層にも積み重なった雪を解かしかけたばかりだというのに冬に逆戻りか。
人差し指で少しだけカーテンを引き開けて覗いた、白い外を眺めて思う。

はあ~、実家での生活が始まって何回、いや何十回目のため息だろうか。
雪のように白くて冷たい息がガラスに張り付き乳白色の円を描く。
一年の半分は暖房の世話になる地域。
雪灯りはあるが暗い日常……。

父が病に伏したのを機に、秋田県男鹿市に戻り3年が経った。
その間、父は他界、その1年後母が入院しペースメーカー埋め込み術を施した。
どちらの入院中も側にいたくて、ほぼ毎日病院に通った。父の件も落ち着き、母も自宅生活ができるほど回復し退院した。

仕事を辞め東京での生活にピリオドを打ち、実家で母と二人だけの生活になって5カ月。
一人暮らしが長い私と、父との二人暮らしだった母とは環境も思いも違う。

干渉されるのに慣れていない私と、父に干渉していた母。いま、母の関心は同居している私に向いている。
台所に立てば背後から「何してるの?」、席を立つと「どこ行くの?」、起床時間が少し遅いと「具合が悪いのか?」と枕元に立っている。

一々返答する気になれないくらい、それが頻繁なのだ。 
家に帰りたくないと居酒屋で一杯ひっかける倦怠期の夫のように、一歩外に出たら無駄な用を作り、少しでも遅く帰宅しようとする。
そうしてしまう自分がいる。
依存されることの煩わしさから逃げている。

しかし、そうはしていても、帰宅が遅いと心配し、一人でいることが心細くて不安でならない母の顔がちらつき居ても経ってもいられなくなる。

「やっぱり君がいないとだめだ」と花束を持って追いかけてくる男もいなければ、高齢化の地元周辺には、すがりつきたい男も見当たらない。
桜は来月が見ごろ。
私はこのまま葉桜の時期を過ぎて、姥桜になってしまうのだろうか。
なんてこった。

陽が落ちてしまえば民家の灯りだけで、街灯もなく外は闇。
夕食の時間も就寝も早く、家々の灯りは早々に消えてしまう。
テレビのチャンネル数も少ないし、ちょいと一杯、と飲みに行く店もなければ、おしゃれなレストランも見当たらない。
欲しいものが揃う店もない。
以前暮らしていた東京・恵比寿とは比べ物にならないくらい、ここは何もない。

何もないといえば小遣いも足りなくなった。
母の収入は遺族年金となり、父の生存時に受給していた年金額の半分近くに減った。

私は仕事もなく、この半分になった年金から私にかかる費用を捻出しなければいけない。
二人住まいに変わりはないのに、収入だけが減り、家計は火の車だ。
年に数回の海外旅行ができていたバブルなころが懐かしい。

バブル絶頂期に購入した高級ブランドの服もバッグも靴もアクセサリーも、着用することもなくなった。
身に付けたとしても誰が気づいてくれようことか。
プラダだろうがプラデだろうが、グッチだろうがゲッツだろうがどうでもいい。
動きやすく、汚れても平気な服で十分なのだ。

若かりし頃の黒髪は、染めても染めても白髪が目立ち始める。
悪あがきをあざ笑うかのように、根元から白カビのように生え出てくる。
年相応だ、と言われればそれまでだが、母という枷と、ない物ねだりのストレスによる心労が一因かもしれない。
そう、きっとそうだ。

いつも何かに追い立てられている気分にかられている。
あれもしたい、これもしたい。
あれもできない、これもできない。
何かしよう、なんとかしなければ、と焦る気持ちなのだろうか。
思いどおりに行かない苛立ちなのだろうか。

いやだ嫌だ。
あぁ、いやだ。
こんな生活、もういやだ。

いや?
58(いや)? 
いやだ、今日は私の誕生日、それも58回目の。
イヤン……。

やだやだ、とため息ばかりついている場合ではない。
自分の置かれている状況を受け入れれば新しい発見があるはずだ。

何のために、貴重な経験をしてきたのだ。
これまで十分、自由気ままに遊んできたじゃないか。
楽しいことも辛かったことも、すべてはこれからの歩みへの必然だったのだ。

過去に思いを残すことはない。
父の残してくれた木造家屋は住み心地がいい。
小さいながらも庭があり、気候のいい時期は木陰で読書をする。
男鹿半島の先端まで行けば自然な美しい景色がある。
海を見ながら、のんびりとした一日もおくれる。

上手くやり繰りさえすれば、母と二人の生活は何とかできないこともない。
いざとなったら、何としてでも働けばいいだけのこと。

静かで心躍ることもない代わりに波風も立たない。
過去に引きずられたり、他人をうらやんだり、見栄を張ることも着飾ることもいらない。
いくら髪を染めて外見を変えようが私は私、あるがままの自分でいい。

レフ・トルストイの作品に「イワンのばか」という童話があった。
主人公イワンは純朴遇直で欲がなくて、小悪魔からの誘惑のささやきにも耳を貸さず、バカだと言われても自分の生活を変えることはなく、最後には幸運を手にするという話だった。

確か、濡れ手で粟、の金儲けをすることの虚しさと儚さを教えてもいたはずだ。
まったくもって今までの私、耳が痛い。

新しい歳になったのだ。
このまま毎日を嫌だ無意味だと否定ばかりしていては、ただイヤンと言ってるだけのバカ者になってしまう。

イワンのように全ての欲を取り除くことは難しい事だが、少しでも見習うことができないだろうか。
無欲になり、身の丈に合う日々を過ごせればいい。
一日一歩ずつでも、それに向かって新たな道を進んで行ければいい。

明日という日はまだ手つかずに残っているのだから、あわてることはない。
幸い時間だけは沢山ある。

2011年9月2日金曜日

日本人の知らない韓国の常識・その2 <セジョン大王とハングル公布> by 御美子

セジョン大王:1万ウォンのデザインにも使われている
10年程前、仕事で韓国を訪れる機会があり、会場と宿舎の往復をする送迎バスが必ず通る道があった。
ソウルに2年以上住んだ今なら分かるのだが、その道とは光化門(カンファムン)とその前の広場との間にある道だ。
当時、光化門は撤去した旧朝鮮総督府跡に建設中で工事中の大きな壁があるだけだった。
あの大きな壁が取り払われた今なら見える青瓦台(チョンワデ:大統領官邸)や、その後ろにそびえる美しい北漢山(プッガンサン)が見えなかったのは、ソウル市や韓国そのものにとって大きな損失だったろうに、朝鮮総督府への積年の恨みの方がそれに勝っていたのだろう。

あの頃既に広場側には威風堂々とした銅像があったが有名な王様だということくらいで、名前も聞いたはずなのに特に印象には残っていなかった。

今ならこれも知らないと恥をかくくらいなのだが、この銅像こそ現在の韓国で最も尊敬され1万ウオン札の肖像でもある世宗大王(セジョンデワン)だったのだ。

因みに世宗王の肖像は一枚も現存せず、銅像やお札の肖像は空想で描かれたものであるという。

世宗王は三男で比較的温厚な性格だったとされるが、父の太宗の方は初代李成桂(イソンゲ)王の五男で、八男を跡継ぎにしようとした実の父王李成桂に反乱を起こして、腹違いの弟である八男を殺したり野心を抱いていた四男を退けたりと、武勇伝に事欠かない人物だった。

幼少の頃から本を読むことが最大の楽しみだった世宗は、兄王子達が自ら失脚した為に22歳で王として即位した。

即位2年後には集賢殿を作って若くて優秀な人材を集め、保守派の反対を押し切って新進派に訓民正音(ハングル)を作らせ、1446年に公布したことが最大の功績と言われている。

その他の功績として挙げられるのは、王立天文台・日時計・自動水時計・測雨器・火薬や火器の製造開発などだ。

当時の朝鮮王朝は高麗王朝の残存勢力がスパイとして入り込んだり、事大主義と言って大国に従属することで国を存続させようという空気があり、明(中国)の顔色を常に伺わなければならない状況で、ハングルの発明は明の支配から離れることを意味し、他の発明品?に関しても明のものが基礎になっているので、開発していることを明に知られる訳にはいかなかった。

文字に関して言えば、支配層の両班(ヤンバン)達だけが漢文を読み書きし、中下級官僚達は吏読(イドウ)という方法で漢字を朝鮮語として読んでいた。

当時吏読で使われていた漢字には、漢文を和読するために使っていたカタカナの原型と同じ字を始め、現在も日本で使われている漢字が在ることは興味深い。

例えば、「ア阿」「イ伊」「カ加」「タ多」「ヤ也」は、日本語のカタカナの原型漢字表にあるものと同じであり、この他万葉仮名やカタカナの原型漢字表にはないが、「オン温」「コ古」「サ沙」「シャ舎」「シン申」「タ他」「ト吐」「ナ那」「ナン難」「ニ尼」「ニョ女」等は、韓国人が読んでも現在日本で使われている発音とほぼ同じになる。

ところで、ハングルは日本語よりも発音の種類が多いため、あらゆる言語を表記できると言語学者が言ったとか言わないとかで、その例としてインドネシアの文字を持たない少数民族チアチア族が、2009年に彼らの言語を表記する方法として、ハングル文字を採用したことが、明るい話題としてニュースでも取り上げられた。

しかしながら、チアチア語の音声をハングル文字で表記しただけなので、韓国を表敬訪問したチアチア族の皆さんと、迎えたソウル市長達の意思疎通は、お互いの国の言語では出来るはずもなかった。

また、ハングルで表記する英語の発音に関しては、「ds」をジュ・「f」をプ・「ts」をチュ・「th」の濁る方をドゥ・「sh」をシというようにしか発音できないため、日本人同様、英語が通じなくて苦労しているようである。

両国の外来語の発音が大きく違って通じにくいことも、発音の種類が違うことに起因していることは明らかだ。

あ行からいくつか例を挙げてみると、アパート→アパトゥ、アフターサービス→アプトゥソビス、アイスコーヒー→アイスコピ、イメージアップ→イミジオップ、エアコン→エオコン等など、個人的には4,5回言ってみて、ああそうかと分かることが多い。

2011年8月26日金曜日

とある休日4 by やぐちけいこ

とある休日シリーズの第4作目です。前作はそれぞれ以下のところにあります。
<とある休日> <とある休日2> <とある休日3>(当ページ7月22日掲載/右下の「記事一覧」から探すか、本文最後にあるラベル:やぐちけいこをクリックしてください)

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

「何か思い出したの?」
あれからその言葉が頭から離れない。
いつもなよなよと女言葉を話しているのに一瞬その時だけは表情が素になっていた。少しだけ思い出した事がある。

あいつはもともと女言葉など使ってはいなかった。ただ漠然とだが確信が持てる。だったらいつからだ?その事を考えると頭に靄がかかったようにはっきりしない。おまけに気分まで悪くなる。私には一部記憶があやふやな所がある。
以前医者に無理に思い出す必要は無いと言われたのを鵜呑みにして思い出す作業をしていない。ただあいつがその記憶のカギを握っているような気がする。

そんな事をもやもやとした気分の中考えていたからだろう。いつの間にかベッドで寝てしまったようだ。夢の中には子どもの頃の私が出てきた。

初めてあいつと会ったのは病院のベッドの上だった。
10歳くらいの私は病院のベッドに一人座っていた。きっと何らかの理由で入院していたのだろう。
突然あいつが部屋にやってきたのだ。
「だれ?」そう聞いた私に一瞬目を大きくし悲しそうな顔をした。
「初めましてかなあ。僕は牧田薫って言うんだ。よろしくね、かすみちゃん」そう言って手を出してきた。
出された手の意味が分からず戸惑っていると、ん、とまた手が伸びてきた。恐る恐る自分も手を出すと思いっきり上下に振り「これからも仲良くしてね」と言ってきたのだ。私にとってその時は突然現れた男の子の行動にどうしていいか付いていけずただただ手を振られているだけだった。
それから薫と名乗った少年は毎日のように学校が終わってから病室に現れた。
その日学校であった話を面白おかしく話しては帰って行った。

表情がころころと変わる薫に対して私は人形のようにただそこにいるだけだった。泣く事も笑う事も怒ることも一切出来なくなっていた。
その原因は両親を目の前で無くしたショックだ。幼い子どもの心には負担が大きすぎたのだろう。薫はそんな事情も知っていたに違いない。

場面がまた薫が面会に来ていた病室になる。
いつものように薫がその日あった友人との事を私に報告している。会話が急に鮮明になる。
「もうひどいと思わない?何で私ばっかりそんな目に会うのよ」とわざと女言葉を使って話している。夢は突然そこで終わった。
目が覚めて断片的に記憶に残っている夢をもう一度反芻する。入院していた私を毎日見舞ってくれていたのか。
あの頃のあいつはまだ12歳前後だったろう。入院していたのはおそらくあいつの父親の病院だ。パズルのピースを嵌めていくように記憶を繋ぎ合わせる。薫が女言葉を話し始めたのはきっとこの頃からだろう。それをいまだに続けている理由がまったく私には理解出来んが。今じゃ好きで使っているようにしか見えんな。

時間が気になり時計を見ると午前11時を指していた。いい加減ベッドから抜け出して休日を堪能しないと勿体ない。
そう思い顔を洗いに洗面所へ向かう。
さっぱりとしたところで軽く何か食べようと冷蔵庫を開けた途端、ピンポ~ンピンポ~ンピンポンピンポンピンポ~ン♪
あぁ、また今回も自分の時間を楽しむという究極の幸せを邪魔する悪魔の訪問だ。
仕方なく玄関を開ける。
「何の用だ。私はこれからすることがあるので帰ってくれ」となるべくそっけなく言う。
「そんな冷たい事言わないで入れてよ~。ねえ?お腹すかない?サンドイッチ一緒に食べましょうよ。ここのは美味しいのよ~」と魅惑的な言葉を聞いてすんなりと家に入れてしまう私はつくづく何なんだ?と自分を叱責するが、空腹には勝てないので考えるのは後回しにしよう。
さっき見た夢の話を聞いて貰おうと今日くらいは一緒に過ごしても良いかもしれないと少しだけ思った。

2011年8月19日金曜日

カペル橋での回想 by Miruba


サンモリッツから出るスイスアルプスを走る山岳観光鉄道氷河急行Glacier-Expressグレイシアエクスプレスに、ブリ-クから乗ってツェルマットに入ったスイスへの旅はその景色の壮大さに、緑の夏も雪の冬も忘れがたい。
2006年にグレイシアエクスプレスは新型車両「プレミアム」に置き換えられたという。


また、フランス語圏の ジュネーブを行くのも好きだ。仏領モンブランでのスキーや、夏、南仏コートダジュールへ行くときの経由地だし、私にとっては、なんと言ってもドイツ語圏と違い言葉が通じやすいくレマン湖の畔でのゆったりとした時間は貴重だった。


13世紀初頭にハウスブルグ家に対抗するため作られた3州が、後に13州となり16世紀にローマ帝国からの独立を果たしたといわれるこの国はしかし、いまだに自国語が存在せず、公用語はドイツ語フランス語イタリア語と、わずかに話されるロマンシュ語の4ヶ国語である。


欧州の歴史に風見鶏のように順応しながら生き延びてきた、賢くしたたかなスイスの国の人々。国連欧州本部、国際赤十字委員会など200もの国際機関の集まる永世中立国、正式国名Confoederatio Helvetica コンフェデラティオ ヘルベティカ、通称<スイス>。


スイス中央にある都市、【ルツェルン】も、もう一度訪れたい場所だ。世界一の急勾配を登る登山電車ピラトゥス・クルムは龍の気分で乗りたいし、歴史遺産や美術館などが立ち並ぶ旧市街はほんの半日も回れば良いくらいの範囲にあり、こじんまりとした美しい街だ。


ヨーロッパのどこにもあると思わせるピカソ美術館もあり、瀕死のライオンも見たい。
さらにロイス川に1333年建造されたヨーロッパ最古の木造の橋といわれる屋根つきの【カペル橋】の姿が思い出される。ルツェルンの歴史が描かれた111もの板絵がかけてあるのだ。1993年にその三分の二が焼け落ちたが一年後の1994年に再建された。




花で飾られたカペル橋を渡り終えようとしたときだ。杖を持っていた老人が何かバランスを失ったらしく倒れた。観光客は驚いた様子はしても、助けようとしない。私が走りよってその老紳士の腕を取ろうとしたとき、反対の腕を支えた東洋人がいた。



***

私に語学の才能がないのは、とっくに気がついていた。それでも生活しようと思えば、少しは覚えないわけにはいかない。3度目の巴里滞在のときに短期のフランス語講座を取った。カルチェラタンに近いその学校には日本人も多く学んでいたが、私のクラスに日本人は一人もいなかった。同国人と思って声をかけた若者は、エベレストのチョモランマでシェルパ山岳ガイドをしていたというネパール人の男性だった。


父親が日本人の女性と再婚し今日本で床屋をやっているという。彼とはすぐに友達になれた。もう一人、ロシア人の大人しいイケメン男性とアルメニア人の女性と4人でいつも一緒にいて、講習の後は、近くのカフェで話をした。


イタリア人やアラブ人、アメリカ人などの、自己・自国主張強調派組には到底かなわず、先生に「あなた達もっと意見を言いなさい。」と諭されても「機関銃のようなあの人たちのおしゃべりで、授業の間中反論さえする暇ないよね」とお互い慰めあったものだった。


試験が終わって、夏のグランドヴァカンスがすぐ其処まで来ていた。
サンジェルマンデプレ教会の前でジャグリングをしている白い夏服の青年を眺めながら、私たちはカフェ・ド・マゴのテラスに座り、いっぱいのコーヒーでいつまでも粘って話をしていた。


「もう、山はこりごりなんだ」
何故生まれ故郷を離れたのか問うた私に、彼が言った。
「なんにん登山者を天国に見送ったかわからない」と顔をゆがめる。


フランスに渡ったきっかけも、日本人のパーティーと共に登ったエベレストで7人が遭難し亡くなった事故のせいだった。ガイドの彼もやっとの思いで助かったのだという。
「もう、死人を見たくないんだ」苦しげにそう言った。


クラスの最終日、4人でレストランに繰り出し、ディスコで踊った。
「上のクラスも一緒に行こうよ!約束だよ」そう言ったけれど、私は行かなかった。


 あの時次のクラスに行かなかったのは、彼の気持ちに気がついたからだった。「T’es jolieテジョリ=君はきれいだね」クラスで会う度にそう言ってくれていた彼、ネパールの言語の問題か「ジョリ」の間に息を吸い込む発音をする為、フランス語を覚えたての私には長いこと彼が何を言っているのか意味がわからなかったのだ。だが、ロシア人の友人が、耳打ちしてくれた。「彼はね、君が好きだから、フランスに住むことにしたらしいよ」


私には、学校が終わったら「スイスに住むお姉さんのところに行くんだ」と言っていたのだ。仕事もあると希望をにじませでいた。私などの為に予定を変更させるわけにはいかないじゃないか。


***


カペル橋近くのレストランで、彼と昼食を共にし、お土産屋でスイスの特産品ともいえるオルゴールをおそろいで買うことにした。曲は、定番の<エリーゼのために>


彼は、あれほど嫌がっていた山に、また登るという。今度はヨーロッパの山だ。
マッターホルンかモンブランか・・・
「いつか、日本の山に登ってみたいんだ」
父親の住む日本に会いに行くことがあるだろう。
そのときに、またきっと会おうよ。と約束をした。


今はもう、ぜんまいが壊れて鳴らなくなったオルゴールだが、さわやかな山男の彼を思い出させる<エリーゼのために>の曲は、その後スイスを通る度に、心に流れていくのだった。





2011年8月12日金曜日

日本人の知らない韓国の常識・その1 <イ・スンシン> by 御美子

「豊臣秀吉って知ってる?」
韓国に暮らし始めて間もなく、初対面の小中学生によく尋ねられた。
「戦国時代の出世頭ってイメージだけど、それがどうかした?」
なんて答えようなものなら、途端にガッカリした顔をされたものだ。

何回か聞かれるうちに、やっと気づいたのだが、彼らが期待していたのは、朝鮮半島を侵略しようと秀吉が軍隊を派遣したことを知っているかということと、そのリアクションを日本人から引き出そうということらしかった。

1592年からの文祿・慶長の役、いわゆる朝鮮出兵の頃は倭寇対策で名声を得た李成桂(イソング)が1392年に建国した李氏朝鮮時代前期だった。それまでは安定期と言われ、ハングル公布や計雨器・日時計・火薬・火砲の開発製造等、目覚ましい発展を遂げていたが、身分差別等が深刻になってきて、社会が不安定になりつつあった。

さて、秀吉とセットで覚えておいてもらいたいのが、その頃朝鮮水軍将軍になった韓国の国民的英雄、李舜臣(イスンシン)だ。

32歳で科挙に合格し、下士官として各地を転戦した李舜臣は、幼馴染みで副首相だった柳成龍(ユソンヨン)の口添えで、1591年、文禄の役の1年前に朝鮮半島南西部の水軍を率いることになった。

当時の朝鮮朝廷は、日本からの侵略があるかないかで二派に分かれていたが、李舜臣は日本が戦争を仕掛けてくることを想定し、結果1年の準備期間を設けることが出来た。まず母親を安全な場所に移し、日本船を研究して弱点を見つけ、それに対抗出来る亀甲船を作らせていた。

予想通り日本軍が来ると、地元の利点を活かして、潮流の激しい海峡に日本船を誘い込み、時には仕掛けを駆使して日本軍を上陸させない作戦が、ことごとく成功した。

慶長の役の直前には、朝鮮朝廷が事前に入手した情報により、李舜臣に出陣命令を出したところ、日本軍の罠だと従わなかった罪で拷問された上、死罪を宣告されたこともあったが、一兵卒として軍に留まることで赦された。

1597年、慶長の役が始まってみると、後任で宿敵であった元均(ウォンギュン)を始め数名の将軍が戦死し、朝鮮水軍は殆んど壊滅してしまったので、李舜臣が更に広範囲の将軍として返り咲いた。その時残された戦船は12隻しかなかったそうだが、逆に「12隻もあります」と前向きな発言をしたそうだ。

1598年、秀吉の死後、退却命令の出た小西行長軍の退路を塞いだ為、援軍である島津義弘軍と戦うことになり、李舜臣は混戦の最中流れ弾に当たって亡くなったという 説が有力だが、彼の最期について確かなことは分かっていない。

韓国大統領官邸が見える光化門広場には威風堂々とした李舜臣の銅像が建てられている。その他所縁の地にも数多くの銅像が立っているという。

2011年8月5日金曜日

メルトモ紀行 by Miruba



 「お先に失礼します。」
事務員さんたちが、慌しく帰っていく。子供たちを迎えに行かなくてはいけないのだろう。子供が出来ないことを理由に離婚してきた私に気を使って、彼女たちは子供の話をあまりしなかったが、そのくらいわかる。

汗まみれになり、少しくたびれた顔の従業員たちが、そこかしこの現場から戻ってきて、後片付けや明日の準備をしたあと、短いミーティングをしてから事務所に顔を出す。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」交替に顔を出し口々に私へ声をかけて出て行く。
「今日も暑かったですね。ご苦労様でした。」それぞれにねぎらいの言葉をかける。

私は、今日最後の報告書を書き上げて、涼を求め開けてある窓の外を見た。
6時を過ぎたというのに、夏の太陽にはまだ力がある。
傾いた日差しを遮って半分だけ下りている薄いブルーのブラインドが、木の葉の陰をまといながら、意外に涼しい海風に押されて、時折ガチャガチャガチャと細切れの音を立てる。

_さて、私も帰ろうかな_
片づけを始めたとき、個人用パソコンにメール受信のマークがでた。
またか。アンケートの案内だ。時間のあるときは、ポイント交換で商品券も得られるし、興味深いものもあるので参加するが、忙しいときはすぐに削除してしまう。
削除しようとして、同時に入ったメールに気がついた。
え?!うそ!
意外な人からのメールに驚いた。
胸がぎゅっと締め付けられる。
勘違いだろうか?いたずら?


私がパソコンをいじるようになったのは、学生のときだった。
観光に興味があった私は、レヴェニューマネージメントを学ぶ授業の中で必要だった。就職した会社でもエクセル・ワードと当然ながら必要不可欠になる。その後、観光とは関係のない父の会社を譲り受けたが、今ではパソコンは生活の一部だ。

初めて自分のパソコンを手にした頃は、操作の勉強は半分独学だった。自然に学ぶには「遊ぶこと」から入るほうが手っ取り早い。私は趣味のダンスサイトに入った。

だが、当時は遊ぶサイトも少なく、バーチャルで遊ぶ人も少なかった。
趣味のジャズダンスではなく、間違って入った社交ダンスのサイトで、彼と知り合った。チャット欄に、タイピングする。相手の声も姿も見えないから、踊りのステップの話になると、専門的な言葉を文字にする必要がある。スピンの名前など似ているものもあったのだが、どうも話がかみ合わない。ジャズダンスと社交ダンスではかみ合うわけも無かった。それが私たちを近づけた。


2年間の掲示板での意見交換の後、個人的なメール交換が始まった。「メルトモ」という言葉が聞かれ始めたころだった。学生結婚で、早くから家庭と勉強や仕事との両立をしていた私に、息抜きを与えてくれたのがメルトモだったのかもしれない。

バーチャルなのだから、何を書いても相手のことは自分にはわからない。相手にも自分は未知の人。だから男が女に、女が男になって嘘を書くこともあるし、意見の相違から掲示板で決定的な諍いに発展しやすく、幻想のネット宇宙空間であるがゆえ、言の葉が自分の思いとは別に勝手に行き過ぎてしまう危険がある。

そう力説する夫に、それではあなたのリアルなガールフレンドは問題ないわけ?と突っかかる私。小さな口論が澱のように重なっていった。「メルトモ」「ガールフレンド」は単なるきっかけの口実に過ぎず、結局はそれまでのすれ違いが、二人別々の道を選ばせることになった。

現実の人生が波風のように変化し過ぎていても、メルトモの彼とのメール交換は続いていた。そんな中、何度か会おうという話にはなるのだが、いつも約束の日に都合が悪くなる。国内外に赴任しているという話しの内容も本当のように聞こえないときがあり、そんなことが、小さな不審となって何もかもが疑わしく思えたこともあった。

だが、それも時間が経つにつれて薄れてしまう。逢えないからなのか、心の吐露をしてしまうからなのか、私たちはいつしか愛し合うようになっていたのだ。

会った事もない人を、愛することが出来るのか?住所だって、本名だって知らないのだ。「好きになるなど有り得ないわ」自分の心を見つめたときに即座に思うのだが、
「愛している」というメールをもらうと、心が震えるのを、止めようが無かった。

メール交換が4年目に入ったとき、漸く逢えることになった。彼が外国にある支社転勤から一年ぶりに帰ってくるとメールで言ってきたからだ。

私は成田の国際空港で待っていた。_外国の転勤って本当だったのね。_
JAL5963便の到着を知らせる電光掲示板の到着表がカチャカチャと動く。
私はこの音が好きだ。
道不案内な外国にいては、この電光掲示板だけが頼りになる。
カチャカチャカチャと数字の板が落ちていく音は妙にアナログっぽく嬉しい。

目印のスカーフを手首に巻いた。
逢うまで、画像の交換はしないでいよう。という彼の提案で、顔も知らなかった。
なんと危険な逢瀬。

さわさわと高ぶる心を、どのように顔に出したらいいだろう。
到着口から、大きなトランクをキャリーに載せた人々が、空の旅を経この地に到着した安堵と、久しぶりに出会える知人や家族たちに笑顔を見せて、散り散りに去っていく。
次か次かと、待ち焦がれる気持ちを抑えた。

だが、それらしい人は、いつまで待っても現れなかった。

やはり、私はだまされたのだ。
空港の広いターミナルビルを、涙を堪えながら歩いた。
自宅に帰り、それでもいつもの習慣でメールボックスを開くと、彼からの新着メールがあった。「ああ、なんだ、きっと都合で予定の飛行機に乗れなかったのだろう」と思った。

「お知らせします。父は、貴女の所には行けません。父は、今朝、心臓発作で死にました。ずっと親しくしてくださってありがとうございました。最後に貴女に会いたいと言っていました。さようなら」

なんということ!私はあまりのことに涙を忘れた。
うそであってほしいと思う一方、彼のメルアドから送られてきたメールに間違はなかった。そして返事を出そうとしたときには、もう、メールは通じることは無かった。
Un Knownの文字。
お葬式に行きたくとも、どこの誰だかわからないのだ。

バーチャルの別れは、ある日突然やってくるものだと、無機質なパソコンの四角い画面をいつまでも見つめていた。



あれから5年がたっていた。
パソコンの機種はすっかり変わっていたが、四角い画面に現れた懐かしいハンネとアドレスは一気に悲しさを呼び戻した。恐る恐るクリックをする。

「君のアドレスは生きていてくれるだろうか?」
と言う書き出しから始まっていた。

彼は生きていた。
危惧していたとおり飛行機に乗る日の朝、交通事故にあって、日本への帰国が出来なかったのだ。娘さんと二人暮らしだった彼は、メールを見られてしまい、激しい抵抗にあったという。

「娘は私の宝です。彼女が許してくれないのなら君を諦めなくてはいけないと自分に強く言い聞かせたんだよ。だが、忘れることは出来なかった。
先日結婚した娘が、悪いことをしたと謝ってくれた。いまさらなんだが、また、メルトモになってくれないかな」

今度はメールの下のほうに住所と名前も書いてある。添付で写真もついていた。口ひげの似合う素敵な人だった。

自分勝手な人。
そうは思ったが、生きていてくれたことが嬉しくて、バーチャルがリアルになったことにただ感激し、会う約束をした。

成田の北ウイング到着ロビーに、私は懲りもせずたたずんでいた。
手首にスカーフを巻いて。

人がだんだんまばらになってくる。

_北ではなく、南ウイングかな_
また来ないのかと不安になったとき、私の背中を抱く人がいた。
かすかなコロンの香りと共に「たくさんまたせたね」と、
ささやく声が、優しく耳に響いた。

2011年7月23日土曜日

キングコング・アローン by  寿月

編集部より出された3つのお題を使って作品をつくる「三題話」に、週刊「ドリームライブラリ」の執筆陣達が挑戦しました。第2回目のお題は「トマト、ぬいぐるみ、朝寝坊」。一見なんの脈絡もないこれらの単語を全て折り込んで、エッセイ、小説、落語などの作品を作り上げていきます。今回は、寿月さんの大作をお楽しみください。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

彼女がカーテンを開く。強い日差しが室内のいたるところに命を吹き込み、止まっていた時間が動き出すのを感じる。
朝が来た。いや、朝ではないかもしれない。
実際の時間が何時だろうと、僕にはまったく関係ない。大切なのは彼女にとっての朝は、今だということだ。
彼女がカーテンを開けなければ僕には朝が来ない。
そしておそらく彼女にも、同じことが言えるのだろう。

「さあさあ朝ですよ。あなたったらもう、手の掛かる困った人ね。起きてくださいな」
僕の眠るベッドの横に立つ彼女の顔は、ちっとも困っているように見えない。むしろ生き生きと輝いている。
彼女は首の下に腕を差込み僕を抱き起こすと、ベッドの端に座位をとらせ、支えるように背中に手を廻す。
今日の調子はどう?どこか痛いところはありません?お腹はすいたかしら?
幼い子供をあやすように、僕の背中をとんとんとリズミカルに叩きながら、彼女は矢継ぎ早に質問をしてくる。
「さ、これに乗ってお食事に行きましょうね。皆さんもう、始めてらっしゃるかもしれないわ」
かいがいしく僕を車椅子に乗せて「足をブラブラさせないで」とお小言をつけながらも、足置きに僕の足を一つずつ乗せてくれる。その手つきはとても優しく、こわれものを扱うように繊細だ。
「ねえ、あなた、二人で行こうって言ってた旅行の約束、覚えてます?うふふ、楽しみだわあ。早く元気になって、連れてってくださいな」
旅行の事を持ち出す時の彼女はいたって機嫌が良い。いい一日になりそうだ、僕はそう思った。

リノリウムの床にタイヤの軋む音が響く。ぎゅうともぎいとも聴こえるその音に合わせて彼女は鼻歌を歌いだし、それに合いの手を入れるように、ペタペタと吸い付くような、彼女の足音が重なる。
食堂には彼女の言うように、すでにたくさんの人間がいた。食事を始めている人もいれば、おしゃべりに夢中な人もいる。食器の擦れ合う音と人声で大変な騒がしさだ。
「朝、見かけなかったけど、寝坊?もうお昼よ」
入り口付近で一人の女性が話しかけてきた。嫌味な言い方だ。何か値踏みするような目付きで、僕たちを上から下まで嘗め回すように見る。
「何言ってるの。今が、朝よ」
彼女がぴしゃりと返した。女性は一瞬ぽかんとした後「規則は知ってるでしょ。集団生活を乱すような行為は、私が許しませんよ」とムキになって叫んでいる。確かこの女性は、元教師だと聞いたことがある。
叫ぶ女性をその場に置き去りにしたまま、彼女は僕の車椅子を押して、いつもの決まったテーブルに到着した。
「おかしな人がいるものね」
言いながら自分の椅子の左側に僕の車椅子をセットすると、自分も腰を降ろした。
目の前のテーブルには、すでに食事がアルミの盆に載せられ準備されている。
今日は冷やし中華だ。錦糸卵の黄色ときゅうりの緑、ハムの桃色が美しくあるべきところに配置されている。そして薄めに切られたトマトが二きれ、申し訳程度に皿の横に添えてある。
「あらいやだ、朝から中華なんて・・」
彼女が心底落胆したような声をだす。
「別のものお願いできないか、厨房に頼んでこようかしら」
彼女が立ち上がりかけた。僕は慌てて車椅子を揺らしてみる。実際は揺らしたつもりになっているだけだが、必死にやると何故か伝わることが多いのだ。
「そう、そうね。あなたが気にしないなら私はそれでいいの。だって栄養を取って、元気にならなければいけないのは、あなたですものね」
彼女は僕を見て何かを感じ、思いとどまってくれたようだ。以心伝心とはこういうことを指すのだろうか。何はともあれトラブルはなるべく避けたほうがいい。
「では、いただきます」
背筋を伸ばして目を閉じ、彼女は手を合わせる。そしてゆっくりと目を開けると横にいる僕の両腕をつかみ、丸っこい手のひらを合わせるように動かし、僕の代わりに「いただきます」と言った。彼女の息が身体にかかり体毛がくすぐられる。

ここは病院だ。歩いている人もいれば、僕のように車椅子に乗っている人もいる。病室から出られない状態の人も多いようだ。
「まずはお野菜から食べましょう。あなたご存知?食事の時、お野菜から口にすると、消化吸収がとっても良くなるんですって。高橋先生が教えてくださったの」
彼女はいつもと同じ台詞を口にすると、皿から薄っぺらいトマトを指でつまみ、「あーんして」と言いながら僕の口元に近づける。
まるで口というのはこうやって開けるのよ、と体現するように、自らも口を大きく開けた状態で僕の様子を伺う彼女を見ながら、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「どうしたの、ほら。お口を開けてくださいな」
少し困った顔をした彼女を、僕はただ見つめ返すことしかできない。彼女は、ふぅとため息をつくと、トマトを一度お皿の上に戻した。
こうして彼女を落胆させてしまう僕が、ここにいる意味などあるのだろうか、毎度毎度、そんな疑問が湧き上がってくる。
「少しでも食べなくちゃ元気になれないわ。ねえ、わかって、あなた。あなたをもう一度元気にすることが、私の使命だと思っているの。だからお願い、お願いよ」
懇願するように彼女はつぶやき、意を決したような表情で再びトマトをつまむと、僕の口元に運び、そのまま唇にトマトを押し付けた。塗りたくるようにぐりぐりぐりと左右に動かすと、果肉がつぶれて口元を濡らし、顎をつたって胸まで滴った。
「えらいわ。そうよ、その調子で頑張りましょう」
彼女は泣き出しそうな顔で僕を励まし、今度は錦糸卵を指でつまむ。そしてそれをまた僕の口に運ぶと、指に力を込めて押し付ける。卵はぬちゃっと潰れてちぎれ、ぼたぼたと落下する。
麺やきゅうりやハムが僕の顔や身体を汚し、その横で彼女はその様子を満足そうに眺めながら自分も麺を啜っている。
彼女の強い気持ちが伝わってきてとても苦しい。その気持ちに僕が答えられているかどうかが気がかりだけど、それを確認するすべを僕は知らない。
「安藤さーん。しっかり食べてますかあ」
先ほどとは別の女性が、僕たちの目の前に立っている。案山子のように片足で立ち、折り曲げたほうの足を腕で抱えるように持ちながら、にっこりと微笑んでいる。ちらりと見える足の裏は汚れてすすけたような色をしていた。
「ええ、おかげさまで。今日はほら、随分と食べてくれたんですよ」
僕の横で彼女が、嬉しそうに皿を傾けて女性に見せる。
「それは良かったですねえ。食べると元気も出てきますから、もう少しですよ。一緒に頑張りましょうね」
そう言いながらも女性は、自分の足の裏の何かが気になるらしく、視線はすでに僕たちから離れ、足の裏の何かを引っかき取ることに意識を集中しているようだ。
「はい。ありがとうございます。お世話になります」
それに気付いていないのか彼女は、女性に向かって丁寧に頭を下げると、僕の後頭部に優しく手を添え、少し前に押すようにして僕の頭を下げさせた。

「私たちもそろそろ戻りましょうか」
食事を終えた人たちが行きかうのを眺めながら彼女はそう言うと、食器を手にし下膳所に向かった。
たくさんの足音の中でも、僕は彼女の足音を聞き分けることができる。床を踏みしめるのが申し訳ないとでもいうような、ちょこまかとした遠慮がちな音だからだ。ペタンペタンでもヒタヒタでもなくペタペタ。その音に耳を傾けながら僕は、まだここに来たばかりの頃を思い出していた。
その頃僕は、この足の裏と床が吸い付いては離れする音が、気になって仕方がなかった。昼といい夜といいひっきりなしに誰かがたてるビタビタベタベタした音が、なんとももの悲しく、耳を塞ぎたくなるほど切なかった。
安全上などの事情から靴やスリッパが厳禁になっているらしいが、なんだか人間らしい生活からは遠くかけ離れているような気がした。野生の生き物が捕らえられて収監されている、そんなイメージが頭に浮かんで僕を苦しめた。
もちろん今では、その音も、たいして気にならないほどに僕はここの生活に慣れてはいたが、やっぱり、スリッパくらい履いても問題はないのでは、と思ってしまう。
「お待たせ、あなた。さ、行きましょう。あらあら、たくさんこぼしちゃったから洗面所に行ってきれいにしましょうね」
戻ってきた彼女に誘導されて僕は食堂の出口に向かう。
「安藤さーん。お食事終わったんですかあ。今日はしっかり食べましたかあ」
出口のところで先ほどの女性がまた声をかけてきた。あの案山子の女性だ。
「ええ。おかげさまで。今日は随分と食べてくれたんですよ」
彼女も先ほどと同じように答える。
「それは良かったですねえ。食べると元気が出てきますから、もう少しですよ。一緒に頑張りましょうね」
「はい。ありがとうございます。お世話になります」
まったく同じ会話が繰り返されていることに、当の二人は気がついていないようだ。
「それでは」
と彼女は女性に会釈をし、女性がまた食堂の奥に戻っていくのを見届ける。ペタンペタンと踊るように歩くあの女性は、長年、看護婦をしていたらしい。きっと患者思いの優しい看護婦さんだったに違いない。
洗面所につくと彼女は大きな全身鏡の前に僕の車椅子を止めた。
「さあ、きれいにしてあげますからね。少し待っていてくださいな」
彼女は鏡にうつる僕に声をかけると、車椅子にかけてあるタオルを手に取り、洗面所の奥にある給湯室に向かった。僕はホットタオルの気持ち良さを思い、うっとりとする。彼女は僕を拭きながらいつも、「早く元気になあれ。早く元気になあれ」と呪文のようにささやく。その声が、僕はとても好きだった。
鏡の中の僕の身体は、食べかすだらけだし、汁を吸った毛が束になりてらてらと光っているし、膝のあたりや肘、足の裏などから綿が飛び出しているしで、あちこちかなり傷んでいるが、それでも厳つく、自分で言うのもなんだが、強そうに見える。
でもまあ、そのせいで僕は捨てられたのだから、強そうに見えるのはあまり喜ばしいことではないのかもしれない。
僕と対面した時の女の子の泣き声が、今でも耳にこびりついている。僕は仲良くしたかったのに。いいお友達になりたかったのに。きっとあの子は、僕みたいに巨大でリアルな物じゃなく、もっとかわいい感じのゴリラのぬいぐるみが欲しかったのだろう。
ゴミとして出され、焼却施設に送られ、もう少しで焼かれるという時に、ある人が僕を訪ねてきた。
そして僕は焼却施設から運び出された。身体を洗ってもらい、毛を梳いてもらい、ほつれをかがってもらった。
僕を救ってくれた男の人の家にはたくさんのぬいぐるみがあった。どれもこれも僕と同じように捨てられていたのだと彼は説明した。
彼は僕たち、一つ一つをとても大切にしてくれ、毎日あれやこれやと世話を焼きながら色々な話しを聞かせてくれた。
「君たちのように、ただ存在し続ける、ということが人間は苦手でね」
彼はそう語った。
僕たちでもわかりやすい例をたくさんあげて、人間がいかに繊細で弱く、脆い生き物かを説明する。
「自分の存在する意味みたいなものをね、いつも、いくつになっても確認していたい、誰かに必要とされたいんだ。役割、とでもいうのかな、そういうものがないと不安なんだろう」
彼は苦渋を浮かべて話し続ける。
「しかしその役割っていうのがやっかいでね。それがあるうちはいいんだが、なくなったとたん、人間てのは壊れてしまうんだよ。突然、足元から地面がなくなってしまったみたいに感じるんだろうな」
不安が人を壊してしまう、彼はそう考えているようだった。
そして、そうやって壊れてしまった人がたくさん、たくさんいるのだ、と彼は言った。
「だから君たちが必要だと、私は考えているんだよ」
話の最後に、彼はいつもそう言って僕たち一つ一つを撫でて回る。
彼の話はもともと命を持たない僕には理解できないことも多かったけれど、必要とされることの素晴らしさは、なんとなくわかる気がしていた。現に僕は、彼からこの話を聞かされるたびに、焼却施設で焼かれなかったことを幸せに思うようになっていたのだから。

ある日、彼が僕のところにやってきて「さあ、君の出番だぞ」と言った。
僕は車に乗せられ、これから僕が行くべきところ、やるべきことの説明を受けた。
ある病院に入院している女性が僕を必要としているらしい。
病院に向かう道すがら、一緒に来てくれた彼がその女性の詳しい事情を話してくれた。
それはとても複雑な話だったけれど、所々の単語を集めて、僕は女性が長年連れ添ったご主人を亡くして、壊れてしまったことを理解した。
ご主人が病に倒れた時、女性は当然自分が世話をするのだと思っていた。それを望んでもいた。けれどそれが叶わなかった。世話どころか看取ることも許されなかったらしい。
「人間てのは愛や情が絡むと、また複雑でね」
彼は悲しそうに話した。だから僕は、それが悲しいことなのだと知った。
女性は葬儀で喪主を立派に務めあげた後、自ら命を絶とうとしたそうだ。
幸い命は取り留めたが、心は戻らなかった。
病院に入院してからも、そこが病院だという認識はあるが、自分が患者だという認識はないらしい。死の病に冒されたご主人につきっきりで看病をしている、と女性は思い込んでいる。なのにご主人が見あたらないわけだから、女性は混乱しパニックに陥り、自分も他人も傷つけかねない状態だという。
そんな彼女が、僕の写真を見て反応を示したというのだ。
本当にそんなことがあるのだろうか。
「君が亡くなったご主人に似ているとか似ていないとか、そういうことは関係ない。彼女がそう思い込んでいる、信じている、ということが大切なんだ」
彼は続けた。
「こういうことをするのは、別に君が初めてという訳じゃない。これから君がやるようなことを、すでにたくさんのぬいぐるみたちが行っているんだよ。日本中のあちこちで、仲間たちがたくさん活躍しているんだ」
でも僕は何も出来ない。自分で動けもしないのに、女性の大切なご主人になりきるなんて、無理だよ、僕は声にならない声で訴えてみる。
「何も特別なことをする必要はないのさ。ただ彼女のそばにいるだけでいい」
不安な気持ちでいっぱいの僕に彼は優しくささやいた。
そうして僕はこの病院で、彼女との生活をスタートさせたのだ。

「あら、安藤さんは?ってあんたに聞いてもね。まだ汚らしいあんたがここにあるってことは・・給湯室か」
あまり望ましくない人が突然洗面所に入ってきた。女性は僕を素通りして、給湯室に向かう。
「ああ、いたいた。安藤さん、あのねお薬飲んでないでしょう。一度食堂にもどりましょうね」
その人は何をそんなに急いでいるのか、いいから早く早くと、せっかちな声で彼女に話しかけている。僕は知っている。患者仲間の間でこの人は、強引で患者のことなんてちっとも考えない看護師として有名だということを。
「いやってことないでしょうが。薬飲まないとどうなるの?悲しくなるんだよね、辛くなるんだよね、わかってるんならほら、来てちょうだい。朝も起きてこないからもう、困っちゃうのよねえ、ほんと」
その後も、ああだこうだと彼女を急かす、看護師さんの声だけが響いてくる。きっと彼女は、僕をきれいにするために一生懸命抵抗しているのだろう。
少しは待てよ。僕が代わりに言ってやりたい。そんなに急かさなくたって、僕のお世話がひと段落したら、彼女をナースステーションに導いてみせるからさ。そう言えたらどんなにいいだろう。
ほどなくして彼女は、せっかちな看護師さんに手を引かれて給湯室から出てきた。手には僕を拭くためのタオルを握りしめている。先ほどまでの生き生きとした表情は消え、目も虚ろで、まるで違う世界に入り込んでしまったように心細い顔をしている。
「あなた、ごめんなさい。この人がどうしても来て欲しいって・・。なんだかよくわからないんだけど、ごめんなさい、すぐ戻りますから」
消え入りそうな声でそう言うと、彼女は僕の方を振り返り振り返りしながら手を引かれて行ってしまった。
せっかちな看護師さんのキュッキュッというナースシューズが床をこする音と、ペタペタという遠慮がちな彼女の足音が徐々に遠ざかっていく。
「やだぁ、安藤さん、おもらしおもらし」
遠くから看護師さんの大声が響いてきた。
もっと彼女のペースで、彼女の役割を尊重して接してくれれば、不穏になることも減るし、おもらしだってなくなるかもしれないし、生活のリズムだってきっとついてくるはずだ。
確かに彼女に薬は欠かせないし、ひとたび不穏状態に陥ったら落ち着かせるのは大変なことだ。
でもだからこそ僕はここにいて、こうして彼女と過ごしているんじゃないのか。
しかしその事を理解してくれる看護師とそうじゃない看護師がいるのも現実だ。今来た人は、もちろん後者で、僕の存在などまったく認めていない。むしろばかばかしいと思っているのだろう。

ぬいぐるみに何ができるのだ、と。

一歩も動けない歯がゆさに押しつぶされそうになった僕は、鏡の中の自分を睨みつける。毛むくじゃらで、飛び出した綿以外は真っ黒。
でかい図体を車椅子に投げ出すように座っている。
「君は、キングコングじゃないか」
ふと、僕を焼却施設から救い出してくれた彼の第一声を思い出す。キングコングってのはな、強くて逞しくて優しいんだぞ。彼はまるで自分のことのように誇らしげだった。
正直、僕がいることで彼女が幸せなのか、わからない。僕は、本物のキングコングのように強くて逞しくて、優しくできているだろうか。
僕だけじゃなく、僕たちぬいぐるみが、人間に役割を与え、必要とされていると感じさせ、生かすことに一役買っているなんて、本当だろうかと今でも思う。
けれどそんなことを実際に検証したり、研究したりするすは、また別の人間にまかせればいい。
それに看護師さんたちから、彼女が落ち着いてきただの、明るくなっただのと言われると、やっぱり少し嬉しくなる。
僕は彼女が、少しでも長い時間、穏やかで人間らしく生きられれば、それでいい。
彼女が僕を必要としている間は、僕は身体が不自由で朝寝坊の、世話の焼ける夫になりきってみせる。
それこそが命のない僕の存在意義だから。

鏡の前で僕は彼女を待ち続ける。
「こんなところで何やってたの?心配しましたよ」
きっと彼女は僕を見つけてホッとした笑顔を見せてくれるだろう。薬を飲み忘れたことも、おもらししたことも、僕をここに置き去りにしたことも、すべて忘れて。

2011年7月22日金曜日

とある休日3 by やぐちけいこ

編集部より出された3つのお題を使って作品をつくる「三題話」に、週刊「ドリームライブラリ」の執筆陣達が挑戦しました。第2回目のお題は「トマト、ぬいぐるみ、朝寝坊」。一見なんの脈絡もないこれらの単語を全て折り込んで、エッセイ、小説、落語などの作品を作り上げていきます。今回は、やぐちけいこさんの小説をお楽しみください。
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今自分は夢の中にいる。そんな自覚のある夢をたびたび見る。
広大な芝が敷き詰められた向こう側に背の高い二本の木が見える。
日に日にその木に近づいているように思う。気のせいかもしれない。

そしてまた同じ夢を今も見ている。ただ今までと違うのは遠くにあった木が目の前にある事だ。
近くで見る二本の木は何だか懐かしさを覚える。
幼い頃を思い出すような感覚。
木に両手を広げ抱きついた。安心感に満たされ目を瞑った。

突然目の前が真っ赤に染まった。昼間だと思っていた景色は一変し夕方になっていた。
顔に射しこんでくる夕日。真っ赤に熟れたトマトの様な大きな夕日だ。
気付けば二本の木はまた遠くにある。

小さな男の子がどこからか走って来た。自分の前で立ち止まりじっと私の顔を見上げている。
何で泣いてるの?そう聞かれて初めて自分は泣いているのだと気付いた。
黙って横に首を振る事しかできなかった。
ハイッと手渡された小さなくまのぬいぐるみ。
「これね、ボクの宝物なの。泣きたいときはこれを抱っこして我慢してるんだ」5歳くらいの子だろう。
こんなに小さな子にどんな悲しみがあるのか。
ありがとうと言う気持ちを笑いかける事で表した。この小さな子にどこかで会った事があっただろうか。

意識の遠くで目覚まし時計の鳴っている音が聞こえた。
そろそろ起きなければと思いながらももう少しここにいたい。この子の傍に居たいと思う。
今日くらい朝寝坊したって良いじゃないか。
心が和む時間をもう少し共有したい。

そんな思いをつんざく様な音で破られた。
ピンポ~ンピンポ~ンピンポンピンポンピンポ~ン♪
がばっと飛び起きてずかずかと不機嫌丸出しで玄関のドアを開けた。
「おはよ~。あら、まだ寝てたの?お寝坊さんねえ」
目の前の人物の顔をぶしつけに眺めた。
夢の中で会った子どもと同じ瞳を持った顔がそこにあった。
「子どもの頃に会った事があったのか?」そう聞くと少し目を大きくし驚いた顔をしたがすぐにいつもの笑顔になり「何か思い出した?」と聞かれた。
一体私は何を忘れているのか。
とりあえずこの事を考えるのは今はよそう。
こいつにまた休日をつぶされるのだけは阻止しなければと心の中で思うのだった。

2011年7月16日土曜日

ラフ・ライダース(荒くれカウボーイ) by 御美子

編集部より出された3つのお題を使って作品をつくる「三題話」に、週刊「ドリームライブラリ」の執筆陣達が挑戦しました。第2回目のお題は「トマト、ぬいぐるみ、朝寝坊」。一見なんの脈絡もないこれらの単語を全て折り込んで、エッセイ、小説、落語などの作品を作り上げていきます。今回は、御美子さんの小説をお楽しみください。
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「大佐、俺はもうだめだ。敵と闘う前に妙な病気になっちまうなんて。ここは西部とは勝手が違い過ぎますぜ」

「すまん。私の馬だけをやっと輸送できるなんて、大きな誤算だった。国に帰れるよう大統領に手紙を書いた。もう少しの辛抱だ。元気を出せ」

「お袋のポークビーンズが食いてえです。あれさえ食べりゃあ、何時だって、たちまち元気になるんですよ」

「ポークビーンズか。暫くご無沙汰してるな。私は面倒臭くてケチャップで味付けしたが、お前の家の味の決め手は何だい?」

「そういや、お袋とそんなに話もしなかったなあ」

「西部の女なら、トマトソースから手作りだろう」

「お袋・・・」

「ビル、しっかりしろ!死ぬんじゃない。ビル、ビル!」




「あなた、あなた、どうなさったの?」

「・・・。夢を見ていたようだ」

「悪い夢を見たのね」

「ああ、キューバ戦線の時のことを思い出してたようだ」

「それなら、あなたにとって人生最良の日だったんじゃありません?」

「同時に、曇った時間でもあったんだよ。兵の帰還を要請する大統領への手紙が、新聞社にリークさえしなければ、名誉勲章が確実だったのに」

「あらあら、ノーベル平和賞だけじゃ足りませんの?」

「ところで、今何時だ?もう、起きる時間じゃないのか?」

「昨夜のカーネギー財団の方達との会食でお疲れでしょう?もう少しお休みになったら?ここはホワイトハウスじゃないんですから」

「そんな訳にはいかない。昨夜は私達一行のアフリカン・サファリ資金援助の確約が出来たんだ。早速準備に取り掛からなくてはならない。直ぐに支度をしてくれ」

「はい、はい。公職を退いても、相変わらず忙しいのね。少しは朝寝坊が出来るかと期待していたのに」



1909年、セオドア・ルーズベルトは2期の大統領職を終え、彼の意思を受け継ぐ長年の友人を後継者を指名したこともあり、政治の表舞台からは退こうと考えていました。子供の頃からの趣味だった狩猟に出掛け、自ら仕留めた動物の剥製を博物館に寄附することを余生の楽しみにしようとしていたのです。
セオドアの愛称テディが、愛らしいくまのぬいぐるみの商品名になったことは有名ですが、実際のセオドア・ルーズベルトの印象とはかなり違っていたようです。
ところが、旅行から戻ってみると、後継者のウイリアムHタフト大統領と自分の政策の間に大きな溝があることが分かり、自らの政党である共和党からの出馬を諦め、1912年と1916年の大統領戦に革新党の公認候補として出馬しますが、何れも民主党に敗れることになってしまいました。


「大佐、1920年の大統領戦に共和党公認で出馬してください。テディ人気は未だに健在ですから」

「何て下品なニックネームなんだ。一般大衆っていうのは激しく生意気だな」

「大佐、口を慎んでください。この話が外部に漏れたら、今まで築いてこられたものが全て水の泡です」

「分かっている。マスコミの怖さは、身をもって知ってるよ」

周囲の期待も空しく、セオドア・ルーズベルトは南米探検中にマラリアにかかり、徐々に健康が衰えていきました。そして、ニューヨーク市内の病院で2ヶ月半リウマチのために闘病生活を送ることになりました。

「ハニー、クエンティンを呼んでくれ」

「クエンティンは去年フランスで名誉の戦死を遂げたじゃありませんか」

「そうだったな。末っ子のあの子が先に逝くなんて」

「他に5人も子供達がいらっしゃるんですから、あなたはまだ良い方ですわ」

「数の問題じゃないんだよ」

「母親達はどの子も失いたくないのですよ。でも、あなたは常々アメリカの女なら、4人は子供を産まなければならないと仰ってたわ」

「ああ、クエンティン。あの子に代わる者など居ないのに・・・」



1919年1月16日、第26代アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトは就寝中に心臓発作に襲われ亡くなりました。

約80年後の2001年1月、米西戦争の際、自ら募った義勇兵ラフ・ライダースを率いて、2度の突撃をした功績でアメリカ兵士に贈られる名誉勲章を授与されたのでした。

2011年7月9日土曜日

春雨に泣く恋 by Miruba

編集部より出された3つのお題を使って作品をつくる「三題話」に、週刊「ドリームライブラリ」の執筆陣達が挑戦しました。第2回目のお題は「トマト、ぬいぐるみ、朝寝坊」。一見なんの脈絡もないこれらの単語を全て折り込んで、エッセイ、小説、落語などの作品を作り上げていきます。今回は、Mirubaさんの小説をお楽しみください。
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「みんな、帰りますよ。道具を綺麗にして仕舞ってね」
「はーい!」

元気のいい声が返ってくる。明日の午後くらいから雨が降りそうだった。午前中までにトマトの収穫を急がなくてはいけないだろう。
今日玉ねぎの収穫を急いでいてよかった。気持ちはあせっていたが、みんなに緊張を与えることになるから、せっつくわけにもいかないし、困ったものだ。

春は暖かくなるので、ドンドン作物が育つが、同時に雨も多いので、作業工程の順番が大切だ。

私はみんなを送迎バスに乗せて、施設に戻る。バスの中では、みんな賑やかだ。
後ろの席の久美さんが、私の肩を叩いた。
「康祐先生、ジャガイモ早く掘らないと、長雨になったらまずいんじゃないかな」

久美さんは、実家がもともと農家だ。何でも詳しく、また10年もこの施設に通っているので、
作業指導員としても頼りになる元入所者さんだった。
彼女の子供の頃を知っていて、その頃はいつもくまのぬいぐるみを抱えて私にまとわりつく可愛い女の子だった。

だが今は、専門分野が違う為に、農作業に関しては、
むしろ久美さんから、色々指導を受けているといってもいいくらいだった。

「久美さん『先生』と呼ぶのは勘弁してくれよ。うちの知的障害者授産施設サンライズでは、みんな働く仲間として、名前で呼ぶことにしているでしょう?」というと。

「だって、理事長さんも『先生』っていってるもの。いいんです先生は先生で、事務長の容子さんも『康祐先生』っていってたもん」
久美さんは、批判を受けたと勘違いしたのか、むっとした怒った顔で強く大きな声をだした。こうなると、逆らってはいけない。

「わかったよ。『先生』でもいいよ。それにしても、さすがだね。ジャガイモのことは後回しに考えていたよ。新ジャガだから皮の薄い小さいうちに、収穫終わらせたほうがいいんだよね?」

私は、ゆっくりと、話をそらせた。久美さんは、わが意を得たりとばかり、ニコニコ顔になって話し出した。


大叔母がこの施設を始めた頃手伝っていた私は、大学で勉強した臨床心理学がここでは時に当てはまらないことも多いと、社会福祉士や作業療法士などの資格などをとり、数年ぶりに再度就職しなおしていた。其れから更に5年は過ぎたが、慢性的に現場の人間が足りず、いまや何でも屋だった。

花や作物を育てていると、障害者といわれる彼らの心を落ち着かせる作用があることは明らかだったし、またここではお小遣い程度のお給料が出るのだ。それも、彼らの励みになっていた。久美さんのような軽度の障害者は、臨時雇用者として一般の人と変わらない職場になっているくらいだった。


私は仮眠を取るために部屋に戻った。
昨日も欠員が出て、今週はもう3日宿直をしたし、今日も当直だ。

少しまどろんだとき、ノックする音がした。
時計を見ると、少しどころではないすっかり寝坊した。朝寝坊だってしたことがないのに、まいった。
_事務長に怒られちゃうな_とあわてて飛び起きた。入ってきたのは、久美さんだった。

「先生、私の作ったトマトです。味見してください」トマトを持ってきたのだ。
ミニトマトが、5種類ある。この中から、久美さんの作ったトマトを当てるのだ。元来トマトの嫌いな私は、最初の頃何度も失敗して久美さんの作品ではない他のトマトを選んだ為に、
彼女のパニックを引き起こしたこともあるので、慎重に言葉を選んだ。

「うん、このトマトだね。少し酸味があって、本来のトマトの良さを失わないで、更に爽やかな甘みがある」

久美さんの顔色が変わった。

「違う!」

しまった。寝ぼけ眼だったこともあったが、疲れていたので、寝起きについチョコレートを口に放り込んでから彼女を、部屋に招きいれたことを忘れていた。


久美さんは持ってきたトマトを放り投げる。
私はあわてた。彼女が自分の髪をかきむしるので、その手を抑えた。
だが、抑えられた両腕はそのままに、頭を壁に打ちつけようとする。
私は、彼女を羽交い絞めにした。
体中の筋肉を総動員して押さえても男の私でさえまだはじき返される。こういうときは子供でも恐ろしいほどの力を出すのだ。
激しく息が切れたが、声はあくまで優しく低い声でささやく。
「いい子だから、お願いだよ。落ち着いて」
どれほどの時間だったのか。そこらじゅうを荒らしまわって、
ようやく、腕の中の久美さんはおとなしくなった。

放そうとして、今度は彼女がしがみついてくるのに気がついた。
「え?」
突然だった。
久美さんは自分で洋服を脱ぎ捨てて、抱きついてきたのだ。
「先生、好き、好き、好きなの」仮眠室のベットに倒れこんだ。

その時、事務長の容子さんが「康祐先生、いつまで休んでいるんですか?お夕飯ですよ」といって扉を開けた。

私たちは、固まってしまった。

容子さんの苦々しい顔が目に焼きついた。

それからのことは思い出したくもないが、どんなに言い訳しても、言葉が空回りするときはあるのだと。いや、むしろ潔白を証明しようとすればするほど、言葉だけが浮いていく。
何のための心理学だったのかと、その施設を立ち去ることになった私は、むなしく、臍をかんだ。


しばらくして市で行っているカウンセリング無料電話相談の職についた。
一緒に暮らす母は年金生活だし、独り者の私は贅沢をしなければ別に生活には困らない。
だが、相談者の相談に答えながら、自分自身の相談に、どのように答えるだろうかと、思った。自分のもてあます心さえカウンセリングできないものを、人の悩みにどのように対処できるというのだ。


事務長の容子さんから電話があったのは、施設を辞めてから半年経っていた。
『先生、久美ちゃんが事故に遭って、もうだめなんだそうです。康祐先生に会いたいって』
逡巡する私に、更に言った。
『あの時はごめんなさい。私の嫉妬が先生を追い込んだのです。久美ちゃんを許してあげてください』


病室を訪ねたが、もうすでに久美さんは亡くなっていた。
頭に包帯を巻いていたが、眠るように優しい顔をしていた。
手には、あの懐かしいぬいぐるみを抱いていた。

『娘は子供のときの誕生日に先生から頂いたくまのぬいぐるみを大切にしていました。先生が大好きだったのです。
ですが、先生には娘のことで、本当に申し訳ないことをいたしました。』
お母さんが、深々と頭を下げた。

くまのぬいぐるみを久美さんに送ったことは覚えていなかったが、彼女が子供の頃いつも抱えていたのは覚えていた。そうだったのか・・

久美さんから、あの事件の後、何か小包が届いていたが、返事を出す気分に無く、開けてみてもいなった。
一人の人格として認めていながら、どこか私に相手は知的障害者だという不遜な思いがあったのかも知れない。

彼女の可愛らしい丸っこい字が便箋の上で踊っていた。
『先生、ごめんなさい。久美は先生が大好きです・・・』
そして、冬中をかけて編んだという、春には全く季節はずれの毛糸のマフラーが入っていた。


程なくして復職していた私が、作業の後施設に戻ったら、理事長に呼ばれた。

「先生、作業指導ご苦労様です。やりましたよ、当施設のトマト!優勝ですって。理事の集まりで、鼻が高かったですよ、みんな康祐先生のお陰です。」
全国にある施設間の交流をはかる、ということで、「花の大会」、「野菜の大会」、「運動会」、「ダンス大会」と施設持ち回りで優勝施設を表彰するという財団の催しが盛んにおこなわれていた。
野菜のほうはNPOや地元農協の支援もあり、市からは補助も出ていて、施設の作業から優れた野菜を生み出すまでになっていた。


_久美さん、君が作り上げた新種のミニトマト、優勝したよ、よかったね。_


大喜びの理事長とわかれて、ちょっと寒い春雨の中を、久美さんの編んでくれたマフラーをして、私は彼女の愛した農園のほうへ歩いていった。