2012年3月31日土曜日

時は流れて…3 by Any Key(あにき)

<レコ・ジャケの想い出>
気に入った楽曲を簡単にダウンロードできる時代。
昔はレコード屋さんに足を運び、縦に重ねられたレコード盤を器用に指でかき分けながら、お目当てのものを探したものだ。30cm四方のレコード・ジャケットは、芸術と表現しても過言ではないくらいの独特の魅力を放っていた。その奇抜なデザインから、或いは美しさから、ミュージシャンやグループ名を知ったものもある。想い出に残るレコード・ジャケットと言えば、まずはこれ。
<KING CRIMSON ‘IN THE COURT OF THE CRIMSON KING ’>

1969年にリリースされた、イギリスのプログレッシヴ・ロックバンド、キング・クリムゾンのアルバムIN THE COURT OF THE CRIMSON KING(クリムゾン・キングの宮殿)だ。あらゆるジャンルのロックにハマったローティーン時代。繊細で幻想的な楽曲で素晴らしかったが、ジャケットのあまりの迫力に買うことをためらったほどだ。
(「今日は何を買って来たんだ?」と親に尋ねられて、「これ」って簡単に見せられないじゃないか。)

お次はこれ。

< BOZ SCAGGS ‘MIDDLE MAN’>
1980年にリリースされた、ボズ・スキャッグスのMiddle Man だ。ボズ自身が網タイツの女性の太腿に頭を乗せ紫煙を放つ、何とも艶めかしいジャケット。オモテ面はこうですが、ウラ面は・・・。
これは今でも手離せず所有しているが(何で?)、うぶな高3生の時、買いづらかったなぁ。





お気に入りのジャケットはたくさんあるけれど、やっぱり私の中ではこれが一番かな。

<THE BEATLES ' Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band '>

1967年にリリースされた、ビートルズのサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド だ。メンバーと共に多くの著名人とアイテムが登場。福助人形も左下に映っていて親近感が湧く。楽曲も素晴らしく、「ビートルズは100年後、クラシックになる」と言われた当時の言葉を想い出す。


レコード・ジャケットを眺めながら楽曲を聴き、いろんな想いに浸ったあの頃が懐かしい。


2012年3月24日土曜日

東京NAMAHAGE物語•6 by勇智イソジーン真澄


<我が家の金さん銀さん> 

ああ、どうしよう。
そろそろ連休が近づいてきた。

地方に実家のある人は里帰りしようか、それともどこか他へ旅しようかと考える頃だ。
私は迷うことなく前者を選んだ。

高校を卒業し東京に出てきて、すでに30数年。
毎年少なくても5月の連休、お盆、年末年始の3回は両親の元に帰っている。
今年もそれを変えたくはないし、変えられない。

特に大型連休の旅行は割高で、混んでもいるから避けたいところでもある。
秋田新幹線「こまち」に乗り、秋田に向かうだけでも旅気分を味わえる。
ビルの立ち並ぶ関東地方を過ぎ、いくつかのトンネルを潜り抜けると窓外の景色は、一変し民家が多くなる。
さらに進むと新幹線の停車駅近辺以外は、田畑の中に家が点在してくる。
その静かな景色を追い越しながら「こまち」は終着駅の秋田に着く。

かつて、帰省は楽しかった。
ただ何をするでもなく気ままに寝起きして過ごしていた。
家事はすべて母まかせ、庭にある風呂と室内風呂の掃除と沸かすのは父。
起きると食事ができていて、露天風呂もいつでも入浴できる状態にあった。
自らが動かずとも上げ膳据え膳の客扱いだった。

我が家で露天風呂と呼んでいるものは30年ほど前に建て替えた、以前の家で使っていた鉄製の丸い風呂、俗に言う五右衛門風呂のこと。
一時は山菜を茹でるために裏庭で使っていたのだが、これを父が移動させ今の場所、池の見える、ほぼ庭の真ん中に落ち着いた。

父は凝り性である。
が、飽きっぽい。
私が覚えている父の趣味は、薔薇の栽培、その次はタイ北西部に住む首長族のように、花を支えるために輪が施されていた大輪菊の栽培。
そして盆栽。
その他、家庭菜園や庭園作り等など園芸ものが多かった。
しかし、どれも5年は続かなかったと思う。

そんな父の、もっとも長続きしたものは錦鯉だ。
新婚当初、父は母の手助けの元、穴を掘り、地下水を汲み上げるためにポンプを設置し、水の循環を促す排水溝も作った。

父は旧国鉄職員であり、機械区を皮切りに、秋田管理局で定年を迎えた。
このような作業や仕組みを作ることは、いとも簡単だったようだ。
いまだに父の自慢の一つである。

当時の国鉄職員はどこへ行くにもフリーパスで行けたものだから、わざわざ錦鯉の産地、新潟県小千谷(おぢや)市まで買い付けに通っていた。
池には多いときで40匹以上の錦鯉と、ときおり金魚が泳いでいた。
金魚は飼われる場所の大きさと周囲の鯉にに馴染むのか、はたまた勘違いしてなのか、どんどん鯉に近い大きさになろうとしていた。

ところがこの数年、帰省するたびに鯉の数が減り始め、正比例するように両親の体力が衰えてきていた。
父がこまめに行ってきた池の掃除、鱗(うろこ)や鰓(えら)についた虫の駆除などが頻繁にできなくなり、弱いものから順に腹を上にして水面に浮くようになった。

母は足腰が弱くなり、長時間台所に立っていることが苦痛になっていた。
立ってはすぐ座る。
手の込んだ料理は少なくなってきた。

そこで娘の私が、と勢いはあるのだが、なにせレパートリーが少ない。
サラダぐらいならどうにかなるが、煮物、揚げ物になると母の助言が必要となる。
口で言うのがもどかしいのか、母はすぐに立ち上がってくる。
そしてまた座る。
母の味をだせるようになるのは、いつのことになるのやら。

もともと手先が器用だった母は、座りながらできること、私たちの古着や祖母の形見の着物などを再利用し、大小さまざまなパッチワークを作り始めた。
ただ置いておくだけではもったいない、こうしておけば何かに使えるし片付くのだという。
新作を見る度に、見覚えのある洋服や着物の柄がある。
あの当時に着ていたワンピースだ、おばあちゃんの着物だ、と懐かしさに話が弾む。

楽しかったはずの帰省は、知能と肉体労働に変わってきた。
まず父が家の中のことを伝授する。
例えば、我が家は地下水をポンプで汲み上げ水道水として使用しているのだが、そのポンプの仕組みを覚えておけ、という。
池の排水もそうだ。
家の中の電気系統も教え込まれる。

母は、よく箪笥やソファーなどの家具を一人で動かし、帰るたびに部屋の様子が替わって
いたほど模様替えが好きだった。
今では私が帰るのを待ちかねていて、家具の動かす先を考えている。

稀に父の記憶は行きつ戻りつして、思い出の順序だてがうまくできないときがある。
母は、何があってもいいように、と預金や保険証などの在り処を教えてくれる。
身につまされる現実を垣間見なければいけない瞬間だ。

だが互いに悲観しているわけではない。
これから先起こりえることは避けられないことである。
それがいつ訪れても慌てないように、腹をくくり始めているのだ。

たまに里帰りをしても学生時代の友人に会いに出かけることは、めっきり少なくなった。
小一時間かけて秋田市内まで出かけるのが億劫になってしまった。
それよりも、父や母の、幼少時代からこれまでの話を聞くことが楽しい。
知らなかった学生時代のことや仕事のこと、はたまた父の浮気のこと。
母いわく、私には義理の兄がいるらしいのだが、どうもこれは眉唾物と踏んでいる。

いま池の中には、黄色に近いオレンジとグレーがかった白色の二匹の鯉が、のんびりと泳いでいる。
元々は赤黒白の鯉の王道の三色だったのだが、いつのまにか単色に変わっていた。
最初に父が池に放った鯉たちだから、優に30年以上はたっている。
土手の桜が散り始め、風に運ばれた花びらが浮かぶ水面に光があたり、悠々と泳ぐ最後の二匹はゆらゆらと金色と銀色に見える。

そんな風景を茶の間で仲良く、ちんまりと座って見ている二人がいる。
よく磨かれた、つるつる頭の父と綺麗に手入れされた白髪の母。
大きな窓から差し込む光が二人を金色と銀色に輝かせている。

まだ若かりし、身体も心も自由に動いていた頃の思い出をつまみながらお茶を飲み、
いつでも娘の帰りを待っていてくれる、私の両親だ。

2012年3月17日土曜日

時は流れて2…by Any Key(あにき)


スズキスイフトのTVCM
「あの日・あの時・あの音楽」
 見るともなしに流しっ放しにしていたテレビから懐かしのサウンドが。「んっ!」瞬間的に画面の方に振り向く。ブロンディーの"Call Me"ではないか!大学受験の年。人生でこれでもかというくらい勉強したのは、“この一年のみ”だったが、洋楽を聴くのが息抜きだった自分にとって思い出深い曲だ。CMの挿入歌ではあったが、久しぶりにデボラ・ハリーが脳裏に浮かんだ。今でも元気にしてるだろうか。

  懐かしのサウンドが続けざまに流れてくる。今度は大滝詠一さんの『君は天然色』。1981年にリリースされたアルバムA LONG VACATIONの1曲目。車を走らせながら何十回、いや三桁は確実に聴いたアルバムだ。このあとすぐに『ルビーの指環』が大ヒットした寺尾聰さんのアルバムReflectionsがリリースされている。この2枚のアルバムを録音したカセットが、当時の愛車のマスト・アイテムだった。テレビで音楽番組が、それはもう花盛りだった時代だ。

  極めつけのCM曲。黄色いボディーの車がドリフトしながら、赤いパイロンの間をすり抜けていく。パワーコードの力強いギターサウンドが鳴り響く。ブリティッシュ・ロック四大バンドの一つ、キンクスのYou Really Got Meだ。ロックに目覚めたローティー時代に聴いた名曲。古いぞ、これは!自信がないので調べたら、リリースは1964年。もう少しで半世紀じゃないか。

  こういう曲が流れるのは、CMディレクターが、私と同じころ青春時代を過ごしたからだろうか。会社での立場もそういう決定権が持てる年齢だ。いずれにしても懐かしい。時が流れても色褪せない。名曲が名曲たる所以だ。15秒のスポットCMでも充分訴求できるサウンド。商品にまで訴求できるかは私にはわからないが。

  音楽は、ほんの一小節流れただけでも、それを聴いた時代に一瞬にして戻してくれる。その時代の匂い、流行りのファッション、車、仲間、恋人などなど。あの時代に戻れないことはわかっていても、戻れたら今度はこうする!なんて思ってみたり。

  音楽にまつわるエピソードは、人それぞれにあるはず。たまにはその頃を思い出して、じっくり聴いてみるのもいいかも・・・ね。

ブロンディー"Call Me"

2012年3月9日金曜日

日本人が知らない韓国の常識8•整形天国の噂は本当?

整形手術をする割合がイタリアに続き世界第2位と言われる韓国。
3年ほどソウルに暮らしてみて、確かにあまり珍しくないという印象だ。

「日本に留学する前に二重瞼の手術をしました」(20代学生)
「祖母に勧められて二重瞼の手術をしました」(20代会社員)
「一週間休暇をもらって整形しました」(30代会社員)など、私の身の回りだけでも、ありふれた話だ。
男性サラリーマンに尋ねると「目の二重瞼の手術を加えれば90%以上の職場の女性が整形し手術をしている」と言い、男子高校生によると「若い女性の顔は、どれも同じに見える」のだそうだ。

韓国全土の整形外科は、11月に全国一斉に行われたスヌン(日本のセンター試験に相当)の後から大学の新年度が始まる3月までイメチェンを図ろうとする女子高校生達で賑わう。
この時期に全体の約15%が整形手術をするそうだ。次のピーク時期は就活前で、履歴書に添付する写真の印象を良くするための整形手術だ。ある会社の人事担当社員によると、履歴書の写真が良くなければ書類審査にはほぼ通らず、男性とて例外ではないそうだ。整形という選択肢があるのにしないということは、経済的に余裕がないか努力不足と見なされるとさえ言う。

また、歌手や俳優を職業に選ぶなら、事務所からデビュー前に整形手術を勧められるというのも定説なのだが、最近韓国の芸能人に関して、整形顔かそうでないかが話題になることが多く、逆に不思議に思っている。

さて、知人のお嬢さんは鼻を高くする手術を、整形外科医院が乱立するソウル市アックジョンという地域で受けたが、暫くして不具合が出て心配になり、総合病院で見てもらったところ、軟骨が飛び出す恐れがあると言われ、現在経過観察中である。数年前に釜山で整形手術中に死亡事故も発生したことから、病院選びには細心の注意が必要かと思われる。

2012年3月3日土曜日

時は流れて…by Any Key(あにき)


<一枚の写真が紡いだ物語>

 『現像』という言葉が日常的に使われていた30年以上前。父親から借りた“一家に一台のカメラ”で、彼女とのデートを撮影したフィルムは、近所の写真屋さんへ。2~3日後に写真屋さんへ取りに行く。大急ぎで家に戻り、写真の出来栄えを確認する。
「よーし、上手く撮れてる。カ・ン・ペ・キー!」
手を繋いだ彼女との2ショット写真。彼女の笑顔が眩しい。うーん、最高!独りはしゃぎながら、同封のネガを蛍光灯に透かし、どのネガかを確認。サインペンを口に咥えキャップを外し、②と書く。すでに1枚あるのに?手元にある1枚はフォトフレームに入れて机の上に。1枚は定期入れに(当然!)。1枚を彼女にという手筈だ。こうした作業の後、再び写真屋さんへ追加のプリントをお願いに行く。

 昔は、現像された写真を実際に見るまで“映り加減”がわからなかった。目をつぶってしまったとか、露出不足などで出来が悪かったりとか。写真屋さんに取りに行くまでにドキドキ感があった。「写真できたよ!」と彼女に手渡す瞬間の、彼女の期待に満ちた表情にもドキドキしたものだ。撮影した日から手元に写真が届くまで、間(ま)というものが確実に存在し、“待ち焦がれる”想いに満ちていた。一方で、撮り損ないを真に恐れた。

 デジカメはもちろん、携帯でも高画質の写真を撮れる現代。写したその場で出来栄えが確認でき、携帯なら添付でその場で彼女に送れ“即時共有”できる。パソコンに取り込んで修正まで加えることができ、自宅のプリンターで処理できる。街の写真屋さんがどんどん消えていく…。

 即時性がもたらす便利さ。その便利さに慣れ切った今、「待つ」ことがしんどくなったような気もする。「待つ」ことで得られたもの。特に、相手を想う時間は、嬉しいことや期待することも多いが、苦しいこともある。すぐにわかった方が実際に良いものもあるが、そうでないものもある。

 利便性・即時性の対極にある間(ま)というものを、もう一度見直してみたい。