見晴地区
(1)
『原ヶ島501、「は」の106-84』のナンバーを付けた車が、美晴台を走っていた。山田が乗るメルデセスベンシ1250であった。浜口が生きていた頃、現在(いま)から数年前に、ナンバーにお互いの頭文字を入れようと決めた。よって、山田の愛車に『は』が、浜口のクルマに『や』が付く事になったのである。その愛車のシートも、泥や汗などにまみれている。
美晴台地区の交差点に、信号は(ほぼ)無かった。それは、「ランナバウト」と言って、円形のロータリーみたいな場所へ車が侵入し、各自が一時停止などしながら、通り抜けるというシステムだ。これだと、信号機が必要ない。あるのは看板だけだ。
海外では、オーストラリアなどに導入されているほか、日本国内でも試験的に導入されたことがある。
幾つかのランナバウトを過ぎて、唯一の交差点で停まった。赤信号になったのだ。青になって車は発進し、住宅街から外れた場所で止まった。まるで車も運転者も、電池が切れたような感じに見えた。遠くの沖合に漁船が見える。みかんの木が有れば、『みかんの花咲く丘』の歌を彷彿(ほうふつ)とさせる。宅地が造成中の、森林の多い場所だった。
七月九日の午後を暫く過ぎた頃である。
(2)
多コンビのパトカーは、赤色灯だけを光らせながら、『そよ風荘』脇の駐車場に止まった。すぐに白いオープンカーが目に入った。
手帳を取り出し、急いで傍らに回り込み、ナンバーを確認する。「原ヶ島502、「や」104-68」で間違いがなかった。
『鑑識の代わりもやってくれ。スマホのカメラだと画素が足らないが、機動性を重視するためだ。仕方ない』
現実の世界はどうか判らないが、多寡先たちの勤める警視庁は、ポラロイドおよび一眼レフで撮影した物しか正式には認められなかった。これについては別途、書類を提出する事になる。
「血痕などは見当たりませんね」
『あぁ。車から離れて殺害に及んだんだろう。車に(わざわざ)血痕を残す馬鹿はいないからな』
と、多寡先が、赤色灯を消し、パトカーに施錠しながら多井に言った。
辺りが苔に覆われ、猛暑は若干涼しいであろう(推定)その建物を観察すると、左手にブロック塀の途切れた箇所があり、出入り口は他に無さそうだった。念のため、可能な限り回り込んでみたが、やはりそこから出入りするしか無いようだ。
「ここの合宿所に、彼ら二人の事を証言してくれる人がいますかね?」
警察手帳を準備している多井の疑問を打ち消すように、
『とにかく、入ってみよう』
と、多寡先は建物の中に促した。
(3)
玄関を入ると、左手に管理人室が有った。一方間違えれば、恐怖系の脱出ゲームになりそうな、そんな内部であった。
多寡先が管理人室の奥に通じる扉をノックし、一階を通る声で言った。『警察です。突然ですが、お話を伺わせて下さい』
「あ。はい」
扉が開くと、ハリーポッターを中年男にしたような(笑)、というか、幅広い男性が現れた
『失礼します。貴方がここ、「そよ風荘」の管理人のかたですか?』
警察手帳を見せると、男は首を横に往復させた。どうやら管理人(海沢うめ)は、今、昼寝している最中だという。
「自分が、警視庁に最初に連絡しました」
管理人室から奥(食堂と、台所、一人用のトイレ、おばちゃんが寝てる居間)に通じる扉が開かれ、玄関や廊下を含めた空間は、一気に明るくなった。多寡先は「恐怖系の脱出ゲームになりそう」と云った固定観念に、思わず心の中で苦笑した。多寡先は、多井と、ひそひそ話のレベルでこう言った。
『管理人さん、どうするかな。寝ているようだし……』
「逃亡の恐れは無さそうだから、最後で大丈夫でしょう」
『そうだな』
仲間もまだ二階に要ると言うので、金田二を先頭に、多寡先、多井の順に上がる事になった。LEDの代わりに、上階の一灯の白熱電球だけが、ここでのメイン照明だった。そう言えば、階段下にも(株)芝々電機の白熱灯がダンボールの他に単体で転がっている。
(4)
六部屋ある二階のうち、片側の一番手前に彼らは集まっていた。普段から、集会所的な使われ方をしているという。様々な物体を、多寡先を含めた皆で片付け、煎餅(せんべい)座布団を敷いて、話を聴く事になった。
『なるほど。昨夜の午後七時五十五分過ぎに、彼らが車で出て行ったと言うんだね?』
「そうです」と、会話を受けたのは金田二だ。
『日常的に喧嘩があり、夜に出て行く時、話し合いの後、翌朝、夕雅浜から戻って来る……』
多寡先に続けて多井も補足する。「それが、普通というか、普段の行動だったと」
今度はそれに、井原と金田二が頷き、林が「そうです」と言った。
『何故、昨夜は突然出ていって、今回だけ戻らなかったんだろう?』
「二人は日常的に喧嘩をしていたと言いますが、心当たりとか、ありますか?」
多寡先が探偵役で、多井が話を発展させる役割に分かれている。
「実は、彼らの間にお金のやり取りが在ったと聞いています」と林。
他の二人、井原と金田二が、意外そうな顔をした。多寡先の眼光が鋭くなった。
「(話を)続けて下さい」と、多井。
ここから暫くは、林と多井、それに多寡先のやり取りになる。
「二人のうち、浜口さんが、山田さんからお金を借りていました。浜口さんが仕事の資金繰りに困り--燃料代とか、網の修理にかかるものですから--、全部で千二百五十万くらいだったかな? それを借りて、山田さんに分割で払ってたみたいです」
『二人は、漁師だったね?』
「はい」と林。
『山田の方が、裕福だったのかな?』
「そんな風に見えましたね」
『今までにも、二人に目立ったトラブルはあったかね?』
「それは……。いつもは喧嘩しても、翌朝にはケロッとしていたので、まさか、今回のような事が起こるとは思わなくて」
再び、多井が催促する。多寡先は手帳を取り出して記録する。
「それで……?」
「それで。ある時、四百万円返済した所で、どうしても返せなくなって、それだったら『借金のカタ--というと、表現が可笑しいかもしれませんが--奥さん、浜口の奥さんをカタにするという契約を交わした』そうです」
『それで、山田はその、原口の妻と寝たのかな?』
「そうらしいです。一度だけだったみたいですけれど」
多寡先が多井の方を向いて、
『どうやら、その辺に、核心があるようだな』と、呟いた。
多寡先は他の三人の方を向いて言った。
『それと関係が有るかどうか分からないが、実は今朝、殺人事件が起きてね』と。林ら三人の顔色が変わる。多井が遺体の写真プリントを取り出しながら、「もしも、気分の悪い方は、ご覧にならなくて結構ですが」と言うと、林と金田二がプリントを覗き込んだ。
『夕雅浜で、今朝、七時四十一分に見つかったものですよ』
多寡先が手書きで、現地の図を描いて示した。
多井が、三人のメンバーに尋ねる。
「この写真と、昨夜出かけて行った二人が結びつくような共通点は在りますか?」
無ければ、事件は振り出しに戻ってしまう。新たな材料を探して、ゼロから捜査を開始しなければならなかった。
「浜口だ」
最初に反応したのは金田二だった。次に林も言った。
「昨日、これと同じ服を着ていたから、間違いないよ。背丈もそのぐらいだ」
「この建物に隣接する駐車場に、白のスポーツカーが停まっていました。ナンバーは『原ヶ島502、「や」の104-68』。車種は『かふぇらて』です」
タイヤ痕のプリントを交えながら、多井が三人に確認する。井原は青い顔色のままだったが、浜口の車という意見で間違いなかった。
『しかしなぜ、死んだ浜口の車がここに置かれているんだろう……』
多寡先の呟きに、林が反応して、
「もしかすると。犯人が山田さんだとして、夜中にここに来て、自分の車に乗り換えたのかもしれません」
状況証拠でしか無いが、その線を当たってみる他にはないようだった。
「その車のナンバーを教えて頂けますか?」と多井。
同時に、被疑者と思われる山田が、この島内で立ち寄ると思われる場所をリストアップした。最終的には「峰崎」と別荘があるという「美晴台」が候補に残った。
管理人の海沢には、話を聴く必要はなくなった。
予備のパトカーで、山田を追う。
ハンドルを握りながら、『君は、どっちに居る可能性が高いと思うかね?』
「そうですね。峰崎でダイビングして(そのまま)身を隠したり、沖に単独で出る、あるいは投身自殺ってのも考えにくいですね……」
『美晴台かな?』
「恐らく、そうでしょうね。何処かを逃げまわっているのではないかと」
事件の解決に導かれるように、パトカーはサイレンと赤色灯で緊急性をアピールしながら、美晴台の坂道を登って行った。七月九日の午後四時四十五分の事だった。
エピローグ
(1)
時刻は戻り、同じ日の正午。七月九日正午のこと。
現場のZX組から半径三百メートルほどの距離に、とある特殊車両が到着した。陸上自衛隊のハイパースーパー(略)。エレファントこと花咲を乗せた機動装甲車であった。
「こっちは、あすなろ署の『花咲署長』を要求する! 早くしろ!」
事務所役の人間が黒サングラスを光らせて叫ぶ。
「それじゃあ、気をつけて行ってらっしゃい☆」
ルイちゃんが、色気のある声で言った。ピンクのフリルではなかった。
「ああ。お手柔らかに頼むよ。。。」と花咲。
あすなろ署には、胃薬が常備してあった。今日に限って、それが切れていた。花咲を含めた全員が、シナリオ通りに配置へとついた。若干、救急車が多い。
「もう待てん。限界だ! ZX組をナメるなよ!」
花咲がその事務所にたどり着く前に、銃弾が放たれた。
ズギューーン! という音ではなくて、パアンと乾いた音だった。
七月九日の午後十二時十分、花咲署長は倒れた。銃弾による負傷で無く、失神によって。もちろん、万全を期して防弾チョッキは着けている。
ルイちゃんが「任務完了」と、ニヤっと笑って言った。
どさくさ紛れに、救急車がエレファント花咲を乗せ、どこかへ運び去った。
その後は、駆け付けたマスコミや野次馬などで、夜まで混乱は収まらなかった。
(2)
多寡先と多井を乗せたパトカーは、交差点のランナバウトが特徴的な美晴台を走っていた。「迷路のような場所ですねぇ」と多井。『全くだよ』と、多寡先もウンザリしていた。ここの別荘やら住宅を(一軒一軒)当たっていたら、解決には程遠いだろう……。
信号のある交差点で停まった時、夕食の後、涼んでいた主婦に声をかけられた。
「お巡りさんね。ちょっと話を聞いて下さい」
詳しく話を聞くと、この辺りの住人(別荘なども含む)は、信号機で停まらないという。ほとんどの人が、信号機の在る交差点を回避して、ランナバウト経由で、島内を走るというのだ。どっちの方に向かったか、多井が(嬉しそうに)聞いた。
メルデセスベンシ1250が進んで行った方向に、住宅の造成地があった。辺りはかなり暗い。良く見ると、森のような間を、獣道が走っている。多寡先警部補と多井刑事は、造成中の脇にパトカーを停めた。赤色灯だけがせわしく、闇夜を切り裂き続けている。その細い道の遥か向こうには、屋根などが荒れ果てた建物が見える。『行こう……』
彼らは、その細い道を、慎重に進んで行った。
犯人の山田 侃は、メッキ加工工場に侵入していた。七月九日午後六時ちょうど。
工場は無人になっていた。いや、工場というには規模が小さく、コウバと言った方がピッタリする。山田の目的は、青酸カリ(シアン化カリウム)を盗む事であった。勿論、気化あるいは液化したのを体内に取り込めば、一秒と持たないだろう。暗がりを物色していると、試作品という木箱が目に入った。傍らの軍手を嵌(は)めて開けると、カプセル状や細長い形のものが出てきた。その中から、カプセル状のを取る。これを飲めば、死ねる……。
そう思った瞬間、眩(まばゆ)い光が山田を照らした。警視庁刑事部捜査一課の多寡先警部補や多井刑事が立っていた。
『無駄な抵抗は止めるんだ!』
多寡先が、オーバーに手を広げて怒鳴った。多井が山田の真後ろに回り込む。山田は(それに)気づかない。『話し合おうじゃないか』「話し合う? 何を馬鹿な事をっ!」
山田が向きを変えようとした。次の瞬間!
多井が両手を組み、思いっきり山田に向かって振り下ろした。脳震盪(のうしんとう)を食らって、山田が倒れる。
『被疑者、確保!』と多寡先が叫んだ。
七月九日午後六時十七分の事だった。
【完】
- 参考文献など -
Wikipedia日本語版
拙作:花咲・多寡先・多井シリーズ『謎のDMは太るぞ』
『解剖学はおもしろい』(上野 正彦)
『鉄道員裏物語』(大井 良)
『ライアーゲーム』(甲斐谷 忍) ほか
原が島殺人事件と新宿の事件が今一結びつかないのですが
返信削除さりとて、全く関係が無いとも言えないような不思議な読後感です。
全部ではありませんが、所々に織り込まれたユーモアが
そこはかとなく面白いお話でした。