2014年9月28日日曜日

パリのカフェ物語7 by Miruba

フランスの中央に位置する古い地方都市『オーベルニュ地方圏』。

食通のバイブル・ミシュランガイドを出しているあのミシュラン社のある『オーベルニュ』。

ジョルジュ・ポンピドー、ジスカール・デ・スタン、ジャック・シラクと、歴代の大統領を輩出した『オーベルニュ』。


その『オーベルニュ地方』出身のカフェのオーナーは、どうやらお客さんにご馳走になっているようです。

水を入れると白濁する「パスティス」をカウンターに乗せ飲んでいます。
パスティスは、アルコール度数の高いアニス風味の南仏生まれのリキュールです。

ギリシャやトルコの支配で入ってきたとされるアニスは、西洋茴香(ウイキョウ)とも呼ばれる香草で、リキュールなどのお酒やケーキに、時には息の香りを良くするため、そしてまた、消化剤および咳や頭痛を鎮めるためにも用いられています。

パリのカフェで白いカルピスのようなものを飲んでいる人がいたら、このお酒に間違いありません。


オーナーは話し出しました。
「オーベルニュといっても、ひー爺さんがオーベルニュでひー婆さんの故郷はその南隣のアヴェロンなんですよ。パリの人はオーベルニュもアヴェロンも一緒に「中央から来た人」オーベルニュ人といいますが、実際はぜんぜん違うんです」

オーベルニュとアヴェロンの人たちにはその場所と気質の違いをはっきりさせたかったでしょうが、パリジャンからすれば、同じフランスの真ん中辺から来た人たち、とひとくくりにしたのでしょうか。
地域にこだわるのはその地方の人だけなのはどこでも一緒ですね。

実直で頑固などちらかというと閉鎖的なオーベルニュ気質とは違って、開放的なアヴェロン人は、暇さえあれば、自分の椅子を外に持ち出して夕暮れの町で世間話をするのが楽しみだったようです。

アヴェロンからパリに出てきたカフェのオーナーの御かみさん達が、狭い店の前に椅子を出して世間話をしていて、そのうちお客さんに地元から持ってきたワインをサービスする様になったとのこと。
パリのカフェが、ロンドンのパブや、ローマのバールと違ってオープンカフェなのは、そういういきさつもありそうです。

「なんでも先祖はつまり私のひーひーひーひー爺さんくらいですがね。水売りをしてたらしいんですよ。ところがパリの下水道設備が整っちゃうとね、水売りの仕事がなくなっちゃった。それでひーひーひーひー爺さんはお金持ちのアパートへお湯を運んだってわけです」
笑いながらオーナーが語ります。
「えらい古い話だね。しかし5階まで!今みたいにエレヴェーターはないしお湯を運ぶのは大変だったろうね」と、お客さんが感心しています。

私はビールのお変わりをしてオーナーの興味ある話に聞き耳を立てていました。
知らない歴史を知るのはぞくぞくすることです。
オリーブを口にしながら、これも南から来たのよね、と思いめぐらします。

オーナーはパスティスの酔いがまわったのか、昔話を聞いてくれるお客さんが嬉しいのか益々快調に話をつないでいくのです。


「昔は湯沸かし器など無かったですからね。でもってお湯を沸かすのに当然炭がいる。当時は暖房も暖炉でしたから炭屋を始めるんです。ですが、家賃は高いから炭を置く倉庫くらいしか借りられない。この店も最初は5分の一くらいの広さだったそうですよ」

「そりゃ狭いね。ああ、それで外に椅子を並べたってわけかオープンテラスカフェの出来上がりだ」お客さんが笑いましたが、私は感心して聞いていました。


オーベルニュの人たちは出稼ぎでパリに来ていたのです。そして奥さんたちは田舎から旦那さんの暮らすパリに、懐かしいだろう地元のワインとチーズをお土産に持って逢いに来ていたと言うのです。

昔は防腐剤など無いので、持参したワインは急いで飲まなくてはならず、余ったワインをコップ一杯、炭を買いにきた客に最初はサービスで、後には売ることになるのですね。

そしてつまみのチーズを切るのに、地元から持ってきたラギュイヨールのナイフをつかうのでした。
今ではソムリエなら必ず持っているといわれているソムリエナイフの代表格のシャトーラギィヨールもオーベルニュ地方のものなのです。


そういえば主人がパリに入った1970年ごろ、カフェの横で炭を売っているお店を見かけたと言っていました。

カフェは炭屋の兼業、いえ炭屋の兼業がカフェだったのでしょうか。
それが後に炭は環境汚染の原因となり、煤煙で建物が黒くなるというのでパリでの利用が禁止されてしまいます。
そこでカフェだけが残るのですね。

オーベルニュの人はパリに出稼ぎに来て、まずは水を売り、お湯を売り、炭を売り、ワインやチーズを売り、コーヒーもだしてオープンカフェにしていった・・・


うん?まてよ、ではあの子爵や公爵や文化人の通っていた、踊り子でもあり娼婦の居たキャバレー宿から、プロコピオのはじめた明るくゴージャスな鏡張りの『カフェ・プロコープ』はどうなるのかしら?

キャバレーがコーヒーを出したのが始まりだから、パリのカフェは飲み屋のバーのようにお酒が沢山並んでいるのだものね。


疑問はオーナーの続く話で、すぐに解けました。

「政治論を交わす紳士や美しく着飾った奥方様や高級娼婦たちが通った高級なカフェには、普通の人は入れなかったそうですよ。そこでひーひーひー爺さんオーベルニュの仲間たちは炭屋の横でワインだけでなく、コーヒーや他の飲み物や簡単な食べ物やつまみをだしていたら、炭を買いにくるお客さんでいっぱいになったってわけです」


高級なところはサロン風なカフェ。庶民用にはオープンテラスカフェが現れた。

その両方をあわせたものが現代の『パリのカフェ』と言えるのでしょうね。



農業地帯で農繁期を過ぎるとパリに出稼ぎに行かなくてはならなかった中央フランスオーベルニュ地方の人々。
それがいまや、世界に販路のある‪ボルヴィック‬ミネラルウォーター、ミシュランタイヤの本社、ソムリエナイフの金属工業、山脈や休火山もあり肥沃な土地に湖や牧草地帯が広がっていることで観光業も発達してきて、パリに出稼ぎに行かずとも生活できることで、【パリのカフェのオーナーはオーベルニュ人】という図式もなくなってきたのでしょうか。


オーナーとお客さんはまだ昔話に花が咲いているようでしたが、私と娘は、少しのチップをおいて席を立ちました。

"Merci!Madame et Modemoiselle,a bientot"

オーナーのご機嫌な挨拶に手を振りながら、夕暮れのなかを娘と私は歩きました。

パリの高級なカフェと、庶民のカフェのその生い立ちの違いを一日で探れた気がしました。
カフェの歴史はパリの歴史でもあるのですね。

聞いていないのかと思ったのに、
「面白い話だったね」と娘がつぶやきました。


2 件のコメント:

  1. 御美子10/02/2014

    現代のおしゃれなカフェがお手本にしているパリのカフェに、こんな歴史があったとは。
    私が暮らす国では夜な夜な飲み屋さんが公道にプラスチックのテーブルや椅子を並べ、不快な思いで見ていましたが、今後は初期のパリのカフェを思い出し、違った目で見られるかも知れません。

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  2. 御美子さん、コメントをありがとうございます。歴史を紐解くのは、面白い作業ですよね^^パリで一番最初にコーヒーを出し、紳士や淑女が初めてココアを飲んで、アイスを食べたイタリア人プロコピオの店カフェプロコープの歴史ヒストリーはフランスでもいくらでも資料があるのです。ですが、庶民はどうしたの?何時からコーヒーを飲んでたわけ?という疑問がもともとあって、カフェのオーナーが言った、「昔うちは水を運んで炭や薪を売っていたんですよ」という言葉を小耳に挟み、これだーと思ったわけです。出稼ぎの人たちは、昔も今もたくましいですよね。そうありたいと思います。

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