<ベンチ>
Yさんが大学生の頃の話である。 進学することになったのは、隣の県にある国立大学で、自宅から通うには少し時間がかかる。そのために、Yさんは自宅を離れ、大学近くの街でアパートを借り、一人暮らしをすることになった。 実家を離れるのは、生まれて始めてのことで、見知らぬ街での生活に、最初は戸惑いはしたものの、活発で明るい性格のYさんは、すぐに大学での生活に馴染み、サークルにも加入して、友人もできた。 一学期目が終わる頃、やはりサークル活動を通して、恋人が出来た。相手は、同じサークルの一つ上の先輩であり、Yさんも少なからず好意を抱いていたので、告白されて、すぐに付き合うことになった。 最初は学校で一緒に時間を過ごしているだけだったが、そのうちに、休日、どこかにデートに出かけよう、と誘われた。繁華街のある隣町で、食事をして、映画を見て…と、プランを立てていることを、仲の良い友人に話すと、友人は自分のことのように喜んでくれたものの、一つだけ、不思議な忠告をしてくれた。 「S公園あるでしょ?あそこ、恋人同士では行かないほうがいいらしいよ?特に、夕方とか、夜とかは」 S公園はデートをする予定の隣街にある市民公園で、海が見えることから、デートで訪れるカップルも多いと、Yさんは聞いていた。どうして、行かないほうがいいのかを尋ねても、友人も理由までは知らないようだった。 「うーん、なんでかはわからないんだけど…。行かない方がいいんだって。あれじゃない?ほら、恋人同士で行くと、別れる、とかそんなジンクスっぽいの」 理由まではわからなかったものの、とりあえず、自分のことを心配しての言葉でもあり、Yさんは、そっか、じゃ、気をつける、と返事を返しておいた。 デート当日の日曜日、彼が選んでくれていたお店でランチを食べた後、Yさんが見たかった映画を見た。映画館を出たのが午後3時半頃。そこから、近くの喫茶店に入り、夕方になるまで、二人で他愛もない話をして過ごした。 日が傾きかけた頃に、彼の方から、この後、帰る前に、店を出て、少し歩かないかと、誘われた。ぶらぶらと手を繋いで歩いているうちに、彼の足取りがS公園の方に向いていることに気が付き、Yさんは友人の言葉を思い出した。 とはいえ、初デートで、確たる理由もない話を持ち出して、雰囲気が壊れるもいやだったし、何より、彼ともう少し一緒にいたい気持ちが強かったので、結局、彼の手に引かれるようにしてS公園に入った。公園内を歩くと、自分達の他にもちらほらと恋人同士らしい男女の姿があり、Yさんは安心した。 初夏の夕暮れ時が迫り、徐々に茜色が濃くなっていくのを感じながら、歩くうちに、二人は小高い丘の上にある遊歩道に出た。そこからは、海が良く見えたため、遊歩道沿いに置かれていたベンチに二人で、並んで座った。ベンチのすぐ後ろには大きな木が立っていて大降りの枝が張り出している。これなら真夏でも、木陰が心地よいだろう、と思えた。ベンチに座り、きれいだね、などといいながら、夕日が海に消えていく光景を見ているうちに、隣に座った彼の挙動が、少しおかしいことに気がついた。 最初、ベンチの背にもたれていたのだが、時折、頭の後ろに手をやり、背後を振り返るような仕草をする。何度か、そんな仕草をした後に、ベンチから背を離して、膝の上で組んだ手に顎を乗せた姿勢を取った。それでも、背後が気になるのか、時折、後ろを振り返っている。 つられてYさんも彼の視線を追ってみるのだが、背後には木が立っているだけで、他に何もない。 さすがに気になったYさんが、どうしたの?後ろに何かあるの?と問いかけたところ、彼は困ったような、戸惑った表情を浮かべて、答えた。 「いや…。気のせいだとは思うんだけど…。最初は、何かが頭に当たってるみたいな感じがしてさ…。こつこつって、硬いものでつつかれてるような…。もたれないようにしたら、当たらなくなったんだけど…そしたら、今度は」 背後で、何かがきしむような音が聞こえた、と彼は言った。 「なんか…ギシギシって。気にしなきゃいいんだろうけど、木に何かが当たって、擦れてるのかな…とかって思ってさ」 それで、幾度も木の方を見上げていたのだと言う。 「ふーん、そうだったの。でも…」 そんな音は聞こえなかったけどな、風で木の葉が擦れたとかじゃない?と、Yさんが言うと、彼の方も、きっと、そうだよね、初デートなのに、変なこと言って、ごめん、としきりに謝ってくれた。 気にしないで、と笑顔で応じながらも、彼の言葉が気になり、もう一度、彼の視線が向けられていた方へと目を向けた瞬間、Yさんは思わず小さな悲鳴を上げた。 背後に立つ木から、ベンチの丁度上の方に突き出した大降りの枝。その根元に黒い、小さな人の姿をしたものが座っていた。残照が葉の一枚一枚までも、赤く染める光景の中、その黒い小さな人影が、すっと、左手をYさんに向かって差し出した。影の左手には擦り切れた縄が握られ、その先端は輪になって、小さく揺れていた。 「どうか、した?」 気がつくと彼氏が、不審な表情でYさんを覗き込んでいた。 「あ、あれ…」 と震えながら、自分が見たものの方を指差すと、そこにはもう何も見えず、彼氏も訝しげな顔をするだけだった。結局、Yさんは、ちょっと気分が悪くて…とごまかして、その場をそそくさと後にした。 自分の見たものがなんだったのか、どうしても気になったYさんは、後日、別の友人にS公園にデートに行ってはいけない理由を知らないか、と尋ねてみた。地元出身のその友人は次のように教えてくれた。 「恋人同士で行くのがいけないんじゃなくて……ホントはね、暗くなり始めたら、丘のベンチに座っちゃいけないって話なの。『出る』…っていうか、よく『出た』んだって、そこ。で……そのベンチって、すごく景色がいいから、カップルが座ることが多くて。でも…それって、私達のお母さんとかが学生の頃の話らしくて…。最近は、『出た』とか、そんな話聞かないから……だから……なのかな。恋人同士で行っちゃダメ、みたいな話だけが残ってるみたい」 驚くと同時に、納得したYさんの前で、友人は続けた。 「昔…その『出た』って話があった頃だけど……。ベンチに座ると、木に近い方に座った人の頭に何かが当たるんだって。で、振り返って、見たら、首を吊った男の人がぶらさがってて……。頭に当たってたのは、その男の人の靴の先だったって……。前は本当に、よくそこで首を吊った人がいたって、お母さんが言ってたけど…ね」 唖然としたYさんは、自分の経験を話したが、友人は、そんな話は聞いたことがない、と首を横に振った。 他にも、何人かに話を聞いたが、結局Yさんは自分が見たものがなんだったのか、未だにわからない。ただし、その後、YさんがS公園に行くことはなかった。彼氏との交際はその後も順調に続いて、大学卒業後数年で、結婚することになった。 「最初、友達が言ってたみたいな破局のジンクスではなかったらしいですけど」 それでも、なんであれ、あんなものは二度と見たくない、とYさんは、語っていた。
うーん、謎ですねえ。その黒いちっちゃいやつ。死神みたいなものなんでしょうかねえ。それとも、妖精の類でしょうかねえ。うーん、謎ですねえ。
返信削除今回のも怖いです。
返信削除夕方木陰のベンチを見たら毎回思い出しそうな話です。
何故そんな美しい景色の場所で
何人もの人が同じような気持ちになったのでしょう。