2017年6月22日木曜日

日本人の知らない韓国の常識 番外編 by 美津子

閣僚人事聴聞会で分かる韓流エリート社会(in宮崎弁)

 今日は韓国の最新情報やっちゃけど、まともに書いたら、堅~い話になったとよね。だから、宮崎弁を使ってみるっちゃけど、イントネーションが独特やし、私自身も宮崎弁を使わなくなってからだいぶ経っちょるから、分からんとこは宮崎ネイティブの人に尋ねてみないよ。
 韓国では去年、朴槿恵前大統領が弾劾されて、大統領職停止になって、職権乱用とかの罪で公判中で、金満階級の実態が暴かれるのも気になるっちゃけど、正直言うと、ちょっと飽きてきたとよね。それよりも、新政権の特権階級の問題が出てくる国会の閣僚人事聴聞会が面白いとよ。でも、次から次に問題が発生するから、どこで切ったらいいか迷ったっちゃけど、長官辞退者が出たり、意外な人が長官に任命されたのを機に、目立った人達から紹介してみるかいね。  トップバッターは法務部長官を辞退したばかりのアン・ギョンファン、ソウル大学名誉教授。27歳の時に女性の印鑑を偽造して婚姻届けを出して、婚姻無効の判決が出るまで婚姻関係にあったことがバレたっちゃけど、法的に問題ないから、法務部長官を引き受けるつもり満々やったとよ。でも、今大学に通ってる彼の息子が高校生ん時、校則違反で停学処分になりそうになって、父母会役員の地位を利用して事件をもみ消したことがバレて、観念して辞退したと思ちょったとよ。そしたら、その後、韓国人主婦Gさんから、もっと詳しい事情を聞くことができたっちゃが。約40年前、印鑑を偽造して婚姻届け出すのは珍しくなくて、そのまま婚姻関係を続けた夫婦もいるとと。アン氏の場合は被害女性のお父さんが示談に応じてくれて刑事処分は免れたっちゃけど、離婚歴が残らないよう女性の戸籍を改ざんしたことが法的に問題になったっちゃわ。印鑑偽造しての婚姻届けを反省する気は元々無かったっちゃけど、女性の将来を思ってしたことで長官になりそびれたことを後悔しちょるとと。どこまでも好かん男やがね。今でも韓国では戸籍に離婚歴を残さないようにすることは可能で、法的には問題でも、世間一般には許されちょるらしいから気をつけないよ。

 2人目は、雇用労働部長官候補のチョ・デヨプ高麗大学教授。飲酒運転による免許取り消しだけでも好かんっちゃけど、賃金未払いが常態化した会社を起業していたことが発覚したとよ。雇用労働部って名前からして最も不向きやと思うっちゃけど、まだ候補に残っちょるっちゃが。賃金未払いは勿論違法やっちゃけど、法的責任は起業した会社オーナーじゃなくて、雇われ社長にあるっちゃろね。やっちょることは保守系特権階級と変わらんとよね。3人目は、教育副首相候補のキム・サンゴン元教育監(教育委員会の教育長に相当)。自身の3本しかない論文のうち、修士論文と博士論文は盗用で、1本は二重投稿疑惑があるっちゃけど、2006年に全国教授労働組合委員長だった時、当時の教育副首相に論文盗用の件を追求して、辞任を迫った過去があるとよ。自分のことは棚に上げて人を責めることができるとか、驚くがね~。疑惑の段階ではぜったい謝らん韓流を、どこまで続けられるかが見どころやっちゃわ。

 最後に紹介するとは、初の女性外交部長官カン・ギョンファ元KBS(NHKに相当)アナウンサー。英語が堪能で金大中元大統領の通訳をしたことから、外交官試験免除で外交部(外務省に相当)入り、国連人権高等弁務官事務所の副代表、国連人道問題調整事務所の事務次長補、国連事務総長政策特別補佐官を歴任しちょっとよ。出身大学が延世大学(韓国ベスト3)であることと合わせて、素晴らしい経歴って言う人もいるっちゃけど、外交官試験合格者でもソウル大学出身者でもない点が既存のエリートとは異なるとも言われちょっとよね。国会の人事聴聞会では娘の二重国籍・偽装転入・保険料未納状態での医療保険利用や家族の不動産投資・脱税が発覚して、この点から見たら典型的な韓流エリートのライフスタイルを実践しているって言えるっちゃけど、意外にも特権階級を嫌ってるはずの文大統領に請われて長官に任命されたとよね。この意外な閣僚人事の裏には事情があるっちゃないやろか。新しい外交部長官は任命前の記者会見で人権問題が専門ですって言っちょって、他の問題には不慣れなことが露呈したとよね。韓国で今最も優先すべき米・中・朝関係で既に動き始めちょっとは、統一外交安保特別補佐官のムン・ジョンインとホン・ソクヒョンやっちゃけど、ムン氏は早くもアメリカの記者会見で、言ったらいかん本音を言って大問題になっちょるし、ホン氏は朴槿恵元大統領を政権から引きずり下ろすのを率先したメディアの会長やったから、今後の動向にも注目しちょってね。

2016年6月11日土曜日

黄昏 by Miruba

「ああ、すっかり遅くなっちまった」


幸蔵は、車のスピードを上げたくなるのをこらえて、黄昏時の橋を渡った。
太陽が橋の真ん中に落ちてきて、海を蒼くみせている。

橋を渡りきったところにあるコンビニでいつものように小さな袋のチョコを買う。

海岸沿いを走り、やっと目的地に着く。
幸蔵はエレベーターを待つのももどかしく階段をのぼった。
3階まで来たときには息が切れて暫く手すりにつかまって息を落ち着かせなくてはならなかった。

「芳さん、来たよ」ベットに横たわる妻に笑顔を見せる。


「幸蔵さん、遅いよ」少しふくれっつらになる。

「悪かったね、仕事が終わらなかったんだよ。おわびにチョコを買ってきたよ」

妻の顔がすこしほころぶ。その顔を見ると、幸蔵は癒されるのだった。
妻の認知症がわかってから5年、徘徊するようになりどうにもならなくなって施設に入れ始めたのが2年前だ。
子供のいない二人にはほかに頼る人もいない。
誤嚥から肺炎を起こして病院に入院した後、3か月交代で施設と病院を行ったり来たりの生活が続ている。
入院したとたん足腰が弱ってほとんど歩かなくなっていた。


横に垂らした髪の毛を三つ編みにしてやりゴムで止める。
自分ではろくに磨かないだろう口の中を「ほら、アーンして」と掃除してやり、
ヘルパーさんがお風呂上りにバケツに入れてくれた洗濯物を袋に詰め込んでいると、面会時間の終わりを告げるチャイムが小さく聴こえた。

「芳さん、また明日来るからね」

妻の芳子は、チョコをもらったらもう用はないとばかりにテレビ画面を眺めながら、手をゆらゆらと振った。

幸蔵は枕の位置を直してやり、布団の上をトントンとたたいて「じゃぁね」と病室を出た。

ナースステーションの前を過ぎようとしたら、担当の看護師に呼び止められた。

「尾田さん、そろそろ奥様の入院が90日に迫りましてね。介護施設のほうへ移っていただかないといけないのですよ」
「はぁ、そうですか」

幸蔵はため息をついた。
病院ではテレビが各部屋についているが施設には歓談室にしかテレビがない。
自分の見たいテレビ(番組)が無い、と言って芳子がぐずぐず言うのだ。
ワンセグは使えますよと言われても、操作ができるはずもない。
それに時々そっと持ってくる大好きなチョコも、施設では「規則ですから」と取り上げられてしまう。
かといって、自宅に連れて帰っては仕事ができず、仕事ができないと年金だけでは生活できそうにない。蓄えはすっかり底をついていた。

最近少し離れた場所に新設の介護施設が出来たのだが、そこでは各部屋にテレビはあるし食事も自由がきくようなので妻にはぴったりだが、少々割高だった。
「もう少しパートの時間を増やすかな」
幸蔵は疲れの溜まった体を奮い立たせるようにエレベーターではなく階段を降りた。



「芳さん、この施設気に入った?テレビがあってよかったね」
新設の養護施設に空きがあるというので思い切って入れたのだが、芳子は我関せずという顔をしていた。

スタッフもみんな元気で優しそうだ。
幸蔵はほっとしたのだった。

「芳さん、また明日来るね」と声をかけた。
いつもテレビを見たら振り向きもしない妻の芳子が「ほら、ほら」と窓に向かって指を指す。

「なに?」と幸蔵が近寄ると、「あれは家」と芳子がつぶやく。

窓の外には小高い丘が見え、山のようにそびえている。
その中腹あたりに幸蔵夫婦の家が確かに見えるのだ。
居間の少し大きめの窓ガラスが光線の具合で光っている。

「本当だね、芳さんよく気が付いたね。芳さんがベットに寝たまま見えるなんてすごいね」
「家が見える。いいねぇ」
「そうだね、芳さん嬉しいかい」
「うん」

こんな風に話が伝わるとき、妻の認知症は本当なのだろうかと思う幸蔵だった。

幸蔵が洗濯物をもってエレベーターに乗り込もうとしたら、後ろから誰かが乗ってくる。
振り向いた幸蔵は驚いた。普段トイレ以外はほとんど歩かないパジャマ姿の芳子が幸蔵を追ってエレベーターに乗りこんできたのだ。
「芳さん、来ちゃダメじゃないか。どうしたんだよ」

「家に帰るのよ。幸蔵さんと家に帰るの」


幸蔵は言葉に詰まった。
どれほど家に帰りたいのだろう。図らずも自宅の姿を見て、望郷の念にかられたのだろうか。
自分がふがいないばかりに、自宅療養をさせてあげられない。幸蔵は切なかった。
介護師さんが飛んできた。
「芳子さん、今日は帰れないのですよ。少し微熱があったでしょう?今日は帰るのはやめときましょう」

幸蔵も口を添えた。
「芳さん、帰りたかったら、早く良くなってね、そうしたら家に帰ろうね」
芳子はうなづくと部屋に戻っていく。

しかし、次の日もまた幸蔵の後を追ってエレベーターまで来てしまうのだった。

幸蔵は芳子が不憫で、よほど連れて帰ろうかと思ったが、仕事のことを思うとやはり無理だと考え直す。


「芳さん、家の窓が見えるでしょ?私が家に帰ったらタオルを振るからね、見ててね」

芳子はやっと納得したように笑顔を見せた。

しかし仕事を増やした幸蔵は黄昏時にはなかなか窓からタオルを振れないでいた。


「窓からタオルが見えないの。変でしょう?」と不思議がる芳子。


「そうだ、芳さん、時計を見て。この針が朝6時になったら、ほら、ここのところ、そしたらタオルを振るよ」
幸蔵はテレビの横に置いてある時計を指さしながら言った。


朝、霞んで見える施設は遠く芳子が見ているのかさえ定かではなかったが、それから毎日幸蔵は出勤前にタオルを振って見せた。
「タオル見えた?」と幸蔵がきくと。
「タオル?どうだったかなぁ」などと言ってがっかりさせたかと思うと、
「今日のタオルはピンクだったの」とはっきり覚えていることもあり、幸蔵を一喜一憂させてくれる芳子だった。

介護師さんが「奥様もこちらからタオルを振っているんですよ。かわいいですね」と笑っている。


その日も幸蔵は洗濯物を持って階段を降りていた。
エレベーターを使おうと思ったが、また芳子がついてくるといけないので廊下裏にあって部屋から見えなくなる階段を使ったのだ。
荷物を持ち替えた時だった。
疲れがたまっていたのだ。
ふらついて幸蔵は階段を転げ落ちてしまった。
幸蔵は意識が薄れていく中で「芳さん、ごめんね。タオルが振れない・・・・」と声にならない声を出したのだった。



介護師の吉田は各部屋を回っていた。
入所者の体温を計るためだ。
「芳子さん、手を下げてくださいね。体温計りますよ」

そう言っても芳子はタオルを窓に向かって振っている。
「タオル振ってくれないの」とつぶやく。

吉田は黙って反対の腕に体温計をあてがった。
もうタオルを振ってくれる人はいないのにと思うと、ちょっと喉のあたりがつまった。

新人の吉田は詳しい事情を知らないが芳子には子供がいないと聞いている。
遠くに住む親戚の誰かが面倒を見るらしいが、電話連絡だけで一度も顔を見たことはない。
施設に入居している人たちはみな事情を抱えているが、芳子も可哀想な人なのだなと思った。



その日もまた介護師の吉田が入所者の体温を計るために各部屋を回っていた時だ。
「幸蔵さーーん。ここよー幸蔵さーん」
と芳子がタオルを振りながら声を上げているのだ。

吉田はため息をつきながら芳子のそばによって目を見張った。
窓の外に見える丘の中腹あたりに家が見え、四角い窓が朝日に光り、確かにタオルが振られているのを見ることが出来る。

吉田は自分のことのように嬉しくなった。

「芳子さん、タオルが振られていますよ!ご主人が退院なさったんですね。よかったですね」

芳子はその言葉を聞いているのかどうか、
「幸蔵さーん、ここよ〜幸蔵さーん」
といつまでも手に持ったタオルを振っているのだった。

2016年6月3日金曜日

--essay-- 三度目の正直 by Miruba

日々の事に追われ、気がついたら皐月の花が散りかけている。
五月晴れの数日が過ぎると梅雨かと思わせる連続した雨が新緑の香りと共に傘の上に落ちてくる。

忙しいとはいっても、日々の暮らしはそれなりに過ぎて、たまにはダンスパーティに出かけたりもするし、合間に映画を見たりもする。忙中閑ありだ。
もっとも、空く時間は気まぐれなので友人との約束などめったに出来やしない。

先日あるパーティーにいつもどおり1人で行こうと思ったが、知り合いのカップルに現地集合しないかと聞いてみたら_あなたが行くなら付き合うわ_との嬉しい言葉だった。
急な誘いにもかかわらず二つ返事で承諾とは、持つべきものは友達だと思ったしだい。

友人のお相手は近頃一緒に暮らし始めた素敵なロマンスグレーだ。
ダンスという同じ趣味を持ち、半年ほど前からコンペなどにも参加しているという。


会場まで同乗させて貰った車の後部座席からこのところすっかり若々しくなった助手席の友人の横顔をていた。


彼女はシングルマザーだった。
2人の子供を大学に出し、その娘達も良い伴侶を見つけて独立したころ、長い独り身に別れを告げ中学生のときの同級生と二度目の結婚をした。
1人で暮らすのは将来不安だから、と言う理由だった。

ところが飲み友達のときは気が合って楽しかったようだが、お互い自分の会社を持ち、長い間シングルで過ごしてきた二人は、気ままが長すぎた。

「ちょっと聞いてよ。週末に私のマンションに泊まりに来るんだけれど、自分はソファーでゴロゴロするくせに、持ってきた一週間分の汚れ物の洗濯を全部私にさせるのよ!私だって疲れているし週末はゆっくりしたいわ」私とカフェで会う度に愚痴を言うようになる。

「<奥さん>と言うのは家庭ではそういうものよ」といったところで納得せず、一年目に週末夫婦は離婚をした。


落ち込んでいる友人をダンスの世界に引っ張り込んだのは私だった。
年月が過ぎ、すっかりダンスにはまり込んだ彼女は、ダンスの相性の良い人を探し求めるパーティーダンサーになった。

そんな時あるダンスパーティーでいまのロマンスグレーの彼と再会したのだという。

二人が最初に知り合ったのはもう40年も前のこと。
まだ20代前半の若かった彼女が子供二人を連れて離婚し、子連れで仲間達と遊んでいるところにそのロマンスグレーも仲間の1人として遊びに参加して居たというのだ。
もちろんその頃はただの仲間の中の1人で、素敵な青年だったのだろうが。

「ちょっと聞いてよ!子供達の小さい頃の写真を見ていたらね、若かったこの人が娘達と遊んでいる写真があったのよ、もうびっくり」
彼女は、その細い赤い糸に手繰り寄せられた二人の縁(えにし)を感じて嬉しそうだった。
ロマンスグレーも、彼女の横でニコニコして聞いている。
只気が合うというだけでは、上手くいかない男女の仲。
自立した踊りをしながらお互いが支えあい補って表現する社交ダンスが、お互いへの信頼と尊敬を生み普段の関係にも良い影響を与えているのだろう。

自由気ままな彼女がふとした仕草などで甲斐甲斐しさを見せる様子は、愛おしさすら感じられる。



今度こそは大丈夫かな。
3度目の正直っていうものね。
ダンス談義に花を咲かせながら、笑顔の二人に私も嬉しくて顔がほこんでしまうのだ。

2016年4月7日木曜日

逆さ傘か坂の女(ひと)by Miruba

暖かいと思うと寒さが戻り、昨日外したスカーフをまた首に巻きました。
玄関を出ると雨でした。
まだ人影はないようでしたが、サッと門の前を自転車が通り行き、ビニールの雨合羽が翻がえりました。
薄暗い早朝に音も無く忍び寄る霧のような雨でしたので、家の外に出るまで気がつかなかったのです。
傘にするか、フード付きのコートにするか一瞬迷いましたが、着替えている時間は無いので傘にしました。
駅への坂道を降りていきます。
たとえ傘を差したところで霧雨は軽い風にあおられて容易に傘の中に滑り込んでくるのでした。
時に顔にかかる水滴を睫毛にまで感じながら、軽く手で水気を抑えながら、なんとなく化粧が気になるのでした。


坂の上にある自宅から駅までの路の両側に並ぶ家には桜の木を植えたところが多く、街路樹のように連なっています。
先週の暖かさが桜便りを運び、このあたりもぼちぼち咲き始めたのですが、
この雨が花冷えを誘い3分咲きの桜は蕾をまた閉じてしまったように見えます。

それでも生垣のベニカナメモチの赤い若葉と桜の白っぽいピンクとのコントラストが灰色だった景色を明るく彩ります。

ふと、すたすたと私を追い越していく女性に、目を奪われました。
景色を味わっていた私はいつもより歩調がゆっくりでしたから、
別段追い越されて不思議はありませんが、その女性の所作に異様を感じたのでした。

傘を広げてはいるのですが濡れないように差すのではなく、まるで雨を溜めるように傘を逆さにしているのです。

_そうか、下から雨が舞い込むから坂の下から噴き上がって来る雨粒を避けているのよね_
私は自分に納得させる為にその行為に理由をつけました。
それにしては傘の中に溜まった水をまるでこぼさないようにするような坂を下りる逆さ傘。
彼女自身には吹き上げる霧雨にも天からの雨からも遮る物が無いといえるでしょう。
何の為の傘でしょう。

顔はすでに通り過ぎたのでわかりませんでしたが、後姿の美しさに魅了されます。

桜絵をちりばめたウメネズ色の着物が季節をあらわし洒落ていて、襟足も美しくすっきりと結い上げた髪が少しほつれ風になびくのです。
衣擦れの音がこの湿り気の中でも聞こえるほどでした。
けだしが翻るほどに急ぐので草履がまどろっこしくなったのか、片足ずつまるで天気を占うように、ポーンとほうりました。
片方は晴れ、片方は雨でした。
_あたり_などと思いましたが、流石に少しだけ気味が悪くて立ち止まる私でした。

それもほんの一時でした。坂が終わりかけていたので、女性が角を曲がってしまうと、また景色は静寂です。
夢でも見ていたのでしょうか。転がった草履が雨に濡れているのを見ても、現実感がありませんでした。
_桜の精が悪戯をしたのかもしれない。_私は軽く頭を振って先を急ぎました。早番の仕事に遅れそうです。


夕方になっても雨は止むことなく続いていました。
気温が上がってきて桜も生き生きと見えます。反対にこちらは疲れ切った状態です。
それでなくとも一日の終わり、買い物をしたので登りの坂道は少しきついのです。
重くなったスーパーの袋を持ち直し、そぼ降る雨から濡れないよう、肩の上で傘を移動させていると、声を掛けられました。

有無を言わさぬ印籠のような警察手帳を見せながら、二人の屈強そうな男たちが私の行く手を阻むように立つのです。
「済みませんが、お話を聞かせていただけませんか、お時間は取らせません」
あまりすまなそうでも無いその言い方に_時間が無いので_と断りたかったのですが、次の言葉にはっとしたのでした。
「いつもこの坂をお使いになるのですよね。今日も朝早くに通ったのでしょうか?何か見ませんでしたか?」

見なかった事にしたかったのですが、私は結局今朝見た逆さ傘の坂の女の話をしました。
事件があって自首してきた女の話を裏付けるものを探していたと言うのです。
「ただ、草履はどこにもありませんでした」

出頭するときに持っていた傘に被害者の血が着いていたのだそうです。
ああ、そうか、と思いました、血液が雨によって流されるのを防ごうと逆さ傘だったのだわ。
「自分は間違いなく犯人だ。逃げるときに女の人とすれ違ったから探してほしいと、容疑者の女が言いましてね」
といった女の話もまた奇妙なニオイがしました。
私に印象を残す為の芝居だったのではないのかしらと感じました。
草履は高価そうでしたから、誰かが持っていったのかもしれません。



その女は坂の上にある恋人の家に通ってきていたのだそうです。
で、事件は起こったのでしょう。夫がその女の恋人を殺してしまったので、罪の意識から夫を庇った、とか。
子供がいて、母親の恋人が気に入らなくて・・・それを庇ったとか。

色々想像しましたけれど、本当はどういう理由だったのか、詳しくは警察も教えてくれないし、新聞にも出ませんでした。


今朝も霧のような雨でした。
すでに桜は満開を過ぎて、桜の花びらが地面いっぱいに落ちていました。
玄関の中でフードつきのコートを羽織っていたら、通りをサッとビニールの雨合羽を羽織った人が行過ぎました。
デジャヴュ
そうでした。あの逆さ傘か坂の女を見かけたとき、その少し前、自転車の男を見かけたのでした。
ビニールの半透明の自転車用雨合羽にピンクの模様が入っているように見えたのは、アレはもしかしたら、返り血を浴びていたからなのかもしれません。
面倒ですが、ちょっと交番に寄って行こうかしら、と考えました。

桜の景色の似合う寂しげな後姿のあのひとは、これからどうして生きていくのでしょうね。

桜たちは毎日色々なドラマを見ているのだろうな、なんて思ったりしました。
_おどろおどろしいのは嫌だけれど、どうせなら私にも、少しはドラマチックな話が無いかしら_とつぶやきながら、潔く散った桜の花びらを踏み、早番の仕事に向かうのでした。

2015年12月28日月曜日

2015年流行語・大誤解 by 夢野来人

【爆買い】:戦争を前に武器弾薬、爆弾を買い漁る様。

【トリプルスリー】:産前産後産休を取ること。

【アベ政治を許さない】:あべまさはるくんのお母さんの言葉。

【安心して下さい、穿いてますよ】:誰も心配していませんよと同義語。

【一億総活躍社会】:大阪発祥の焼き肉屋がとんかつ屋さんを展開し、全国制覇を成し遂げようと考えたスローガン。正しくは「一億総カツやさかい」である。

【エンブレム】:日本語では、縁触れ無と書く。誰の考えたものともご縁に触れることはありませんよという意味。

【五郎丸ポーズ】:五郎丸が姓であることにもびっくりしたが、名前がポーズとカタカナだったことには衝撃である。この男ハーフかもしれない。

【SEALDs】:自由と民主主義のための学生緊急行動。つまり、sexual doing scrambleあたりか(違うやろ)。

【ドローン】:忍者のように飛び回り、忍術を使って消え去る。消える時の音が、ドローンというらしい。

【まいにち、修造!】:それは、イヤだぞう!

2015年11月20日金曜日

いつものように by Miruba

Photo by Mr. Takao
フランスのテレビを見ていたら、クロード・フランソワの物真似をする人が出てきた。歌も姿もそっくりで、なんだか可笑しくて笑ってしまう。 

クロード・フランソワ(Claude Francois)はクロクロという愛称でも知られた1960年代から1970年代にかけてのフランスで、もっとも人気があったアーティスト兼音楽プロデューサーだ。ディスコをフランスで流行らせたのもこの人だと言われている。
クロードはエジプト出身のフランス人だ。
その先祖は支配階級だったようで幼少期は裕福な家庭だったが、革命で王政が倒れるとすべてが国有化され、クロードの家族も難民同然にフランスに移住してきた。父親が貧困の中にありながら支配階級だった過去を捨てきれずにいたことがクロードにとっては悲しい滑稽に映ったのだろうか。息子が銀行員になることを願った父親はクロードが歌手になってからは口もきかなかったという。

クロードはアパートの部屋で、シャワーを浴びていて、感電死をしてしまった。
2人の幼子を残し、39歳の若さだった。

代表曲のひとつに、「Comme d'Habitude(コムダビチュード)=いつものように」がある。
この曲をテレビで観たポール・アンカが、クロードに曲を使わせてほしいと頼み、英語の歌詞を付け直して「マイ・ウェイ」と言うタイトルにして、フランク・シナトラにも歌わせた。
マイ・ウェイは世界的にヒットし、エルビス・プレスリーや、日本では布施 明などにもカバーされたが、その歌詞となると、これほどまでに違うのか、と言うほどだ。


この歌をクロード・フランソワが作ったとき、「夢みるシャンソン人形」で有名なフランス・ギャルとの破局をむかえていて、仮面カップルのアンニュイな思いと、永久不変と思われた愛の儚さを表現し、それでも日々は音も無く続くのだと、平凡を歌い上げるクロード・フランソワの歌詞は、シナトラや布施明の力強い未来に向かっていく歌詞とは違うけれども、切々とした人生の応援歌であることが伝わってくる。

喜劇とは人間の悲哀の中にこそあるのだな、と思わせる。
クロード・フランソワが音楽の世界で商魂逞しかったのも、ビジュアル系でキラキラと派手な衣装を着て飛び跳ねて踊って魅せたのも、人生の悲哀と喜劇が背中合わせだということを知っていたからかもしれないと思うとき、この「Comme d'Habitude(コムダビチュード)=いつものように」と言う曲を聴くたびに、自然に涙が溢れてきてしまうのだ。

苦しい事も辛い事も悲しい事もある毎日だけれど、いつもの通りの生活を送れることが、どれほど大切なことか。
毎日の変わらない日々にこそ笑える幸せな人生が詰まっているのではないか。

世界中にテロの荒波が押し寄せ、なんでもない日常が当たり前では無い状態にあり、難民が溢れる昨今、難民でもあった亡きクロードフランソワからの贈り物「いつものとおり」が余計に身にしみてしまうのだ。


【いつものように】 訳詞:カズコリーヌ
僕は起きて君を押す
君はいつものように目を覚まさない
僕は君の上にシーツを引き上げる いつものように
君が寒くないように
僕の手は君の髪をなでる
殆ど僕の意思とは反対に いつものように
でも君は僕に背を向ける
いつものように
そして僕は急いで着替える
いつものように、部屋を出る
一人でコーヒーを飲む、
いつものように、僕は遅れている
音を立てずに家を出る
いつものように、外はすべて灰色
寒い、僕は襟を立てる
いつものように
いつものように、一日中、
僕は何かをするフリをするだろう
いつものように僕は微笑むだろう
いつものように僕は笑いさえするだろう
いつものように僕は生きるだろう
http://chansonzanmai.blog27.fc2.com/category62-1.htmlより

2015年10月17日土曜日

パリのカフェ物語10 by Miruba

Chapitre Ⅹ【パトロンヌ】

友人と待ち合わせをした。
メトロ Rique リケという駅だった。

この駅の近くには北ホテルで有名なサンマルタン運河やそれに連なるウルク運河などがあるのでつけられた名前なのだろうと推察できる。
と言うのは、世界遺産にもなっているフランス南部に位置する「ミディー運河」を設計考案したのが、ピエール・ポール・リケという人だったからだ。運河つながりというところか。

Canal du Midi(ミディ運河)とは、南仏トゥールーズから、地中海にまで向かう支流を含め総延長 360 km に及ぶ運河である。
17世紀中ごろ作られた運河で、19世紀に鉄道が出来るまで、大西洋と地中海との間を船舶で結ぶ、重要な輸送ルートだった。
この運河のおかげで、運河沿いの地区の産物の流通が盛んとなり、ボルドー、サンテミリオンなど、世界的に有名なワインの発展に大きく寄与した。
だが、当時の最先端の土木工事は難航を極め、資金も不足がちで、Riqueリケは自分の全財産をつぎ込んだ。
それにもかかわらず、その完成を見ることなくこの世を去っている。
幸いなことにリケの息子が引継いでリケの死約一年後にミディ運河は完成したという。


その運河は19世紀以後は観光船を通すことで発展を継続してきた。今も行き交う観光船に乗る観光客で賑わっている。



私は毎年自名入りのワインをケースごと頼むのだが、
どんなところで作られているのか見たいと思いその生産地ボルドーに寄った帰り、トゥールーズへ足を伸ばしたことがある。


ミディ運河沿いを散歩し、ふと寄ったカフェ。
近代的なカフェだった。
セルフサービスタイプになっていてカウンターにサービスの女の子が居て、座る前に飲み物を注文し、支払ってから好みの席に座るという、スタバなど現代のカフェ専門店のシステムだった。
当時は「このタイプのカフェって、ギャルソンを好むパリでは無理だろうな」と思ったものだ。

私はビールを頼んで運河の見える窓辺に座った。
暑い夏なのに、運河を通ってくる風は涼しい。


先ほどのカウンターの女の子が「Mere(メール)、ありがとうございます。助かりました、なくなってたのよ」と、なにか材料を受け取っている風だ。
フランスではママンと言う言い方が多く「お母様」をあらわす「メール」と言う呼び方は珍しいのでつい、振り返ってしまった。

そして私が振り向いたことで、その「メール」は私を見た。
「アッ」「Oh la la!C'est vous・・オララ!あなたは・・・」

懐かしいその年配の女性は私のパリの自宅近くにあったカフェのパトロンヌ(店主)だったのだ。
ある日突然閉店をしたため彼女がその後どうしているのかと時々カフェの前を通ると思っていたものだ。

パトロンヌのご主人はカンボジア内戦のとき派遣されたフランス軍の兵士として戦闘に巻き込まれ亡くなっていた。
さらにそのご主人との子供を交通事故で亡くし、加えて愛するその子を可愛がってくれていた恋人が、交通事故を起こした加害者を口論の末刺し殺し刑務所に入れられてしまった。

飛び出した子供が悪いのだと正当性を訴えるばかりで悔やみの言葉すらなかったことが理由だったため、情状酌量を願い出たけれど、結局10年の刑で服役していた。

パトロンヌは恋人を待っていたのだが、刑務所から出てくると言う一ヶ月前になんとその恋人は病気で亡くなるという悲しみに見舞われた。
度重なる不幸に彼女は店を閉めどこかに居なくなっていた。


「心配したのよ。元気でしたか?」

「ええ、ありがとう。あの時は自暴自棄になったけれど、結局カフェをやるしかほかに何も出来ないのでね」

流れ着いたこの町でカフェに勤めていたら、今のご主人と知り合ったのだと言う。ご主人は没落した公爵の子孫だとのことだ。
それで「Mereメール」なのかと納得がいった。世界中、上流階級の人は言葉使いにはうるさいもののようである。

「あの子は主人の子供なのよ。元公爵と言っても城を維持するだけで大変なので市に寄付してしまって、門番小屋に住んでいる始末よ。
それでも私のパリの住まいなんか比べ物にならないくらい豪邸なのよ、門番小屋なのに」と笑った。

カフェを出すお金はご主人が出資してくれたらしい。
人を雇う余裕が無かったのでセルフタイプのカフェにしたら意外に好評で、今では娘さんがアルバイトで継続してやっているという。
娘さんがアメリカ留学で居なくなれば、別のアルバイトを雇うからいいのよ、と笑顔だ。

「あなたの子供達は元気?下の子はまだbebeベベだったわ」とパトロンヌが聞いてきた。

学校の向かいにあった彼女のカフェには娘達も良く連れて行ったので知っているのだ。
「上の子は今カナダにボーイフレンドと旅行中。下の子は修学旅行でスペイン旅行よ」

「大きくなったでしょうね。」と懐かしげに目を細めてくれる。


「幸せそうで良かったわ」と別れ際に言うと、「あなたも、お元気でね」そう言ってハグをしてくれた。

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「お待たせ」友人が汗を拭きながら現れた。

「あわてなくていいのに、、待ち人は来てくれたらOKよ」

メトロ Rique 近くのウルク運河のカフェはセルフサービスになっている。
あのパトロンヌの南仏のカフェにそっくりだ。

久しぶりにビエール・ペッシュを頼んだ。
今、あのパトロンヌは元気かな、ふと思った。
絶望の果てにつかんだ幸せ。
いつまでも幸せで居て欲しいと願った。

FIN