2015年3月22日日曜日

隣の碧い鳥 by Miruba

ベランダで洗濯物を取り込んでいたら物干し竿に鳥が停まった。
「小鳥ちゃん、何しに来たの?餌なんか無いわよ」
声をかけたら、飛び離れるどころか近づいて来て私の肩に停まった。

足首に細い青いリボンが結んである。
おまけに<ハナチャンアソボハナチャーン、アソボー>と言うではないか。

「あらら、あなたハナちゃんのお友達?それともあなたが<ハナちゃん>というの?」
誰かに飼われていた小鳥が逃げ出してしまったのだろう。

肩から離れない鳥に、困ったなと思った。
手で払って空へ飛ばしてから部屋に入ろうとしたら、私より先に部屋の中に入ってハイビスカスのプランターに停まった。

「やだ、ハナちゃん、お家に帰りなさいよ、窓を開けてあげるから」

私は窓を開け放した。
まだ開放するには寒い2月の黄昏時、早く飛び去ってくれないかと思うが、
肝心の小鳥はハイビスカスの枝に停まったきり動かないで<ハナチャン、アソボ>と繰り返している。


仕方が無い、私は小鳥をそのままにして、夕飯の支度を始めた。
そこに旦那が帰ってきた。

「なんだこの寒いのに窓を開けっ放しで、大体あんたはなんでもやりっぱなしなんだ」
「え?なんだこの鳥はどうしたんだ?まさか買ったんじゃないだろうな?預かったのか?追い払えよ」


私はため息が出た。
いったいこの人は何が楽しくて生きているのだろう。
口を開けば文句ばかり言っている。
もううんざりだ。

テーブルに食事の支度をして、小鳥のそばに行ってみた。
<ハナちゃん>は、直ぐ私の肩に停まる。
逃がすのを諦めて私は経営しているヘアーサロンに向かう、自宅と繋がっているのだ。
この店は私が45年も前に自分で建てた美容院だ。2,3階はアパートにしてある。
毎日ここで仕事をしてきた、私の世界のすべてだった。

一番落ち着く私の城がもうすぐ無くなる。
旦那が自分で新しいマンションに建て替えると言い出したのだ。

もう70になろうとする私達が新築の家に?
自分の城のまま最後まで終の棲家として過ごそうと思っていた私はショックだった。
私の築き上げてきたすべてが否定されたような切なさを感じた。

なのに旦那はこんな隙間風だらけの汚い家とはおさらばするのだと、
勝手にハウスメーカーに電話をして、あれよあれよと言う間に、再新築が決まってしまった。

小さいがマンションにするというので仕上がりは半年後だ。
出来上がる間近くの部屋を借りて住まうことしたのだが、
なにせ成人して家を出て行った3人の子供達のものや私達の45年間に蓄えられた膨大な量の家財だ。すべてが仮部屋に収まるはずもなく。
それら思い出の品々から、最小限度のものを除いてすべて廃棄処分にするという旦那に、まともに反論できない自分が情けない。

昨日は私が美容師になって初めて買った、お嫁さんの被る日本髪の鬘(かつら)用の笄(こうがい)やかんざしを捨てられてしまった。

「これは私が日本髪のコンクールで優秀賞取ったときのものよ。思い出のものなんだから」
「だからさ、何時の話だよ。それって使うのかよ。客もいないだろ?もう使わないだろ?何十年も使わないもの、捨ててしまわなかったら片付かないじゃないか。新しいマンションに古臭いもの持って来るなよ」

それまで仕舞って置いたかんざしの数々をゴミ袋に入れた。
ダンボールに3箱もあるのだ、旦那の言うことも一理ある。
それでも、私の思い出がゴミになっていく。
わかってはいても、涙がこぼれた。

確かにもう若いお客様はめったに来ないが、昔からの馴染みが顔を出してくれる。
「あなたがお店閉めたら、私どこに行けばいいのよ」と言ってくださるお客様だって5人や6人じゃないのだ。なのに・・・



捨てる、捨てないの罵倒合戦が台所から各部屋まで毎日起きるのだ。
私は片付けるだけで疲れ果てていた。
「この年になって何でこんな大変な思いをしなくてはならないのだろう」

<ハナチャン、ゼロキューニー・・・・・・アソボー>

え?私は耳を疑った。小鳥が何かの番号を言っている。電話番号?
何時だったかニュースで住所を言うインコが飼い主の元に帰ったと言う話をしていたのを思い出した。
最近は迷子になったときの為に住所を教え込むのかもしれない。

「ハナちゃん、頭いいのね^^ 092 ・・・・ なんだっけ?もう一度言って」

<ハナチャン、○○シー、△△マチー、イッチニ>

おお、住所だ。私は急いで書き留める。

電話を掛けたが_お客様のご都合により、取り外されております_という。
入金が無いときは、確か別の言い方をするはず。取り外すってどういうことか?


「おい」
店に顔を出した旦那が相変わらず苦虫をつぶしたような機嫌の悪そうな顔をして、
「客のいないとこでいつまでも何やってるんだよ。テレビ台を壊すから中の物出せよ」
「あのテレビ台は捨てないわよ。サイドボードになっていて便利だし高かったのよ。まだ使えるもの」
「ダメダメあんな古臭いもの、新しい家に似合わないよ、壊すって言ったら壊すんだよ、さっさとしろ」

朝方までかかってサイドボードの中に入れてあるウイスキーやワインを取り出し、引き出しに入れてあったナフキンなど箱に入れ替えた。
このテレビ台は旦那自身が二人の結婚の祝いと言って買ったものだ。
そんなことも忘れたのかあのジジイは。私は一人毒づいた。
鏡の中の自分がすっかり老け込んでいるのに気がついて、思わず眼をそらす。

なんだか鬱々と怒りがこみ上げてきた。
もう旦那の顔も見たくない、と思った。



気が付いたら東京駅に来ていた。
田舎に行こうかな。
急に行ったら姉さん驚くかな。
私は電車に乗ろうとして、車掌さんに止められた。
「お客さん困ります、鳥は籠に入れてください」
「え?」
なんということ。コートを引っ掛けて出てきてしまったのだが、肩に<ハナちゃん>が停まっているのに気が付かなかったのだ。
それほど私も落ち込んでいたのだろうかと、自分が可愛そうになる。

<ハナちゃん>の住所は私の田舎と同じ九州だった。
なぜ遠くこの地まで来たのか判らない。
飼い主が新しい住所に越したのだろうか、長距離トラックにでも紛れ込んだ可能性もある。
とにかく私は<ハナちゃん>の家を探すことにした。

バックを持たないで買い物袋を持っていた私はそのなかに<ハナちゃん>をいれた。
騒いで飛んでいけばそれでもいいと思ったが、存外におとなしくしている。
先ほど呼び止められた車掌さんの見えない別の改札から乗り込んだ。

5時間で博多駅に着いた。
ここからまた電車を乗り継いでいく。

福岡も大きな都会だが、一歩奥に入ると田園風景の田舎である。

携帯で住所から地図を検索する。
便利になったものだ、これだから迷子にならずにすむ。

「<ハナちゃん>着いたよ、ここがあなたの家みたいだけれどね・・・」
恐れていたように、無人のようだ。
住む者の居なくなった家は、恐ろしいスピードで荒廃が進む。
やる事の無くなった人間の老化が進むのに似ている。
とっくに買い物籠から飛び出しそこらじゅうを飛び回っていた<ハナちゃん>、判るのだろうか?

「あら<ハナちゃん>じゃない?青いリボンしているし」

私はご近所らしい老婦人に経緯を話し、その女性も私に<ハナちゃん>の飼い主の話を聞かせてくれた。

「この家のおばあちゃんは東京にいる娘さんに引き取られていったんですよ。20年も前にご主人と離婚して一人暮らししていたんですけれどね。
結局一人暮らしは寂しかったんでしょうね。でも、東京に行っていくらもしないで亡くなったんだそうですよ。そんなことなら、
ここに居ればよかったかもしれないって、娘さんが泣いてましたね。ハナちゃんは、飼えないからって、空に放ったそうですけれどね。帰ってくるんですね、可哀相に」

<ハナちゃん>はそこの家から離れようとしなかったので、そのままそっとしておくことにした。自然に帰るのだろうか。

体がだるくて仕方が無かったが、私は姉の居る町へのローカルディーゼル列車に乗り込んだ。

姉の家までやっとたどり着いたことは覚えている。
気がついたら病院のベットの上だった。
血圧が280を超えていて気を失ったのだと言う。
連日の引越し準備で体が悲鳴を上げていたのだろう。私も若くないと言うところか。


旦那が心配そうな顔をして、ベットの横に座っていた。

「あなた来てくれたの?」

「脅かさないでくれよ。どれほど心配したと思っているんだ。よかったぁ」本当に安心したと泣きそうな顔でつぶやく。

「もう、帰らないつもりだったんですよ。美容師は私の仕事だから、死ぬまでやりたいんです。取り上げられたら私は死んだも同然ですから」

「何を言っているんだよ。ほら図面持ってきたから見てごらん。今まで見せなかったのは驚かそうと思ったからさ。ここの洋間と書いてあるところは、ビューティーサロンにするんだよ。椅子一つだけ作って、親しい客だけ来てもらえばいいじゃないか。悪かったよ、小言ばかり言って、部屋数沢山は作れないからね、少しでも荷物減らそうとあせったんだな、俺」



涙が溢れてきた。
年寄りの私でもこんなに涙が出るんだ、と思った。



「一人にしないでおくれよ、一緒に新しい家に住もうよ。女房のあんたが建ててくれた家で家族が住んできた。これからは俺が建てた家であんたとふたり、老後を過ごそうと思ったんだよ。」

そうだったのか。私のためだったのか。

「私こそ一人にしないでくださいね」そういうのが精一杯だった。



「オイ、俺はあんたに鍵を預けただろう?何でちゃんとしておかないんだよ。なんでもやりっぱなしなんだから」

「はいはい、すみませんね」

私が適当に返事をしていると、新築した家に遊びに来た姪っ子が私にささやいた。
「ね、おばちゃん、おじちゃんったらえらい小言が増えたね。あんなだったっけ?」

「いいのよ、いわせておけば」私は笑いながら言った。

姪っ子も「おばちゃん、寛大ね〜」と旦那のほうへお茶持って行きながら
「おじちゃん、そんな小言ばっかり言っていると濡れ落ち葉になっちゃうよ」などといって笑っている。


ふと庭を見ると、
まだ植林したてのか弱い桜の枝に、
青いリボンを足に結んだ小鳥が留っているのが目に入った。

2015年2月14日土曜日

パリのカフェ物語 8 by Miruba

Chapitre Ⅷ【愛しのヴァレンタイン便り】

私のいつも使っているメトロ3番線にBORSEブルス(パリの証券取引所)の駅がある。
観光客の多いオペラから2駅離れているのでサラリーマンが多くカフェの乱立している場所でもある。
その中の小さな一軒が私の好みだった。カウンターは10人も立てばいっぱいで、テーブル席も5、6しかない。
そのかわり店の表には店の3倍くらいのテーブルが歩道を埋め尽くしている。
私は表もカウンターも見渡せる角の2人がけ用丸テーブルに陣取って、ノート型のパソコンでエッセイや新聞への投稿などを書いていた。

「C'est chez SONY それ、ソニー?」
「Je vous envie いいな~欲しいな~今度日本に出張だから買ってこようかな」
当時は珍しがられて、よく声を掛けられたものだ。
その後不良外人が増えパソコンを目の前で盗られる事件が発生するようになって、私も一時はパソコンの持ち出しをしなくなったのだが・・・。


軽食を出すカフェは昼食時はレストラン並に忙しくなる。
昼の喧騒が終わったころ、店内にいつもの常連さんが入ってきた。
「Bonjour monsieur Lion!pas encore・・・こんにちはリオンさん、・・まだですよ・・・」
リオンさんは、他の常連さんの笑顔の中、握手をしたりハグをしたりして、カウンターを移動し、時々顔を見かける私へも手を差し出して挨拶をした後エスプレッソを頼んでカウンターの端に立った。

本当はリオンさんという名前ではない。クレディリオネという銀行に勤めているからついたあだ名だった。
「・・まだですよ」とギャルソンが言っていたのは彼がいつもカフェで一緒になる女性のことなのだ。


彼の、おそらく、待っている女性は、リオンさんより頭ひとつ大きな背が高く美しい人だ。
日本人とロシア人のクオーターと聞いている。
日本の証券会社からの単身赴任でバリバリのキャリアウーマンだ。お酒も強い人で、私がたまに夕方カフェに寄ると、彼女は仕事帰りのみんなと政治論やフットボール(サッカー)の話で盛り上がっていて、ワインを2本も3本も空けていた。

その横で、リオンさんは時々議論に加わるのだがその博学に皆は舌を巻くのだ。
でもその他は物静かでニコニコと彼女の横顔を愛おしそうに眺めながら、ただコーヒーを飲んでいるので、ギャルソンも常連さんも余計に彼をからかうのだった。



私のテーブルひとつ先に数人の日本人が座って先ほどから小声で話していた。
「どうする?会社は飛行機でご遺体を運びましょうかって言ってくれているけれど、日本に帰ったってねぇ」
「フランスって火葬するところがあまり無いらしいよ。どうしようか」

カトリック教会が法令で禁止していた火葬を認めたのが1963年だ。土葬が一般的だったフランスが火葬を認めたのは、衛生上もあるが、外国人が増え、パリの人口も増え、お墓の数も足りなくなってきたからと聞いている。
1989年5%だった火葬率は、現在パリにおいては40%以上にもなるという。
日本人の私達から見ると、いまだに土葬率が60%近くにもなるの?と驚きの数字ではある。
当時はそれでも火葬はまだ少なく、日本から来たばかりの人では火葬場を探すのは大変だったろうと思った。



「しかし、豊さんにはあきれたわね。いくら万理と別居状態だったとは言え、まだ一応旦那さんじゃないの。それを葬儀に来られないってどういうことかしら」
「お母さんの介護で動けないって、たぶんお母さんに止められているのよ。マザコンだから」
「あんなやつ、だから結婚には反対したんだ」
「従兄妹のあなたが言ったってしょうがないじゃないの。どうする?」

私はたまらず声を掛けた。
「あの、失礼ですが、お話が聞こえてしまって。・・あの万理さんってまさか、角の証券会社に勤めているMARIさんじゃないですよね?」

後姿の私をフランス人だと思っていたらしく、突然日本語で話しかけられたので驚いたと言いながら、
「日本の方でしたか。えっと、万理をご存知でしたか?」

「ハイ、このカフェでよくご一緒しました。確か旦那さんが豊さんと言う名前だと聞いたことがあったものですから、今驚いてしまって。だって、先週の金曜日にお話したばかりですよ」

「ええ、その金曜日の夜、心臓発作で。救急車を自分で呼んでそのままだったそうです」
「土曜日に私達は日本を発って昨日パリに着いたばかりで・・、病院に行って確認してきたばかりなのです」
「どうしていいか、途方にくれているのです。本人が以前からもう日本には帰らないと言っていたし、死ぬときはスイスの山へ散骨がいいといっていたのですが・・・」
目頭を押さえながら話してくれる。

お悔やみを言いながら、私はどうしたものかとカウンターにいるリオンさんを見やった。

カウンターではリオンさんをさかなに皆で賑やかだ。
しかたがない。私は声を強めて言った。

「Ecoutez!Messieurs! 聞いてくださいみなさん、MARIさんが亡くなったんですって、心臓発作で」

日本人は驚いたときは「えっ!!」と息を吐くが、フランス人は驚いた顔と共にスーーーっと息を吸い込むので、いっせいにひーーっという音が響いた。カウンターにいる常連さん達の顔が固まったようにみえる。

リオンさんが気を失って倒れた。
それを皆で抱える。

お酒をあまり飲まないリオンさんの口に、EAU DE VIE オードヴィ「命の水」と言われるブランデーを含ませる。
私はその光景を見ながら、まるで映画みたいだわ、と不謹慎にも思っていた。
急いでハンカチを水で濡らし額に当ててあげたら、すぐに眼を覚ました。

リオンさんは呆然としていたが、静かに涙を流し、私に言った。
「マダム、MARIの家族たちに、私もお葬式に参列させてもらっていいだろうか、と聞いてくれませんか?」


色々な手配は万理さんが勤めていた会社の人がやってくれたようで、葬儀にはリオンさんやカフェの常連達、カフェのギャルソンや私も参列した。
会社の人たちが数人と、両親や兄弟はいないという万理さんの親戚数人そして私達だけの寂しいお葬式だった。
火葬後は半分を日本のお墓へ、半分はパリのペールラシェーズに埋葬することになった、契約は10年と言う。その後は共同墓地に入れられるのだ。
万理さんが希望したスイスでの散骨は無理だと、親戚の人たちは日本に帰っていった。


あわただしい一週間が過ぎた。

いつものように私はカウンターと表通りの見える端っこのテーブルに座っていた。
いつものように、常連が集まってきて、元気の無いリオンさんを励まそうと、賑やかな声も変わらなかった。

日本の宅配がフランスでも始まっていた。
ネコちゃんマークの箱を宅配のお兄さんがカフェのマスターに手渡している。
マスターが中を開けて声を上げた。

「Quelle surprise!! なんてこった!天国のMARIさんからお便りだよ!皆にサン・ヴァランタンのプレゼントだって」
そういって、20個はあるチョコレートが私達に配られた。私ももらってしまった。かわいいハート型のブランドチョコレートだ。

今でこそパリにもハート型チョコレートは探せばあるが、同じブランドがフランスにもあるのに、90年代当時ハート型のチョコレートはパリにはほとんど売っていなかった。
サン・ヴァランタンは恋人達の日なので、花束とか下着とか靴下を贈るものだったから。

万理さんは、いつも集う仲間達に、ヴァレンタインデーの日本のハート型チョコレートを感謝の気持ちとして贈りたかったのかもしれない。
まさか自分が、みんなの笑顔を見る前に亡くなってしまうことなど、想像もしなかったのだろう。



そしてリオンさんへのサプライズも入っていた。
マスターが
「ほら、ムッシューリオン、あなたへは特別大きいリボンが付いているよ」

万理さんからの贈り物と聞いて、コーヒーカップを取り落としていたリオンさんは、カウンターの端で青い顔をしていた。

震える手でチョコレートの包みを受け取り、そしてメッセージカードを読み始めた。

______________________________

リオンさん、いえ、ジャンクロード。
ハッピーサンバレンタイン!

私決めたの。長い間別居していた主人とは別れることにしたから、
これからもずっとパリに住むことにするわ。
あなたが私を好きなことは判ってる。違うと言っても無駄よ。
ずっと前から知っているもの。
そして、私もあなたを好きなことに気が付いてしまった。
愛しているわジャンクロード。
                       あなたのMARI
______________________________

リオンさんはチョコレートを抱きしめて泣き崩れてしまった。

リオンさんだけじゃない、
私達は、チョコレートの包みをなでながら、皆泣いた。
リオンさんの本当の名前はジャンクロードというのか、と思いながら・・・


後にリオンさんは、万理さんの希望通り、スイスとフランスの国境にあるモンブランに、ヘリコプターをチャーターして散骨に行ったと聞いた。

【恋はいつか終わる】ジョルジュムスタキ

2015年1月17日土曜日

隙間 by Miruba

高見は、小さなバスターミナルビルの掃除をもう30年もやっている。
昔ターミナルが、行き交う町の人で溢れていたころ、ビルのオーナーに雇われたのだ。
その後町の人口減少もありビルの持ち主が変わったり都会の大きなビル管理会社が管理することになっても、古く小さなターミナルの、たった2、3時間くらいの掃除をする人がいないらしく、高見はずっと継続して交代するオーナーに頼まれ、盆暮れなく毎日掃除をしていた。

今では利用する人のすっかり少なくなったバスターミナルビルは近く取り壊しになるとのことだ。
周りの町並みがその時々変化し小奇麗な建物になっていく中で、バスターミナルだけが昔のまま残されていて、湾の景観を損ねると言う話が度々持ち上がっていた。
高見の仕事は無くなるが、もう卒業してもいいのだ。
養う家族がいるわけでもないし、どちらにしても小遣い程度の実入りだったのだ。
この仕事がおしまいとなれば、他に半日くらいのパートの仕事を探せるし、かえっていいや、と高見は思った。


トイレ掃除を終えて待合に眼をやったら、また爺さんが座っていた。
「オイ、爺さん、また出たのか?もうそろそろ成仏しろよ」
と高見が言ったとたんその影は消えた。


生きていたその爺さんがバスターミナルビルに来るようになったのは、4,5年ほど前からだった。

待合には2畳ほどの畳台の部分があるのだが、その爺さんはいつもそこで昼寝をしていた。
冷暖房完備のターミナルの待合は休憩するにはもってこいだ。
最初は近くの作業員が昼休みに利用しているのだろうと、気にも留めないでいたが、
高見が作業を終えて帰宅した後にも何時間も座っていることがあったらしく、バスを利用する学生の親達から、苦情が出たのだ。

「爺さん、ここはみんなが利用するところだから座っていていけないということは無いんだけれどね、一日中いられるとね、困るんだよ」
「何で困るんだよ、誰にも迷惑掛けて無いだろ」
「いや、そうだけれどさ」

そんなやり取りがあってから、高見はその爺さんと会話を交わすようになった。
奥さんや子供とも別れ一人この町に流れ来たという爺さんは、大手の会社に勤めていたが、若いころからの仕事のやりすぎと付き合いの飲みすぎがたたり、肝臓を痛め、腎臓も病んで、長期入院から会社を辞めざるを得ず、今では透析に通っていると言うことだった。

だが、その透析も貯金を取り崩して受けていて、とうとう毎回は受けられなくなったのだという。

「生活保護とかあるんじゃないか?行政に頼れよ」と高見が薦めても、黄色くなった顔に薄笑いを浮かべるだけだった。

ある日高見が掃除を終えて帰ろうとしたとき、ターミナルの待合が騒がしくなったことに気が付いた。
あわてて行って見ると、爺さんと、バスを時々利用する見かけたことのある女の人が言い争いをしている。

「あなたじゃなきゃ誰が盗るのよ」
「わたしは知らないよ。ずっとここの畳に寝ていたんだから」
「そんなこと信じられないわ。私がトイレに行っている間買い物籠はここにあったし、他に誰も来た様子無いもの。ね?おじさん」

最後は高見に賛同を求めてきたが、見ていなかったので返事の仕様が無い。
どうやら、女性は買い物籠とその中に入れた財布を待合の椅子の上に置きっぱなしだったようだ。
バックは手にしていたのでうっかりたと言う。

「大体、浮浪者のように何時もいつもここに寝ていて気持ち悪いのよ、皆がそういってるわ」

段々罵倒が激しくなってきて、とうとう警察を呼ぶといって、角の派出所に走っていった。
爺さんは高見に「おっちゃん、わたしじゃないからな、絶対わたしじゃないからな。今まで話してくれてありがとよ」
そう言って、裏の出口から逃げていってしまった。


次の日、爺さんは海に浮かんでいた。

湾沿いにはフェリーの付く場所にも湾岸に沿った道路側にも人が誤って海に落ちないよう転落防止のフェンスがある。
一箇所、停泊する民間用ボートの為に海への階段があるため、2メートルくらいの隙間が開いている箇所が2箇所あるだけだ。
その一箇所から身を投げたようだった。フェンスの横に律儀に靴がそろえてあったという。

なんと早まったことをしたんだ、と高見は思った。
結局のところ爺さんを泥棒扱いしたのは勘違いでその女性が自分でどこかに財布を落としていて、その財布はすでに警察に届けてあったのだから。

爺さんは常々いつでも死ぬ準備は出来ていると言っていた。
健康にも生活にも不安を抱えていたのだろう。
そこに泥棒扱いを受け、これで終わりとばかりに自分の人生に決着をつけたのかもしれない。
世間の狭間に生きる孤独な人間の姿を見るようで、高見は自分のことのように切なくなった。



朝まだ暗い時間にターミナルの掃除をし始めていたら、爺さんが畳の上に座った姿で現れたのだ。

少しはビクッとしたが、
_成仏できないんだろうな_そう思うと、高見はそれほど恐ろしさは感じなかった。
爺さんは、何か問いたげにしたが、高見が声を掛けようとすると消えた。

そんなことが2回あって・・・

数日後、路地から飛び出してきた猫を避けようとした車が海に落ちて、運転していた女性がレスキュー隊に助け出され九死に一生を得た。

普通なら車は海には落ちずにフェンスにぶつかって止まっていたはずなのに、よりによって急ブレーキを掛けたために横倒しになり、そのまま歩道を乗り越えて、あの爺さんが身を投げた海への階段のところから落ちてしまったと言う。

「ありえねーよ。海沿いに延々とフェンスがあるのに、橋げた用の隙間から、それも普通にぶつかればフェンスで引っかかるのに横倒しですんなりと海にダイビングしたんだ。まるで海に引き込まれていくようだったよ」目撃者の若者が興奮気味にテレビ取材のカメラに向かってしゃべっていた。

海に落ちた女性は、爺さんを罵倒したあの女の人だった。
こんな偶然があるだろうか。高見ははじめてゾッとしたのだった。

爺さんの幽霊がまた現れたら、なんてことしたんだと、問い詰めてやろうと思ったが、それから二度と現れなかった。

高見はまた新しくなるバスターミナルで再就職が決まった。
車でダイブし、助かったあの女の人がフェンスのところに花を手向けている姿をみかけて、「爺さん、また現れるかな」と高見は海への隙間を眺めながらひとりつぶやいた。

2014年9月28日日曜日

パリのカフェ物語7 by Miruba

フランスの中央に位置する古い地方都市『オーベルニュ地方圏』。

食通のバイブル・ミシュランガイドを出しているあのミシュラン社のある『オーベルニュ』。

ジョルジュ・ポンピドー、ジスカール・デ・スタン、ジャック・シラクと、歴代の大統領を輩出した『オーベルニュ』。


その『オーベルニュ地方』出身のカフェのオーナーは、どうやらお客さんにご馳走になっているようです。

水を入れると白濁する「パスティス」をカウンターに乗せ飲んでいます。
パスティスは、アルコール度数の高いアニス風味の南仏生まれのリキュールです。

ギリシャやトルコの支配で入ってきたとされるアニスは、西洋茴香(ウイキョウ)とも呼ばれる香草で、リキュールなどのお酒やケーキに、時には息の香りを良くするため、そしてまた、消化剤および咳や頭痛を鎮めるためにも用いられています。

パリのカフェで白いカルピスのようなものを飲んでいる人がいたら、このお酒に間違いありません。


オーナーは話し出しました。
「オーベルニュといっても、ひー爺さんがオーベルニュでひー婆さんの故郷はその南隣のアヴェロンなんですよ。パリの人はオーベルニュもアヴェロンも一緒に「中央から来た人」オーベルニュ人といいますが、実際はぜんぜん違うんです」

オーベルニュとアヴェロンの人たちにはその場所と気質の違いをはっきりさせたかったでしょうが、パリジャンからすれば、同じフランスの真ん中辺から来た人たち、とひとくくりにしたのでしょうか。
地域にこだわるのはその地方の人だけなのはどこでも一緒ですね。

実直で頑固などちらかというと閉鎖的なオーベルニュ気質とは違って、開放的なアヴェロン人は、暇さえあれば、自分の椅子を外に持ち出して夕暮れの町で世間話をするのが楽しみだったようです。

アヴェロンからパリに出てきたカフェのオーナーの御かみさん達が、狭い店の前に椅子を出して世間話をしていて、そのうちお客さんに地元から持ってきたワインをサービスする様になったとのこと。
パリのカフェが、ロンドンのパブや、ローマのバールと違ってオープンカフェなのは、そういういきさつもありそうです。

「なんでも先祖はつまり私のひーひーひーひー爺さんくらいですがね。水売りをしてたらしいんですよ。ところがパリの下水道設備が整っちゃうとね、水売りの仕事がなくなっちゃった。それでひーひーひーひー爺さんはお金持ちのアパートへお湯を運んだってわけです」
笑いながらオーナーが語ります。
「えらい古い話だね。しかし5階まで!今みたいにエレヴェーターはないしお湯を運ぶのは大変だったろうね」と、お客さんが感心しています。

私はビールのお変わりをしてオーナーの興味ある話に聞き耳を立てていました。
知らない歴史を知るのはぞくぞくすることです。
オリーブを口にしながら、これも南から来たのよね、と思いめぐらします。

オーナーはパスティスの酔いがまわったのか、昔話を聞いてくれるお客さんが嬉しいのか益々快調に話をつないでいくのです。


「昔は湯沸かし器など無かったですからね。でもってお湯を沸かすのに当然炭がいる。当時は暖房も暖炉でしたから炭屋を始めるんです。ですが、家賃は高いから炭を置く倉庫くらいしか借りられない。この店も最初は5分の一くらいの広さだったそうですよ」

「そりゃ狭いね。ああ、それで外に椅子を並べたってわけかオープンテラスカフェの出来上がりだ」お客さんが笑いましたが、私は感心して聞いていました。


オーベルニュの人たちは出稼ぎでパリに来ていたのです。そして奥さんたちは田舎から旦那さんの暮らすパリに、懐かしいだろう地元のワインとチーズをお土産に持って逢いに来ていたと言うのです。

昔は防腐剤など無いので、持参したワインは急いで飲まなくてはならず、余ったワインをコップ一杯、炭を買いにきた客に最初はサービスで、後には売ることになるのですね。

そしてつまみのチーズを切るのに、地元から持ってきたラギュイヨールのナイフをつかうのでした。
今ではソムリエなら必ず持っているといわれているソムリエナイフの代表格のシャトーラギィヨールもオーベルニュ地方のものなのです。


そういえば主人がパリに入った1970年ごろ、カフェの横で炭を売っているお店を見かけたと言っていました。

カフェは炭屋の兼業、いえ炭屋の兼業がカフェだったのでしょうか。
それが後に炭は環境汚染の原因となり、煤煙で建物が黒くなるというのでパリでの利用が禁止されてしまいます。
そこでカフェだけが残るのですね。

オーベルニュの人はパリに出稼ぎに来て、まずは水を売り、お湯を売り、炭を売り、ワインやチーズを売り、コーヒーもだしてオープンカフェにしていった・・・


うん?まてよ、ではあの子爵や公爵や文化人の通っていた、踊り子でもあり娼婦の居たキャバレー宿から、プロコピオのはじめた明るくゴージャスな鏡張りの『カフェ・プロコープ』はどうなるのかしら?

キャバレーがコーヒーを出したのが始まりだから、パリのカフェは飲み屋のバーのようにお酒が沢山並んでいるのだものね。


疑問はオーナーの続く話で、すぐに解けました。

「政治論を交わす紳士や美しく着飾った奥方様や高級娼婦たちが通った高級なカフェには、普通の人は入れなかったそうですよ。そこでひーひーひー爺さんオーベルニュの仲間たちは炭屋の横でワインだけでなく、コーヒーや他の飲み物や簡単な食べ物やつまみをだしていたら、炭を買いにくるお客さんでいっぱいになったってわけです」


高級なところはサロン風なカフェ。庶民用にはオープンテラスカフェが現れた。

その両方をあわせたものが現代の『パリのカフェ』と言えるのでしょうね。



農業地帯で農繁期を過ぎるとパリに出稼ぎに行かなくてはならなかった中央フランスオーベルニュ地方の人々。
それがいまや、世界に販路のある‪ボルヴィック‬ミネラルウォーター、ミシュランタイヤの本社、ソムリエナイフの金属工業、山脈や休火山もあり肥沃な土地に湖や牧草地帯が広がっていることで観光業も発達してきて、パリに出稼ぎに行かずとも生活できることで、【パリのカフェのオーナーはオーベルニュ人】という図式もなくなってきたのでしょうか。


オーナーとお客さんはまだ昔話に花が咲いているようでしたが、私と娘は、少しのチップをおいて席を立ちました。

"Merci!Madame et Modemoiselle,a bientot"

オーナーのご機嫌な挨拶に手を振りながら、夕暮れのなかを娘と私は歩きました。

パリの高級なカフェと、庶民のカフェのその生い立ちの違いを一日で探れた気がしました。
カフェの歴史はパリの歴史でもあるのですね。

聞いていないのかと思ったのに、
「面白い話だったね」と娘がつぶやきました。


2014年9月20日土曜日

背後湯 by 夢野来人

最近は温泉ブームだったりスーパー銭湯なんてものが大流行りでございますが、ひと昔前は温泉と言えば、若者は見向きもせず、ご老人たちの天下でございました。
温泉にはいろいろな効能があるわけですが、これが肩こり神経痛など、ご老人なら誰しも経験のある痛みを和らげてくれるのも人気のひとつでございます。
また、どこそこの温泉は滝のように落ちてくるところに座って入るだの、ここの温泉は立ったまま入って歩きながら進むだの、挙げ句の果てには湯舟のまわりを一周してから入るのが習わしだなど、その地その地によって変わった温泉の文化というものが栄えていたものでございます。

そんな中でもひときわ怪しげな薫りを漂わせておりましたのが、背後湯と言う名の温泉でございます。どんなことをするのかと言えば、後ろ向きに入るんです。
お湯に入る時も出る時も、風呂場の中を歩く時でさえ、後ろ向きに歩かなければなりません。
なぜ、そんなことをするようになったかと言えば、この温泉には様々な者が来るためでございます。
どこの温泉だって、いろんな人が来るだろう、中には変わった奴だっているさなんて思ってちゃいけません。
この温泉、山奥にあるためか、そんなにいろんな人は来ません。
たった今、いろんなな者が来るって言ったばかりじゃねえかとお思いかもしれませんが、その通りです。いろんな者が来るのは確かです。ただ、人じゃございません。天狗やら妖怪やら、いわゆる物の怪たちに人気の温泉でございます。
中には、瞳を見つめるだけで凍らされちまうなんて髪の長い西洋の女性妖怪まで来るのですが、後ろを向いているので凍らされる心配はありません。
その隣には、長さなら負けないわと首の長さを自慢している日本の女性妖怪もおります。
一つ目しかない坊やとか、目鼻口のない妖怪も、ここ背後湯ならば誰はばかることなくゆったりと温泉を楽しめます。
そんな気味の悪い温泉に人間が行くはずがないとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、何しろこの温泉、効能が魅力的なんです。
その効能とは、寿命が延びるということです。言わば不老長寿の泉とでも申しましょうか。
ほら、あそこで後ろ向きに浸かっている猫なんぞ、毎日来ているそうで、年齢は1000歳を超えたとか。
そんなわけでございまして、お湯に疲れば皆さん気もほぐれてまいります。
たとえ後ろ向きの背中合わせとは言え、話の一つや二つは出てくるものです。

「ヒマラヤの旦那、最近は雪が減ってきて隠れる場所に苦労してるんじゃねえですかい。旦那は毛むくじゃらだし、大きいから目立ちますもんねえ」
ヒマラヤ在住の大男に声をかけたのは、中国から雲に乗ってやって来た猿でございます。
「まったく、こう暖冬が続いちゃ雪が溶けちまっていけねえや。雪が溶けると、この茶色い体毛が発見されやすいだろう。いっそ、真っ白にでも染めちまうかな」

こんなたわいもない話が、あちらこちらから聞こえてまいります。

そんな和やかな雰囲気の中、この温泉には名物の食べ物がございまして、湯舟の中で風呂桶を浮かべながら、その中に入っている食べ物をいただくのが人気です。
これが、なんとかき氷でございます。
湯船の中で暖かいお酒を飲むのがお好きな方もいらっしゃいますが、冷たいかき氷もなかなかオツなものでございます。
ここのかき氷は現在とは違いまして、一種類しかございません。かき氷は赤いやつだけでございます。
お湯の効能は不老長寿ですが、実は、ここのかき氷にも効能があるそうです。なんでも、頭が良くなるそうなんです。知恵が付くともっぱらの噂でございます。
いろんなところから温泉に集まってきて、背中合わせながら、こうして共にかき氷を食べることになろうとは、何たる不思議なご縁でしょう。しかも、知恵まで授かることができるのです。
いつしか、このかき氷は、イチゴいい知恵(一期一会)と呼ばれるようになったそうでございます。

奇怪温泉、背後湯の序でございました。

2014年9月6日土曜日

携帯がなった chapter2 by Miruba

みんな言っているんだけれど、君って、レズなんだって?と聞かれ、私は恐らく悪魔でも見るような顔をしていただろう。

「なんですって?!」私の突き刺すような声を聞いてあわてて孝彦が言葉をつないだ。
「判っているよ、幸恵がノーマルなんだってことは。でも、ネットでマリアが騒いでいるぞ、幸恵に裏切られたって、ジャンに幸恵を盗られたんだって」


「冗談よしてよ、孝彦だって知っているでしょう?ジャンとの付き合いのほうがマリアより長いし、第一マリアは同性の友達というだけよ、恋人だなんてとんでもないわ」

「し、知ってるよ、でも、いったん広まった噂は消えないし、ネットで炎上していて、押さえようがない。ジャンに見られ無ければいいけどね」


体が震えてくるのがわかった。なんということ・・・・
ジャンの部屋にあるパソコンは、鍵のかかったロッカーに入れられていて出せない。
当時ニースに一箇所だけあったネットカフェに走った。


炎上のコメントなど、見なければいいのに、恐ろしいのについ見てしまう。
そこにある誹謗と中傷の言葉、賛同と否定の入り混じった言葉の暴力。
目を覆いたいのに、とことん読み進めて昂然と反論する。

「違うわ!私は彼女の恋人ではない。私に女性を愛する趣味はない。彼女の勘違いよ!」

腹が立ってコメントで口を出すと、さらに_同性愛を趣味とは何だ_と炎上に拍車がかかる。説明をすればするほど、書けば書くほど文章のやり取りは、思いとかけ離れていく。

哀れなマリアをその気にさせて別れ話をする風上にも置けない嫌な女だと罵倒され続けた。そのなかに、味方だと思っていた、いつも集まる仲間達のハンドル名も見え隠れした。

私は愕然とした。
孝彦の名前は無かったが、同時に彼は私への援護射撃もしてくれていないのだ。
それはつまりほかの仲間と同じ考えだということに他ならない。
結局私を批判していることと一緒だと思った。
こんなにつらいのに、悲しいのに誰も助けてはくれない・・・
この人たちは誰一人私の仲間なんかじゃなかったんだ。
楽しく交流していたと思っていただけに、落胆は激しかった。


マリアにアクセスをする。
何てことするのだと彼女へ怒りをぶちまけた。
マリアは最初のころこそ泣いて謝ったものの、自分の発する言葉に興奮するのか、私に嫌われたのだから死ぬしかないと、またぞろ言い出した。

腹が立っていたこともあり、また人の心まで斟酌する余裕がなくなっていた私は、
「ああ、どうぞ!そんな死にたければ死んだらいいじゃない。誰もとめないわよ!」と言い放った。


しまった!

私はあわてて、「マリア!」とパソコンに向かって呼びかけたが、もう、二度とマリアからの返事は無かった。


Photo by Takao
3日後、
マリアがニースの隣カンヌの海に浮かんでいた。

いつもは穏やかなニースの海が、アルプス山脈から吹き降ろされるミストラルによって波は躍らされ雲は疾風のように地中海に向かっていく。
マリアは沖に流され、そして浜に打ち上げられていた。

可哀相なマリア。
私がもう少し真剣に向き合っていれば、救えたかもしれない命。

世界中の誰もが私を非難の目で見ているような気がした。


たった一人私の味方、と望んでいたジャンがつぶやいた言葉。

「運命なのだから仕方がないよ。・・・でも、本当に何も無かったの?」


ジャンの見せるクールさが好きだったはずなのに、その醒めた言い方は私を打ちのめした。

ディプロマ取得を目前に、引き止めるジャンを振り払って日本に逃げ帰ってしまったのだった。


「悪いけれど、ジャンにいまさら会っても仕方が無いわ。孝彦、あなた、彼と会うことがあるのなら、よろしく言ってよ。ううん、私は見つからなかったと伝えて」


孝彦がイタリアに戻ってから一ヶ月が過ぎたころ、兄の会社に私宛の手紙が届いた。
ジャンから受け取った手紙を転送してきたのだった。

「Mon amour  SACHIE・・・」

その手紙は僕の愛する幸恵、という言葉から始まっていた。
相変わらず、フランス人独特の読みにくい、でも懐かしい彼の筆跡。


「愛する幸恵、今も元気で暮らしていると孝彦から聞いた。
君がいなくなってどれほど寂しい時間を過ごして来ただろう。
花の春にも、バカンスの夏にも、枯葉の秋にも、灰色の冬にも季節を友にしながら君の事を思い出さない日があっただろうか。


君が僕に逢いたくないといっていると聞いたとき、僕はまた泣いた。
だが、それは僕に与えられた試練であり罰なのだ。

天に召される前に、どうしても君に謝らなくてはいけないことがある。
マリアは、君のせいで自殺したのではない。
僕のせいで死んだといってもいいだろう。


あの日、
君はあわててアパートから出てきた。きっとマリアのところへ行こうとしていたのだろうと思う。
それを、マリアは向かいのカフェから見ていたんだ。
君を刺そうとしていたに違いない。ナイフを隠し持っていた。


なぜ僕がそれを知っているかというと、僕は君とマリアが二人でこっそり逢うのではないかと疑っていて(ごめん、君を疑って本当にごめん)
マリアを付け回し、常に彼女の背後にいたからだ。

カフェから出たマリアを、強引に車に乗せ、ナイフを取り上げて町外れで、・・・強姦した。
それは、君からマリアを引き離す最後の手段だと、僕は当時そう思ってしまったから。

大人しくなったマリアは、ふらふらと車から出て行った。


僕は覚悟を決めていたのだけれど、不思議なことに、捜査段階で僕のことが問題になることはなかった。
君との噂話のせいなのか、あるいはマリアが僕という男の跡を拭い去るために激しく洗浄したためか、
警察が最初から自殺と決めていたからなのか、今となってはわからない。

それを幸いに、僕は黙った。


僕は君に問いただすことも出来ず、かといってじっといしていられないほどのジェラシーでどうにかなっていたと思う。
幸恵、君を誰にも渡したくなかったんだ。
マリアには申し訳ないことをしたと思っている。

でも、神は罪を許してはくれなかった。
君を僕から永遠に取り上げてしまったのだから。


幸恵、逢いたい。心から逢いたい。愛しているよ今でも。

あの夏の日の二人で見た花火は美しかったね。
君が話す日本のお祭りの様子。
フローズンと違うという「かき氷」も、一度食べてみたかった。

愛しい幸恵。

ひと目、君の顔を見たかった。
君の優しい声を聞きたかった。

もう僕の命はかき消えようとしている。
君への愛はこんなにも燃え盛っているというのに。

さようなら、幸恵。Adieuアデュー  」


私は大きく息を吸った。

もう、間に合わないかもしれない。
すでにこの世の人ではないのかもしれない。

でも、それでもいい。
私はジャンに伝えるために、飛行機に飛び乗った。


「ジャン、私もあなたを愛しているわ。」

< FIN >

2014年8月30日土曜日

携帯がなった   chapter 1 by Miruba

携帯の音にビクッとした。
マナーモードにしてはあるのだが、テーブルの上におかれた携帯は、思いのほか大きな音でその存在を主張する。

「おい幸恵、ムラカミタカヒコって知っているか?」

受話器の向こうから音が漏れそうなほど大きな声で、兄の慶介が聞いてきた。
私は周りの仕事仲間の迷惑になら無い様、椅子から離れ廊下に出る。
今にも降りそうな灰色の雲が非常階段の窓から見えた。

「うん、同じ人かどうかわからないけれど一人知っているわ」

「そうか、何でもお前を探しているらしい。」

私はネットで酷い目に遭ったことがあり今は一切インターネットはやらないが、兄が仕事関係でも使っている本名登録のF&BというSNSサイトで、あるメッセージを受け取ったというのだ。

_こんにちは、突然失礼します。
あなた様のフルネームとプロフィールのお写真が似ていることから、探し人のお尋ねです。
慶介さんには、幸恵さんという妹さんかお姉さんはいらっしゃいませんか。
幸恵さんに、KEISUKEさんという名前の男兄弟がいると昔聞いたことがあるのです。

僕は幸恵さんと学生の頃フランス、ニース大学で同じクラスだった邑上孝彦といいます。
現在イタリアのジェノバに住んでいます。僕の名前を伝えて、幸恵さんが知らないと言ったら、この事は忘れてください。
もし、連絡が付くようなら、一度お話がしたいのです。僕の自宅電話番号は○○○○・・・です_


慣れない外国暮らしで、同じ日本人同士助け合ってきた友人の一人だった、懐かしくないわけが無い。
だが、確実に本人かどうかまだわからない。それに、本当に私はムラカミタカヒコに会いたいのだろうか・・・

それでも兄に連絡係をしてもらい、1週間後日本へ一時帰国するという孝彦と、兄を伴なって会ってみることにした。



横浜に住む兄と合流して品川の駅ビルの中にある待ち合わせ場所のジャズバーへ入った。
この店ではミニライブがあり、料理も美味しく値段も手ごろなのが嬉しい。

黒服のウエイターの背後から顔を出した孝彦は、センスの良いイタリアンなスーツで現れた。
いつもヨレヨレのジーンズにダウンのベストを着ていたあの彼が、こうも変身するものか。
今は日本人向けのイタリア語の先生をしているという。何でフランスの大学に行ってイタリア語?
_巻き舌が得意だったから_という理由で大学に入りなおしたという。「昔から変わっていたからね」と言うと「お互い様」と、答えが返ってきた。

ひとしきり弾んだ話が落ち着いたころ、孝彦が妙に沈んだ声で「今、尋ねてもいいかな?」と、きりだした。



「実はね、ジャンに、幸恵を探してくれないかと頼まれたんだ。嫌ならもちろん、会ったことは言わないよ」

先ほどから、私たちの話にあまり入れず所在無げだった兄に向かって言った。

「兄さん、ジャンはね。私の大切な人だったの」


孝彦を昔の私の恋人と勘違いしていたらしい兄は、少し驚いた顔をした。



「ジャンは病気でね、もう長くないそうだ。」孝彦が続ける。



兄には話さなかったが、私はニース大学在学中、ジャンという男と一緒に暮らしていたことがある。
孝彦に会おうと思ったのは、もちろん学生時代の思い出が懐かしいということはあるが、ジャンの噂話が少しは出るかもという期待がどこかにあったのだと思う。



photo by TAKAO
ニース大学では、外国人向けの語学クラスがあった。
ここで試験が通らないとディプロマがもらえず、何のために留学しているかわからないので三年の私はあせっていた。
とにかくフランス語を言葉にしようと学生はと見るとやたら話しかけていた。

次年度担当の先生だと知らず、構内を歩いていたジャンにも親しげに話しかけた。
それが彼との出会いだった。
私達が先生と生徒の境を越え親しくなるのに時間はかからなかった。
彼の部屋は広かったので私はボストンバックひとつで転がり込んだ。


ジャンはやさしかったし、そして同時にどこか冷めた雰囲気も持ち合わせていた。
時に一人になりたがる私には、個々を尊重する彼が魅力的だった。
一緒に食事を作り、交代で掃除や洗濯をする。
夕方には必ずニースの海岸を散歩して二人の時間を楽しんだ。
夏には、カキ氷のようなクラッシュした氷にシロップをかけたフローズンアイスを二人で食べたり、冬には、マロンショーという焼き栗を買って食べたりしながら海岸沿いのアベニューデザングレを散歩した。

そして、一方でお互い何日も話さないでいられるほど自由な時間も沢山あり、それが二人の関係を不動にしていた。



週末にはクラスの仲間を呼んでパーティーをした。ジャンも時には参加してくれた。
またジャンの仲間のパーティーにも、出来ないフランス語を必死で使って何とか付き合ったものだ。

観光地ニースでは週末になると花火が上がる。
孝彦やベルギー人のヘンリ、スペイン人のカルロスなど親しくしていた仲間達とワインで乾杯だ。
日本人とアメリカ人のハーフだという2つ年下のマリアはことのほか私を慕ってくれた。


半年ほどたったころだろうか。
マリアの様子に少しだけ変化を感じるようになった。
頻繁に電話をかけてくるようになったのだ。話は他愛もない世間話。
最初はジャンに用があるのかと思ったくらいだ。

ジャンが長電話を嫌がるので、インターネットのメッセンジャーで話すことにしたのだが、それも日に日に長い時間拘束される様になった。

今にして思う。

なぜ断れなかったのか。
どうして、ずるずると時間を引き延ばしたのか。
思いやりか。親切な感情か。客観性に欠けていたのか。
若さゆえ避けるすべを知らかったからか。

いや、たとえ今であっても断りきれない気がする。



マリアは私を愛しているというのだ。
もう恋人だわ、と決め付ける。
その思いは幻想であり勘違いだといっても言うことを聞かず、私がなにかと優しくしたことは、マリアへの愛だったと彼女は言い張る。

同じ仲間として接しただけで、恋というのではない、と答えると。
自分をその気にさせたのはいったい誰だと私を責める。
メールで好きだといったじゃないかと迫る。


確かに友人として好きだとは書いたが、それはマリアが自分を好きか嫌いか?と質問してきたからその返事をしただけで、もちろん「恋人」という意味ではない。
言った言わないの応酬が永遠とむなしく続く。

私の愛が得られないのなら自殺するという。もうめちゃくちゃだった。

メッセンジャーの向こうで、今薬を飲んだとか、酒を浴びるほど飲んだとか、手首を切ってみたとか言い出し始めて、私はますます追い込まれていた。

話を止めたら死なれてしまう。
私は彼女の自殺を止めるのに必死だった。


私のせいだと、書置きをして死んでやる。と脅迫してきたこともある。
もし死なれたりしたら、こんな後味の悪いことがあるだろうか。
だから、マリアの心が落ち着くまで、いつまでも話を繋ぐしかなかったのだ。

1時間2時間5時間7時間と、パソコンの前に縛り付けられた。
何日もそんなことが続き、疲れ果て、落ち込み、苦悩する私。

流石にジャンはそんな私の異常に気がつき、パソコンを取り上げてしまった。


マリアはどうしただろうか。
私が無視をしていると思っただろうか。
気がきではなかったが、ジャンの怒りが嫌で、パソコンには触れないでいた。

いや・・・
いや、そうじゃない。
ジャンの怒りだけが私をネットから遠ざけた理由ではない。
学校にもすっかり出てこなくなったマリアの呪縛から逃れられて、心底ほっとしていただけなのだ。


だが、事態は私の知らないところで少しずつ悪いほうに進んでいた。



孝彦が講義の後私を呼んで言った。

「幸恵、君ってレズなんだって?」


私はグラグラめまいがするほど血の気が引いた。

ジャンの顔が浮かんで消えた。

<つづく>