<イヤンのばか>
ああ、また雪かきから一日が始まる。
昨日までは時折太陽が顔を見せ、幾層にも積み重なった雪を解かしかけたばかりだというのに冬に逆戻りか。
人差し指で少しだけカーテンを引き開けて覗いた、白い外を眺めて思う。
はあ~、実家での生活が始まって何回、いや何十回目のため息だろうか。
雪のように白くて冷たい息がガラスに張り付き乳白色の円を描く。
一年の半分は暖房の世話になる地域。
雪灯りはあるが暗い日常……。
父が病に伏したのを機に、秋田県男鹿市に戻り3年が経った。
その間、父は他界、その1年後母が入院しペースメーカー埋め込み術を施した。
どちらの入院中も側にいたくて、ほぼ毎日病院に通った。父の件も落ち着き、母も自宅生活ができるほど回復し退院した。
仕事を辞め東京での生活にピリオドを打ち、実家で母と二人だけの生活になって5カ月。
一人暮らしが長い私と、父との二人暮らしだった母とは環境も思いも違う。
干渉されるのに慣れていない私と、父に干渉していた母。いま、母の関心は同居している私に向いている。
台所に立てば背後から「何してるの?」、席を立つと「どこ行くの?」、起床時間が少し遅いと「具合が悪いのか?」と枕元に立っている。
一々返答する気になれないくらい、それが頻繁なのだ。
家に帰りたくないと居酒屋で一杯ひっかける倦怠期の夫のように、一歩外に出たら無駄な用を作り、少しでも遅く帰宅しようとする。
そうしてしまう自分がいる。
依存されることの煩わしさから逃げている。
しかし、そうはしていても、帰宅が遅いと心配し、一人でいることが心細くて不安でならない母の顔がちらつき居ても経ってもいられなくなる。
「やっぱり君がいないとだめだ」と花束を持って追いかけてくる男もいなければ、高齢化の地元周辺には、すがりつきたい男も見当たらない。
桜は来月が見ごろ。
私はこのまま葉桜の時期を過ぎて、姥桜になってしまうのだろうか。
なんてこった。
陽が落ちてしまえば民家の灯りだけで、街灯もなく外は闇。
夕食の時間も就寝も早く、家々の灯りは早々に消えてしまう。
テレビのチャンネル数も少ないし、ちょいと一杯、と飲みに行く店もなければ、おしゃれなレストランも見当たらない。
欲しいものが揃う店もない。
以前暮らしていた東京・恵比寿とは比べ物にならないくらい、ここは何もない。
何もないといえば小遣いも足りなくなった。
母の収入は遺族年金となり、父の生存時に受給していた年金額の半分近くに減った。
私は仕事もなく、この半分になった年金から私にかかる費用を捻出しなければいけない。
二人住まいに変わりはないのに、収入だけが減り、家計は火の車だ。
年に数回の海外旅行ができていたバブルなころが懐かしい。
バブル絶頂期に購入した高級ブランドの服もバッグも靴もアクセサリーも、着用することもなくなった。
身に付けたとしても誰が気づいてくれようことか。
プラダだろうがプラデだろうが、グッチだろうがゲッツだろうがどうでもいい。
動きやすく、汚れても平気な服で十分なのだ。
若かりし頃の黒髪は、染めても染めても白髪が目立ち始める。
悪あがきをあざ笑うかのように、根元から白カビのように生え出てくる。
年相応だ、と言われればそれまでだが、母という枷と、ない物ねだりのストレスによる心労が一因かもしれない。
そう、きっとそうだ。
いつも何かに追い立てられている気分にかられている。
あれもしたい、これもしたい。
あれもできない、これもできない。
何かしよう、なんとかしなければ、と焦る気持ちなのだろうか。
思いどおりに行かない苛立ちなのだろうか。
いやだ嫌だ。
あぁ、いやだ。
こんな生活、もういやだ。
いや?
58(いや)?
いやだ、今日は私の誕生日、それも58回目の。
イヤン……。
やだやだ、とため息ばかりついている場合ではない。
自分の置かれている状況を受け入れれば新しい発見があるはずだ。
何のために、貴重な経験をしてきたのだ。
これまで十分、自由気ままに遊んできたじゃないか。
楽しいことも辛かったことも、すべてはこれからの歩みへの必然だったのだ。
過去に思いを残すことはない。
父の残してくれた木造家屋は住み心地がいい。
小さいながらも庭があり、気候のいい時期は木陰で読書をする。
男鹿半島の先端まで行けば自然な美しい景色がある。
海を見ながら、のんびりとした一日もおくれる。
上手くやり繰りさえすれば、母と二人の生活は何とかできないこともない。
いざとなったら、何としてでも働けばいいだけのこと。
静かで心躍ることもない代わりに波風も立たない。
過去に引きずられたり、他人をうらやんだり、見栄を張ることも着飾ることもいらない。
いくら髪を染めて外見を変えようが私は私、あるがままの自分でいい。
レフ・トルストイの作品に「イワンのばか」という童話があった。
主人公イワンは純朴遇直で欲がなくて、小悪魔からの誘惑のささやきにも耳を貸さず、バカだと言われても自分の生活を変えることはなく、最後には幸運を手にするという話だった。
確か、濡れ手で粟、の金儲けをすることの虚しさと儚さを教えてもいたはずだ。
まったくもって今までの私、耳が痛い。
新しい歳になったのだ。
このまま毎日を嫌だ無意味だと否定ばかりしていては、ただイヤンと言ってるだけのバカ者になってしまう。
イワンのように全ての欲を取り除くことは難しい事だが、少しでも見習うことができないだろうか。
無欲になり、身の丈に合う日々を過ごせればいい。
一日一歩ずつでも、それに向かって新たな道を進んで行ければいい。
明日という日はまだ手つかずに残っているのだから、あわてることはない。
幸い時間だけは沢山ある。