2011年4月16日土曜日

東北地方太平洋沖地震に遭遇して・3 by 響 次郎

結局、コンビニは3軒回る羽目になった。
ファミマ→ローソン→ファミマ2軒目。

どちらかと言えば、ローソンはお弁当が多めだったのに対し、ファミマは、どちらの店も、お弁当やパン類が少なかった。

何でも、被災地に送っているから、と言う事らしい。
(父には、鮭弁当を我慢してもらって、別の幕の内に代えた)

母と弟は、都内に行っていた。案の定、物凄い渋滞だったと言う。

大震災の後に、ようやく母方の祖父母に(固定)電話が繋がり、仏壇やら壁が剥がれたので来てくれとの事だった。

私は父を診ていなくてはならなかったので、連絡係として、留守番をしていた。


新聞もテレビも、一斉に被害の様子を報じている。
地震の直後には、家屋や電柱は立ち、車やトラックが(普通に)走っているのに津波が到達した途端、電柱は水に浸かったプリュツェルの様にいとも簡単に折れ、波間に消えてしまう。

想像もしていなかった津波の「威力」を視て、言葉を失った。


こういった自然の脅威に関しては、人間を始めとする生き物は、ただただ非力だ。

東海地震も、首都圏の直下型地震も、まだ、経験していない。

結局は、日々の感謝を忘れずに、活き続けて行くしかないんだろうな、と思う。

がんばろう、日本!

【了】

※今回、大震災に伴う原発問題などを取り上げる予定でしたが、それらは別の機会に書く事にします。

乱筆ながら、ご覧頂きまして、ありがとうございました。
コメントをお寄せ頂いた皆様、また、掲載の機会を与えて下さったドリームライブラリ編集部の皆様にも御礼を申し上げます。

響 次郎

3 件のコメント:

  1. 次郎さん、

    震災から1ヶ月以上が過ぎました。生々しい記憶も薄れかけ、今の関心事は原発事故へと移っているかも知れません。
    でも、震災は終わったのではなく、始まったばかりです。
    これから、どうしていくのか。
    手探りに中、進んでいかなければなりません。
    始まったばかりなのです・・・

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  2. 匿名4/16/2011

    raitoさん
    はい。雑誌だか新聞に「怖がるなら、正しく怖がれ!」
    みたいなスローガンが載っていて、頷いた記憶が
    あります。

    母の知人がオーストラリアだかに行ったそうですが、
    レストランへの入店を拒否されたとか。
    東日本だけの問題ではない、日本人全員の問題なのです。

    }生々しい記憶も薄れかけ、
    この辺ですね、問題は!
    私たちは、自分の代、子の代、孫の代……それ以降と、
    この悲劇を伝えて行く努力をしなくてはなりません。

    今日も11時20分頃だったか、東京も揺れました。
    落ち着けと言われても、落ち着かないものです。。。

    コメントありがとうございましたm(_ _)m

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  3. 御美子4/18/2011

    「日々の感謝を忘れずに…」同感します。

    このシリーズは完結したとのことですが

    これからも、日常生活を独自の視点で

    書き続けてくださるのを楽しみにしています。

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