最近は温泉ブームだったりスーパー銭湯なんてものが大流行りでございますが、ひと昔前は温泉と言えば、若者は見向きもせず、ご老人たちの天下でございました。
温泉にはいろいろな効能があるわけですが、これが肩こり神経痛など、ご老人なら誰しも経験のある痛みを和らげてくれるのも人気のひとつでございます。
また、どこそこの温泉は滝のように落ちてくるところに座って入るだの、ここの温泉は立ったまま入って歩きながら進むだの、挙げ句の果てには湯舟のまわりを一周してから入るのが習わしだなど、その地その地によって変わった温泉の文化というものが栄えていたものでございます。
そんな中でもひときわ怪しげな薫りを漂わせておりましたのが、背後湯と言う名の温泉でございます。どんなことをするのかと言えば、後ろ向きに入るんです。
お湯に入る時も出る時も、風呂場の中を歩く時でさえ、後ろ向きに歩かなければなりません。
なぜ、そんなことをするようになったかと言えば、この温泉には様々な者が来るためでございます。
どこの温泉だって、いろんな人が来るだろう、中には変わった奴だっているさなんて思ってちゃいけません。
この温泉、山奥にあるためか、そんなにいろんな人は来ません。
たった今、いろんなな者が来るって言ったばかりじゃねえかとお思いかもしれませんが、その通りです。いろんな者が来るのは確かです。ただ、人じゃございません。天狗やら妖怪やら、いわゆる物の怪たちに人気の温泉でございます。
中には、瞳を見つめるだけで凍らされちまうなんて髪の長い西洋の女性妖怪まで来るのですが、後ろを向いているので凍らされる心配はありません。
その隣には、長さなら負けないわと首の長さを自慢している日本の女性妖怪もおります。
一つ目しかない坊やとか、目鼻口のない妖怪も、ここ背後湯ならば誰はばかることなくゆったりと温泉を楽しめます。
そんな気味の悪い温泉に人間が行くはずがないとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、何しろこの温泉、効能が魅力的なんです。
その効能とは、寿命が延びるということです。言わば不老長寿の泉とでも申しましょうか。
ほら、あそこで後ろ向きに浸かっている猫なんぞ、毎日来ているそうで、年齢は1000歳を超えたとか。
そんなわけでございまして、お湯に疲れば皆さん気もほぐれてまいります。
たとえ後ろ向きの背中合わせとは言え、話の一つや二つは出てくるものです。
「ヒマラヤの旦那、最近は雪が減ってきて隠れる場所に苦労してるんじゃねえですかい。旦那は毛むくじゃらだし、大きいから目立ちますもんねえ」
ヒマラヤ在住の大男に声をかけたのは、中国から雲に乗ってやって来た猿でございます。
「まったく、こう暖冬が続いちゃ雪が溶けちまっていけねえや。雪が溶けると、この茶色い体毛が発見されやすいだろう。いっそ、真っ白にでも染めちまうかな」
こんなたわいもない話が、あちらこちらから聞こえてまいります。
そんな和やかな雰囲気の中、この温泉には名物の食べ物がございまして、湯舟の中で風呂桶を浮かべながら、その中に入っている食べ物をいただくのが人気です。
これが、なんとかき氷でございます。
湯船の中で暖かいお酒を飲むのがお好きな方もいらっしゃいますが、冷たいかき氷もなかなかオツなものでございます。
ここのかき氷は現在とは違いまして、一種類しかございません。かき氷は赤いやつだけでございます。
お湯の効能は不老長寿ですが、実は、ここのかき氷にも効能があるそうです。なんでも、頭が良くなるそうなんです。知恵が付くともっぱらの噂でございます。
いろんなところから温泉に集まってきて、背中合わせながら、こうして共にかき氷を食べることになろうとは、何たる不思議なご縁でしょう。しかも、知恵まで授かることができるのです。
いつしか、このかき氷は、イチゴいい知恵(一期一会)と呼ばれるようになったそうでございます。
奇怪温泉、背後湯の序でございました。
この作品は三題話のものでしょうね。私と同じように期限が切れたのか?上手に三題が織り込まれていて、流石のショートですね。楽しく拝読しました。
返信削除ご感想ありがとうございました。綺麗なオチが見つからず、三題話へのエントリーは断念いたしましたが、
返信削除コラム簿に掲載していただきました。励みにさせていただきます。
新作落語を拝聴したような読後感でした。
返信削除妖怪の皆さんが世間一般の呼び名で登場しないのが
何とも粋で要所要所でクスリと笑わせて頂きました。