ステレオタイプと言うのは色々ある。
科学的な根拠はないと言われながら日本人ならみんなが知っている血液型ステレオタイプとしては、
•A型:気配りができる、神経質、羽目を外さない、まじめ
•B型:マイペース、思ったことを口にする、楽観的、人見知りしない
•O型:現実的、逆境に強い、小さいことにこだわらない、野心家
•AB型:繊細で傷つきやすい、合理的、裏表がある、ユニーク
などだ、当てはまる人もいればそうではない人、信じる人信じない人、様々だろう。
またよく言われる国民的ステレオタイプは、
アメリカ人=独善的、大国、おおざっぱ
ロシア人=酒好き、本当は共産党が嫌い
ドイツ人=権威主義、 生真面目、科学的
フランス人=好色、グルメ、自意識過剰
イギリス人=紳士、堅苦しい、食事まずい
イタリア人=スケベ、臆病、情熱的
日本人=勤勉、金持ち、女は淫乱
朝鮮人=短気、愛国心が強い、日本に敵対心を持つ
中国人=椅子と机以外食べる、人口が多い、後進国(いまだに)
などといったイメージがあるそう。
国民的ステレオタイプのジョークはよくあるが、草むしりをいろんな民族にさせてみると・・・と言う題では。
イタリア人:休憩しいしいろくに草もむしらず時間が来たので帰宅する。
イギリス人:仕事はするがとっかかるまでのティータイムが長い。
アメリカ人:草刈り機がくるまで休憩。機械の調子悪いと弁護士に相談する。
フランス人:とりあえずアシンメトリーな芸術的な草むしりを追求。
ドイツ人:面積から必要な仕事量を割り出し、計画的に草をむしり雑草の根一つ残さず刈り取ってしまう。
日本人:ドイツ人と同じ方法で草を刈ってしまうが、刈り取った後に会社まで作ってしまう
特徴をよく表していると言えるだろう。
しかしステレオタイプに違和感を持つことの方が多いかもしれない。なぜなら人間の性格は国や血液型で変わるのではなく、10人いれば10通りあるのだから、十把一絡げ的な分類への違和感は当然である。
だが、これらのステレオタイプと言うのは全くのイメージや偏見などから言っているのではない。49カ国4,000人の男女を対象に、「あなたは、色々な国の国民がどんな性格特性を持っていると思うか」と尋ねたところ、先の国民性ステレオタイプ一覧表とほぼ同じ答えだったという。誰もが自他ともに認めているのである。
日本でも「日本国民性調査」という同じような調査が数年ごとに行われている。日本国民性調査では、継続調査としての国民性調査のねらいは大別して二つあるとしている。
第一は、長期にわたる継続質問項目によって、日本人の「ものの考え方」の変化の様相を明らかにすること。第二は、従来との継続を図りながら、将来の新しい動向を探り、それに備えること。国民性を調査することが将来に備えることになる?とはどういうことだろう。
そもそもステレオタイプを調べるメリットとしてどのようなことが考えられるかと言うと、知らない人種や物事を時間を使って調べなくても簡単にイメージできるということなのだ。
例えば、100年前、日本人とアメリカ人がはじめて会って挨拶をする。アメリカ人は挨拶のとき最初から笑顔満面馴れ馴れしく握手を求めるが、(握手に手を出さないのは拒否?なんて礼儀知らず)と日本人に侮蔑の目を向けるかも。
日本人は、真面目な顔をして慇懃に頭を下げてお辞儀をするが、(お辞儀もしないなんて礼儀知らずな野蛮人だ)とアメリカ人に冷たい目を向けるかも。
そんなこともステレオタイプで知っていれば、お互いのマナーを尊重して、敬意を払い笑顔で握手をしながら頭を下げるという芸当が、会ったその日からできる。
ステレオタイプの認知のメリットは、膨大な情報を一定の型にはめて把握することで、情報を効率的に処理することができ認知資源の節約なのだ。
一方、ステレオタイプを意識するデメリットとして、ステレオタイプでみることで、固定化した評価をしてしまう恐れは当然ある。人や物の本来持っている性質や独自性を見過ごし、相手を誤解したまま否定的な評価や感情によって差別や偏見を生じさせる危険がないとはいえない。
「高齢者ステレオタイプ」と言うジャンルで見てみたい。
「高齢者のステレオタイプとは?」その多くが、病気や障害を抱えた高齢者を<ケアする周りの人々>によって語られてきた。
そのため、彼らによって『平均像』が作られてきたことが大きい。
また高齢者調査というと病気や障害についての調査が多く、生き生きと活動している高齢者の実態調査は意外と少ないのだ。
偏ったステレオタイプ感によって専門家やマスコミが高齢者ステレオタイプをつくり、老いは必ず寝たきりや認知症、一人暮らしの悲惨な生活をもたらすものとして、ネガティブ、否定的にとらえてきたことは大きいかもしれない。
そのため人々の中に「老いる」ことへの誤解と漠然たる不安が生じ間違った先入観が広まってしまい、「高齢者に対する偏見や差別」を意味する「エイシズム」が台頭したといわれる。
近年高齢者市場(シニア)に対する注目度が急速に高まったのは2007年、団塊市場に新たな市場を期待し様々な企業が参入を試みたが、成功する事例は少なかった。
高齢者と言われる団塊世代には、現実にはまだ現役が多いにもかかわらず、定年になれば暇ができるはずという旧ステレオタイプの見方をして、失敗したのだろうか。
これがステレオタイプのデメリットだが、現在の固定概念は、意外にも良いと思われているところからも強固に作り上げられている。
「高齢者ステレオタイプ」の良いところを見ると、「優遇される」ということだ。
まず、自分が高齢者となった目安となるのが、映画の割引や博物館の入場料、飛行機や電車のキップの割引などが得られることだ。
個人的には全く老人と感じていないのにもかかわらず、しかし割引は受けた方が得だ。
そう思うので、ついつい「自分は社会的に老人である」ことを受け入れてしまう。
そんなことを繰り返していると、次第に自分を老人と認めるようになるのだ。
(自他ともに)高齢者ステレオタイプの出来上がりである。
では、この固定概念からどのように脱出するか。
それは別の新しい「高齢者ステレオタイプ」を調査することで作ればいいのだ。
先のメリーランド州ボルチモアにある米国国立老化研究所では、健康な人々の老化による身体的・精神的・情緒的影響を調べるために計画された統計、17歳から96歳までの2,200人を対象に、その一人一人の老化を平均13年間追跡した。
結果老いたヒトは多くの生理的心理的測定において若い人たちよりむしろ個人差の値が大きかったという。
これは「老人はみな本質的に同じだ」という古い固定概念が、間違っていることを証明したのだ。
研究所では、異常に「若い」80歳の人と異常に「年老いた」40歳の人がいることを発表。
人が高齢者になるかどうかの決め手は年齢よりもむしろその人のライフスタイルという結論だ。
55歳以上75歳未満を「ヤング・オールド(young-old)」
75歳以上85歳未満を「オールド・オールド(old-old)」
85歳以上の人々を「超高齢期(oldest-old)」と定義するようになっている(資料;Newgarten,B.L.,)
日本でも年齢階層別に医療や介護を受けている人口を見ると85歳を過ぎると、過半数が医療や介護の対象となってはいるのだが、65~85歳の多くは健康であり、高齢者の8割は自立しているという(資料;厚生労働省大臣官房統計情報部)
「日本国民性調査」の「国民性を調査することが将来に備えることになる」というのはつまり、国民性ステレオタイプや血液型ステレオタイプ・高齢者ステレオタイプとステレオタイプをふまえつつ、その変化に注意しながら、調査を再検証していくと、「大きな利益をもたらすことも可能である」と言うことにならないだろうか。
世帯主が60歳以上の年間消費額を高齢市場と仮定してその規模を推計すると、【2015年には72兆円、市場全体の占める割合は全体の4割を超すと予想されていたが、現実には80兆円。2030年には100兆円、市場全体に占める割合はなんと約5割に達する】(資料:ニッセイ基礎研究所)
つまりステレオタイプを見ることは、「高齢者」と言うジャンル一つをとっても将来を見、経済を見ることになるので、ジョークで済ませるのはいかにももったいないということになるし、また大いに利用されていくことになるだろう。
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参考一部引用:
国民性ジョークを楽しむために
https://matome.naver.jp/odai/2133676431252439601
知育ノート
http://www.chiikunote.com/entry/stereotype
超高齢社会とシニアビジネスの役割
http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170806114549.pdf?id=ART0010425052
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