父は大正の最終年生まれで、長兄とは17歳年が離れていた。したがって、私と従姉妹ともかなりの年齢差があった。伯父の家を訪ねた小学生の頃、従姉妹四人はすでに大学生か会社勤めをしていた。完全に“お姉さまたち”であった。両親と伯父夫婦が世間話に夢中のとき、暇を持て余した私はガラステーブルの上にある、写真集みたいなものをペラペラめくっていた。非日常的な、それは華やかで、時に奇抜な洋服を着ている女性たちが写っていた。男兄弟の私には全くわからない雑誌(写真集?)だったが、妙に気になる“存在”でもあった。それ以降も、伯父夫婦を訪ねた際は、一人でその雑誌を手にしていた。
やがて、1980年代を迎える。DCブランドのブームが本格化した時代だ。私は大学生となり、バイト全開、収入の殆どは洋服代へと消えた。新進気鋭のデザイナーたちは、大量生産型のアパレル企業と対極にある「差異化、少数派」の個性的なデザインを次々と発信。POPEYEやananといった雑誌も強力に流行の後押しをした。全国にDCブランド旋風が吹き荒れた。カラス族と揶揄され、ハウスマヌカンなる言葉も生まれた。バーゲンともなればそれはそれはすごかった。行列に行列が重なる。開店と同時にお目当てのブランドに突進。それがニュースで放映される。テレビに出演するタレントたちもDCブランドを身に纏う。だれそれが○○ブランドを着ているという話が仲間内で話題になったりもした。
当時280円で毎週金曜発売のananを大学卒業まで買い続けた。モデルは甲田益也子さん、くればやし美子さんが中心だったと記憶(林マヤさんもいたような)。イラストレーターの大橋歩さんのコーナーもあったな。で、なんでananを買い続けたか?それは、単純に綺麗で面白かったから。男性雑誌に無い香りがあった。コーディネート、色使いは断然女性ファッションが参考になった。じゃあ、何がきっかけで手にしたのか? たぶんそれは、冒頭の私のお姉さまたちの雑誌がananだったからなのか・・・と今になって思う(確証はないけど)。
DCブランドにハマった学生時代が懐かしい。個人的には、川久保玲の COMME des
GARÇONS HOMME が好きだった。定番のセーターは、今でもあの時代の象徴としてタンスの奥で眠っている。
やがて、1980年代を迎える。DCブランドのブームが本格化した時代だ。私は大学生となり、バイト全開、収入の殆どは洋服代へと消えた。新進気鋭のデザイナーたちは、大量生産型のアパレル企業と対極にある「差異化、少数派」の個性的なデザインを次々と発信。POPEYEやananといった雑誌も強力に流行の後押しをした。全国にDCブランド旋風が吹き荒れた。カラス族と揶揄され、ハウスマヌカンなる言葉も生まれた。バーゲンともなればそれはそれはすごかった。行列に行列が重なる。開店と同時にお目当てのブランドに突進。それがニュースで放映される。テレビに出演するタレントたちもDCブランドを身に纏う。だれそれが○○ブランドを着ているという話が仲間内で話題になったりもした。
当時280円で毎週金曜発売のananを大学卒業まで買い続けた。モデルは甲田益也子さん、くればやし美子さんが中心だったと記憶(林マヤさんもいたような)。イラストレーターの大橋歩さんのコーナーもあったな。で、なんでananを買い続けたか?それは、単純に綺麗で面白かったから。男性雑誌に無い香りがあった。コーディネート、色使いは断然女性ファッションが参考になった。じゃあ、何がきっかけで手にしたのか? たぶんそれは、冒頭の私のお姉さまたちの雑誌がananだったからなのか・・・と今になって思う(確証はないけど)。
DCブランドにハマった学生時代が懐かしい。個人的には、川久保玲の COMME des
GARÇONS HOMME が好きだった。定番のセーターは、今でもあの時代の象徴としてタンスの奥で眠っている。