2012年8月5日日曜日

東京NAMAHAGE物語•10 by 勇智イソジーン真澄


頼ってばかりいてもね

ああ、いまどの辺だろう? 
駅弁とビールを体内に詰め込み、座席が揺りかごと化し熟睡していたわたしは、切り離しの振動で目が覚めた。

東京駅から併結した東北新幹線「はやて」に押されて走る、下りのミニ新幹線「こまち」の車両は、盛岡駅で切り離され、自力では新幹線の半分弱しか出ない時速で在来線の線路を走り始めた。


目的地の終着駅までは、中間地点。
まだ、ここまでと同じく二時間以上かかる。
ずり落ち気味の尻を背もたれ付近の元の位置に戻し、大きく伸びをした。
無理な姿勢で固まっていた身体が、ポキポキと息を吹き返した。

読書にも飽き、窓外を眺めると景色が後方から流れてくる。
そうか、もう大曲(おおまがり)駅を過ぎたのか。
あと三十分もすれば到着だ。

通称ミニ新幹線、実名は在来線特急「こまち」は大曲でスイッチバックをする。
線路形態の都合上、そうするしかないらしい。
下りでは押され、上りでは引っ張られ、しばらくは後ろ向きに進むこの列車は、いつも何がしかの
手助けを必要とする。
のんびりと歩み、一人で生きているようで自立できていない、わたしの生きかたのようだと思う。

秋田駅に降り立つと夕方にもかかわらず、もわーっとした熱気が襲い掛かってきた。
なんだ、この暑さは。
八月の旧盆であるこの時期は涼しいはずなのに、これではなんら東京と変わらない。
避暑地に出向く感覚の、いつもの里帰りとは明らかに違う。

不快な汗を洋服にしみ込ませてホームをあとにし、レンタカーで実家に向かった。
いつもなら窓を開け放していると風が通り抜ける家の中も、熱気がこもっていた。
吹き出る汗を拭きすぎて顔や首筋が痛い。
タオルを首に巻いていても、すぐにグショグショになる。

わたしの寝る二階部分は、夜になっても昼の暑さが住み着いている。
窓を開けていても、これではとても寝られやしない。
車を走らせ閉店間際の電気屋を数件回ったが、目当ての扇風機は売り切れだった。
やっと見つけたのは、オモチャのようなプラスティック製の四角いもの。
それでもないよりマシかと買い求めた。
確かにないよりマシで、わずかな涼を与えてくれた。

このあたりではクーラーを取り付けている家は少ない。
特に取り付ける必要がなかったのだ。
いまさら取り付けを頼むのも無駄だし時間がかかる、と一時しのぎの扇風機を求めるのは何処もみな同じだったようだ。
しかし今年はクーラーに頼りたかった。
つけすぎは身体に悪いけれど、こう暑くても体調を崩す。
文明の利器を、ありがたいと恋しく思った。

観測史上四十年以来という異常気象もさることながら、今年の里帰りにはもう一つの変化もあった。
これまでなら別荘に来た気分で、起きたい時に起きて寝たいときに寝る。
出かけたいときに出かけて、あとは本を読む。
なんて自由気ままな里帰りだったのだけれど、どうも今回は勝手が違う。

母の両親、私にとっては祖父母にあたる故人の法事がおこなわれることになっていたのだ。
祖父の五十回忌、祖母の二十七回忌を合わせての行事だ。
親の五十回忌を、こどもたちが生きている間に行うのは、なかなか難しいと聞く。
なぜなら、亡くなった当時の親の年齢にもよるのだろうけれど、それから五十年もたつと、こども
たちも高齢になり一同が揃わなくなることが多いからだ。

母方の兄弟は上から順序良く、おんな三人、おとこ三人の六人。
あいにく三女は八年前に他界してしまったが、残りの五人は健在で全員集まった。

東京組みは次男夫婦と三男の三人。
地元組は長女、長男夫婦、次女であるわたしの母と父。
そして地元にいるそれぞれの娘や婿、孫たちとにぎやかな集まりだった。
はっきりした人数は確認しなかったけれど、おおよそ十七八人というところだったろうか。
子供たちとはほとんど初対面だった。

里帰りした翌日から、わたしの忙しい日々が始まった。
まず、東京から来る親戚を空港まで迎えに行く。
よりにも寄って、朝一番の飛行機だという。
暑くて睡眠不足なのに早起きし、車で一時間かかる秋田空港に走った。

叔父夫婦と会うのは何十年ぶりだろうか。
見つけられるかな、と心配していたがすぐにわかった。
昔と変わらない。
いや、変わっている。
叔父は軽く左足を引きずり、杖をついていた。
数年前に脳梗塞を起こし、辛いリハビリをがんばり、日常生活に支障のない程度に回復したそうだ。
その成果があり、足以外は実に達者だ。

連れ合いの叔母も相変わらずのおしゃべりで、機関銃口撃。
車内では後部シートから身を乗り出して家につく着くまで、ほとんど一人で何か話していた。

もう一人の叔父は電車でやってきた。
実家はローカルな男鹿(おが)線脇本(わきもと)駅から徒歩三分なので、迷うことはない。
これなら手がかからなくて実に楽だ。

長男の家での法事も無事に終わり、食事をしながらの近況報告はにぎやかだった。
それぞれが高齢なのだから、皆どこか身体に支障をきたしている。
私はここが悪い、いやいや僕なんてもっとすごい。
それよりも俺なんて……と、病気自慢合戦が始まる。
五十代の私たちでさえ、足腰が痛いだの、視力が弱くなった、歯が脆くなったなどとあらゆるところに故障がでてくる。
母達の年齢で何もないほうが可笑しいのだ。
あまり深刻にならずに、病気は友達だと長い付き合いをしている我が一族だった。

たまには上げ膳据え膳しましょう、と叔父夫婦が温泉一泊ご招待をしてくれることになった。
我が家に何泊もするのに気が引けたのか、気を使うことに疲れたのか。
そして、わたしたちも疲れているだろうと察してくれてのことだったのかもしれない。
男鹿温泉郷へは車で三十分弱。
古い温泉だが源泉の宿を選んだ。
失敗した。

客室は二階、食事は一階、風呂は一度下に降りて廊下を進み、今度は上らなければいけない。
エレベーターなどという気の利いたものはない。
年齢が増すごとに階段はきつくなる。
たまには四足動物になりながら移動した。
湯は良かったのだが、足腰の弱った団体には不向きだった。

でも、みんなで温泉に入った。
なんだかんだ言ったって、せっかく温泉にきたのだから移動は大変だけど入らない手はない。
洋服を着ていても肉付きの良さを窺わせていた叔母は、脱いだらもっとすごかった。
わたしは負けた! いや、勝った? と思ったね。

あまりにも食欲が旺盛なので心配したら、脂肪を溶かす薬を飲んでいるし、普段は毎朝一時間歩いているから大丈夫なのよ、との返事が返ってきた。
叔母は中性脂肪が多く、フィブラート系薬を処方してもらい頼りにしているらしい。

だけど、叔父の分まで食べてしまう食欲は、薬をのんで溶かしているはずの脂肪をいまだお腹にくっつけたままだ。
これを飲んでいるからいいの、と見せてくれた頼りのピンクの錠剤はどこに消えたのだろう……。
服用しながらの旺盛な食欲に、錠剤も圧倒され本来の力がだせないのだろうか。
どうやら威力を発揮できないままに、それも肥やしになっしまったようだ。

2 件のコメント:

  1. 御美子8/05/2012

    例年だと暑くない地域が猛暑に見舞われるとひとたまりもありませんね。
    かく言う私が現在それを実感しているので、暑さの描写に大きく同感してしまいました。
    法事のために集まった親戚一同の様子にも、そうそうこんな親戚うちにも居そうと
    思わず自分の親戚達と比べてしまいました。^^

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    1. イソジーン真澄8/05/2012

      御美子さま

      暑いですねぇ! 
      我が家にはクーラーがなく自然風に頼っています。
      時折、涼しいのですが、汗が滴り落ちています。。

      コメントありがとう^^。

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