「なんですって?!」私の突き刺すような声を聞いてあわてて孝彦が言葉をつないだ。
「判っているよ、幸恵がノーマルなんだってことは。でも、ネットでマリアが騒いでいるぞ、幸恵に裏切られたって、ジャンに幸恵を盗られたんだって」
「冗談よしてよ、孝彦だって知っているでしょう?ジャンとの付き合いのほうがマリアより長いし、第一マリアは同性の友達というだけよ、恋人だなんてとんでもないわ」
「し、知ってるよ、でも、いったん広まった噂は消えないし、ネットで炎上していて、押さえようがない。ジャンに見られ無ければいいけどね」
体が震えてくるのがわかった。なんということ・・・・
ジャンの部屋にあるパソコンは、鍵のかかったロッカーに入れられていて出せない。
当時ニースに一箇所だけあったネットカフェに走った。
炎上のコメントなど、見なければいいのに、恐ろしいのについ見てしまう。
そこにある誹謗と中傷の言葉、賛同と否定の入り混じった言葉の暴力。
目を覆いたいのに、とことん読み進めて昂然と反論する。
「違うわ!私は彼女の恋人ではない。私に女性を愛する趣味はない。彼女の勘違いよ!」
腹が立ってコメントで口を出すと、さらに_同性愛を趣味とは何だ_と炎上に拍車がかかる。説明をすればするほど、書けば書くほど文章のやり取りは、思いとかけ離れていく。
哀れなマリアをその気にさせて別れ話をする風上にも置けない嫌な女だと罵倒され続けた。そのなかに、味方だと思っていた、いつも集まる仲間達のハンドル名も見え隠れした。
私は愕然とした。
孝彦の名前は無かったが、同時に彼は私への援護射撃もしてくれていないのだ。
それはつまりほかの仲間と同じ考えだということに他ならない。
結局私を批判していることと一緒だと思った。
こんなにつらいのに、悲しいのに誰も助けてはくれない・・・
この人たちは誰一人私の仲間なんかじゃなかったんだ。
楽しく交流していたと思っていただけに、落胆は激しかった。
マリアにアクセスをする。
何てことするのだと彼女へ怒りをぶちまけた。
マリアは最初のころこそ泣いて謝ったものの、自分の発する言葉に興奮するのか、私に嫌われたのだから死ぬしかないと、またぞろ言い出した。
腹が立っていたこともあり、また人の心まで斟酌する余裕がなくなっていた私は、
「ああ、どうぞ!そんな死にたければ死んだらいいじゃない。誰もとめないわよ!」と言い放った。
しまった!
私はあわてて、「マリア!」とパソコンに向かって呼びかけたが、もう、二度とマリアからの返事は無かった。
Photo by Takao |
マリアがニースの隣カンヌの海に浮かんでいた。
いつもは穏やかなニースの海が、アルプス山脈から吹き降ろされるミストラルによって波は躍らされ雲は疾風のように地中海に向かっていく。
マリアは沖に流され、そして浜に打ち上げられていた。
可哀相なマリア。
私がもう少し真剣に向き合っていれば、救えたかもしれない命。
世界中の誰もが私を非難の目で見ているような気がした。
たった一人私の味方、と望んでいたジャンがつぶやいた言葉。
「運命なのだから仕方がないよ。・・・でも、本当に何も無かったの?」
ジャンの見せるクールさが好きだったはずなのに、その醒めた言い方は私を打ちのめした。
ディプロマ取得を目前に、引き止めるジャンを振り払って日本に逃げ帰ってしまったのだった。
「悪いけれど、ジャンにいまさら会っても仕方が無いわ。孝彦、あなた、彼と会うことがあるのなら、よろしく言ってよ。ううん、私は見つからなかったと伝えて」
孝彦がイタリアに戻ってから一ヶ月が過ぎたころ、兄の会社に私宛の手紙が届いた。
ジャンから受け取った手紙を転送してきたのだった。
「Mon amour SACHIE・・・」
その手紙は僕の愛する幸恵、という言葉から始まっていた。
相変わらず、フランス人独特の読みにくい、でも懐かしい彼の筆跡。
「愛する幸恵、今も元気で暮らしていると孝彦から聞いた。
君がいなくなってどれほど寂しい時間を過ごして来ただろう。
花の春にも、バカンスの夏にも、枯葉の秋にも、灰色の冬にも季節を友にしながら君の事を思い出さない日があっただろうか。
君が僕に逢いたくないといっていると聞いたとき、僕はまた泣いた。
だが、それは僕に与えられた試練であり罰なのだ。
天に召される前に、どうしても君に謝らなくてはいけないことがある。
マリアは、君のせいで自殺したのではない。
僕のせいで死んだといってもいいだろう。
あの日、
君はあわててアパートから出てきた。きっとマリアのところへ行こうとしていたのだろうと思う。
それを、マリアは向かいのカフェから見ていたんだ。
君を刺そうとしていたに違いない。ナイフを隠し持っていた。
なぜ僕がそれを知っているかというと、僕は君とマリアが二人でこっそり逢うのではないかと疑っていて(ごめん、君を疑って本当にごめん)
マリアを付け回し、常に彼女の背後にいたからだ。
カフェから出たマリアを、強引に車に乗せ、ナイフを取り上げて町外れで、・・・強姦した。
それは、君からマリアを引き離す最後の手段だと、僕は当時そう思ってしまったから。
大人しくなったマリアは、ふらふらと車から出て行った。
僕は覚悟を決めていたのだけれど、不思議なことに、捜査段階で僕のことが問題になることはなかった。
君との噂話のせいなのか、あるいはマリアが僕という男の跡を拭い去るために激しく洗浄したためか、
警察が最初から自殺と決めていたからなのか、今となってはわからない。
それを幸いに、僕は黙った。
僕は君に問いただすことも出来ず、かといってじっといしていられないほどのジェラシーでどうにかなっていたと思う。
幸恵、君を誰にも渡したくなかったんだ。
マリアには申し訳ないことをしたと思っている。
でも、神は罪を許してはくれなかった。
君を僕から永遠に取り上げてしまったのだから。
幸恵、逢いたい。心から逢いたい。愛しているよ今でも。
あの夏の日の二人で見た花火は美しかったね。
君が話す日本のお祭りの様子。
フローズンと違うという「かき氷」も、一度食べてみたかった。
愛しい幸恵。
ひと目、君の顔を見たかった。
君の優しい声を聞きたかった。
もう僕の命はかき消えようとしている。
君への愛はこんなにも燃え盛っているというのに。
さようなら、幸恵。Adieuアデュー 」
私は大きく息を吸った。
もう、間に合わないかもしれない。
すでにこの世の人ではないのかもしれない。
でも、それでもいい。
私はジャンに伝えるために、飛行機に飛び乗った。
「ジャン、私もあなたを愛しているわ。」
< FIN >
悲しい結末と写真がすごいマッチして、情景が浮かび上がりました。
返信削除みるさんの作品は写真や音楽とのコラボで、余計に物語の中に引き込まれます。
こんばんはmasumiさん。ご感想をありがとうございます。
返信削除励みになります。
写真を撮ることはできませんが、見ることは好きで、
画像が情景を見せてくれると、自然に物語が浮かんできますね。
ジャンの手紙に唸ってしまい
返信削除想像だにしなかった筋書きに言葉も失いました。
フランス人と日本人の感情表現の対比も興味深く
フランスを舞台にしたからこその作品も魅力全開で
mirubaさんの世界を心行くまで堪能させて頂きました。
御美子さん、ご感想をありがとうございます。「私」が相手の思い込みによる攻防から逃れられなくなっていく苦悩とか恐怖、ジャンの「私」への愛がもう少し表現できていれば、最後がもっと生きますですよね~^^次回頑張ります。お言葉、励みにさせていただきます。
削除