2013年11月30日土曜日

多寡先警部補の事件簿 ~原ヶ島殺人事件~4 by 響 次郎

浜下港
(1)
 多寡先警部補は、トロピカルフレーバーのアイスコーヒーを飲み干した。あれから、十五分が経過している。そろそろ、ブラックのコーヒーと、ハニー&ローストナッツパンケーキを頼もうかと思った瞬間、彼の携帯が鳴った。
 入り口付近の座席が空いていたので、そこで詳細を聞くと、今いる第562方面から第563方面への支援(応援)が決まったとの知らせだった。
『警視庁刑事部捜査一課、多寡先警部補、警視庁130708事件の解決に向け、全力で対応します』
 花咲署長の方を見ると、多井刑事もまた、本件事件担当の命を受けたようだ。
「はは。こうなると思っとったけどな」と、花咲。
それを受けて、多井が「少し早かったですか?」
「まぁな」と、花咲が続ける。「でも、卒業して大きくなってゆく。それを喜ばん親はおらんよ……」
 花咲は熱い目頭を押さえている。
『卒業じゃありませんよ!』
 多寡先は、様々な経験を積んで、あすなろ署に戻って来る。そう思った。
 椰子の間を波風が心地よく揺れる。目の前の風景と、これから遭遇する凄惨な現場が、多寡先の中では結びつかなかった。
 花咲は、明日まで予定通り滞在するという。
「すぐ、専用船が出るんじゃろ? 今回の払いは、わしに任せてくれんか……?」
 あすなろ署の署長に、警部補と刑事は、深く頭を下げた。
「……第562方面の長として命ずる。第563方面の大石巡査らのもとへ赴き、一刻も早く、事件を解決してくれ。頼んだぞ」
 この場の花咲署長には、正確には「長」としての権限はない。本庁(警視庁)からの指令は、警部補と刑事に向けて出されたものだからである。あくまで、形式的なものであったが、多コンビにもそれは解っていた。
 『はい!』「はい」と、多コンビ。
 花咲署長の、その言葉は、今、この瞬間でしか言えないものであった。多寡先警部補も、つい、目頭が熱くなる。
 鼻腔と涙腺が繋がらないうちに、そしてその空気を切り裂くように、『行くぞ!』と多寡先警部補は、多井刑事を促し、喫茶室そして滞在先のホテルから出ていった。
 花咲署長は、ボーイを呼び、コーヒーのブラックを注文した。彼は涙腺がゆるむのを自覚しながら、書類を取り出し、明日から署に戻った時のスケジュールを立て始めた。


(2)
 第563方面の大石巡査が、パトカーの中で思考を巡らしていた。どれくらいが経過しただろう。およそ一時間という時間が、かなり長く感じられた。多分、大石巡査が(将来)巡査部長や警部補になっても、この瞬間のは、しばらく忘れられないのではあるまいか。

 「原1」と書かれたパトカー(この島にはこれ一台だけである。予備の原2も在るが、通常は使用しない)と、公衆トイレの間を往復して、もう一度、用を足して来ようかと思った時、同僚が車載の無線をとった。時刻は、七月九日午前八時三十分ちょうどだった。
「大石巡査、本庁から連絡です!」
「大石巡査です……えっ?! 多寡先警部補と多井刑事が来られるんですか?」
 本庁からの詳細連絡を聞き、その喜びが抑えられず「親しい友人との通話」と言ったニュアンスになってしまう。彼もゴホンと咳払いをし、丸めたハンカチで額を拭ってから、
「第563方面、大石巡査。本庁、刑事部捜査一課の多寡先警部補および多井刑事の支援を受け、警視庁130708事件の解決に向け、命がけで取り組みます。お任せ下さい!」とアピールした。つい、殉職してでも、と言いそうになったが。
 無線の向こうでは「了解」と、苦笑いを含みながら、指令センターからの連絡は切れた。

(3)
 さて。時刻は、山田が浜口を殺害した後の時間に戻る。
 殺(や)っちまった。コロシちまった!
 山田 侃(つよし)は、今は亡き浜口の車を運転しながら、思った。死体遺棄(いき)、殺人、それに窃盗……。これだけで少なくとも、三つの罪は犯している。七月八日午後十一時十六分以降、いや十六分を四十秒くらい上回っているかもしれないが、ともかく、山田は立派な犯罪者になった。
 明日の朝までは、金田二など、宿の連中は気がつかないだろう。いつものイベントだと思ってるに違いない。絶対にそうだ。しかし、翌朝になれば、この原ヶ島は駐在所しか無いとは言え、殺人の事が明るみに出る。どこかに身を……隠そうか。待てよ。それとも漁師に頼んで、小舟か何かを借りて、沖にでも出ようか?
 ダメだ。沖はダメだ! レンタル出来る時間は過ぎてる。どこも開いてやしねえ。畜生!
 白い車は原生林に差しかかっている。下原島である。駐車場は、そこいらに多く存在している。停める場所なら、どこだってある。しかし、事件が明るみに出たら、警察だって動くだろう。それを、空き地みたいな駐車場に停めておいたら、いやが上にも目立つ。捕まえてくれと自白してるようなものだ……。
 犯行が昼間だったら良かったのだろうか?
 山田はハンドルを握りながら、そうも考えてみた。
 昼間ならば余計に目立つだろう。セダンとか軽トラックが多い中で、オープンカーというのは、結構目に付く。BMWなんかの方が、逆に目立たないくらいだ。山田の車は、メルデセスベンシの1250シリーズだった。色はダークネスグレイだ。警察が事情を訊きに、合宿所に来て、その時に俺のベンシが無い事に気づくだろう。いずれにせよ、見つかるのであれば、時間稼ぎくらいにはなるだろう……。
 山田の喉は、風邪をひいてないのに、カラカラだった。こういう時には、ビールよりお茶なんかの方がいい。むろん、証拠が残る個人商店やスーパーより、自販機の方が足がつきにくいかもしれない。
 そう思って、行きの下原島と峰崎の境界にある自販機の傍らに停めた。

 お茶を買いながら、山田は(先を)考え続けた。ここで車を置いて行くのがいいのか、それとも、合宿所まで乗ってしまうのが良いか?
 室内を物色する。藍色の箱に収めてなかったレンズが、一つだけ残っている。マクロという、花などを大きく写したい時に使うレンズである。
 瞬時に、何かが山田の頭に閃いた。そうだ。
 更に、ダッシュボードを開けると、軍手が出てきた。
 車から降り、離れた場所で、マクロレンズを粉々にする。凶器に変わったカメラ本体と三脚と一緒に、交換レンズも入っていたから、調べれば、同じ持ち主の物だと分かる。
 マクロレンズの粉々に出来ない、大きな部品は、あからさまに置いていけば良いだろう。
 山田は一旦粉々にした一部をビニール袋に入れ、大きめの部品と共に、峰崎の方に撒(ま)いていった。パンクしないように、路肩の方に、である。そして、峰崎の先端、およそ三キロ辺りで戻ってきた。これ以上は時間のムダになる。
 山田は、缶の緑茶を半分くらい飲み干すと、エンジンをかけ、元見晴の合宿所に向かって走った。合宿所の隣に砂利が敷いてあるので、そこだけは十キロ以下の徐行に近いスピードで走った(?)
 もう一度、ダッシュボードを念入りに調べると、クレジットカードと交通系ICカードが見つかった。浜口の口座が(まさか)ゼロって事はないだろう。交通系ICカードなら、サインが要らない筈だ。交通系の方を財布に入れ、物音を立てないようドアを開け、キーを車内に残して、自分の車をそっと開け、同様に、忍び歩くようなスピードで砂利を過ぎる。砂利から砂利で、一時間近くは(軽く)かかってしまった。
 ベンシは島の北部を目指し、速度を上げて走り去った。
 幸いにも、合宿所とその周囲は山田の事に気づかない様子で寝入っていたようだった。
 時刻は、七月九日の午前零時を回った頃だった。

(4)
 日時は、多コンビが専用船に乗った七月九日の九時を過ぎた頃。
「警部補は、原ヶ島に行った事あります?」
 改まった調子で、多井刑事は多寡先警部補に聞いた。
『いや、初めてだよ
 多寡先は、彼方から迫り来る原ヶ島を眺めつつ言った。
「私も、初めてです」
『そうか』
 ウミネコが、船にまとわり付くように、そして離れて、どこかへと飛んでゆく。
『原ヶ島って、駐在所だけだっけ?』
 出港した初島の方へ振り返って、警部補が刑事に確認した。
「そのように聞いていますが」
 刑事の方は、少し不安さを出しながら返事した。大石巡査の不安とは違って、初めての場所で仕事をするという類のものだった。
『じゃあ。殺人事件なんかは大変だろうな』
「だからこそ、我々が行くんですよ(笑)」
『そうだな(笑)』
 警部補と刑事の多コンビは、努めて笑顔を造った。その後、浜下港に着くまでは、終始無言だった。多寡先は、犯人がどのようにして逃走を続けているんだろう、と思った。犯人は部外者(島の外)の人間なのか、島内の人間なのか……。島内の人間であれば、受ける衝撃は大きいに違いない。住人は疑心暗鬼に陥るだろう。地域コミュニティも、崩壊へと向かっていく。人間味あふれる島が、無機質な空間に変わるかもしれないのだ。
 多井は、多寡先とは別なベクトルで考えているようであった。我々が戸惑うわけにはいかない!

 駐在所に居る巡査や巡査部長に事件を通じて、貴重な経験を積ませ、同時に教育もしていかなくてはならないのだ。それも、たった数日のうちに!
 多寡先は、デッキ階下の自販機に向かった。到着までに、コーヒーでも買って、気持ちを入れ替えるためだった。珍しく、多井が煙草を吸っていた。


(5)
 原ヶ島は、みるみるうちに大きさを増した。船は山の頂きに別荘や高級ホテルが乱立する(要するに、美晴台を北部から眺めている)沖を通過し、東部へと回って来た。浜下港の向こうには、原島病院やら原島役場、駐在所(船からは確認出来ないが)など、島の主要な建物が揃っている、中通り地区が見える。漁港は、浜下港ではなく、中通り漁港という扱いになっていた。大漁旗を模した、飲食店のノボリや看板などが目に入る。小田原や江ノ島などと同様、海鮮丼の類が人気なのだろう。蛇足ではあるが、真鶴(まなづる)では、まご茶漬けやエビフライが有名らしい(苦笑)。
 多寡先らを乗せた高速船は、接岸作業も含め、定刻通りに港についた。
 港が見えた段階で、多寡先が駐在所に連絡したので、大石巡査自らが、パトカーで迎えに来ていた。乗船デッキから、町並みを眺めてみると、車の側に警官が立っていた。
「私が巡査の大石です。遠いところから、お疲れ様です」
 少々丁寧に、その男が言ったので、多寡先もそれを受けて、自己紹介した。
『どうも。刑事部捜査一課の多寡先警部補です。それから……』
「もうお一方は、多井刑事さんですね。存じております」

『なるほど。本庁では、多井君とセットで「多コンビ」なんて言われているんですよ』

「それも存じ上げています。有名ですよね」
 大石巡査から、尊敬のまなざしを注がれる。

 チラと多井を見てから、『これは確認の意味なんですが……』と、多寡先が前置きして言うと、大石巡査が「なんでしょう?」と聞き返す。
『ええ。こちらの駐在所には、どのような階級の方が勤めていらっしゃいますか?』と、訊いた。
「気を悪くされたら申し訳ないですが」と、多井が上手い具合いにフォローを入れる。
「ここは、巡査と巡査部長だけです」と、大石巡査。
『なるほどね』とだけ言って、多寡先は頷いた。
 ちなみに、階級とは、警察内では下の方から『巡査-(巡査長)-巡査部長-警部補-警部……』となっており、その遥か上に警視正や警視総監がいる。巡査と巡査部長で警察全体の、およそ六割を占めるとのデータも有る。
『続きは、無線警ら車の中でしましょうか?』
「無線警……って、何ですか?」
 大石巡査が思わず聞き返す。
 警察学校で習わなかったのかと思いつつ、多井が苦笑して「貴方が乗ってきたパトカーですよ」と指さす。
 原1と書かれたパトカーは、飲食店が多い浜下を抜け、中通りに入った。ヘリポートのある七階建ての原島病院から少し離れて、こぢんまりした駐在所が建っていた。
 病院の脇を通り過ぎる時に『白い手袋は、予備を含めて、多くありますか?』と、多寡先が訊いた。
 案の定(笑)、「白い手袋って何ですか?」という答えが大石巡査から返って来て、多寡先は『停めて下さい!』と強く言った。原1パトカーは、病院の玄関から二十メートル進んだ通りに止まった。大石巡査も、その同僚も、呆気に取られている。
 多寡先が居ないので、多井は、大石巡査に聞いてみた。「もしかして、証拠品(遺留品)の類には触りました?」
「いいえ。現場保存の鉄則が在りますので、KEEPOUTの封鎖と写真だけ撮っています。他には何も」
と、大石巡査がためらいがちに言うと、多井は、それは良かったと胸をなで下ろしたのだった。警官が触ったのでは、余計な指紋が付いてしまう。余計な指紋というのは、無駄な情報なので処理をするのに(しなくていい)時間を費やしてしまう。その分だけ、捜査にロスが生まれてしまうのだ。
 多寡先がパトカーの後部座席に「何か」を投げ入れた。それは、手術用のゴム手袋だった。多井がニヤリと笑い、多寡先は助手席に乗り込んだ。
「どんな風に頼んだんですか?」と多井。
『駐在所の手袋の予備が無くなってしまって困っているんだ。そう言ったら、快く貸してくれたよ』と後部座席を向いて多寡先。
「事件の事はまだですね」と大石巡査が割り込むと、
『そこんとこは上手くかわしたさ』
 言葉の語尾は、呟きに近かった

 殺人事件など起きそうにない島だ。だから、殺人事件発生とマスコミなどが知ったら、野次馬が詰めかけるだろう。『原ヶ島で初の殺人事件』と出たら、間違いなく、捜査に支障が出るかもしれないし、その可能性は極めて高い。真実を伏せる訳ではないが、円滑に解決をしたい。その後の批判は、甘んじて受けたいと思う。
 多寡先は、警視庁初島郡原ヶ島駐在所に着くと、奥の部屋で今朝別れたばかりの花咲おぉ、多寡先くんか。もう、あすなろ署が恋しくなったのか?」

『違いますよ、署長(笑)』と言ってから『実は……』と、殺人事件になった時の問題点を話した。
 署長は、ふむふむと聞いていたが、
「では。わしが何とかしよう!」
と、普段より一層低い重い声になった。多寡先は、妙な雰囲気に目を丸くしてしまった。
「どうしたのかね。ああ、風邪だよ、風邪。心配いらんよ……」と言う署長の声は、5.1chサラウンドよりも重厚だった。
(つづく)

3 件のコメント:

  1. うっかり4から読んでしまったのですが、1から読み直したら凄く面白くて、自前のツッコミが絶妙で、凄くウケるんですけど。w
    2か3で警察署内でのやり取りに「らじゃ」ってありましたけど、あれって真面目な応えになるのですか?思わず笑ってしまいました。w

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  2. 匿名さま、コメントありがとうございます(^^)。第2回とは別の方かな?

    殺人を含めた短編小説は、今回が初めてなので、思わず犯行シーンを飛ばし気味に書いちゃいましたがw
    ご質問の「らじゃ」は、戦闘機とかそういう感じの受け答えかもですね。「了解」が一般的かもしれません。 響

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  3. エピソード3の(2)の6行目に「らじゃ」があります。w

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