2012年2月25日土曜日
東京NAMAHAGE物語•5 by勇智イソジーン真澄
<夜の蛾にさえ>
ああ、まだある。
横目で眺めながら、いつもその前を通り過ぎていた。
駅から自宅までの道すがら、年中「急募二名」と手書きされた紙の貼られているスナックがある。
夕方になると、その店の前にはマットな紫色のポルシェが停まっている。
この車はスナックのママのだと噂に聞いていた。
ポルシェに乗るなんて、よほどの車好きか、見栄っ張りで派手なリッチな女性ではないかと思った。
しかし車種とは裏腹に、店の門構えは小さい。
きっと、ママとママの若い愛人だけで営んでいて、カウンターとテーブル席が一つか二つあるだけのように憶測していた。
こんなに長期、張り紙があるのだから、応募者がいないんだと思った。
銀座ならいざしらず、ここは東急東横線沿線の駅前商店街。
「目黒銀座商店街」と銀座ではあるが、本家本元のように容姿端麗にはこだわっていないだろう。
小柄で、少し太めのわたしにもチャンスはある。
だからわたしは、生活に困ったときには、ここで夜のバイトをしようと決めていた。
とても暢気な、安易な気持だった。
明るいわたしは、きっと人気者になって、店も繁盛するだろう。
店に出るときは、蝶のようにあでやかな衣装に身を包み、露出した肌には金粉なんかも塗り付けてみよう。
お客さんの間を軽やかにヒラヒラと、捕まえられそうで手の届かない、気になる存在の女になってみせる。
男心をくすぐる、思わせぶりな鱗粉も目線で振りまいたりして。
そして、素敵な人をつかまえて寿円満退社しよう。
もちろん、披露宴の二次会はこのスナック。
みんなにもお祝いしてもらわなきゃ。
その日はスナックを貸し切りにして、盛大なパーティーを催すの。
テーブルの上には、ちいさなシオンやシラタマホシクサなんかの野の花を飾る。
可憐なマーガレットなんかもいいな。
これからは彼のお給料だけで生きていく。
もう、働きたくないもん。
ちゃんと計画的にやりくりし、彼のために美味しい料理を作ったりして、いい奥さんになるんだ。
高台に庭付き、一戸建の新居。
日当たりのいい庭には、草花をたくさん植えよう。
ぐふっ、わたしの夢はどんどん膨らんでいく。
スナックに電話を入れたら女性が応対し「すぐ来られますか?」というので、急いでお店に行った。
わたしの電話に出たのは、出勤したてのこの店のママだったようだ。
想像していたよりも店内は広く、入ってすぐ右側に、8人は着席可能なカウンター席がある。
その端にある大きな花瓶には、これでもか、というほどに薔薇や百合などの大輪の花が詰め込まれている。
たくさんの種類が我こそもと競い合い、それぞれの個性を消されている。
あんなにきゅうきゅうに隙間のないほど差し込まれたら、花たちも息ができなくて苦しいだろうなと思った。
すぐに水の中の茎は腐り、花は枯れてしてしまうに違いない。
テーブル席の壁側にはソファー、向かい側は背もたれの無い四角い小さな椅子。
フロアーにも余裕があり、ミニクラブに近い。
たぶん客人は気に入った女の子を指名し、あわよくばその女性の耳元でデートの誘いをする。
そんなための、チークダンスをする場所なのではないだろうか。
時間が早いせいで、客も従業員もまだいず、ママは60代半ば、バーテンは40代前後ではないかと思われる二人だけがいた。
ママに客席の椅子へ案内され、わたしはしばらくそこに座っていた。
天井のライトが頭上から降りそそぎ、わたしの顔を否応なしに赤裸々にする。
真上からの照明はくっきりと、目の下のたるみや、目じりの小じわを浮き立たせる。
それに指で押され、茶色い痕がついた痛んだ桃のように、年月という指がわたしの肌に押し付けたシミも現れる。
そんな事を気にしながら、ひと筋のスポットライトを避け、自分がよく見えるであろう方向に尻を動かす。
横顔は右より左側が好きだから、その角度に座りなおす。
遠めで見ればわたしだって、まだまだ捨てたもんじゃない。
「そんな年に見えない」というのが、わたしへの世間一般の評価だったはずだ。
気を抜くと口角が下がるので、楽しい事を思い出しては心で笑っていた。
そうすることで、顔つきはやさしくなる。
ポコンと出たお腹には緊張感を持たせ、腹筋に力を入れて、胸を張り背筋をピンと伸ばす。
これで少しは印象が違い、中年の身体つきには見えないだろう。
採用されると信じこんでいるわたしは、一人で悦にいっていた。
この間5分程度待たされたようだが、わたしにはもっと長い時間に感じられた。
(まだ面接に来ないのかしら。茶の一杯でも出せよ)
カウンターの二人に視線を走らせた。
と、わたしとママの目が絡み合った。
ママは悪戯をして、それが見つかった子供のように、いたたまれなくなったのか、そそくさと目を伏せてしまった。
今までチラチラとわたしを見ては、二人でなにやらこそこそと話し合い、わたしの品定めをしていたらしい。
よかった、気を抜いた姿勢をしていなくて。
じきママが来て「採用します」と言うに違いない。
わたしは自分の小さな行動に、これまた小さな胸の内で拍手していた。
おやっ、わたしを観察するママとバーテンの反応が変だ。
わたしの視線が期を発したのか、バーテンとの話がまとまったのか、やっとママがわたしの待つテーブルに来た。
ママはわたしの向側の席に半身で腰掛けた。
どうやら長居をするつもりはないらしい。
挨拶もそこそこにすぐに年を聞かれ、真正直に告げたら「……うちでは無理ですね。下の子は18歳から、 一番上で31歳の子だし。電話の声が若かったので年を聞かなかったけど……。無理ですね」と念押しされた。
わたしの皮膚はガラスのようにひんやりとしたが、そんなことはおくびにも出せずにいた。
ここでなくたってお店は他にもあるし、と強がった見栄が張り詰めていた。
だが心の中では、想像していた生活が落胆に押しつぶされ、もろくも崩れ去っていた。
わたしもママも、お互いにガッカリしていた。
ママは、若く容姿端麗なピチピチした女の子を想像していただろうし、わたしは明日からでも働くつもりでいたのだから。
希望は持ちすぎると、失望までをも大きくしてしまう。
わたしの夢は正夢にはならなかった。
(駄目なら電話の時点で年齢制限のあることを言えよ)
打ちひしがれたわたしは、ため息と嘲笑に追い出されるようにドアを出て、紫色の車を睨んだ。
(だいたいポルシェはメタリックなグレーか黒よ。マットな紫色なんて、舐めすぎた替わり玉の飴が艶を失くしたみたい。ママの趣味がわかるわ)
趣味が悪いからわたしの良さがわからなかったんだと、自分を慰めながら毒づいた。
(毎日、路上に違反駐車してるんだから警察に通報しよう)
よからぬ逆恨みが、ふつふつと沸いてきた。
いまここで思いっきり蹴飛ばしたら、どんなに気持ちがすっきりすることだろう。
いつでも働けると決め付けていたのはわたし自身なのに、なんとも身勝手な思惑だ。
まあね、よく張り紙をみりゃ「女の子急募二名」と書いてあるわな。
もう「女の子」の枠から完全にはみ出したわたしは、「箸にも棒にもかからぬ女」枠に移行されたみたいだ。
そう、世間の見る目は確かに正しい。
若いつもりでいたのに、つもりは事実とは違う。
そう思い込みたくて、現実逃避をしているだけに過ぎないのだ。
現実を見つめることとは、なんと残酷なことだろう。
できうることなら、見失ってしまいたい。
舞う蝶が駄目なら、場末の蛾でもいいではないかと考えてみた。
羽には粉もなく、カサカサの蛾が脳裏を掠めた。
穏やかな色彩は消え、朽ち果てた道端の葉っぱみたい。
遠くで見ているだけなら形もあるが、近づいて触ってしまうと脆く壊れてしまう。
見せかけだけでは存在できないのだ。
そういうことか。
わたしは羽ばたくことも出来ず、夢も見られなくなってきたのだ。
そんなことが判っただけでも、儲けものと思わなきゃいけないってことなのかな。
羽ばたく蝶にもなれず、夜の蛾にさえなれなかったわたし。
50代という年齢のハードルは、思いのほか高かった。
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masumiさん
返信削除50代で夜の蝶を志すとは、なかなかの心意気ですね。
しかし、現実は年齢制限という大きな壁があるのですね。
いっそ、ママを目指せば良かったのかしらね。
で、求人募集をしたら50代の応募者があるのよ。その時のmasumiさんの面接ぶりが見てみたいわね。
raitoさん
削除そうですよね、チーママ、いいかも。
でもチーママにも制限があって駄目だろうね。
そうなるとオオママ以外選択の余地がない……。
ん~、面接してみたい!
あなたを採用しなかったお店のミステークでしょうね。
返信削除今の時代、若い子ばかりを好む男性ばかりではない。
男性のお酒の楽しみ方も随分と変わってきました。年齢の・・ちょっといった・・・というか経験を積んだというか^^、そのような女性と話すのが楽しいといってくれる人は、バーなどで時々お会いします。
あなたがお勤めになれば、其のお店はきっと流行っただろうと思うのですけれどね。あなたのお話は楽しいですからね。あちらにとって残念でしたね。
また、あなたも、切羽詰っていなかったのでしょうね。
是非一週間でいいから試してみてください。
そういうここぞという気迫も無かったのだろうと思いますよ^^
ま、其の手の面接体験レポートとしてこうやって投稿する、転んでもただでは起きないあなたらしい^^と寒心いたし、ちがった^^感心いたしました。
miruさま。
削除みんな見る目がないのね!
そう、転んでもただでは……また体験記が書ける
状況だよ^^。