2012年1月20日金曜日
ゆきずり by Miruba
朝、雨が降ったら通らないのだが、その日は健康診断の日で、坂を下りたところに行きつけの病院があるため、コケに覆われた石段を、恐る恐る滑らないように注意しながら降りていた。
途中で、踊り場となった平らな部分があり猫が7,8匹集まっていた。
雨にぬれた石のベンチに腰掛けて、小柄なおばあさんが餌をやっている。小さな傘は、腰の曲がったおばあさんの体をカバーしきれず、餌を猫達に満遍なく広げるたびに、腰の辺りに雨のしずくが降り掛かかる。
「おはようございます、雨が酷いですね。ご苦労様です」
挨拶はするが、_またか、まいっちゃうな_と思っていた。
おばあさんの座っているすぐ隣に大きな立て札があり≪野良猫に餌を与えないでください≫と書いてある。
おばあさんは、悪いことでも見つかったように、ますます小さくなり挨拶もそこそこに立ち去ろうとしたが、あわてたのだろう、石段で滑って膝をついてしまった。
「ごめんなさい、突然お声かけして、脅かしてしまいましたね」
私は遠慮するおばあさんの体や、濡れて汚れた膝を、自身が滑ったときの用心のため持っていたタオルで拭いた。
「すんません。もう大丈夫ですけん」
おばあさんは、また腰に手を置いて、今度は用心しながら石段を登っていった。
猫達は、私に警戒しながらも、餌の魅力に勝てず必死に食べている。
どの猫も丸々太っていて、雨にぬれているので艶もよく。元気のようだ。
一度おばあさんとご近所の方が言い争いをしているのに出くわしたことがある。
「おばあさん、こんなところで飼ってもらっちゃ困りますよ。この猫全部に去勢の手術してくださいね。注射も打ってもらわないと」
「私の猫じゃなかですもん」
「餌をやっているってことは、おばあさんの猫じゃないですか。」
「違うとですよ。かわいそうですけん、餌をやっとるだけですたい」
「かわいそうって同情だけで気まぐれに餌をやられても困るんですよ。おばあさんの猫じゃないというのなら保健所に電話します」
だが、結局その文句を言っていた人も、役所に相談してみると直ぐに保健所で殺処分にしますと聞いて、訴えを取り下げたということだった。
「市には里親制度で野良猫や野良犬を預かるところがあると思っていた、保健所に野良の届けをすると即刻殺処分される、そんな寝覚めの悪いこと出来ない」と言ったそうである。
一年後田舎に戻った私はまた石段を使い始めたのだが、猫はいなくなっていた。
腰の曲がったあのおばあさんが亡くなって、餌をあげる人がいなくなったためだろうということだった。
だが、毎朝石で出来たベンチの上にちょこんと座っている2匹の猫がいた。
おばあさんが毎朝座っていた場所だ。
「あのさ、あんた達、おばあさんは亡くなったんだって。もう餌はないのよ」
じっと見つめる猫に言葉を投げかけ、猫の前を通り過ぎる。
にゃ~ん
私を呼び止めるかのように、鳴く猫。
毎日おばあさんを待っている猫。
前を通り過ぎる私。
そんなことが続き、ある日私に魔がさした。
「言っとくけど、あなたたちにあげるんじゃないのよ。」
私はさすがに立て札の横にではなく、少し階段を下りたところに、パンを落とした。
あくまで落としたのだ。
猫はしばらく逡巡するように眺めていたが、私が石段を降り終わって再び目をやると、カラスにパンを盗られていた。カラスは一部始終を見ていたのだろう。
次の日も、カラスが木の上で「カー」と鳴いて仲間に合図しているのがわかった。
「あのさ、カラスが狙っているから直ぐにとりなさいよね」
階段の途中でパンを落とす。
だが、野良はまたもやカラスの素早さに負けた。
次の日は、パンのおおきな塊を落とすことにした。カラスはくちばしでは咥えられないだろう。
野良も今度は直ぐにおばあさんのいた石のベンチから降りて私の後を追ってきた。そして私が落としたパンを咥えて階段の端のほうへ引きずっていって2匹で仲良く食べはじめた。
と、その時。
カラスが矢のように飛んできて、野良たちを襲ったのだ。
羽を大きく広げ風を送り、次に方向転換してその鋭い嘴で野良たちを突く。
野良は抵抗するでもなく逃げていった。
「なんなの。意気地なしなのねあなたたちって」
私は、カラスの底意地の悪さを何度も見ているので、猫たちがふがいなくて腹が立った。
しばらく雨が続き、石段を使わなかった。
その日は風にあおられた雲が、灰色のグラデーションを見せながら、南へと流れていた。雨が降りそうでまだなんとか持ちこたえている。
私は帽子を目深に被り、石段を降りていた。
この風なら、カラスはいないだろう。
私は小さくパンをちぎって手の中に握っていた。
だが、石のベンチに、野良猫たちはいなかった。
冷たい風で塒(ねぐら)から出られないでいるのだろうか。
石段を降り終え、少し坂を下りて港まで出る。そこを湾沿いに歩いていこうとして、
私は道路の真ん中でカラスが数羽群がっているのをみた。
餌でも見つけたのかしら?いやね。ゴミ箱でもあさったのだろうか?
すると、何処からともなく一匹の野良猫が来て、カラスの群れに飛び込んで行く。
「へー勇敢じゃないの、あの野良とはえらい違い」
そう思ったのだが、目を凝らすと、どうやら石のベンチにいた、あの猫のようなのだ。
大きなカラスにかないそうもないのに、「ぎゃーーっ」と叫びながらカラスを蹴散らそうとしているのだ。
カラスは馬鹿にしたように、猫を何度も突く、だが、猫は抵抗し続ける。
あまりの猫の険相に面倒くさくなったのか、カラス達は飛び去っていった。
逃げたカラスから猫を見やった私は、思わず「あっ」と言って目を塞いだ。
野良猫が車に轢かれたのだろう。その猫を雑食のカラスが餌にしてしまっていた。
カラスを追い払った猫が、にゃ~んと言いながら、死んだ猫の亡骸をなめているのだ。
「あんた、お友達はもう死んでいるわ。」
そういっても、私には目もくれず、必死に倒れている仲間の猫を起こそうと、にゃ~ん、と何度も鳴きながら頭を押しているのだ。
ー早く起きなよ、またカラスがくるよー
そう言いたげに。
私は、猫の悲痛な鳴き声を背中にききながら、ほんの行きずりだった弱虫野良猫の死に、そこを離れることが出来なかった。
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うぅ、切ないです。
返信削除猫を飼っているので車に轢かれた猫の姿は辛いです。
カラスVSネコならがんばんなさいよって言えるんですけど。
亡骸を舐めているネコがこれから図太く生きていく事を願います。
やぐちけいこさま
削除コメントをありがとうございました。
返信が遅れて大変失礼いたしました。
あの猫はどうしたろうか?といつも思います。
道路に時々猪やら猫ちゃんが死んでいるのを、車からみます。
いえ見ません実際は。隣の運転をしてくれている人が「見ちゃだめ、目を瞑って」といってくれるので、目の悪い私はまともに遭遇はしないのです。
で、帰りに同じ道を通るわけですが、もうほとんど亡骸がないのです。カラスが食べちゃうのだそうです。こわ~~~~~
人間が死んでたら、やっぱり食べられちゃうのでしょうね。
きゃ~思いっきり怖いです。
すみません。自己陶酔してしまいました。
関わってしまった以上
返信削除見なければいけない厳しい現実。
でも筆者はまた同じような現実に
あえて関わるような気がします。
御美子さま
削除ご感想をありがとうございました。
週間ドリームライブラリーを拝見しても、目を通すのが1ページ目だけだったために、自分の作品にコメントいただいているなどと夢にも思わず・・・
失礼いたしました~
動物は、高い所と同じくらい苦手なんですよね~
あえて、かかわりたくないです~~^^
最後まで飼ってあげられればノラに餌を、と思うけど
返信削除途中で放り出されたことを考えれば、自力で生きていくのが
いいのかなあ……
などと、いろいろ考えさせられる作品だと思います。
イソージン真澄さま
削除コメントをありがとうございます。
そうなのですよね。
放り出すわけにも行かず・・
さりとて、ボランティアで里親探しできるわけも無く。
結局、
自然の中で逞しく育ってくれ~
なんて、勝手に思ってしまいます。
自分の不甲斐なさを感じてしまう光景でした。