2011年4月22日金曜日

原発問題 by 響 次郎

今回の大震災は、実に様々な問題を我々に突きつけた。
色々と書く事も在るが(ガソリン渋滞や計画停電、買い占めなど)この回については、原発問題を取り上げたい。

今や、日々の話題に上らない日は無い、福島第一原発。
恥ずかしながら私も、この大震災に遭遇するまでは、ほとんどと言っていいくらい、原発についての知識が無かった。
微かに覚えているチェルノヴイリ(一般的ではないので、以下をチェルノブイリと表記)原発事故は、中学だか高校の卒業アルバムに写真が載っていたなぐらいの認識しかない。

まさか、それと同じレベル7の事故が、日本で起ころうとは。。。
子供の時から「脱原発だ」「反原発だ」「(原)水爆禁止世界大会だ」と云った各種の情報や動きに、無知で居た自分が情けない!

そう。ハナから国や電力会社の、原発は安全という言葉を信じていたのだ。
今回は、その安全が根底(というか地中深く)から覆された。
手塚先生の漫画『鉄腕アトム』ですら、事故の後では、勘ぐりたくなる……
 
チェルノブイリは、黒鉛型の原子炉で、もともと不安定な性質を持っているらしい。事故の原因も、炉の実験の為、安全装置をバイパスして、本来の手順を守らなかったのが要因だそうである。

そういった人的なミスの例は、名古屋の中華航空墜落事故でもそうであるし(ゴーアラウンド時の不必要な操作)、JCO臨界事故も、手順をより効率化する目的で、溶解塔を経由せずに、バケツを使用したという杜撰(ずさん)さである。

福島原発の例も、津波の影響などを考慮しなかった為に発生した。
 
私が一番ショックだったのは、3号機の水素爆発である。あの、衝撃が同心円上に震えて広がって行く様は、核兵器の爆発と同じに見えた。規模は遥かに小さいながら、日本のニュースでそれを観るとは思わなかった。

YouTubeか何かで、フランスの女性キャスターが固まっていたシーンが在るが、私は、それを笑えない。

事故で良く言われている解説が、東京からニューヨーク間に浴びる宇宙放射線とか、胸部レントゲン一回との比較である。
飛行機での移動も、あるいはレントゲンも、その人は任意で浴びているはずである(中には重症とか緊急入院で検査が必要というケースもあり得るが)

だがしかし、原発事故のケースの場合、浴びたくなくても被曝させられる、という事を忘れてはならないと思う。言わば、強制被曝なのである。当然と言えば当然だが、東海村JCO臨界事故のケースとも異なる。

折角だから書いておくが、放射能や放射線と、放射性物質は異なるものだ。

「放射線」は、直接的なもので、中でもJCOの場合の中性子線は特に危険であり、戦車の中に居る人間でさえ、影響を及ぼすとまで言われている。
分厚いコンクリートや、水(福島原発では減速材として利用されている)の中の水素原子と衝突して分散すると考えられるが、まさか、水を張ったコンクリートの建物で潜水服を着て、いつまでも生活し続けると云うわけにもいくまい。

「放射能」は、放射線を出す能力を持つ事を指し、「放射性物質」は、放射能を含んだ物質を指す。だから、放射能が降るという事は、厳密には考えられない。
 
また、被曝についても誤解が在ると思う。

要するに、その時点で幾ら(放射線を)浴びたかでは無くて、累積してどのくらいを浴びたり吸入したかが重要であるから『直ちに健康に被害は無い』も曖昧すぎる。
※ここで、とあるブログにてキーワードを入手した。【緊急被ばく医療ポケットブック】という物だが、内部被曝について具体的に書かれているので、興味が在る方は是非ともググり、当該のサイトを参照していただきい。

もしもであるが、今後、大量の被曝者が発生した場合は、除染作業を経験した事が無い医療施設が二次被曝すると言う事も十分に考えられる(想像できる)これから注意すべき事は、内部被曝であると言える。

事実、原発が正常運転している時でさえ、中で働いている人が体調不良にかかったり、あるいは放射性の白血病になっているという現実がある。

そもそも、そうしたありとあらゆる想像や想定外の事態を考えつくし、設計・建設するのが原発であるのに、そこが疎(おろそ)かになった事に、言葉が出ない。

2011年4月16日土曜日

祈り by やぐちけいこ

どこに誰に向かって祈ったらいいのかよくわかりません。

それでももうやめてって、もうこれ以上は揺れないでって祈りたいのです。

私たちは愚かですが愚かなりに一所懸命生きてきたと思います。
そしてたくさんの過ちも犯しました。

地球の 大気の、、、その怒りはまだ治まらない。

人間の奢りや傲慢さが自然の怒りをかったのでしょうか。

どうかもう許してください。

荒れた海。壊れた大地。泣き叫ぶ人々。

そして二度と帰らぬ命。

夜空を見上げれば今までと変わらず光る星。

人間を嘲笑っていますか。それとも哀しんでいますか。

私たちは空を見上げ星を見つめ希望を見出します。

たくさんの命とともに祈りをささげたら叶えてくれますか。
平凡でささやかな幸せをまた感じさせて欲しいのです。

早くこの試練から逃れたい。
そう思う事は罪なのでしょうか。

どうか愚かな人間をお許しください。
ただただ生きたいのです。
生ある限り生き抜きたいのです。
たったそれだけ、たったそれだけを貫きたいのです。

幼子が母を求め泣いています。

引き裂かれた心の傷から流れる血を止める方法を教えて欲しいのです。

どうか誰もが幸せを感じられる日が一日でも早く訪れますように。
非力な私にはそう祈ることしか出来ません。

東北地方太平洋沖地震に遭遇して・3 by 響 次郎

結局、コンビニは3軒回る羽目になった。
ファミマ→ローソン→ファミマ2軒目。

どちらかと言えば、ローソンはお弁当が多めだったのに対し、ファミマは、どちらの店も、お弁当やパン類が少なかった。

何でも、被災地に送っているから、と言う事らしい。
(父には、鮭弁当を我慢してもらって、別の幕の内に代えた)

母と弟は、都内に行っていた。案の定、物凄い渋滞だったと言う。

大震災の後に、ようやく母方の祖父母に(固定)電話が繋がり、仏壇やら壁が剥がれたので来てくれとの事だった。

私は父を診ていなくてはならなかったので、連絡係として、留守番をしていた。


新聞もテレビも、一斉に被害の様子を報じている。
地震の直後には、家屋や電柱は立ち、車やトラックが(普通に)走っているのに津波が到達した途端、電柱は水に浸かったプリュツェルの様にいとも簡単に折れ、波間に消えてしまう。

想像もしていなかった津波の「威力」を視て、言葉を失った。


こういった自然の脅威に関しては、人間を始めとする生き物は、ただただ非力だ。

東海地震も、首都圏の直下型地震も、まだ、経験していない。

結局は、日々の感謝を忘れずに、活き続けて行くしかないんだろうな、と思う。

がんばろう、日本!

【了】

※今回、大震災に伴う原発問題などを取り上げる予定でしたが、それらは別の機会に書く事にします。

乱筆ながら、ご覧頂きまして、ありがとうございました。
コメントをお寄せ頂いた皆様、また、掲載の機会を与えて下さったドリームライブラリ編集部の皆様にも御礼を申し上げます。

響 次郎

2011年4月8日金曜日

願いは韓日両国の夢の実現~金は天下の回り物~by 御美子

ソウル市カンナム区ノヒョン洞にあるエンターテイメント企画会社CのY社長に初めて会ったのは、2010年夏、私が勤める日本語学院のフリートーキング クラスでだった。気さくで明るく、一見遊び人風の外見に、どちらかと言うと真面目な印象の多い他の生徒達と、果たして上手くやれるのだろ うかと、一瞬不安になったが、それは杞憂に過ぎなかった。

社長本人の飾らない人柄やエピソード、芸能界の裏話が面白いのは勿論のこと、他の生徒の話にも耳を傾け、人生においては少し先輩(1955年生)なの で、時には有意義なアドバイスまで戴いた。また、授業の後にクラス全員にご馳走して下さったりと太っ腹で、自然と人望を集めていった。

そんなY社長が、それ以前から温めていて、具体化した企画の1つに韓国を代表するベテラン歌手南進(ナムジン)と五木◯ろしのジョイントコンサートがあ る。南進氏とは以前から懇意だったようだが、このコンサートが五木◯ろしとのジョイントになるまでには大変なご苦労があったと推察する。

昨年末くらいだったろうか、五木夫妻と末娘を韓国に招待し、社長自ら空港の出迎えに始まって、ホテルや観光地やルート、各地点でのBGMまで選択すると いうきめ細やかさで、極めつけに「この橋を渡ったカップルは別れない」というロマンチックな橋を通過しながら、ちょうど五木◯ろし本人の曲を流すという徹底ぶりで、夫妻を大いに感動させたという。

そうした地道な努力は、大企業の心をも動かし、韓国三大放送局の1つであるMBCの全面的サポートを始め、韓国日産からも高額出資の契約書を取り交わすに至った。

6月18日のコンサートを控え、いよいよ本格的に動き出そうとした矢先だった。誰もが想像だにしなかった規模で、日本に大地震が起こってしまった。

韓国日産の契約発動は3月13日の予定だったが、上層部から待ったが掛かった。私が聞いているのは、ここまでだが、Y社長の心労は察するに余りある。

社長は大地震直後に、日本の関係各社に対して個人的なお見舞いや、安否を尋ねる電話を入れた。仕事の話は抜きにして、日本で会った人達を純粋に心配してのことだった。そして、誰よりも速く義援金を送ってもくれている。

一方、同時進行中の企画に関してのタイミングの悪さを聞くに及び、絶句してしまった。C 社では3月7日迄に、近々日本で活動予定のJYJ・東方神起・ビッグバン・2PM等と正式な契約を結び、多額の契約金を払ったばかりだった。新大久保のコリアタウンで、これら韓流タレント御用達が売りのコーヒーショップやレストラン等を展開する契約も交わしたばかりだったが、地震を理由にプロジェクトの進行に支障が出ている。

東京芸大出身のY社長は、日本に特別な愛着を持っており、アメリカの次に大きいと言われる日本の音楽市場で、韓国芸能界を発展させることを願っているようだ。また、厳しい競争を勝ち抜いた韓国の若者達が、目の肥えた日本人ファンを喜ばせたり、元気を与えることが出来るとも信じている。

話は少し横道に反れるが、韓国の芸能プロダクションやファン達は、歌手やタレントを商品と割り切っていると思える。少し前に騒がれた東方神起やKARAのメンバー脱退騒ぎも、大多数の国民はプロダクション側に理解を示し、関係者の話を繋ぎ合わせても、とどのつまりは歌手やタレントの親達の金への執着が原因ということが多いので、メンバー交代の話にも特に動揺はなかった。

最近の韓国での人気職業第一位は芸能人やスポーツ選手だ。それは子供本人と言うより、子供をタレントやスポーツ選手にして、一攫千金を目論む親が多いことと切り離しては考えられないだろう。成功イコール金持ちという考え方が一般化している今の韓国では、芸能人志望者の層が厚く、それが精錬度の高い芸能人排出の土壌となっている気もする。

今回の大地震を理由に、本来回るべきお金が滞っていることも、復興の妨げになっていると考える。こんな時だからこそ、夢を与える人達への投資を、惜しむべきではないとも考えている。

2011年4月2日土曜日

東北地方太平洋沖地震に遭遇して・2 by 響 次郎


余震が無いか、注意しつつ、公衆電話に向かう。
家に居るだろうか?

『……もしもし』
「はい(屋号)です、おつかれさん。」
『おお! 無事だったか。親父は?』
「いるよ。こっちも、家に居たら、揺れてさ……」
ほっとしたのも有り、2~3分くらいは話していたと思う。

この分だと猫(おばあちゃんだけど)も無事だろう。。


正直、弟の声を聞くまでは不安だったので、
ついったーばかり、使っていた気がする^。^;
他の状況がどうなってるのか、少しでも、知りたかったのだ。

六本木とか、神田あたりは、相当なものだったらしい。


それからは、テレビのニュースをちらちらと観つつ、
注文の花束も在ったので、お届け(こんな時にね。苦笑)の為、早めに店を閉めた。


車で少し走り、無事に花束を届け終える。
そこでも、今しがた起きた地震の話を少ししながら、帰路に向かう。

そういや、フジテレビが燃えている、と言う情報もあった。
だとすれば、東京(都心)は物凄い事に……。


帰りに片道2車線の大街道を、東京方面にチラと見ると、テールランプばかり続いて居る。
テキストを書いている今では、思い出す事が困難なほど、かなりメチャメチャな経路で走った。

なるべく大街道は使わず横切る形にして、裏道へ。
こんな時は、皆、考える事は同じようである^^;

通常、1時間ちょっとの所要時間が、2時間30分ぐらいになってしまったのだ。
市部→市部の移動で「この状況」だから、「市部→区部」ならば、今日中に着けるかどうか判らない……。


震災当日は、夕食は何を食べただろう?
ごく簡単にレトルトなどで済ませた気がする。
テレビやニュースも、あまり見ずに寝てしまった。。。
※詳しくは、明日の朝刊を見れば分かるだろう、と言う思惑も在った。

余震とかも在ったのだろうけれど、覚えていない。



翌朝(12日)。
マグニチュードのMもそうだが、津波のすさまじさ(と言う言葉では表現が足りない)が、紙面と字面で語られていた。

その時点ではM8.2だっただろうか?
生まれてから、体感した事の無い数字だ。

確かに……この大震災が起こる前、2年くらいは前だったかと思われるが、、
中央線の吊り下げ広告(週刊誌)に【日本にM10の巨大地震が来る!】という類のタイトルを観た記憶がある。

週刊誌と言うのは、読者に手にとって貰うため、割とショッキングでかつ、アダルトな雰囲気を多用する傾向にある。

この時は『(絶対に)嘘だ』と思った。

でも。。。
本当に、来て、しまったのだ。
※ご存知の通り、東北地方太平洋沖地震はM9.0に修正されている。
これは、震災が起こってから調べてみた事だが、Mが0.2上がると威力は2倍になるそうである……。


連日報道され続けたから、
巨大津波の被害や被災地の状況、原発への影響など、(今更)繰り返し書かないが、
どれも「見て、瞬時に理解できる」情報ではなかった。。。

陸前高田の状況などは「空襲」というか、戦争の跡では無いかと感じるような(*)映像である。
*自分が経験した事の無い状況に出会うと、脳にしまってある近似の情報で置き換えたり表現をする。
脳に情報が無ければ、適切な表現が見当たらなくなる。


父は、療養も兼ねてテレビを見ているので、昼になり、昼食を買いに行った。
「んーーー。鮭、弁当」

大事には至らなかったが、時々、思うように言葉が出てこないらしい。
自分も中学の時に【どもり】が有って、言葉を巧く操れない「もどかしさ」を経験しているので、何となく分かる。

最も当時は(その)父に、
「そんなしゃべり方をするんじゃない!」
と酷く言われたけれど(苦笑)。
人生というのは皮肉なモンである。

お昼の時間を少し過ぎて、ウチから10分ほどのコンビニへ。入口を真っ直ぐ入った奥の棚に、視線を走らせる。

無い……!
弁当が、無いのだ。
(辛うじて、唐揚げ弁当の小さいのが、上から3段目の右下に「ちんまり」と置かれてあった)

【つづく】

アーメット・アーティガンの決断by k.m.joe

※レイ・チャールズの伝記映画『レイ』のレビューの一部です。アーメットはレイを発掘した人物で、黒人音楽専門レーベル(やがて一本筋の通ったロックやジャズも取り扱う総合レーベルとなる)<アトランティック>を創ります。ここに書いた文章は、レイが白人主体の<ABC>レーベルに移籍するかどうかという微妙な背景を元にまとめました。通常なら(音楽マニアとしても経営者としても)レイの移籍を許さない所ですが、アーメットは一段高い視野に立った結論を下しました。後に<アトランティック>が大レーベルになったのも肯けます。

              動画へ


レイ・チャールズが最初に所属した<アトランティック>は、映画『レイ』の中でも重要な役どころだったアーメット・アーティガンが共同経営の形で立ち上げました。映画の中で相棒役だったジェリー・ウェクスラーは元ビルボードの記者で、後から入ってきた人です。

映画を観た方はお分かりでしょうが、とても手作り感のあるレコード会社で、いかにもマニア達が自分の感性をフルに発揮して創り上げたという感じがします。

映画の中で、ジェリーが若いスタッフを「トム!」と呼び付けていましたが(トムとジェリー!)、彼はおそらく後に有名プロデューサーとなるトム・ダウドと思われます。

ソウルの名レーベル<スタックス>が<アトランティック>の傘下になった時、トム・ダウドが派遣されたのですが、<スタックス>のスタジオが余りにオンボロだった為、先方のスタッフが「何か必要な物は?」と尋ねた時、「先ず工具が必要だね」と言ったそうです。

全然関係ない話でした。

さて、当初レイ・チャールズは、家庭的雰囲気があり、自分を育ててくれた<アトランティック>を去る気は無かったようですが、多額の契約金もさる事ながら、<アトランティック>にレイ・チャールズの作品を出し続ける権利を取得させた事と、自分の好きなようにやらせるという条件をのんでくれた事が大きかったようです。特に資金力のある<ABC>なら、ストレートな黒人音楽止まりの<アトランティック>に比べ色んな挑戦が出来ると考えたのが大きかったのではないでしょうか?

興奮して大反対するジェリーとは反対にアーメットは沈思黙考し、結局レイの移籍を了承しました。その時アーメットにはレイの考えが読めたんだと思います。

彼の決断はレイの人生に留まらず、音楽界にとって重要な決断だったと今となって思います。彼は目先の「金づる」に捉われず、自分が愛するレイ・チャールズが、自分の好きな黒人音楽をどう変えるのか見たかったんだと思います。

場面はレイ・チャールズの<ABC>での初録音の光景に変わります。私は最初うへーっと思ってしまいました。「ジョージア・オン・マイ・マインド」を歌うバックで白人のオーケストラが曲を盛り上げています。黒人の合唱団が後ろにいますが、ゴスペル唱法(声をバーンと前に出す)ではなく、西洋的なもったいぶった歌い回し(黒人音楽からすると)です。

しかし、良いんです。真っ黒のリズム&ブルースにさんざん浸かった後に聴くと、何だかじわーっと染みるものがありました。

その後、大劇場で白い顔が八割方を占める中で、「カントリーを聴いてくれ」と言って歌い出した時もレイレッツが最初変な感じだったんだけど、やっぱり良いんです。

レイ・チャールズ本人が体に染み付いた音楽を採り上げているのでギクシャクしてないんだと思います。

レイは「してやったり」の気持ちでいっぱいだったでしょう。

そしてアーメットも同様に喜んだのではないでしょうか。