2015年8月22日土曜日

パリのカフェ物語9 by Miruba

<待ち人>

娘がマテルネル(幼稚園)に通いはじめた頃のことだ。
私達両親が日本人では、同じ年頃のフランス人の友達が出来ないだろうと、早くから通わせた。
マテルネルはオシメが取れていることを条件としていたので、大体2歳くらいから入ることが出来る。
まだおしゃぶりやビブロン(哺乳瓶)を口にくわえたまま通ってくる子もいる。
それ以前の生後直ぐから2歳までを預かってくれるクレーシュ(託児所)と、レコールプリメール(小学校)も
仕事を持つ両親が年齢の違う兄弟達を迎えに来易い様にまとめて隣接し建てられている。

日本と違って安全は個人責任だから、両親が朝晩と昼食の送り迎えをしなくてはならない。
1人で通わせたりすると、育児放棄虐待とみなされることがある。
仕事のある忙しい親に代わって送り迎えと、学校給食を頼まない場合追加でお昼を食べさせてくれる行政の認可を受けた個人託児家庭が一般にある。
大抵は自分も子育てをしている同級生の専業主婦が3,4人まとめて面倒を見る、という場合が多いようだ。

幼稚園の道路を挟んだ真向かいに、カフェがある。

娘の送り迎えは朝・夕・お昼と4往復するわけで、送った後買い物に行き自宅に戻らずお昼のお迎えをする時など、カフェで時間調整をしたりした。

近くに商業ビルやホテルもあるので、仕事帰りのサラリーマン・サラリーウーマンや工事中の作業服姿の人たちが
カウンターで一杯飲んでいたり、夜はビストロ風になり食事を楽しむ観光客や家族連れがいたりでいつも賑わっていた。

夏の暑い日は娘に時々アイスクリームを食べさせに寄った。
私はビエールペッシュ(桃のシロップとビールを混ぜたもの)だ。

「Avec ta maman?c'est bien.T'es contente,n'est ce pas?」
テラスに座る娘にマダムがママと一緒でいいわねと話しかけてくる。
この女性がパトロンヌ(店主)だった。
特別愛想がいいという訳ではなかったが、上品な感じの美しい中年の女性で、うっすらと汗をかきながらいつも忙しそうだけれど細やかな気遣いをする彼女と話したい男達でカウンターはいつも立つ場所がないくらいだった。

「うん、パパが出張なの」
「オララ~、【出張】だなんて難しい言葉知っているのね、えらいわ」
などと子供好きではあるらしく、忙しいギャルソンに代わってアイスはいつも彼女がカウンターから出てきて運んでくれた。

「マダムのパパも出張?」と3歳の娘。
「あはは、そうね、長いこと天国に出張しているわ」
そして私に向かってつぶやいた。「恋人もね、出張なの、もう7年になるかしら」

「え?亡くなったの?」と問いかけた私に、「いいえ」と言ったきり、カウンターに戻ってしまったので、その後があやふやだったが、何年も通ううちに、少しずつ聞かせてくれた。
私がまともにフランス語も話せない外人だったからむしろ、語ってくれたのかもしれなかった。

パトロンヌの両親はパリ市内でカフェをしていた為、彼女がカフェを継いだという。
客だった男性と結婚し子供が出来て直ぐに、兵隊だった夫はカンボジアの内戦に巻き込まれ亡くなってしまった。

シングルマザーの彼女を支えてくれたのが恋人だった。
彼が子供を可愛がってくれたので、彼女は再婚も考えていたらしい。

ところが不運なことに子供が交通事故で亡くなってしまった。
どれほど辛かっただろう。
それも、自分がカフェをやっていた為に、子供が道路に飛び出したことに気がつかなかったのだという。
さらに彼女を不幸が襲った。

子供を可愛がってくれていた恋人が、車を運転していた加害者の態度に反省の色がないことを許せないといって
こともあろうに刺し殺してしまったのだ。
情状酌量を願い出たが、実の子供というわけではなかった為に、有罪判決を受けたのだった。

彼女はパリのカフェを売り、学校の見えるこの場所で彼を待つ新しいカフェを始めた。
学校の前に道路があるが、そこを子供が多く通るというので、日本で言う<緑のおばさん>を設置するように進言したのもこのカフェのパトロンヌだった。




「もう直ぐ出てくるのよ」
嬉しそうにしていたのに。

いつも何者にも動じない風情のパトロンヌが、そわそわして、客にも「マダム、恋人でも出来たのか?」などと
冷やかされるほどだったのに。

刑務所から出てくるほんの一ヶ月前に、愛しい恋人は脳溢血で帰らぬ人となったのだった。
なんということだろう・・・
その日からパトロンヌの姿を見ることはなかった。

暫くカフェは閉まっていたが、ヴァカンス開けに再開したときは店主が変わっていた。

その後駅前に大型の商業施設がはいったので、商店街はすっかり錆びれ、カフェの客も激減した様子だった。
娘たちが大きくなって幼稚園・小学校の前はパンを買いに行くときだけ寄るようになって、
短い間に何代か変わったカフェには入っていない。

マテルネルの前にあるカフェは、今ではどこの国のカフェかわからない変な音楽が流れ、足を向ける気にもなれない。


子供達との思い出のカフェ。
あの懐かしいパトロンヌは、今、どこでどうしているだろうか。
どうか、幸せで居て欲しいと願うのだ。

2015年8月14日金曜日

御美子の韓流怪談「工業団地」


 私は当時、ソウルの塾で早稲田大学入学を希望する韓国人高校生達の英語クラスの講師をしていた。

 この話は生徒のガヨンちゃん(仮名)から聞いたものである。

 ガヨンちゃんはソウルで生まれ育ち、教育熱心な母親のすすめで、高校からはソウルから車で2時間ほどのところにあるインターナショナルスクールに入学した。この学校は帰国子女や、それに相当する英語力のある子供達向けに、新しい埋立て開発地に、鳴りもの入りで建てられたものだった。ソウルからはアクセスが悪いため、学生寮に入る学生も多かった。

 新入生オリエンテーションの夜。ガヨンちゃんたち寮の新人は、先輩たちに連れられて寮の屋上に来ていた。歓迎の夜景見学会はオリエンの恒例行事のひとつともなっていた。
この一帯の埋立地には、計画的に高層ビル群が建てられている。みんなはその美しい夜景にしばし見入った。
そのときだった。ガヨンちゃんは、ふと東側からの風に違和感を感じた。その方向に顔を向けると異様に暗い地域がひろがっていることに気がついた。物怖じしない性格のガヨンちゃんは、思いついたまま聞いてみた。
「先輩、あの暗い一帯には何があるんですか?」
近くにいた一人の先輩に聞いたつもりだったが、先輩全員が一斉にガヨンちゃんの方を振り向き、訊ねたガヨンちゃんの方が一瞬ひるんだ。
ひとりの先輩が答えた。
「ああ、あそこは南洞(ナムドン)工業団地よ。工場の退勤時間は早いから暗く見えるのよ」
と言った途端、先輩たちが一様に安堵の表情を見せたのが逆に心に引っかかった。

 翌日、クラスメイト達と学校のカフェテリアでランチを食べていると中の一人が言い出した。
「ねえ、工業団地の噂、知ってる?」
ガヨンちゃんは昨夜の先輩たちの態度が気になっていたので、思わず聞き耳を立てた。
「あそこの下にはたくさんの死体が埋まってるんだって」
「ええっ?」
「あの一帯は政府から安く払い下げられたから、いまは、小さな町工場が集中しているんだけど、安く払い下げられた理由は、あそこの地下には朝鮮戦争の時、軍の秘密施設があったからなのよ」
「秘密施設って?」
「北のスパイと疑われた人たちを拷問する施設。いまでもその人たちの死体がたくさん埋まっているそうよ」
「やっぱり、あそこは普通じゃなかったんだ」思わずつぶやいた。
「何、何?どうかしたの?ガヨンちゃん」
「昨日屋上から見たとき、嫌な感じがする一帯があって、そこが南洞工団だって先輩が言ってたから」
ガヨンちゃんはクラスメイトを怖がらせないように明るく笑ったが、実は昨夜から突然の頭痛に悩まされていた。

 その後も軽い頭痛が続き、誰にも相談できないまま、1学期が終わった。夏休みのため、母親が車でキャンパスに迎えに来てくれた。車がキャンパスを離れると頭痛は収まったが、高速道路が工団近くに差し掛かると、いつもより激しい頭痛にみまわれた。
やっぱり頭痛の原因はここにあるんだ!ガヨンちゃんは、これまで半信半疑だったが、もう認めざるを得なかった。ソウルの自宅に戻ると頭痛はすっかりなくなっていた。

 新学期が始まり、ガヨンちゃんは暗澹たる気持ちになっていた。学校に戻ると、また頭痛が始まったからだ。しかし、それより驚いたのは、カフェテリアで工団の話を教えてくれたクラスメイトが、退学していたことだった。出身校がバラバラな学生が集まっているので、「なにか事故にあった」という理由以外、消息も尋ねようもなかった。

 その後、ガヨンちゃんは生徒会活動に参加するようになった。
その宿泊研修会が、キャンパスを離れて田舎の修練院で行われた。ここでは、ガヨンちゃんは頭痛も消えて、いつになく饒舌になっていた。
「先輩、やっぱり空気が綺麗なところはいいですね。いつも頭痛に悩まされているのが嘘みたいです」
その途端、他の先輩たちまで一斉に振り返った。新入生オリエンテーションの夜のことが蘇り、ガヨンちゃんは思わず身構えた。
「学校にいると、いつも頭痛がするっていう意味?」
「いいえ。たまにです」とっさにウソをついた。
「よかった。いつもだったら、先生に相談しなければならないわ」
「何故ですか?」
「過去にそんな生徒が何人か出て退学になったから」
「先生に相談したら、退学になるんですか?」
「心の病気だと判断されたらね」
ガヨンちゃんは怖くなって、急いで話題を変えた。頭痛にはなにか秘密があり、頭痛がすることを話してはいけないのだということをこのとき確信したという。

 高校3年生になり、進学先を早稲田大学に決めたガヨンちゃんは、学校の授業がない週末に、私の早稲田大学英語対策クラスに通うようになった。彼女は、講師の私の間違いを指摘するくらい頭脳明晰だったが、頭痛が理由での欠席が目立ち、留学できるのか心配していた。何回か講座に通ううちに、私たちはいろいろなことを話すようになった。そして、先の話をしてくれたのだ。私が、正式な教師ではなく臨時の講師であったということもあるのであろう。
「自分なりに調べてみたんですけど、この学校の土地の埋立てには工団地帯の土も使われているらしいんです」
ともガヨンちゃんは言った。

 拷問で殺された人の中には若い人も多くいたということだ。
 浮かばれない霊の仕業なのか、それとも、強大な無念の思いや恨みの念の集積が、同世代の若い学生にだけ、なんらかの形で影響を与えたり、厄災をもたらしたなどということがあるのであろうか。

 その後、ガヨンちゃんは、無事に早稲田大学に合格し日本でのキャンパスライフを謳歌した。頭痛はすっかりなくなったという。

 一昨年韓国で、修学旅行中にフェリー転覆の大事故に遭い、多くの犠牲者を出した高校があった。その高校も工団からさほど遠くない距離にある、ということは、事故とは無関係であると信じたい。


<この物語はフィクションで、登場する人物,団体名等は実在するものではありません>