2012年4月28日土曜日

時は流れて4…by Any Key(あにき)


リニア中央新幹線HPへ
<時短の光と影>
JR東海のリニア中央新幹線計画によると2027年に東京―名古屋間を開業し、最高時速505キロで品川-名古屋間を約40分で結ぶ計画だという(なんとか生きていられそうだ)。

ということは、ちょっとお隣さんへお出かけ…的な感覚で、人の往来が活発化することが予想される。出張もラクになる。新幹線の車内で報告書をまとめようとする間にもう帰社できる。「はい、すぐにお伺いします。」と1時間後には取引先に出向くことも可能だ。名古屋の学生さんなら、東京の大学へ自宅通学することもできる。名古屋の小学生が、受験勉強を頑張れば、あの開成中学にだって通うことも可能になる(?)。好きなアーティストのコンサートに東京へ、はたまた名古屋へ足を運ぶことだって可能になる。

時短がもたらす恩恵の陰で、“旅情”とか“旅愁”といった言葉は消えてしまうのだろうか。富士山などの景色を楽しむこともできなくなる(トンネルが多いらしい)。
また、出張帰りの車中で飲む、あの格別なビールの味を堪能することもできなくなると思うと淋しい(飲めないことはないですが、酔いを醒ます暇がないですね)。

さらに、かつてJR東海が1988年~1992年に放映した、深津絵里さんや牧瀬里穂さん主演のCM(HOME-TOWN EXPRESS X'mas編とX'mas EXPRESS'89)のような、恋人同士のワン・ストーリーもなくなってしまうのだろうか。「帰ってくるあなたが最高のプレゼント」とか「ジングルベルを鳴らすのは帰ってくるあなたです」といった、泣かせる名キャッチフレーズは、もう生まれてこないかもしれない。

ちなみに、品川-大阪間は2045年開業予定で約67分で結ぶそうだ。こちらは残念ながら見届けることができそうにない。せめてこれからは、さまざまな分野での時短の恩恵を受けつつ、ゆったりする時間を意識して持とうと思う。ベランダから青い空を見上げて、ゆっくり形を変えながら流れる雲を追いかけて、生き急いでいる時間の感覚をリセットしたいと思う。








2012年4月21日土曜日

パリのカフェ物語1 by Miruba

写真:テクノフォト高尾
<Chapitre Ⅰ トランク >

トランクの底に付いている車輪のゴムが磨耗して剥がれ落ち、とんでもない異様な音を撒き散らし始めたのは、昨年日本から帰宅したときだった。

このトランクは3代目だ。いつも制限重量オーバーの重圧を受けていることから、「クラージュ君」と名づけている。Courage 頑張れ!と言う意味である。クラージュ君は、トランクの名門の出である。 その美しいモスグリーンの体は、いまや剥がすのに失敗したシールで、ゴテゴテになったが、まだすべての運搬者の放り投げる拷問にも耐えうる。隠退にはまだ早い。が、悲しきかな石畳であろうとアスファルトであろうとお構い無しに引っ張って歩くご主人様のせいで少し弱っていた所、 車の前輪部分を飛行機内に運ぶ際壊された。
以前壊れたときは保険がおりたので、オペラにある航空会社までもっていったのだが、2回目は保険は適用外だとか、そんなぁ。代理店がどこにあるかわからないが、カバン屋さんなら手配してくれるだろうと、駅前のカバン屋にもっていったが断られた。取引が無いというのである。

家を出たついでだ。デパートなら売り場があるはずだから何とかしてくれるだろう。
メトロ一本で、デパートまでいく。が、甘かった。此処は日本ではない。
 「これは当店では取り扱っておりません。」と、けんもほろろの所を、ぐずぐずと何とかしてほしいオーラを出していたら、「修理専門店の案内カードがございますので差し上げましょう」と、カードを差し出しながら言った。 なんだ、対処があるんじゃないか。
 大きなトランクを持ってきているのだ。このまま家に帰るのもしゃくである。
メトロを乗り継ぎ目的地までいくことにした。めったに利用しない駅なので不安だったが。
案の定不安は的中。あと一駅というとき、前の駅で、アナウンスがあった。
「次の駅プラスモンジュは現在工事のため通過いたします」
ひえーーっなんてついていないのだ。

仕方がないので前の駅で降りたが、巴里の地図を持って来ていない。重ね重ねついていない日だ。日本なら駅前には交番と相場が決まっているのに、全く不便な街だ。
住所だけではどうしようもない。案内カードにはデザイン化された大まかな地図は印刷されているのだが、その肝心の目標となるメトロの駅ではなく、前後の駅からでは良くわからない。
それでも駅にある大きな案内板の地図をみて通りをメモし、歩き出した。
こっちかな?この通りかな・・・だがとうとう、立ち往生する。
 トランクは、車が壊れているから引っ張って歩けない。
中は空っぽの癖に、持って歩いていると腕が痛くなるほど重い。
そうだよな。
中は空だって、この10年分の旅行の思い出は、いっぱい詰まっているのだもの。
「<想い出>は<重いで~>なんてね」などと自分で冗談を言って、自分に激を入れる。


「Qu'est-ce qui se passe? どうしたの?」

オートバイを止めながら、ヘルメットをかぶった男性が話しかけてきた。
「この店に行きたいの。でも、道がわからないの。地図を持っていなくて」
カードを見せて、メトロからの道を説明する。
「セーヌ川がこっちだから・・・」とライダーが指を刺す。
「え?セーヌはこっち?!だったら、わたし反対に来てる?」
「そのようだね。ほら、持ってあげるよそのトランク。そこまで行こう」
ライダーはオートバイにセキュリティーのチェーンを施し、私が道路に置いたトランクを持った。
 いまや外人が増えすぎて、都会砂漠となったこの巴里で、久しぶりの親切に触れる。
私はそのヘルメットをかぶったライダーの後についていく。
「ほら、あった。あそこの店だよ」ライダーが指を刺す。

「メトロ二つ分、トランクをもってくれたお礼に。そこのカフェでコーヒーをいかが?」
 ライダーがヘルメットを取った。颯爽とした感じが若い人だと思ったら、革ジャンの下にネクタイをしたロマンスグレーだった。白髪交じりの口ひげが似合っている。澄んだ瞳がきれいだ。
「ちょうどカフェに寄ろうと思っていたんだ。連れが出来て嬉しいよ。
je vous invite(僕に招待させてよ)」

私たちは、外の見えるカウンターで立ったまま、ほんのひと時、午後のコーヒーを飲んだ。

プティクレームptitcremeの優しい味がした。
(ptitcreme=カフェオレの小カップいり)


♪【ダルマーニュ】 唄パトリシア・カーッス
D'Allemagne  Patricia Kaas
父親がフランス人、母親がドイツ人のハーフです。6歳までドイツ語しか話せなかったそうです。母親がパトリシアの才能を早くから見出し歌手にしようとします。
ジャズやシャンソンの要素をミックスしたポップミュージシャンで、ハスキーな声が魅力的です。この子の顔が好きで、「フランス人って美人はいないと思ったけどいるのね」といって顰蹙ものでした^^





2012年4月14日土曜日

東京NAMAHAGE物語7 by 勇智イソジーン真澄

<至福のとき>
ああ、どきどきする。
いつか味わってみたいと思っていた期待感で一杯だ。 


わたしは全裸のまま火照った身体をベッドに横たえた。
仰向けの姿勢でじっと待っている。
薄目を開けてみると、天井には大小の水滴が透明な水玉模様を描いていた。


汗でやんわりした胸や、こんもりと繁る湿った秘密の場所を隠すタオルもない。
そんなあられもない姿を見下ろされている。
わたしはいたたまれず両の足をしっかりつけ、膣を引き締めた。 


だが、その抵抗もむなしく足は左右それぞれに引き離された。
あっ! 大の字にされた秘密の中心に風が触る。恥ずかしい。
わたしは目をきつく閉じた。


右の足先から股関節に向け、ゆっくりと肌を撫でながら移動してゆく。
あれーっ、と思ったとき、左の足先からその先へと変わっていった。
もう抗ってもいられない、ここまできたからにはどうにでもなれ、と身体中の力を抜いた。 


足も腕もだらりとし、動きに任せよう、あきらめの境地だ。
右足が高く持ち上げられ、お腹の上で折り曲げられた。
まるでオムツを取り替えられる赤ん坊のようだ。 


やめて、こんな体位は最近してないの。
それに明るすぎるよ、もっと暗くして……。
だめ、そんなとこ覗いちゃ、やだ。
白髪のあることがバレちゃう……。
わたしの心の声を無視し、太ももから尻へと撫で回す。
わたしは心地よさにうっとりだ。


時折、秘密の場所に触れるが、また後でネ、というようにじらされる。
いつか、にゅるりと滑り込んできそうで腰がうずく。
そして徐々にお腹から胸へと進む。胸をつかまれ押し上げられて、乳房の下を這う。


うつ伏せにされたわたしは丸々太ったトドのようだ。
だが、嫌がりもせず醜いわたしを愛しむ。
肛門付近にも近づくが、どうもそこは遠慮がちだ。
わたしだって、そこは初めてだからいくらなんでも……。
わたしの動揺は気づかれないまま、尾てい骨から背中へと動く。 


そこ、そこ、気持ちいいよ。
しばらくぶりのスキンシップの快感に酔いしれる。
背骨の周りはなかなか自分では届かないんだから。  


さあ、きょうはここまで。
目を開けて上半身を起こし、横幅の狭いベッドの上を見た。
そこにはチャコールグレイの皮膚カスが、何匹もの巨大ナメクジみたいに転がっていた。
すごい数だ。 


ベッドの横に立っていたのは、黒いブラジャーとパンティだけを身に着けた韓国人女性だった。
アリガトゴジャマス」片言の日本語でにこやかに挨拶する彼女の手には、垢すり用の手袋。


さて、もう一度サウナに入って温まろう。



2012年4月6日金曜日

日本人が知らない韓国の常識9~ベッドは家具ではありません~…by 御美子


石ベッド
1988年のソウルオリンピックをきっかけに韓国人の寝場所はオンドルの上の布団から、西欧式のベッドへと急速に変化した。

オンドルとは台所の余熱を利用したのが起源だと言われるが、現代では殆んどガスによる床暖房のことを指す。

さて、総合家具メーカーはこの機に乗じて嫁入り道具の家具と調和したベッドを作りセット販売でかなりの成功を収めたそうだ。危機感を感じたベッド専門メーカーが1993年に打ち出したキャッチコピーが「ベッドは家具ではありません。科学です」だった。

この当たり前のような広告が当時韓国で爆発的に流行し、小学校のテストでは「以下の選択肢のうち家具でないものは何ですか?」の問いに「ベッドです」と答えた小学生が居たという逸話もある。

「ベッドは家具ではありませんのような広告」とは「キャッチーな広告」と同義であり、今でも韓国人の間では十分通用する言葉なのだ。因みにこのコピーを考案したライターは、現在与党セヌリ党の改革委員の要職に就いている。

ところで、韓国の布団は暖かい床に敷くためか掛け敷き共に日本人の感覚からするとかなり薄い。床の質感を直接体感できるほどで慣れるまで安眠は難しい。それとは逆に韓国の特に年配の人々が、ベッドマットの柔らかさに適応できず、開発されたのではないかと想像するのが韓国式ベッド「ドル・チムデ(石ベッド)」だ。

先のキャッチコピーを初めて耳にした時「ドル・チムデ」を即座に思い浮かべ韓国のベッドは確かに家具じゃないよなあと、一人早合点したのであった。