2015年3月22日日曜日

隣の碧い鳥 by Miruba

ベランダで洗濯物を取り込んでいたら物干し竿に鳥が停まった。
「小鳥ちゃん、何しに来たの?餌なんか無いわよ」
声をかけたら、飛び離れるどころか近づいて来て私の肩に停まった。

足首に細い青いリボンが結んである。
おまけに<ハナチャンアソボハナチャーン、アソボー>と言うではないか。

「あらら、あなたハナちゃんのお友達?それともあなたが<ハナちゃん>というの?」
誰かに飼われていた小鳥が逃げ出してしまったのだろう。

肩から離れない鳥に、困ったなと思った。
手で払って空へ飛ばしてから部屋に入ろうとしたら、私より先に部屋の中に入ってハイビスカスのプランターに停まった。

「やだ、ハナちゃん、お家に帰りなさいよ、窓を開けてあげるから」

私は窓を開け放した。
まだ開放するには寒い2月の黄昏時、早く飛び去ってくれないかと思うが、
肝心の小鳥はハイビスカスの枝に停まったきり動かないで<ハナチャン、アソボ>と繰り返している。


仕方が無い、私は小鳥をそのままにして、夕飯の支度を始めた。
そこに旦那が帰ってきた。

「なんだこの寒いのに窓を開けっ放しで、大体あんたはなんでもやりっぱなしなんだ」
「え?なんだこの鳥はどうしたんだ?まさか買ったんじゃないだろうな?預かったのか?追い払えよ」


私はため息が出た。
いったいこの人は何が楽しくて生きているのだろう。
口を開けば文句ばかり言っている。
もううんざりだ。

テーブルに食事の支度をして、小鳥のそばに行ってみた。
<ハナちゃん>は、直ぐ私の肩に停まる。
逃がすのを諦めて私は経営しているヘアーサロンに向かう、自宅と繋がっているのだ。
この店は私が45年も前に自分で建てた美容院だ。2,3階はアパートにしてある。
毎日ここで仕事をしてきた、私の世界のすべてだった。

一番落ち着く私の城がもうすぐ無くなる。
旦那が自分で新しいマンションに建て替えると言い出したのだ。

もう70になろうとする私達が新築の家に?
自分の城のまま最後まで終の棲家として過ごそうと思っていた私はショックだった。
私の築き上げてきたすべてが否定されたような切なさを感じた。

なのに旦那はこんな隙間風だらけの汚い家とはおさらばするのだと、
勝手にハウスメーカーに電話をして、あれよあれよと言う間に、再新築が決まってしまった。

小さいがマンションにするというので仕上がりは半年後だ。
出来上がる間近くの部屋を借りて住まうことしたのだが、
なにせ成人して家を出て行った3人の子供達のものや私達の45年間に蓄えられた膨大な量の家財だ。すべてが仮部屋に収まるはずもなく。
それら思い出の品々から、最小限度のものを除いてすべて廃棄処分にするという旦那に、まともに反論できない自分が情けない。

昨日は私が美容師になって初めて買った、お嫁さんの被る日本髪の鬘(かつら)用の笄(こうがい)やかんざしを捨てられてしまった。

「これは私が日本髪のコンクールで優秀賞取ったときのものよ。思い出のものなんだから」
「だからさ、何時の話だよ。それって使うのかよ。客もいないだろ?もう使わないだろ?何十年も使わないもの、捨ててしまわなかったら片付かないじゃないか。新しいマンションに古臭いもの持って来るなよ」

それまで仕舞って置いたかんざしの数々をゴミ袋に入れた。
ダンボールに3箱もあるのだ、旦那の言うことも一理ある。
それでも、私の思い出がゴミになっていく。
わかってはいても、涙がこぼれた。

確かにもう若いお客様はめったに来ないが、昔からの馴染みが顔を出してくれる。
「あなたがお店閉めたら、私どこに行けばいいのよ」と言ってくださるお客様だって5人や6人じゃないのだ。なのに・・・



捨てる、捨てないの罵倒合戦が台所から各部屋まで毎日起きるのだ。
私は片付けるだけで疲れ果てていた。
「この年になって何でこんな大変な思いをしなくてはならないのだろう」

<ハナチャン、ゼロキューニー・・・・・・アソボー>

え?私は耳を疑った。小鳥が何かの番号を言っている。電話番号?
何時だったかニュースで住所を言うインコが飼い主の元に帰ったと言う話をしていたのを思い出した。
最近は迷子になったときの為に住所を教え込むのかもしれない。

「ハナちゃん、頭いいのね^^ 092 ・・・・ なんだっけ?もう一度言って」

<ハナチャン、○○シー、△△マチー、イッチニ>

おお、住所だ。私は急いで書き留める。

電話を掛けたが_お客様のご都合により、取り外されております_という。
入金が無いときは、確か別の言い方をするはず。取り外すってどういうことか?


「おい」
店に顔を出した旦那が相変わらず苦虫をつぶしたような機嫌の悪そうな顔をして、
「客のいないとこでいつまでも何やってるんだよ。テレビ台を壊すから中の物出せよ」
「あのテレビ台は捨てないわよ。サイドボードになっていて便利だし高かったのよ。まだ使えるもの」
「ダメダメあんな古臭いもの、新しい家に似合わないよ、壊すって言ったら壊すんだよ、さっさとしろ」

朝方までかかってサイドボードの中に入れてあるウイスキーやワインを取り出し、引き出しに入れてあったナフキンなど箱に入れ替えた。
このテレビ台は旦那自身が二人の結婚の祝いと言って買ったものだ。
そんなことも忘れたのかあのジジイは。私は一人毒づいた。
鏡の中の自分がすっかり老け込んでいるのに気がついて、思わず眼をそらす。

なんだか鬱々と怒りがこみ上げてきた。
もう旦那の顔も見たくない、と思った。



気が付いたら東京駅に来ていた。
田舎に行こうかな。
急に行ったら姉さん驚くかな。
私は電車に乗ろうとして、車掌さんに止められた。
「お客さん困ります、鳥は籠に入れてください」
「え?」
なんということ。コートを引っ掛けて出てきてしまったのだが、肩に<ハナちゃん>が停まっているのに気が付かなかったのだ。
それほど私も落ち込んでいたのだろうかと、自分が可愛そうになる。

<ハナちゃん>の住所は私の田舎と同じ九州だった。
なぜ遠くこの地まで来たのか判らない。
飼い主が新しい住所に越したのだろうか、長距離トラックにでも紛れ込んだ可能性もある。
とにかく私は<ハナちゃん>の家を探すことにした。

バックを持たないで買い物袋を持っていた私はそのなかに<ハナちゃん>をいれた。
騒いで飛んでいけばそれでもいいと思ったが、存外におとなしくしている。
先ほど呼び止められた車掌さんの見えない別の改札から乗り込んだ。

5時間で博多駅に着いた。
ここからまた電車を乗り継いでいく。

福岡も大きな都会だが、一歩奥に入ると田園風景の田舎である。

携帯で住所から地図を検索する。
便利になったものだ、これだから迷子にならずにすむ。

「<ハナちゃん>着いたよ、ここがあなたの家みたいだけれどね・・・」
恐れていたように、無人のようだ。
住む者の居なくなった家は、恐ろしいスピードで荒廃が進む。
やる事の無くなった人間の老化が進むのに似ている。
とっくに買い物籠から飛び出しそこらじゅうを飛び回っていた<ハナちゃん>、判るのだろうか?

「あら<ハナちゃん>じゃない?青いリボンしているし」

私はご近所らしい老婦人に経緯を話し、その女性も私に<ハナちゃん>の飼い主の話を聞かせてくれた。

「この家のおばあちゃんは東京にいる娘さんに引き取られていったんですよ。20年も前にご主人と離婚して一人暮らししていたんですけれどね。
結局一人暮らしは寂しかったんでしょうね。でも、東京に行っていくらもしないで亡くなったんだそうですよ。そんなことなら、
ここに居ればよかったかもしれないって、娘さんが泣いてましたね。ハナちゃんは、飼えないからって、空に放ったそうですけれどね。帰ってくるんですね、可哀相に」

<ハナちゃん>はそこの家から離れようとしなかったので、そのままそっとしておくことにした。自然に帰るのだろうか。

体がだるくて仕方が無かったが、私は姉の居る町へのローカルディーゼル列車に乗り込んだ。

姉の家までやっとたどり着いたことは覚えている。
気がついたら病院のベットの上だった。
血圧が280を超えていて気を失ったのだと言う。
連日の引越し準備で体が悲鳴を上げていたのだろう。私も若くないと言うところか。


旦那が心配そうな顔をして、ベットの横に座っていた。

「あなた来てくれたの?」

「脅かさないでくれよ。どれほど心配したと思っているんだ。よかったぁ」本当に安心したと泣きそうな顔でつぶやく。

「もう、帰らないつもりだったんですよ。美容師は私の仕事だから、死ぬまでやりたいんです。取り上げられたら私は死んだも同然ですから」

「何を言っているんだよ。ほら図面持ってきたから見てごらん。今まで見せなかったのは驚かそうと思ったからさ。ここの洋間と書いてあるところは、ビューティーサロンにするんだよ。椅子一つだけ作って、親しい客だけ来てもらえばいいじゃないか。悪かったよ、小言ばかり言って、部屋数沢山は作れないからね、少しでも荷物減らそうとあせったんだな、俺」



涙が溢れてきた。
年寄りの私でもこんなに涙が出るんだ、と思った。



「一人にしないでおくれよ、一緒に新しい家に住もうよ。女房のあんたが建ててくれた家で家族が住んできた。これからは俺が建てた家であんたとふたり、老後を過ごそうと思ったんだよ。」

そうだったのか。私のためだったのか。

「私こそ一人にしないでくださいね」そういうのが精一杯だった。



「オイ、俺はあんたに鍵を預けただろう?何でちゃんとしておかないんだよ。なんでもやりっぱなしなんだから」

「はいはい、すみませんね」

私が適当に返事をしていると、新築した家に遊びに来た姪っ子が私にささやいた。
「ね、おばちゃん、おじちゃんったらえらい小言が増えたね。あんなだったっけ?」

「いいのよ、いわせておけば」私は笑いながら言った。

姪っ子も「おばちゃん、寛大ね〜」と旦那のほうへお茶持って行きながら
「おじちゃん、そんな小言ばっかり言っていると濡れ落ち葉になっちゃうよ」などといって笑っている。


ふと庭を見ると、
まだ植林したてのか弱い桜の枝に、
青いリボンを足に結んだ小鳥が留っているのが目に入った。