編集部より出された3つのお題を使って作品をつくる「三題話」に、週刊「ドリームライブラリ」の執筆陣達が挑戦しました。第2回目のお題は「トマト、ぬいぐるみ、朝寝坊」。一見なんの脈絡もないこれらの単語を全て折り込んで、エッセイ、小説、落語などの作品を作り上げていきます。今回は、Mirubaさんの小説をお楽しみください。
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「みんな、帰りますよ。道具を綺麗にして仕舞ってね」
「はーい!」
元気のいい声が返ってくる。明日の午後くらいから雨が降りそうだった。午前中までにトマトの収穫を急がなくてはいけないだろう。
今日玉ねぎの収穫を急いでいてよかった。気持ちはあせっていたが、みんなに緊張を与えることになるから、せっつくわけにもいかないし、困ったものだ。
春は暖かくなるので、ドンドン作物が育つが、同時に雨も多いので、作業工程の順番が大切だ。
私はみんなを送迎バスに乗せて、施設に戻る。バスの中では、みんな賑やかだ。
後ろの席の久美さんが、私の肩を叩いた。
「康祐先生、ジャガイモ早く掘らないと、長雨になったらまずいんじゃないかな」
久美さんは、実家がもともと農家だ。何でも詳しく、また10年もこの施設に通っているので、
作業指導員としても頼りになる元入所者さんだった。
彼女の子供の頃を知っていて、その頃はいつもくまのぬいぐるみを抱えて私にまとわりつく可愛い女の子だった。
だが今は、専門分野が違う為に、農作業に関しては、
むしろ久美さんから、色々指導を受けているといってもいいくらいだった。
「久美さん『先生』と呼ぶのは勘弁してくれよ。うちの知的障害者授産施設サンライズでは、みんな働く仲間として、名前で呼ぶことにしているでしょう?」というと。
「だって、理事長さんも『先生』っていってるもの。いいんです先生は先生で、事務長の容子さんも『康祐先生』っていってたもん」
久美さんは、批判を受けたと勘違いしたのか、むっとした怒った顔で強く大きな声をだした。こうなると、逆らってはいけない。
「わかったよ。『先生』でもいいよ。それにしても、さすがだね。ジャガイモのことは後回しに考えていたよ。新ジャガだから皮の薄い小さいうちに、収穫終わらせたほうがいいんだよね?」
私は、ゆっくりと、話をそらせた。久美さんは、わが意を得たりとばかり、ニコニコ顔になって話し出した。
大叔母がこの施設を始めた頃手伝っていた私は、大学で勉強した臨床心理学がここでは時に当てはまらないことも多いと、社会福祉士や作業療法士などの資格などをとり、数年ぶりに再度就職しなおしていた。其れから更に5年は過ぎたが、慢性的に現場の人間が足りず、いまや何でも屋だった。
花や作物を育てていると、障害者といわれる彼らの心を落ち着かせる作用があることは明らかだったし、またここではお小遣い程度のお給料が出るのだ。それも、彼らの励みになっていた。久美さんのような軽度の障害者は、臨時雇用者として一般の人と変わらない職場になっているくらいだった。
私は仮眠を取るために部屋に戻った。
昨日も欠員が出て、今週はもう3日宿直をしたし、今日も当直だ。
少しまどろんだとき、ノックする音がした。
時計を見ると、少しどころではないすっかり寝坊した。朝寝坊だってしたことがないのに、まいった。
_事務長に怒られちゃうな_とあわてて飛び起きた。入ってきたのは、久美さんだった。
「先生、私の作ったトマトです。味見してください」トマトを持ってきたのだ。
ミニトマトが、5種類ある。この中から、久美さんの作ったトマトを当てるのだ。元来トマトの嫌いな私は、最初の頃何度も失敗して久美さんの作品ではない他のトマトを選んだ為に、
彼女のパニックを引き起こしたこともあるので、慎重に言葉を選んだ。
「うん、このトマトだね。少し酸味があって、本来のトマトの良さを失わないで、更に爽やかな甘みがある」
久美さんの顔色が変わった。
「違う!」
しまった。寝ぼけ眼だったこともあったが、疲れていたので、寝起きについチョコレートを口に放り込んでから彼女を、部屋に招きいれたことを忘れていた。
久美さんは持ってきたトマトを放り投げる。
私はあわてた。彼女が自分の髪をかきむしるので、その手を抑えた。
だが、抑えられた両腕はそのままに、頭を壁に打ちつけようとする。
私は、彼女を羽交い絞めにした。
体中の筋肉を総動員して押さえても男の私でさえまだはじき返される。こういうときは子供でも恐ろしいほどの力を出すのだ。
激しく息が切れたが、声はあくまで優しく低い声でささやく。
「いい子だから、お願いだよ。落ち着いて」
どれほどの時間だったのか。そこらじゅうを荒らしまわって、
ようやく、腕の中の久美さんはおとなしくなった。
放そうとして、今度は彼女がしがみついてくるのに気がついた。
「え?」
突然だった。
久美さんは自分で洋服を脱ぎ捨てて、抱きついてきたのだ。
「先生、好き、好き、好きなの」仮眠室のベットに倒れこんだ。
その時、事務長の容子さんが「康祐先生、いつまで休んでいるんですか?お夕飯ですよ」といって扉を開けた。
私たちは、固まってしまった。
容子さんの苦々しい顔が目に焼きついた。
それからのことは思い出したくもないが、どんなに言い訳しても、言葉が空回りするときはあるのだと。いや、むしろ潔白を証明しようとすればするほど、言葉だけが浮いていく。
何のための心理学だったのかと、その施設を立ち去ることになった私は、むなしく、臍をかんだ。
しばらくして市で行っているカウンセリング無料電話相談の職についた。
一緒に暮らす母は年金生活だし、独り者の私は贅沢をしなければ別に生活には困らない。
だが、相談者の相談に答えながら、自分自身の相談に、どのように答えるだろうかと、思った。自分のもてあます心さえカウンセリングできないものを、人の悩みにどのように対処できるというのだ。
事務長の容子さんから電話があったのは、施設を辞めてから半年経っていた。
『先生、久美ちゃんが事故に遭って、もうだめなんだそうです。康祐先生に会いたいって』
逡巡する私に、更に言った。
『あの時はごめんなさい。私の嫉妬が先生を追い込んだのです。久美ちゃんを許してあげてください』
病室を訪ねたが、もうすでに久美さんは亡くなっていた。
頭に包帯を巻いていたが、眠るように優しい顔をしていた。
手には、あの懐かしいぬいぐるみを抱いていた。
『娘は子供のときの誕生日に先生から頂いたくまのぬいぐるみを大切にしていました。先生が大好きだったのです。
ですが、先生には娘のことで、本当に申し訳ないことをいたしました。』
お母さんが、深々と頭を下げた。
くまのぬいぐるみを久美さんに送ったことは覚えていなかったが、彼女が子供の頃いつも抱えていたのは覚えていた。そうだったのか・・
久美さんから、あの事件の後、何か小包が届いていたが、返事を出す気分に無く、開けてみてもいなった。
一人の人格として認めていながら、どこか私に相手は知的障害者だという不遜な思いがあったのかも知れない。
彼女の可愛らしい丸っこい字が便箋の上で踊っていた。
『先生、ごめんなさい。久美は先生が大好きです・・・』
そして、冬中をかけて編んだという、春には全く季節はずれの毛糸のマフラーが入っていた。
程なくして復職していた私が、作業の後施設に戻ったら、理事長に呼ばれた。
「先生、作業指導ご苦労様です。やりましたよ、当施設のトマト!優勝ですって。理事の集まりで、鼻が高かったですよ、みんな康祐先生のお陰です。」
全国にある施設間の交流をはかる、ということで、「花の大会」、「野菜の大会」、「運動会」、「ダンス大会」と施設持ち回りで優勝施設を表彰するという財団の催しが盛んにおこなわれていた。
野菜のほうはNPOや地元農協の支援もあり、市からは補助も出ていて、施設の作業から優れた野菜を生み出すまでになっていた。
_久美さん、君が作り上げた新種のミニトマト、優勝したよ、よかったね。_
大喜びの理事長とわかれて、ちょっと寒い春雨の中を、久美さんの編んでくれたマフラーをして、私は彼女の愛した農園のほうへ歩いていった。
最初の段階から物語にすっかり引き込まれてしまって、バスの中だったのでウルウルで何とか止めましたが、このような感動的な話には「人前では読んではいけません」とか18禁みたいなマークを付けて頂けないでしょうか。
返信削除「チョコレートを口に放り込んで……」から、引き込まれるように、読みました。深い内容なので、(感動に見合う)最適なコメントが見当たりません。。。
返信削除響 次郎
御美子さま
返信削除コメントをありがとうございました。
うるっときましたか?
コメントを拝見してから、自分の作品をもう一度読んだら、ほんと、うるっとしました^^(自分で書いといてなにいってんの^^)書いているときは、むしろ、「康祐」の立場だったので、泣くに泣けませんでしたが、今ようやく、「久美さん」の切なさがわかった気がします。
ご理解いただいて、ありがとうございました。
響次郎さま
返信削除ご感想をありがとうございます。
母が理事をしている知的障害者の施設で、トマトを作っているのですが、「理事長会議で、どれがその施設で作っているかを当てたのだ」ときいたのでした。
母だけが、当てたそうです^^
物語自体はフィクションですから、その施設は関係ありませんが、トマトを当てる、という話は母の理事会議の話を基にしました。
mirubaさん
返信削除康祐は久美さんのせいで職を追われることになったのですが、私は思うのですが、私が康祐の立場なら、久美さんのことを恨んだりしませんよ、きっと。
この辺は、男性と女性で意見が分かれるかもしれませんけどね。
どちらにしても、素敵な物語をありがとう^^
何度も、何度も読み返した。
返信削除久美、康祐、容子、久美の母親、それぞれが抱えた思い、過ぎた時間の重みが、後半、一気に浮かびあがって苦しくなる。
書かれていない部分のドラマを、いくつもいくつも読者に思い描かせるのは、やはり彼女の力量でしょう。
読み返すたびに「やるなぁ」と唸ってしまった(笑)
引き込まれました。
寿月。
人間の本質のようなものを感じます。
返信削除あまりにも素直すぎて純粋すぎてすれ違ってしまう。
心の温かさの改めて思い出させてくれました。
raito さんご感想をありがとうございました。
返信削除>康祐は久美さんのせいで職を追われることになったのですが、私は思うのですが、私が康祐の立場なら、久美さんのことを恨んだりしませんよ、きっと。
この辺は、男性と女性で意見が分かれるかもしれませんけどね。
あら^^康祐は、久美さんを恨んでいたのではありませんよ。私も彼が久美を恨んでいると書いたつもりはありません。何度も言いますが、女性・男性の立場は関係無いとはいいませんが、重要ではないのです。対人間として、どう思うかなのです。
康祐は、いくら自分からのアプローチではない、といっても、状況証拠から疑われてしまいます。
キチンと説明してくれるはずの久美さんは、普段冷静なときは普通の人と変わらないとはいえ、パニックに陥ると、いわゆる正常な答弁ができなくなります。
それら全てをなぜ自分は解っていながら脱することが出来なかったか。人を説得することが出来なかったのか。
心理学者、カウンセラーという仕事にあるがゆえに、康祐は自分を責めているのです。
寿月。さん
返信削除ご感想を感謝します。
>何度も、何度も読み返した。
ありがとう。
>久美、康祐、容子、久美の母親、それぞれが抱えた思い、過ぎた時間の重みが、後半、一気に浮かびあがって苦しくなる。
書かれていない部分のドラマを、いくつもいくつも読者に思い描かせるのは、やはり彼女の力量でしょう。
康祐という「人間」をずっと描きたいと思っていました。
これは、康祐を康子として、久美さんを久芳として、男女逆転させても良かったのですが、痴漢の免罪を受けた男性は、社会的制裁を受けてしまうことが多く、また無罪を勝ち取ると復職できることも多いので、康祐として男性になってもらいました。
>読み返すたびに「やるなぁ」と唸ってしまった(笑)
引き込まれました。
励みになります。
やぐちけいこさん,
返信削除ご感想をありがとうございます。
>人間の本質のようなものを感じます。
あまりにも素直すぎて純粋すぎてすれ違ってしまう。
ええ、素直で、純粋で、本当にかばってあげたくなるのです。だからつい、自分はそのような人の味方なのだから、自分の思い通りに動いてくれると、勘違いをしてしまうのです。
突然、理性を超えた本能の叫びにも似た、荒々しいことがおきます。
その前にあってなお、冷静でいられるのか?
結局、どんなに尽くしても、何も伝わらないのだと、虚しくなってしまうのです。
それを超えられる人だけが、このような施設で働けるのだと思います。
心理学者というだけでは、何も解決できないのですね。
>心の温かさの改めて思い出させてくれました。
ありがとうございます。
そう、それでも、私たちは人間です。
相手を思いやることが出来たとき。
全てを許せるのでしょうね。