2012年1月7日土曜日

東京NAMAHAGE物語•3 by 勇智イソジーン真澄

<赤い糸>
ああ、私の赤い糸はいつの頃から切れたままなのだろう。

折りたたまれた記憶のひだを伸ばしてみたら、一番苦かった思い出がよみがえってきた。 


かれこれ数十年前にさかのぼる。
まだ私も若く、可愛いとちやほやされていた黄金の時代。
二人は同じ職場、事務職の私とアイドル担当マネージャーの彼。


最初はそのアイドルのブレーンと呼ばれる人たちのグループで遊んでいた。
そのうち彼に誘われ二人きりで会うようになった。
彼は温泉が好きで、よく一緒に露天風呂のある旅館に行ったものだ


彼と付き合うまでは温泉旅行はお年寄りのもの、と高をくくっていた私だが、いやどうしてなかなか。
何度目かの秘湯温泉旅行。
チェックアウトを済ませ玄関に歩き始めた私の後ろに彼がいた。
前日の夕食をたらふく食べ朝食もしっかり納めた私のお腹は、消化を間に合わせるごとく忙しく動いていた。


あっ、と思ったが時すでに遅く、プーとおならが……。
ついでに匂いも……。
それはもろに彼を直撃。
「くさ~」と背後から私の頭をこづき私を追い抜いていった。
「ごめん」と小声で答えた私だが、これで嫌われたらどうしようとビクビクしながら彼の背中を追いかけていた。
後に彼は「あの時にこいつと結婚してもいいなと思った」と言った


気が許せると考えたのだろうか、素直に付き合えると感じたのだろうか。
私は、私にはこの人しかいないと思うほど彼に熱中していた。
私の身体を開花させたのが彼だったからかも知れない。


一つ年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ、と格言があるじゃないの、あなたには私が一番似合うのよ、と勝手に思っていた。
この時はまだ赤い糸は緩やかにつながっていた、はずだ。


付き合いも2年を過ぎ、互いの部屋を行き来することも日常的になってきた頃に異変が起きた。
彼は相変わらず同じタレントの担当をしていた。
アイドルがアイドルから脱皮したいと悩み始めた時期である。
ヒット曲にも恵まれなくなった彼女は、今後の活動で悩んでいた。
いつも身近にいる彼に相談を持ちかけた。
マネージャーだからそばにいるのは当たり前なのだが。


だが、この当たり前が曲者だった。
女が男に相談を持ちかけるときは、大体がその男に少しは気があるからだ。
ご多分に漏れずこの彼女もそうだった。
旅先のホテルで「相談があるから部屋に来て」と呼ばれ、これからどうしたらいいかと泣きつかれたという。
危険な行為になるといけないと彼はなだめすかし自室に戻った。


出張から帰った彼は「困ったものだ」と私に話した。
私は、何でも話してくれるから彼の気持ちは私の方にむいている、たいしたことではないと気楽に考えていた。
そして、彼が彼女と付き合うことになるとは、この時点では思いもしなかった。
でも、赤い糸は微妙に絡み始めていた。


電話の話中が長くなり、何度かけてもツーツーという音。
受話器が外れているのかと心配になり、私を避けているのかと不安になり、もしかしたら他に誰かいるのかと疑問を抱き、タクシーで彼の家に向かったこともある。
ドア越しに「電話中だから」と冷たくあしらわれ、それでも待っているとやっと中に入れてくれた。
彼の気持ちは私を通り越し、別のところにあるのを感じた。
1時間以上も彼の部屋の前をうろうろしていた私。
今にして思えばなんともけなげな行為。
そして愚かな行動。


誰かわからない相手への嫉妬は、彼の声を聞くと途切れ、彼の顔を見ると安心して消えてしまう。
だから、何度も会いに行く。
同じことの繰り返しになるとわかっていても。
自分が惨めになるだけだとわかっていても。
疑惑を感じ始めたときは壊れる寸前。
誰かが、もう一方の端を強く引いている。
赤い糸はピンと張り詰めていた。


彼に何度も問いかけていた。
誰かいるの? 彼女? と。
そのたびに「そのうちわかるよ。俺、有名になるから」とあやふやな返事。
彼女ではないかと疑問をもったまま、それでもまだ私たちは会っていた。


彼をしっかり繋ぎ止めたくて、私は嫉妬を隠し、物分りのいい従順な女になっていた。
彼が嫌いな女の部類になっていることすら気がつかないほど、自分を見失っていた。
そうこうしていた数ヵ月後「明日新聞にでるから」と言い残し彼は帰宅した。
何のこと? 明日になればわかるって何のこと?
肉体は横になっているのに、精神はハツカネズミのように、不安と疑問の車輪を頭の中でくるくる回してばかりいる。


翌朝、テレビをつけたらワイドショーが流れていた。
寝不足の目に映ったのは、まさか、彼? 隣にいるのはあの娘? 何、なに、なんなの? 
布団から飛び出し、目を凝らして見た。
四角い箱の中で、彼ら二人はにこやかに婚約発表会見に臨んでいた
昨日まで会っていた彼なのに、なぜ直接言ってくれなかったの。
まさかと否定し続けた疑惑は真実に変わっていた。
私はとんだ道化者……。
赤い糸は根元からブツッと引きちぎられた。
ギザギザの断面を残して。


しばらくは彼らの出ている新聞やテレビは見たくなかった。
見たくないのに、詳細に見てしまう私がいた。
あの時はなにを考えていたのだろうか。
ふられた自分がかわいそうで、私の方がよかったのに、とか、どうせすぐ離婚するに決まってるとか、そうなって欲しいと望んでいた。 


かつて「お前には、なにもないからな……」と言われたことがある
私は将来設計や夢を持ち合わせていなかった。
好きな人がそばにいて、毎日が楽しく過ぎればいいと思っていた。


だが彼は、向上心のある人を支えていくのがよかったのだ。
一緒に歩める人のほうが彼の能力が発揮される。
それは共に夢を叶える仕事であり、共に育む家庭である。 
これで良かったのだ。
私じゃなくてよかったのだ。


しっかりあきらめきるまでに、10年以上かかった。 
長い未練。 
今では彼らをテレビで見ると懐かしく思う。


彼以上の人が現れない、誰かがいつか幸せな生活に引き上げてくれる、と他力本願な乙女の心を引きずっていた数年間。
自分が変わらなければ人生も変わらないと考えた数年。
しかしまだ、赤い糸は結ばれていない。


ま、それも人生、いいではないですか。
でもあれですよ、この後、誰とも何も無かった訳ではないですよ。
念のため。

4 件のコメント:

  1. masumiさん、

    この後、誰とも何もなかったなんて、思っちゃいませんよ、念のため(笑)

    でもねえ。多分、その人とは赤い糸では結ばれていなかったんじゃないかしらね。


    大丈夫よmasumiさん。きっと、これから現れるのよ。きっとね(^_^)☆

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  2. 御美子1/10/2012

    このマネージャーがタレントと付き合い始めた時点で

    masumiさんに正直に言わなかったことが許せません。

    masumiさんは、人が良すぎます。

    このカップルは貪欲な点で気が合ったのでしょう。

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  3. イソジーン真澄1/10/2012

    御美子さま。
    コメントありがとうございます。
    ま、若気の至りでしょうかねぇ。
    でも、これがトラウマになっている気もするのですよ。
    この縁のなさが……

    raitoさんへのコメント返信が入力できなかったので
    今回はだいじょうぶかな?
    この場を借りて、ありがとうございました。

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  4. miruba3/25/2012

    赤い糸ってどうして両方向じゃないのか。いつも片一方だけがしっかり結ばれていて、片方は結わいてある様に見えるだけで、引っ掛けてあるだけなのよね。だから何かあると直ぐに解ける。両方の赤い糸って、一生のうちに一本しかないのだろうね。

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