2014年9月28日日曜日

パリのカフェ物語7 by Miruba

フランスの中央に位置する古い地方都市『オーベルニュ地方圏』。

食通のバイブル・ミシュランガイドを出しているあのミシュラン社のある『オーベルニュ』。

ジョルジュ・ポンピドー、ジスカール・デ・スタン、ジャック・シラクと、歴代の大統領を輩出した『オーベルニュ』。


その『オーベルニュ地方』出身のカフェのオーナーは、どうやらお客さんにご馳走になっているようです。

水を入れると白濁する「パスティス」をカウンターに乗せ飲んでいます。
パスティスは、アルコール度数の高いアニス風味の南仏生まれのリキュールです。

ギリシャやトルコの支配で入ってきたとされるアニスは、西洋茴香(ウイキョウ)とも呼ばれる香草で、リキュールなどのお酒やケーキに、時には息の香りを良くするため、そしてまた、消化剤および咳や頭痛を鎮めるためにも用いられています。

パリのカフェで白いカルピスのようなものを飲んでいる人がいたら、このお酒に間違いありません。


オーナーは話し出しました。
「オーベルニュといっても、ひー爺さんがオーベルニュでひー婆さんの故郷はその南隣のアヴェロンなんですよ。パリの人はオーベルニュもアヴェロンも一緒に「中央から来た人」オーベルニュ人といいますが、実際はぜんぜん違うんです」

オーベルニュとアヴェロンの人たちにはその場所と気質の違いをはっきりさせたかったでしょうが、パリジャンからすれば、同じフランスの真ん中辺から来た人たち、とひとくくりにしたのでしょうか。
地域にこだわるのはその地方の人だけなのはどこでも一緒ですね。

実直で頑固などちらかというと閉鎖的なオーベルニュ気質とは違って、開放的なアヴェロン人は、暇さえあれば、自分の椅子を外に持ち出して夕暮れの町で世間話をするのが楽しみだったようです。

アヴェロンからパリに出てきたカフェのオーナーの御かみさん達が、狭い店の前に椅子を出して世間話をしていて、そのうちお客さんに地元から持ってきたワインをサービスする様になったとのこと。
パリのカフェが、ロンドンのパブや、ローマのバールと違ってオープンカフェなのは、そういういきさつもありそうです。

「なんでも先祖はつまり私のひーひーひーひー爺さんくらいですがね。水売りをしてたらしいんですよ。ところがパリの下水道設備が整っちゃうとね、水売りの仕事がなくなっちゃった。それでひーひーひーひー爺さんはお金持ちのアパートへお湯を運んだってわけです」
笑いながらオーナーが語ります。
「えらい古い話だね。しかし5階まで!今みたいにエレヴェーターはないしお湯を運ぶのは大変だったろうね」と、お客さんが感心しています。

私はビールのお変わりをしてオーナーの興味ある話に聞き耳を立てていました。
知らない歴史を知るのはぞくぞくすることです。
オリーブを口にしながら、これも南から来たのよね、と思いめぐらします。

オーナーはパスティスの酔いがまわったのか、昔話を聞いてくれるお客さんが嬉しいのか益々快調に話をつないでいくのです。


「昔は湯沸かし器など無かったですからね。でもってお湯を沸かすのに当然炭がいる。当時は暖房も暖炉でしたから炭屋を始めるんです。ですが、家賃は高いから炭を置く倉庫くらいしか借りられない。この店も最初は5分の一くらいの広さだったそうですよ」

「そりゃ狭いね。ああ、それで外に椅子を並べたってわけかオープンテラスカフェの出来上がりだ」お客さんが笑いましたが、私は感心して聞いていました。


オーベルニュの人たちは出稼ぎでパリに来ていたのです。そして奥さんたちは田舎から旦那さんの暮らすパリに、懐かしいだろう地元のワインとチーズをお土産に持って逢いに来ていたと言うのです。

昔は防腐剤など無いので、持参したワインは急いで飲まなくてはならず、余ったワインをコップ一杯、炭を買いにきた客に最初はサービスで、後には売ることになるのですね。

そしてつまみのチーズを切るのに、地元から持ってきたラギュイヨールのナイフをつかうのでした。
今ではソムリエなら必ず持っているといわれているソムリエナイフの代表格のシャトーラギィヨールもオーベルニュ地方のものなのです。


そういえば主人がパリに入った1970年ごろ、カフェの横で炭を売っているお店を見かけたと言っていました。

カフェは炭屋の兼業、いえ炭屋の兼業がカフェだったのでしょうか。
それが後に炭は環境汚染の原因となり、煤煙で建物が黒くなるというのでパリでの利用が禁止されてしまいます。
そこでカフェだけが残るのですね。

オーベルニュの人はパリに出稼ぎに来て、まずは水を売り、お湯を売り、炭を売り、ワインやチーズを売り、コーヒーもだしてオープンカフェにしていった・・・


うん?まてよ、ではあの子爵や公爵や文化人の通っていた、踊り子でもあり娼婦の居たキャバレー宿から、プロコピオのはじめた明るくゴージャスな鏡張りの『カフェ・プロコープ』はどうなるのかしら?

キャバレーがコーヒーを出したのが始まりだから、パリのカフェは飲み屋のバーのようにお酒が沢山並んでいるのだものね。


疑問はオーナーの続く話で、すぐに解けました。

「政治論を交わす紳士や美しく着飾った奥方様や高級娼婦たちが通った高級なカフェには、普通の人は入れなかったそうですよ。そこでひーひーひー爺さんオーベルニュの仲間たちは炭屋の横でワインだけでなく、コーヒーや他の飲み物や簡単な食べ物やつまみをだしていたら、炭を買いにくるお客さんでいっぱいになったってわけです」


高級なところはサロン風なカフェ。庶民用にはオープンテラスカフェが現れた。

その両方をあわせたものが現代の『パリのカフェ』と言えるのでしょうね。



農業地帯で農繁期を過ぎるとパリに出稼ぎに行かなくてはならなかった中央フランスオーベルニュ地方の人々。
それがいまや、世界に販路のある‪ボルヴィック‬ミネラルウォーター、ミシュランタイヤの本社、ソムリエナイフの金属工業、山脈や休火山もあり肥沃な土地に湖や牧草地帯が広がっていることで観光業も発達してきて、パリに出稼ぎに行かずとも生活できることで、【パリのカフェのオーナーはオーベルニュ人】という図式もなくなってきたのでしょうか。


オーナーとお客さんはまだ昔話に花が咲いているようでしたが、私と娘は、少しのチップをおいて席を立ちました。

"Merci!Madame et Modemoiselle,a bientot"

オーナーのご機嫌な挨拶に手を振りながら、夕暮れのなかを娘と私は歩きました。

パリの高級なカフェと、庶民のカフェのその生い立ちの違いを一日で探れた気がしました。
カフェの歴史はパリの歴史でもあるのですね。

聞いていないのかと思ったのに、
「面白い話だったね」と娘がつぶやきました。


2014年9月20日土曜日

背後湯 by 夢野来人

最近は温泉ブームだったりスーパー銭湯なんてものが大流行りでございますが、ひと昔前は温泉と言えば、若者は見向きもせず、ご老人たちの天下でございました。
温泉にはいろいろな効能があるわけですが、これが肩こり神経痛など、ご老人なら誰しも経験のある痛みを和らげてくれるのも人気のひとつでございます。
また、どこそこの温泉は滝のように落ちてくるところに座って入るだの、ここの温泉は立ったまま入って歩きながら進むだの、挙げ句の果てには湯舟のまわりを一周してから入るのが習わしだなど、その地その地によって変わった温泉の文化というものが栄えていたものでございます。

そんな中でもひときわ怪しげな薫りを漂わせておりましたのが、背後湯と言う名の温泉でございます。どんなことをするのかと言えば、後ろ向きに入るんです。
お湯に入る時も出る時も、風呂場の中を歩く時でさえ、後ろ向きに歩かなければなりません。
なぜ、そんなことをするようになったかと言えば、この温泉には様々な者が来るためでございます。
どこの温泉だって、いろんな人が来るだろう、中には変わった奴だっているさなんて思ってちゃいけません。
この温泉、山奥にあるためか、そんなにいろんな人は来ません。
たった今、いろんなな者が来るって言ったばかりじゃねえかとお思いかもしれませんが、その通りです。いろんな者が来るのは確かです。ただ、人じゃございません。天狗やら妖怪やら、いわゆる物の怪たちに人気の温泉でございます。
中には、瞳を見つめるだけで凍らされちまうなんて髪の長い西洋の女性妖怪まで来るのですが、後ろを向いているので凍らされる心配はありません。
その隣には、長さなら負けないわと首の長さを自慢している日本の女性妖怪もおります。
一つ目しかない坊やとか、目鼻口のない妖怪も、ここ背後湯ならば誰はばかることなくゆったりと温泉を楽しめます。
そんな気味の悪い温泉に人間が行くはずがないとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、何しろこの温泉、効能が魅力的なんです。
その効能とは、寿命が延びるということです。言わば不老長寿の泉とでも申しましょうか。
ほら、あそこで後ろ向きに浸かっている猫なんぞ、毎日来ているそうで、年齢は1000歳を超えたとか。
そんなわけでございまして、お湯に疲れば皆さん気もほぐれてまいります。
たとえ後ろ向きの背中合わせとは言え、話の一つや二つは出てくるものです。

「ヒマラヤの旦那、最近は雪が減ってきて隠れる場所に苦労してるんじゃねえですかい。旦那は毛むくじゃらだし、大きいから目立ちますもんねえ」
ヒマラヤ在住の大男に声をかけたのは、中国から雲に乗ってやって来た猿でございます。
「まったく、こう暖冬が続いちゃ雪が溶けちまっていけねえや。雪が溶けると、この茶色い体毛が発見されやすいだろう。いっそ、真っ白にでも染めちまうかな」

こんなたわいもない話が、あちらこちらから聞こえてまいります。

そんな和やかな雰囲気の中、この温泉には名物の食べ物がございまして、湯舟の中で風呂桶を浮かべながら、その中に入っている食べ物をいただくのが人気です。
これが、なんとかき氷でございます。
湯船の中で暖かいお酒を飲むのがお好きな方もいらっしゃいますが、冷たいかき氷もなかなかオツなものでございます。
ここのかき氷は現在とは違いまして、一種類しかございません。かき氷は赤いやつだけでございます。
お湯の効能は不老長寿ですが、実は、ここのかき氷にも効能があるそうです。なんでも、頭が良くなるそうなんです。知恵が付くともっぱらの噂でございます。
いろんなところから温泉に集まってきて、背中合わせながら、こうして共にかき氷を食べることになろうとは、何たる不思議なご縁でしょう。しかも、知恵まで授かることができるのです。
いつしか、このかき氷は、イチゴいい知恵(一期一会)と呼ばれるようになったそうでございます。

奇怪温泉、背後湯の序でございました。

2014年9月6日土曜日

携帯がなった chapter2 by Miruba

みんな言っているんだけれど、君って、レズなんだって?と聞かれ、私は恐らく悪魔でも見るような顔をしていただろう。

「なんですって?!」私の突き刺すような声を聞いてあわてて孝彦が言葉をつないだ。
「判っているよ、幸恵がノーマルなんだってことは。でも、ネットでマリアが騒いでいるぞ、幸恵に裏切られたって、ジャンに幸恵を盗られたんだって」


「冗談よしてよ、孝彦だって知っているでしょう?ジャンとの付き合いのほうがマリアより長いし、第一マリアは同性の友達というだけよ、恋人だなんてとんでもないわ」

「し、知ってるよ、でも、いったん広まった噂は消えないし、ネットで炎上していて、押さえようがない。ジャンに見られ無ければいいけどね」


体が震えてくるのがわかった。なんということ・・・・
ジャンの部屋にあるパソコンは、鍵のかかったロッカーに入れられていて出せない。
当時ニースに一箇所だけあったネットカフェに走った。


炎上のコメントなど、見なければいいのに、恐ろしいのについ見てしまう。
そこにある誹謗と中傷の言葉、賛同と否定の入り混じった言葉の暴力。
目を覆いたいのに、とことん読み進めて昂然と反論する。

「違うわ!私は彼女の恋人ではない。私に女性を愛する趣味はない。彼女の勘違いよ!」

腹が立ってコメントで口を出すと、さらに_同性愛を趣味とは何だ_と炎上に拍車がかかる。説明をすればするほど、書けば書くほど文章のやり取りは、思いとかけ離れていく。

哀れなマリアをその気にさせて別れ話をする風上にも置けない嫌な女だと罵倒され続けた。そのなかに、味方だと思っていた、いつも集まる仲間達のハンドル名も見え隠れした。

私は愕然とした。
孝彦の名前は無かったが、同時に彼は私への援護射撃もしてくれていないのだ。
それはつまりほかの仲間と同じ考えだということに他ならない。
結局私を批判していることと一緒だと思った。
こんなにつらいのに、悲しいのに誰も助けてはくれない・・・
この人たちは誰一人私の仲間なんかじゃなかったんだ。
楽しく交流していたと思っていただけに、落胆は激しかった。


マリアにアクセスをする。
何てことするのだと彼女へ怒りをぶちまけた。
マリアは最初のころこそ泣いて謝ったものの、自分の発する言葉に興奮するのか、私に嫌われたのだから死ぬしかないと、またぞろ言い出した。

腹が立っていたこともあり、また人の心まで斟酌する余裕がなくなっていた私は、
「ああ、どうぞ!そんな死にたければ死んだらいいじゃない。誰もとめないわよ!」と言い放った。


しまった!

私はあわてて、「マリア!」とパソコンに向かって呼びかけたが、もう、二度とマリアからの返事は無かった。


Photo by Takao
3日後、
マリアがニースの隣カンヌの海に浮かんでいた。

いつもは穏やかなニースの海が、アルプス山脈から吹き降ろされるミストラルによって波は躍らされ雲は疾風のように地中海に向かっていく。
マリアは沖に流され、そして浜に打ち上げられていた。

可哀相なマリア。
私がもう少し真剣に向き合っていれば、救えたかもしれない命。

世界中の誰もが私を非難の目で見ているような気がした。


たった一人私の味方、と望んでいたジャンがつぶやいた言葉。

「運命なのだから仕方がないよ。・・・でも、本当に何も無かったの?」


ジャンの見せるクールさが好きだったはずなのに、その醒めた言い方は私を打ちのめした。

ディプロマ取得を目前に、引き止めるジャンを振り払って日本に逃げ帰ってしまったのだった。


「悪いけれど、ジャンにいまさら会っても仕方が無いわ。孝彦、あなた、彼と会うことがあるのなら、よろしく言ってよ。ううん、私は見つからなかったと伝えて」


孝彦がイタリアに戻ってから一ヶ月が過ぎたころ、兄の会社に私宛の手紙が届いた。
ジャンから受け取った手紙を転送してきたのだった。

「Mon amour  SACHIE・・・」

その手紙は僕の愛する幸恵、という言葉から始まっていた。
相変わらず、フランス人独特の読みにくい、でも懐かしい彼の筆跡。


「愛する幸恵、今も元気で暮らしていると孝彦から聞いた。
君がいなくなってどれほど寂しい時間を過ごして来ただろう。
花の春にも、バカンスの夏にも、枯葉の秋にも、灰色の冬にも季節を友にしながら君の事を思い出さない日があっただろうか。


君が僕に逢いたくないといっていると聞いたとき、僕はまた泣いた。
だが、それは僕に与えられた試練であり罰なのだ。

天に召される前に、どうしても君に謝らなくてはいけないことがある。
マリアは、君のせいで自殺したのではない。
僕のせいで死んだといってもいいだろう。


あの日、
君はあわててアパートから出てきた。きっとマリアのところへ行こうとしていたのだろうと思う。
それを、マリアは向かいのカフェから見ていたんだ。
君を刺そうとしていたに違いない。ナイフを隠し持っていた。


なぜ僕がそれを知っているかというと、僕は君とマリアが二人でこっそり逢うのではないかと疑っていて(ごめん、君を疑って本当にごめん)
マリアを付け回し、常に彼女の背後にいたからだ。

カフェから出たマリアを、強引に車に乗せ、ナイフを取り上げて町外れで、・・・強姦した。
それは、君からマリアを引き離す最後の手段だと、僕は当時そう思ってしまったから。

大人しくなったマリアは、ふらふらと車から出て行った。


僕は覚悟を決めていたのだけれど、不思議なことに、捜査段階で僕のことが問題になることはなかった。
君との噂話のせいなのか、あるいはマリアが僕という男の跡を拭い去るために激しく洗浄したためか、
警察が最初から自殺と決めていたからなのか、今となってはわからない。

それを幸いに、僕は黙った。


僕は君に問いただすことも出来ず、かといってじっといしていられないほどのジェラシーでどうにかなっていたと思う。
幸恵、君を誰にも渡したくなかったんだ。
マリアには申し訳ないことをしたと思っている。

でも、神は罪を許してはくれなかった。
君を僕から永遠に取り上げてしまったのだから。


幸恵、逢いたい。心から逢いたい。愛しているよ今でも。

あの夏の日の二人で見た花火は美しかったね。
君が話す日本のお祭りの様子。
フローズンと違うという「かき氷」も、一度食べてみたかった。

愛しい幸恵。

ひと目、君の顔を見たかった。
君の優しい声を聞きたかった。

もう僕の命はかき消えようとしている。
君への愛はこんなにも燃え盛っているというのに。

さようなら、幸恵。Adieuアデュー  」


私は大きく息を吸った。

もう、間に合わないかもしれない。
すでにこの世の人ではないのかもしれない。

でも、それでもいい。
私はジャンに伝えるために、飛行機に飛び乗った。


「ジャン、私もあなたを愛しているわ。」

< FIN >

2014年8月30日土曜日

携帯がなった   chapter 1 by Miruba

携帯の音にビクッとした。
マナーモードにしてはあるのだが、テーブルの上におかれた携帯は、思いのほか大きな音でその存在を主張する。

「おい幸恵、ムラカミタカヒコって知っているか?」

受話器の向こうから音が漏れそうなほど大きな声で、兄の慶介が聞いてきた。
私は周りの仕事仲間の迷惑になら無い様、椅子から離れ廊下に出る。
今にも降りそうな灰色の雲が非常階段の窓から見えた。

「うん、同じ人かどうかわからないけれど一人知っているわ」

「そうか、何でもお前を探しているらしい。」

私はネットで酷い目に遭ったことがあり今は一切インターネットはやらないが、兄が仕事関係でも使っている本名登録のF&BというSNSサイトで、あるメッセージを受け取ったというのだ。

_こんにちは、突然失礼します。
あなた様のフルネームとプロフィールのお写真が似ていることから、探し人のお尋ねです。
慶介さんには、幸恵さんという妹さんかお姉さんはいらっしゃいませんか。
幸恵さんに、KEISUKEさんという名前の男兄弟がいると昔聞いたことがあるのです。

僕は幸恵さんと学生の頃フランス、ニース大学で同じクラスだった邑上孝彦といいます。
現在イタリアのジェノバに住んでいます。僕の名前を伝えて、幸恵さんが知らないと言ったら、この事は忘れてください。
もし、連絡が付くようなら、一度お話がしたいのです。僕の自宅電話番号は○○○○・・・です_


慣れない外国暮らしで、同じ日本人同士助け合ってきた友人の一人だった、懐かしくないわけが無い。
だが、確実に本人かどうかまだわからない。それに、本当に私はムラカミタカヒコに会いたいのだろうか・・・

それでも兄に連絡係をしてもらい、1週間後日本へ一時帰国するという孝彦と、兄を伴なって会ってみることにした。



横浜に住む兄と合流して品川の駅ビルの中にある待ち合わせ場所のジャズバーへ入った。
この店ではミニライブがあり、料理も美味しく値段も手ごろなのが嬉しい。

黒服のウエイターの背後から顔を出した孝彦は、センスの良いイタリアンなスーツで現れた。
いつもヨレヨレのジーンズにダウンのベストを着ていたあの彼が、こうも変身するものか。
今は日本人向けのイタリア語の先生をしているという。何でフランスの大学に行ってイタリア語?
_巻き舌が得意だったから_という理由で大学に入りなおしたという。「昔から変わっていたからね」と言うと「お互い様」と、答えが返ってきた。

ひとしきり弾んだ話が落ち着いたころ、孝彦が妙に沈んだ声で「今、尋ねてもいいかな?」と、きりだした。



「実はね、ジャンに、幸恵を探してくれないかと頼まれたんだ。嫌ならもちろん、会ったことは言わないよ」

先ほどから、私たちの話にあまり入れず所在無げだった兄に向かって言った。

「兄さん、ジャンはね。私の大切な人だったの」


孝彦を昔の私の恋人と勘違いしていたらしい兄は、少し驚いた顔をした。



「ジャンは病気でね、もう長くないそうだ。」孝彦が続ける。



兄には話さなかったが、私はニース大学在学中、ジャンという男と一緒に暮らしていたことがある。
孝彦に会おうと思ったのは、もちろん学生時代の思い出が懐かしいということはあるが、ジャンの噂話が少しは出るかもという期待がどこかにあったのだと思う。



photo by TAKAO
ニース大学では、外国人向けの語学クラスがあった。
ここで試験が通らないとディプロマがもらえず、何のために留学しているかわからないので三年の私はあせっていた。
とにかくフランス語を言葉にしようと学生はと見るとやたら話しかけていた。

次年度担当の先生だと知らず、構内を歩いていたジャンにも親しげに話しかけた。
それが彼との出会いだった。
私達が先生と生徒の境を越え親しくなるのに時間はかからなかった。
彼の部屋は広かったので私はボストンバックひとつで転がり込んだ。


ジャンはやさしかったし、そして同時にどこか冷めた雰囲気も持ち合わせていた。
時に一人になりたがる私には、個々を尊重する彼が魅力的だった。
一緒に食事を作り、交代で掃除や洗濯をする。
夕方には必ずニースの海岸を散歩して二人の時間を楽しんだ。
夏には、カキ氷のようなクラッシュした氷にシロップをかけたフローズンアイスを二人で食べたり、冬には、マロンショーという焼き栗を買って食べたりしながら海岸沿いのアベニューデザングレを散歩した。

そして、一方でお互い何日も話さないでいられるほど自由な時間も沢山あり、それが二人の関係を不動にしていた。



週末にはクラスの仲間を呼んでパーティーをした。ジャンも時には参加してくれた。
またジャンの仲間のパーティーにも、出来ないフランス語を必死で使って何とか付き合ったものだ。

観光地ニースでは週末になると花火が上がる。
孝彦やベルギー人のヘンリ、スペイン人のカルロスなど親しくしていた仲間達とワインで乾杯だ。
日本人とアメリカ人のハーフだという2つ年下のマリアはことのほか私を慕ってくれた。


半年ほどたったころだろうか。
マリアの様子に少しだけ変化を感じるようになった。
頻繁に電話をかけてくるようになったのだ。話は他愛もない世間話。
最初はジャンに用があるのかと思ったくらいだ。

ジャンが長電話を嫌がるので、インターネットのメッセンジャーで話すことにしたのだが、それも日に日に長い時間拘束される様になった。

今にして思う。

なぜ断れなかったのか。
どうして、ずるずると時間を引き延ばしたのか。
思いやりか。親切な感情か。客観性に欠けていたのか。
若さゆえ避けるすべを知らかったからか。

いや、たとえ今であっても断りきれない気がする。



マリアは私を愛しているというのだ。
もう恋人だわ、と決め付ける。
その思いは幻想であり勘違いだといっても言うことを聞かず、私がなにかと優しくしたことは、マリアへの愛だったと彼女は言い張る。

同じ仲間として接しただけで、恋というのではない、と答えると。
自分をその気にさせたのはいったい誰だと私を責める。
メールで好きだといったじゃないかと迫る。


確かに友人として好きだとは書いたが、それはマリアが自分を好きか嫌いか?と質問してきたからその返事をしただけで、もちろん「恋人」という意味ではない。
言った言わないの応酬が永遠とむなしく続く。

私の愛が得られないのなら自殺するという。もうめちゃくちゃだった。

メッセンジャーの向こうで、今薬を飲んだとか、酒を浴びるほど飲んだとか、手首を切ってみたとか言い出し始めて、私はますます追い込まれていた。

話を止めたら死なれてしまう。
私は彼女の自殺を止めるのに必死だった。


私のせいだと、書置きをして死んでやる。と脅迫してきたこともある。
もし死なれたりしたら、こんな後味の悪いことがあるだろうか。
だから、マリアの心が落ち着くまで、いつまでも話を繋ぐしかなかったのだ。

1時間2時間5時間7時間と、パソコンの前に縛り付けられた。
何日もそんなことが続き、疲れ果て、落ち込み、苦悩する私。

流石にジャンはそんな私の異常に気がつき、パソコンを取り上げてしまった。


マリアはどうしただろうか。
私が無視をしていると思っただろうか。
気がきではなかったが、ジャンの怒りが嫌で、パソコンには触れないでいた。

いや・・・
いや、そうじゃない。
ジャンの怒りだけが私をネットから遠ざけた理由ではない。
学校にもすっかり出てこなくなったマリアの呪縛から逃れられて、心底ほっとしていただけなのだ。


だが、事態は私の知らないところで少しずつ悪いほうに進んでいた。



孝彦が講義の後私を呼んで言った。

「幸恵、君ってレズなんだって?」


私はグラグラめまいがするほど血の気が引いた。

ジャンの顔が浮かんで消えた。

<つづく>