2015年8月14日金曜日

御美子の韓流怪談「工業団地」


 私は当時、ソウルの塾で早稲田大学入学を希望する韓国人高校生達の英語クラスの講師をしていた。

 この話は生徒のガヨンちゃん(仮名)から聞いたものである。

 ガヨンちゃんはソウルで生まれ育ち、教育熱心な母親のすすめで、高校からはソウルから車で2時間ほどのところにあるインターナショナルスクールに入学した。この学校は帰国子女や、それに相当する英語力のある子供達向けに、新しい埋立て開発地に、鳴りもの入りで建てられたものだった。ソウルからはアクセスが悪いため、学生寮に入る学生も多かった。

 新入生オリエンテーションの夜。ガヨンちゃんたち寮の新人は、先輩たちに連れられて寮の屋上に来ていた。歓迎の夜景見学会はオリエンの恒例行事のひとつともなっていた。
この一帯の埋立地には、計画的に高層ビル群が建てられている。みんなはその美しい夜景にしばし見入った。
そのときだった。ガヨンちゃんは、ふと東側からの風に違和感を感じた。その方向に顔を向けると異様に暗い地域がひろがっていることに気がついた。物怖じしない性格のガヨンちゃんは、思いついたまま聞いてみた。
「先輩、あの暗い一帯には何があるんですか?」
近くにいた一人の先輩に聞いたつもりだったが、先輩全員が一斉にガヨンちゃんの方を振り向き、訊ねたガヨンちゃんの方が一瞬ひるんだ。
ひとりの先輩が答えた。
「ああ、あそこは南洞(ナムドン)工業団地よ。工場の退勤時間は早いから暗く見えるのよ」
と言った途端、先輩たちが一様に安堵の表情を見せたのが逆に心に引っかかった。

 翌日、クラスメイト達と学校のカフェテリアでランチを食べていると中の一人が言い出した。
「ねえ、工業団地の噂、知ってる?」
ガヨンちゃんは昨夜の先輩たちの態度が気になっていたので、思わず聞き耳を立てた。
「あそこの下にはたくさんの死体が埋まってるんだって」
「ええっ?」
「あの一帯は政府から安く払い下げられたから、いまは、小さな町工場が集中しているんだけど、安く払い下げられた理由は、あそこの地下には朝鮮戦争の時、軍の秘密施設があったからなのよ」
「秘密施設って?」
「北のスパイと疑われた人たちを拷問する施設。いまでもその人たちの死体がたくさん埋まっているそうよ」
「やっぱり、あそこは普通じゃなかったんだ」思わずつぶやいた。
「何、何?どうかしたの?ガヨンちゃん」
「昨日屋上から見たとき、嫌な感じがする一帯があって、そこが南洞工団だって先輩が言ってたから」
ガヨンちゃんはクラスメイトを怖がらせないように明るく笑ったが、実は昨夜から突然の頭痛に悩まされていた。

 その後も軽い頭痛が続き、誰にも相談できないまま、1学期が終わった。夏休みのため、母親が車でキャンパスに迎えに来てくれた。車がキャンパスを離れると頭痛は収まったが、高速道路が工団近くに差し掛かると、いつもより激しい頭痛にみまわれた。
やっぱり頭痛の原因はここにあるんだ!ガヨンちゃんは、これまで半信半疑だったが、もう認めざるを得なかった。ソウルの自宅に戻ると頭痛はすっかりなくなっていた。

 新学期が始まり、ガヨンちゃんは暗澹たる気持ちになっていた。学校に戻ると、また頭痛が始まったからだ。しかし、それより驚いたのは、カフェテリアで工団の話を教えてくれたクラスメイトが、退学していたことだった。出身校がバラバラな学生が集まっているので、「なにか事故にあった」という理由以外、消息も尋ねようもなかった。

 その後、ガヨンちゃんは生徒会活動に参加するようになった。
その宿泊研修会が、キャンパスを離れて田舎の修練院で行われた。ここでは、ガヨンちゃんは頭痛も消えて、いつになく饒舌になっていた。
「先輩、やっぱり空気が綺麗なところはいいですね。いつも頭痛に悩まされているのが嘘みたいです」
その途端、他の先輩たちまで一斉に振り返った。新入生オリエンテーションの夜のことが蘇り、ガヨンちゃんは思わず身構えた。
「学校にいると、いつも頭痛がするっていう意味?」
「いいえ。たまにです」とっさにウソをついた。
「よかった。いつもだったら、先生に相談しなければならないわ」
「何故ですか?」
「過去にそんな生徒が何人か出て退学になったから」
「先生に相談したら、退学になるんですか?」
「心の病気だと判断されたらね」
ガヨンちゃんは怖くなって、急いで話題を変えた。頭痛にはなにか秘密があり、頭痛がすることを話してはいけないのだということをこのとき確信したという。

 高校3年生になり、進学先を早稲田大学に決めたガヨンちゃんは、学校の授業がない週末に、私の早稲田大学英語対策クラスに通うようになった。彼女は、講師の私の間違いを指摘するくらい頭脳明晰だったが、頭痛が理由での欠席が目立ち、留学できるのか心配していた。何回か講座に通ううちに、私たちはいろいろなことを話すようになった。そして、先の話をしてくれたのだ。私が、正式な教師ではなく臨時の講師であったということもあるのであろう。
「自分なりに調べてみたんですけど、この学校の土地の埋立てには工団地帯の土も使われているらしいんです」
ともガヨンちゃんは言った。

 拷問で殺された人の中には若い人も多くいたということだ。
 浮かばれない霊の仕業なのか、それとも、強大な無念の思いや恨みの念の集積が、同世代の若い学生にだけ、なんらかの形で影響を与えたり、厄災をもたらしたなどということがあるのであろうか。

 その後、ガヨンちゃんは、無事に早稲田大学に合格し日本でのキャンパスライフを謳歌した。頭痛はすっかりなくなったという。

 一昨年韓国で、修学旅行中にフェリー転覆の大事故に遭い、多くの犠牲者を出した高校があった。その高校も工団からさほど遠くない距離にある、ということは、事故とは無関係であると信じたい。


<この物語はフィクションで、登場する人物,団体名等は実在するものではありません>

2 件のコメント:

  1. 体が異常にだるく重くなってくる。頭が重く痛みがする。なにか声のような雑音がする。などなど、よくある話で、これは説明のつかない異次元の世界が現次元に現れる「なにか」なのかもしれない。ただ、多くは説明がつくものが多い、土中に埋められた「何か」の科学物質による人体への影響だ。○○シンドロームといわれて世界中にある。

    ただ、これでも解明されないときがあるのだ、そんな時には、とっても簡単、「精神的なもの」として専門家さえ落としどころを求めてしまったりする。

    人の魂や、霊や、言霊には、いつも人間を(嫌というのではないけれど)居どころのない不安な思いにさせられる。

    夏にふさわしいお話でした^^ゾクゾク~~

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    1. miru様

      コメントありがとうございます。
      人間の身体に起こる異変が人間自身に起因するものが多いとは皮肉なものです。人間に良かれと思って開発したものには、いつも何かしら負の副産物がついて回るということも、コメントを頂いて思い出しました。
      私自身は悪霊の存在を信じていて、幸いにも見たことはありませんが、嫌な予感ほどよく当たったりはします。
      日本の夏には怪談がよく似合いますが、いつからこんな風習ができたのか少し気になるところです。

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