2012年12月24日月曜日

★クリスマス・イヴの物語★ by Miruba

彼から逢いたいと連絡があったのは昨年の暮れだった。
もうすっかり断ち切ったはずなのに、お茶くらいなら、と思ったのは、どこかお互い寂しさを感じていたからかもしれなかった。

久しぶりに会った彼はロマンスグレーの素敵な人になっていた。それでも、「仕事仕事で結局いまだに一人さ」と笑った顔が、昔の人懐こいイメージを思い出させた。
よくデートした銀座に足を運ぶ。
驚いたことに、あのとき通ったピアノバーがまだ営業していた。
2人で久しぶりにカクテルで乾杯した。
思い出話は時を忘れさせる。

明日は、また機上の人となるという。

「ね、昔なんで来てくれなかったの?航空券送ったでしょう?ずっと待っていたんだよ」

酔っていたのかもしれない。無性に腹が立ってきた。
「行けるわけなかったでしょう!母が倒れて介護しなくちゃいけなかったし、店はあるし・・それに・・・」

「それに、僕の子供が出来たから?」

私は驚いた。
「何で知っているの?調べたの?」

「ごめん、だって君に僕と同じ名前の子供がいるって知って。お兄さんに聞いたんだ」

誰にも言わなかったのに、兄は薄々気がついていたのかもしれない。

「おまけに年齢を聞いて確信したんだ。何で知らせてくれなかったんだ」

「何を言っているのよ、子供が出来たらどうする?って聞いたら、あなたは言ったじゃない。『今はほしくない。仕事に専念したい。自分の実力を試したいから』って、私に相談も無くフィンランド行きを決めたのはあなたでしょう!だから、一人で産むことにしたんじゃない。」


言った言わないの口げんかのようになって、その夜また私達はしこりを残したまま、別れることになったのだった。
一生逢うまいと思っていたので、息子にも父親と同じ名前をつけてしまったが、失敗だったかな。未練だったのよね。
次の日息子の孝に父親のことをどう言おうかと考えたが、二日酔いの頭では良い案も浮かばなかった。大体子供のときから父親の話はタブーだったので、息子の孝がどう思っているのか知らないですごしてしまった。

携帯に彼からの電話やメールが入っていたが、無視していたらいつの間にか音沙汰もなくなっていた。
これでいいのだ、私は忘れることにした。



浅草に用があったので、ついでに羽子板市に足を運んだ。東京都の伝統工芸品に指定されている「江戸押絵羽子板」は、魔除け厄払いに、また女の子が丈夫に育つよう、初正月に羽子板を贈る習慣から江戸末期頃、歌舞伎役者を貼りつけたことから女性に人気を集め、更に羽子板の商人が増えて「羽子板市」として定着したという。

実家の酒屋に飾るのだからと少し大きめなものを頼んだら、縁起が良いというので三本締めのおまけがついた。
ちょっとくすぐったいような、誇らしいような変な気持ちになる。

総武線沿線で小さな酒屋とコンビニをやっているのは兄夫婦だ。
羽子板を持っていくと義姉が満面の笑顔で迎えてくれた。

「いっつもすまないねぇ喜美ちゃん。これで商売繁盛間違いないよ」
「義姉さん、羽子板は厄払いでしょう?縁起物ではあるけどね。商売繁盛には関係ないんじゃない?」
「いいんだよぉ。なんだってさ。早速お供えしなくちゃぁね」ちゃきちゃきの東京弁で気持ちがいい。
「私もお線香あげなくちゃ」

義姉の後を追って仏壇の前に座った。
祖父母と両親、そして兄夫婦の娘の写真を眺めて、私はお線香に火をともした。
そもそも、羽子板市に行きだしたのは、病気で3歳のときに亡くなった兄夫婦の一人娘、私の姪っ子へのプレゼントが始まりだったのだ。
それから毎年、欠かさず買うようになって20数年の今に至る。

義姉がお茶を入れてくれている間に、兄が店から母屋にはいってきた。
「やれやれ、ようやく交代のアルバイトが来た。これで愛酒試飲同好会にいけるな」
居間のソファーに兄が座り込んだ。

「兄さん邪魔しているわよ」と私が声をかける。
「おお、来てたのか。孝はまだアフリカから帰ってこないのか?危ないことやめて、うちの店そろそろ継げって言っといてくれ。
アルバイトがコロコロ変わってまいってんだ。」

私の息子の孝はフリーのカメラマンだ。
もう30をいくつも過ぎたのに結婚もせず世界中を飛び回っている。
それでも、子供の頃一緒に住んで、酒屋の手伝いを中学生頃からしていたので、
兄としては要領のわかっている甥っ子の孝が頼りになるのだろう。

「コンビニ、忙しいのでしょう?ごめんね手伝えなくて」と私が言うと、
義姉が、お菓子とお茶を出しなが口を挟む。
「いいのよ。この人はみんな自分がやらなきゃ気がすまないから忙しいだけさ。
これだけ周りにどっさりコンビニがありゃぁ、そう忙しくも無いんだよぉ」

「死んだ親父が『酒屋は美味しい酒さえ売っていればお客さんはきっと付いてくださる。
コンビニなんぞやったって潰れちまうぞ』と説教するのを押し切って始めたけど、
親父の言っていたとおりだよ。今はむしろ昔ながらの酒屋として、ワインや日本酒の良い製品を入れることで店がやっていける」と、兄がつぶやくように言った。

「でも昔、お父さんがお客さんによく言ってたわよ。
『息子の言うことを聞いてコンビニ始めてよかった。
酒屋だけでは潰れていた』ってね」

「まぁな、向かい風の時代だったからな。それも今や逆転だ。商売なんてわからないもんだな。
ま、ゆっくりしていってくれ。
俺はこれから、愛酒会にいってくる。酒の売り込みに役立ってくれて助かるんだ。
そうだ、お前への手紙まとめてあるから、忘れずにもっていけよ」

兄はあわただしく出てった。
私は転勤が多いので、以前からの知り合いはみんなまだ実家に手紙を寄越すのだ。

手紙の宛名を一枚一枚ひっくり返しながら確かめる。
その束の中に、懐かしい名前を見た。
義姉が横から覗いて、
「あら、孝だって。え?ああ同名のヒトか、孝からの手紙と思って喜んで損した」
義姉も孝を自分の子供のように接してくれていたので、便りが無いかと首を長くしているのだ。

「孝のやつ、ハガキの一枚も寄越せって、叱ってやってくださいね、義姉さん」

そういって、私はみこしを上げた。商売の邪魔をしてはいけないのもあるが、手紙を早く見たい。
義姉が世話好きの好奇心から、興味を示しているのに気がついたからでもある。




アパートに帰ったのはもう夕方になっていた。
そろそろ孝も帰国するだろうし、用意をするかな。
私はクリスマスツリーを出した。
孝が子供の頃は沢山の飾りをつけたものだが、最近は一色だけのボール飾りにしている。
数年前は銀色だけのボールにしたが寒々しいので、昨年から赤い飾りだ。

ストーブでやっと部屋があったまった頃、私はボイルしたソーセージをつまみながらワインを飲み始めていた。
もったいぶっているわけじゃないが、ようやく「山井孝」と書かれた彼の手紙を開いた。
フィンランドからのエアーメールだ。

あのときから更に一年が過ぎようとしていた。

_今度こそ、こっちに来てくれるよね。心から待っている_

そう書かれてある。
エアーチケットも同封されていた。

日にちを見て驚いた。
「え!12月23日発?もうすぐじゃない。まったく相変わらずね」

そう思ったとき、携帯が鳴った。
息子の孝からだった。
「あ、おふくろ?オレ孝。さっき、同名の親父に会った」
「え?アフリカじゃなかったの?」
「帰りにヘルシンキに寄ったんだ。空港に迎えに来てた親父を見かけて、すぐに判った。
親父もオレってすぐに判ったって。思わず抱き合っちゃってさ。涙のご対面よ。おふくろにも見せたかった。残念だったな。自分で自分を撮影して、YOUTUBEにでもUPしたら大反響だったぜ。」

_会えて良かった_と30男と思えないほどはしゃぐ声を複雑な思いで聞いていた。

あの再会の後、息子には父親の存在を話してはあった。
複雑な思いはあっただろうが、自分自身の中で折り合いをつけていたのだろうか・・・
そのわざとはしゃぐ言い草に、私への優しさをむしろ感じた。



だが、私が一人で子供を育てるのにどれほど大変だったか・・・
もっとも、孝が生まれた頃は両親もまだ健在だったし、
兄夫婦も一緒に住んでいたから、まったくの一人で育てていたわけではないが。
それにしても、一瞬にして息子を味方にしてしまうなんて、
あなたってずるい」エアーメールに同封されたフィンランドの広大な景色をバックにした彼の写真につぶやいた。




フィンランドか・・
クリスマスをサンタの国でW孝と過ごすのも悪くないかな、と思った。

2 件のコメント:

  1. クリスマスが前面に出ていないのにクリスマス気分を味わえた不思議な作品でした。
    東京の下町とフィンランドが違和感無く結びつくのもmirubaさんの国際感覚のなせる技。
    最後では何故かジンとさせられました。

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  2. miruba1/01/2013

    御美子さん、いつもご感想をありがとうございます。励みになります。
    クリスマス時期、ハッピーエンドにしてみました。

    今衛星放送で紅白と、行く年来る年を見ていました。

    今年も御美子さんにとって良い年になりますよう、お祈りいたします。

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